文月 朔 天の川
子供のころから、七夕の日付の設定には悪意があると思っていた。
なぜにわざわざ、一年に一度の逢瀬に、これほどまでに雨の多い時期を選んだのか。
そう主張する私を、日本酒を嘗めながら、クサブキさんが興味深そうに眺めている。
「アマネ殿は、私の知る女人の中ではまれなほど、激することの少ないお方だと思うのだが、時折、存外のところで情深いのですね」
私は押し黙る。
彼にとっては、織姫と彦星の物語など、おとぎ話の一つに過ぎないのだろう。今、私たちの逢瀬がこんな形であったとしても。
平安時代は、通い婚という婚姻形態があったと聞いている。私とは、やはり少々、感覚が違うのかもしれない。
「……私どもの用いていた暦では、七夕は、今よりひと月ほど後のことだったのですよ」
目元を緩めて、クサブキさんが立ち上がる。
「アマネ殿。ここには雨は降らないが、私は一人の夜は毎晩、次の月が無事に消えるように、丸くなるように、祈っているのですよ」
彼は私の隣に座り、肩を抱いて、そっと口づける。
私はほんの少し泣きそうになり、彼の肩に頭を預ける。
私の心の内なんて、どんな細かい襞の裏までも、きっと彼にはお見通しなのだ。
これほど情の濃やかな人を、鬼に変えた出来事とは何だったのだろう。また、私は考える。
*
「……天の川がここまで見事なのは、やはり新月ですね」
白い夜空の真ん中を、黒い川が横切っている。
「……クサブキさん。私は、あなたのことを、知りたいです」
私のつぶやきに、クサブキさんはしばらく口を開かなかった。
「……私には、かつて、身命を投げ打って得た、想い人がおりました」
しばらく静かに天の川を眺めていたクサブキさんから出た言葉に、私はぎくりとする。
「お聞きになりたくなければ、この話は、了います」
クサブキさんは真剣なまなざしで私を見つめる。
私は黙って、彼の瞳に映る自分にたずねる。答えはひとつだった。私は彼を、知りたい。たとえそれが、私にとって、どれほど痛い事実であっても。私はうなずき、彼を促す。
「……その想い人は、妖でした」
私たちは、正面から向かい合う。
「私は、それを知りながらその人に近づき、その人と契りを結び、自らも妖となったのです。……しかし、その人を、私は裏切った。そして、その人は、私のかつての同輩たちに、首を落とされました」
彼の目には、話しきると決めた覚悟があった。
「愚かにも、その人の命を助けるという甘言を信じ、かつての同輩たちを引き入れた私は、その人の首が落とされた時に、真の鬼となった。私は、術者も、兵も、おびただしい数の者を、殺しました」
彼の両手は、固く握られている。
「追手より逃れ、この地に流れつき、封じられて千余年。……この白い空を、美しいと感じたのは、あなたと見上げた、夜だけです」
彼はまっすぐに私を見つめる。
「アマネ殿。あなたは、このような私と、ともに在り続けることは、できますか」
私は彼の瞳を見つめる。
彼が一人で越えた千年の夜は、その罪を贖いきるに値したのだろうか。
それは、私には、分かりようもないことだった。
私にわかることは、ひとつだけだ。
私は、握りしめられているクサブキさんの両手をとる。
「私は、私と向き合ってくれている、今のクサブキさんを、信じています」
クサブキさんの目が、ゆっくりと瞬いた。
「アマネ殿」
そのまま私たちは、言葉もなく見つめ合う。
二人の間には、白い空を割るように、黒い川が静かに続いている。




