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月ごよみ隠れ里奇譚  作者:
正伝 鬼と贄
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睦月  朔  邂逅(1)

「珍しいな、ここに客人とは」


 目の前の彼は柔和に微笑んでいる。

 私は黙ってその顔を見つめていた。……正確には、言葉が出なかった。


 ここに来るまでの流れは全く記憶にない。

 気がつくとこの人物の前で立ち尽くしていた。

 ただ分かるのは、ここが、私が普段暮らしている世界ではなさそうなこと、そして、目の前の人物が、ただものではなさそうなことだ。


 これ、どうしたらいいんだろう。

 私はぼんやり考える。

 これまでの私の乏しい人生経験からは、この事態を切り抜ける正解を導くことは、まあ、無理だった。


「いずこからお見えになられた。を通ってこられたのかな」


 彼の表情も、声も、変わらず柔和だったが、何となく、この問いかけには、適当に答えては、いけない気がした。

 とはいえ、私にできることは、正直に答えることだけだ。


「……分かりません。ここに来るまでの記憶が、全く、ないのです」

「ほう」


 口元に微笑みを張り付けたまま、彼の目がわずかに細まった。


 怖い。

 ここまでだいぶぼんやりしていたが、ここで私ははじめて、はっきりとそう思った。


 だってこの人……つの、生えてるし。

 牙っぽいの、見えてるし。

 どう考えても、悪魔とか鬼とか魔王とかその辺のお方ですよねわかります。


 周りの景色も、こう言ってはなんだが、だいぶやばい。

 木も、岩も、山も、見たことのあるような形をしているが、とにかくやばい。

 初めは何なのか分からなかったが。

 ちらりと見上げた、真っ白い空に浮かぶ黒い点々……夜空に浮かぶ星を見た時、私は理解した。

 景色が全部、白黒逆転しているのだ。写真の、ネガのように。


「まあ、客人はもてなさなければならないでしょう」


 にやり、というのが一番しっくりくる笑顔を浮かべた、目の前の人物だけは、私の知っている、普段通りの色をしていた。


「ようこそ、影の国へ」



「その、チキュウなる球体の上の、ニホンなる国の住人であられると」

「……はい」


 彼が指を鳴らすとどこからともなく現れ、地面に広がったふかふかの布――おそらく何かの毛皮であろうと思われる――に座らされ、何かわからない液体の入ったカップを手渡され、私は仕方なく、彼に聞かれるがまま、自分の知る限りのことを話した。

 未だに全く状況がつかめないので、抵抗のしようもない。

 どうぞ、と勧められるが、カップの中の液体を飲む勇気は、私にはない。とりあえず、おかしなにおいなどはしないが、安全なにおいもしていない、気がする。


 そんな私の様子に気を悪くした風もなく、彼は顎に手を当てる。


「おそらくあなたは……外の住人たちに、にえとして呼び寄せられたのでしょう」

「ニエ」

「私への、捧げものです」

「はあ。……いや、いやいやいや……」

「珍しいことではないのですよ」

 

 彼は、どちらかというと迷惑そうにため息をついた。


「ここ最近、見たこともないような変わった牛やら何やらが突然現れるので、扱いに難渋していたのですが、これで理由が分かりました」

 

 パチリ、と指が鳴る。途端に、私の前に、真っ白なモフモフが現れた。

 意表をつかれて私はカップを取り落としそうになる。


「これは」

「これが何か、ご存じか」

「はあ、これは、……アルパカ、ですね」

「ある、ぱか」


 あるぱか、あるぱか。男は何度か繰り返す。そんな場合ではないはずだが、私はふいに湧き出してきた笑いを必死にこらえる。


「……これは、不味まずそうに見えますが、喰えますかね」

「……どうでしょう……。人間からすると、食べるよりは、毛を利用する方が、多いと思いますけど……」

「なるほど」


 何なんだろう、この状況。

 角と牙の生えた異様にきれいな顔の男と、白黒逆転した草原と、真っ白なアルパカと。

 私は、そろそろ自分の脳の処理能力に限界を感じはじめていた。


「こやつらは、あなたのいる世界から、送り込まれてきていた訳だ」


 角の生えた彼は、ふう、とため息をつく。


「確かに、ここしばらく、供物くもつが途絶えがちだった。飢饉でもあったのか、十分な供物を出せるようなムラがなかったのかもしれないが……」


 物思わしげな独り言。


「あやつら、禁術に手を出しおったな……」



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