平塚とカレー
雰囲気の良いカフェであった。カフェというより純喫茶と言ったほうがいいのか?
高校生が来るような店じゃない。小指をピンと立てて紅茶を飲んでいる平塚の姿は純喫茶とマッチしていた。
「ここが朔太郎といつも来てたカフェか。なあ、そろそろ教えてくれよ。お前の仕事って――」
「お前って言わないの。平塚って呼びなさい」
平塚はひどく機嫌が悪そうに言い放った。
何だってこんな風に感情を見せるのは珍しい。真島の幼なじみの赤間とあってからずっとこんな感じだ。
平塚が紅茶をテーブルに置いた。
「まあ良いわ。私達はただの便利屋よ。『お母さん』が受けた依頼を私達が処理をする。それだけよ」
「いやいや、よくわかんねーよ!? 便利屋ってなんだよ? 猫でも探すのか!?」
「ええ、猫探しもあったわね。……あなた文句ばっかりね。全く、はぁ……」
「くそ、なんかムカつくな……。おい、お前のスマホの待受画面、ワルニャンだろ? さっき見ちゃったぞ?」
平塚が珍しく狼狽した。
「あ、あなた人のスマホを勝手に……。わ、悪い? か、可愛いからいいでしょ」
ワルニャンは子供向けアニメの主人公の敵役だ。可愛らしい風貌とどこか憎めない悪巧みをして、主人公のポコニャンの邪魔をする。
「ん、いいんじゃね? 俺もあのアニメ好きだぞ」
「そ、そう。な、なら許してあげなくもないわ」
平塚は恥ずかしさを隠すように紅茶を口に含んだ。
まあたまにはいいだろう。
俺は話を続ける。
「まあ仕事は便利屋だってわかった。でも、どうやって俺の意識を戻せばいいんだ?」
紅茶を飲んで冷静さを取り戻した平塚はさも簡単な口調で言った。
「あなたと真島君が、事故が起こった時と同じくらいの衝撃を受ければいいのよ」
「は? し、死ぬぞ」
「ええ、真島君はね。未明君は……多分大丈夫よ」
「な、なんだよ、その信頼が恐ろしく怖い」
「ふう、冗談よ。事故が起きた衝撃じゃなくても、真島君と手を合わせるだけで意識が入れ替わるはずよ」
俺は拍子抜けしてしまった。ていうか、真顔で冗談言うなよ。わかんねーよ!?
「なんだ、それだけでいいのか。ははっ、すげえ簡単じゃん。早く病院に行こうぜ!」
平塚がまた冷たい目で俺を見る。くそっ、バカを見るような目で見やがって。
ワルニャンが好きなくせに……。
「無駄よ。そもそも条件は二人の意識が覚醒している時。……朔太郎の精神力だったら、そのうち意識は戻るはずよ。だけど――いま、真島君の身体は行方不明よ」
「は?」
平塚は至って冷静であった。
「理解できない? 真島君が拉致されてのよ」
「ちょ、ちょっとまって、イチから順に整理すっぞ……。情報量が多すぎる」
「未明朔太郎と真島文吉の心が入れ替わった。この認識でいいのか?」
「ええ、未明くんならありえるわ」
「色々ツッコミたいが……。で、二人の意識がある状態で手を合わせると再び入れ替わる事ができる」
「そうね。未明くんなら可能ね」
「……で、未明朔太郎の強靭な精神力だったら植物状態でもそのうち意識を取り戻す、と」
「もちろんよ。あの未明朔太郎よ」
……ちょっとまてよ。こいつの未明朔太郎に対する評価はおかしいだろ!? ……きっと恋する乙女なんだな。
「な、なによ、その哀れんだ目は……」
「いや、続ける。問題は、俺の身体が病室からなくなっているって事。その認識でいいな?」
「ええ、昨日『お母さん』から連絡あったわ。そのうち見つかるでしょ」
「いやいや、冷静すぎじゃね!? 俺の身体がゴミと一緒に捨てられてるかも知れねーんだぞ!?」
「あなたの? 真島君のでしょ。それに大丈夫よ。絶対に捨ててないわ。大事に大事に保管されているはずよ。だってあの未明朔太郎の精神が入っているかも知れないもの」
俺は残っていたアイスコーヒーを胃に流し込んだ。
オーケー、俺は冷静だ。おかしな世界に転移した気分だ。
「じゃあ、俺は何すればいいんだよ」
「あなたは『お母さん』からの吉報を待てばいいのよ。この街から出なければ比較的安全よ。それでも――」
その時、チャリンとドアのベルが店内に鳴り響いた。
女優さんみたいにキレイな女性の人が入ってきた。思わず見惚れそうなほどの美しさ。ただ、妙に人工的な美しさだ。心に響かない。
これなら平塚のほうが綺麗だな。
女性は俺達の隣の席に向かって歩いてきた。
俺達の席を通る時、カバンからスマホを取り出した。スマホにハンカチが引っかかってハンカチが床に落ちてしまった。
お姉さんがそれに気がついて足を止めて、俺に微笑んだ。お姉さんががもうとした時――
「どいて」
お姉さんの身体が一瞬びくんっと跳ねて意識を失ってしまった。
平塚が何かをお姉さんにリモコンみたいなもの押し当てていた。映画やドラマでしか見たことがない――スタンガンか!?
平塚はお姉さんの身体を足でコロンと転がす。
お姉さんの手から注射器みたいな物と……、大きなナイフがカランと落ちた。
「え、あ、な、なんだよこれ? 意味わかんねーよ……」
平塚は至って冷静に俺に言った。
「あなたは知らなくていいのよ。ただ、相棒として私と一緒にいるだけでいいの」
「あ、ああ……、なんて言えねえよ!? 馬鹿野郎!? こいつナイフ持ってたんだろ? 平塚、怪我はないか? ビリビリで手とかしびれてねーのか!?」
俺は平塚の身体をペタペタと触って怪我が無いか確かめる。
「ちょ、ちょっと、あなたどこ触って……、あっ、やめて……」
「ふう、大丈夫そうだな。あっ、わりい、妹が良く転んで怪我をしてて、よく面倒を――」
平塚の顔が真っ赤になっていた。
カウンターの奥にいる初老のマスターが忍び笑いをしている。非常に愉快そうな顔であった。
「み、未明くん! わ、私は大丈夫よ! 狙われたのはあなた、だから問題ないわよ!」
「あん? よくわかんねーけど、俺、未明朔太郎は生け捕りだろ? なら邪魔者は殺されるってのが落ちだろ? だてに映画みてねーよ」
「あ、あなた、ね……、はぁ、全く……、わ、私の心配は無用よ」
「ていうか、初めて大声上げたな。中々可愛らしいところあるじゃん」
「……ねえ、あなたおかしくない? 今拉致されかけたのよ? 私はスタンガンでこの女性に暴力を加えたのよ? 怖くないの?」
怖いか……、俺が傷ついてもどうせすぐ死ぬ。正直どうでもいい。
だけど、誰かが悲しんだり傷つけられている姿を見るほうが嫌だ。
俺は恥ずかしがって怒っている平塚になんて言えばいいかわからなかった。
平塚が傷ついたら、きっと朔太郎も悲しむだろ?
「――俺は朔太郎の親友だから……無論問題ない」
平塚は息を飲んだ。
「バ、バカ。……全然似てないわよ」
************
どうやら俺はずっと誰かから守られていたみたいだ。
全く、わけがわからないが朔太郎なら何が起きても不思議じゃない。
平塚曰く、俺を拉致しようとする人物はこの街にほとんどいないはずだ。
さっきの女性は偶然に偶然を重ねて紛れ込んだラッキーレディだったらしい。
それでも警戒をもう一段引き上げるために、俺は……。
「ここが私の家よ。入りなさい」
見上げるほどのタワーマンション。駅前の一等地にあるここに平塚は住んでいるらしい。
平塚はブツブツと何かを言っていた。
「……全く、朔太郎じゃない男を家に上げるなんて……お母さんのバカ、でも、彼は未明朔太郎……、うぅ……大丈夫、私は何も感じない……」
この身体の耳だと丸聞こえだ。俺は平塚の言葉を聞いてないふりをしてあげて、後をついていった。
マンションの最上階でエレベーターが止まった。さっきから平塚は妙にもじもじしている。
なんだ、トイレに行きたいのか? うん、無視しよう。
「こ、ここよ。あ、ちょ、ちょっと待ってなさい。部屋が散らかってるから少し片付けるわ」
「え、別にいいだろ? あ、おい、待てよ――」
平塚は勢いよく扉を締めた。
扉は防音のはずなのに、ガタガタとすごい音が聞こえてくる。
な、何が起こってんだ?
しばらくしても、中々平塚は出てこない。
俺はしびれを切らして扉を開けてみた。
「なんだ。鍵かかってねえじゃん。入るぞ――」
玄関に入った瞬間、リビングで立ち尽くして泣いている平塚の姿が見えた。
な、なんで泣いているんだよ!? お前全然泣かなかったじゃねーかよ!!
「うぅ、うう、か、片付かないよ……。ど、どうしよう……、ま、まさか命令で男の人を部屋に入れるなんて……、う、ぅう」
部屋はすごい惨状であった。なんというか……、控えめに言ってゴミ屋敷であった。
なんとも形容しがたい散らかりようである。
「ひ、平塚? ほ、ほら、一緒に片付けようぜ……」
「ひゃっ!? な、なんで入って来てるのよ。ぐずっ……、バ、バカ! は、早く出ていきなさいよ」
俺は平塚を無視して部屋を片付け始めた。
「うん、まあまて、物を移動するだけじゃ片付かねえ。洋服とか下着は自分でしまえ、俺はゴミを整理する。ゴミ袋くれや。二人でやらなきゃ絶対夜までに終わらねえよ」
「う、うう……、わ、わかったわ。へ、変な事しないでよ」
「はいはい」
というわけで、なぜか俺は氷のアイドルと言われる同級生の汚い部屋を掃除する事になった……。
「ほら、コーヒーできたぞ。ここに置いとくぞ」
「え、ええ、ありがとう」
結局、平塚は片付けが何もできない女の子であった。洗濯物は畳めない、掃除もできない、洗い物はシンクに積み上げられていた。
俺は家事がきらいじゃなかった。家事をしている時は精神が安定する。終わった後はすっきりする。
綺麗になったキッチンでドリップコーヒーを入れてあげた。
本当はご飯の時間だけど、食材買わなきゃな。冷蔵庫の中は賞味期限切れの食材しかない。あとはカップラーメンなどのインスタント食品しかなかった。
平塚がコーヒーを一口すする。
「……なにこれ、美味しい。私、自分で入れたコーヒーが泥水みたいにまずかったからコーヒー飲まなかったのに……」
「はは、今度入れ方教えてやるよ。あっ、お前嫌いなものってあるか?」
「平塚って呼ばないあなたが嫌いよ」
「バカ、違えよ!? 食べ物だ、食べ物。今から下のスーパー行って食材買ってきて料理すっから」
「りょうり? え、で、できるの? う、嘘よね? あんな高等技術……」
「まあ簡単なヤツだけどな。嫌いなものねえなら好きに作るぞ。まあ時間もねえし適当にカレーでいいだろ」
「あっ……、に、人参……、嫌い――ば、馬鹿にしないでよね」
平塚は恥ずかしそうに小さな声で俺に言った。
俺はおかしくなって笑ってしまった。
「はははっ、笑わねーよ。俺だって小松菜がきらいだ。よし、人参がだめなんだな。覚えておくぜ。じゃあ行ってくるぜ」
「ま、待ちなさい。私も一緒に行かないと警護にならないでしょ!?」
「うん? まあいいか、ほら行くぞ」
リビングのテーブルではカレーの良い匂いがしてきた。
マンションの下のスーパーでは、平塚はずっと下を向いていた。
たまにおばちゃんに話しかけれて恥ずかしそうにしていた。
『あら、すみれちゃん、お友達?』『もしかして彼氏じゃないの!』『めでたいわ〜』『平塚さん、今日は惣菜いらないわね、ふふふ』
どこの世界もおばちゃんはおせっかい焼きだ。
まあ平塚の面白い姿を見れたからいいか。
平塚はカレーをスプーンですくって小さな口に運ぶ。
口に入れると目を見開いた。鼻が少し膨らむ。
こいつは驚くと目を見開くな。意外と表情が豊か? なのか?
「……悔しいけど、美味しいわね」
「そいつはありがとな。今日はなんだか疲れた。飯食って風呂入って早く寝ようぜ」
「ええ、そうね。本当に疲れたわ。全くあなたといると調子が狂うわ」
俺は大事な事を思い出した。
「そうだ、俺……、髪を切りたかったんだ!! 今日美容室に行こうと思ったのに……」
「髪くらい私が明日切ってあげるわ。はぁ、美容師さんに後ろから襲われたら大変よ」
「おう、じゃあよろしく頼むぜ!」
「……う、ん」
平塚は俺の事を見つめていた。
初めは朔太郎を見ているかと思った、でも、視線の質がいつもと違う。
「どうした?」
「え、な、なんでもないわよ。……早く食べましょ」
変な平塚だ。いつもよりも少しだけ……冷たさが薄れていた。
俺が洗い物をして、お風呂を洗って、俺の布団をリビングに準備をしている時、平塚はソファーに寝転んでテレビを見ていた。ちなみにお笑い番組だ。
平塚の口元が少しだけほころんでいるように見えた。
「先にシャワー借りるぞ」
平塚は「うん」と適当な返事をしてテレビに夢中であった。
大人っぽいのになんだか子供みたいな不思議なヤツだ。
シャワーが終わって、スーパーで買ったジャージに着替えてリビングにもどると、平塚はまだテレビを見ていた。
「おーい、風呂入れよ。俺は湯船に入ってないから綺麗だぞ。おーい、平塚?」
平塚から返事がない。
ソファーに近づいて平塚を見ると、ワルニャンの大きなぬいぐるみを抱いて平塚は寝ていた……。
なんだか幸せそうな寝顔であった。
「どうすっかな……。まあ一日くらい入らなくても大丈夫だろ。寝室に運ぶか……」
俺は平塚の身体を持ち上げた。お姫様抱っこと言われている持ち方だ。
よく妹をベッドまで運んだな……。
平塚の身体は柔らかくて軽かった。ほんのりと良い匂いがする。
なんだって俺がこんな目に……、くそ。
すかーっと寝ている平塚を優しくベッドに置いて、布団をかぶせる。
平塚はワルニャンを離さないでいた。
俺もつかれた……、布団で寝よう。
そう思ってベッドから離れようと思った時――平塚はワルニャンを放り投げて手を高く上げた。
「――朔太郎……。朔太郎……どこ? ……朔太郎……ご飯……一緒に……、おうちで……、買い物……、手、繋いで――」
平塚は不思議な顔をしていた。
嬉しそうなのに、悲しそうで……、満足した顔だけど……。
俺は思わず平塚の手を握って、その手を握って布団に下ろした。
その瞬間、平塚の顔は淡い笑顔に変化した――
胸がどきりと跳ね上がった。
こんなに綺麗な笑顔を見たことがなかった。
まだ鼓動が止まらない。くそ、そんな顔は卑怯じゃねえか……。
「朔太郎……、おやすみ……」
愛情がこもった響きが俺の胸に染み渡る。
違う、これは俺に言ってるんじゃない。未明朔太郎に言っているんだ。
なんだ、この感情は? 俺は深呼吸をする。
……俺は、死んでいるんだ。
だから、この胸の鼓動を止めなきゃだめだ。そうだろ? 朔太郎。
「ああ、おやすみ、平塚」
俺は平塚が寝ても手を離さなかった。
なんだか、手を離したら平塚が起きてしまうと思ったからだ。
俺はそのまま、ベッドの横で座って……夜を明かした――
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