自己紹介4ヒトの心理
人間には心がある。と、人間は言葉で思ってる。
で、人間とは何か。上述したような、群れ動物だ。多細胞・酸素呼吸・脊椎動物・哺乳類。木から降りたサル、アフリカの疎林・草原で小規模な群れをなし長く歩く。焼き肉、昆虫、草の根や実を食べ、塩分が少ない水が必要。集団で緊密に情報を交換する。
巨大な脳を進化させ妊娠期間がきわめて長く、それでもまだ未熟な子を大抵は一匹出産する極端なK戦略繁殖。出産前後の雌、生まれてからかなり長い期間の子は運動能力が低い。そのため雄は多数の雌と交接することが繁殖に有利。逆に雌は妊娠・子育てのあいだ食糧などを別の誰かに手に入れてもらうことが、繁殖に必須。雌雄の体格差はあるが絶大ではない。ハーレムを作らない。
生物について考えるのだから、「繁殖が成功するかどうか」を尺度として考えるしかないだろう。目的論嫌いは文句を言うだろうが、「たまたま*だった遺伝子を持つ個体の繁殖の成功率が高く、進化し時間経過で消えず個体数を増してきた」と、「*のおかげで生き残った」は、実際に起きていることとしては同じだ……後者の問題は、偶然を軽視することぐらいだ。目的論を否定すること自体を目的にしても、何も生まれない。
まず、動物は形を変えることで位置を変える。それにより餌のあるところに行き、自分を食う動物や、温度や酸素濃度などで生存できない場所から離れる。そうすると、個体が生存し、繁殖が成功する率が高まる。
微生物のいくつかすらそうする、動物の基本行動だ。
そのためには、単にランダムに動くのでもいいが、周囲の情報を得、判断し、自らの変形を決定し行動するほうが大幅に有利だ。特にヒトのようなK戦略繁殖生物の場合は。それには、情報を記憶することが必要になる。
生来、この情報を得たらこう変形=行動する、と配線されている動物も多くある。
あるダニは、「産まれたら重力の反対に行く」「[大型動物が出す]特定の分子を感知したら手を離す」「落ちたところにつかまる」「暖かいほうに移動し、ぶつかれば口で刺し吸う」「充分栄養を得たら落ちて同種異性を探し、交尾し産卵する」という単純なプログラムだけで木に登り、獲物の上に落ち、毛を這いのぼって皮を刺して血を吸い、繁殖するのをうまくやってる。
一部のアリは、農耕牧畜と空調水道つき巨大建築に等しいことまでやる。一部のハチはクモの神経節を外科手術のように正確に刺し、殺さぬよう麻痺させて、深く掘った巣に引きこみ産卵し、動かないが死んでいない保存食を幼虫に与える。生来、遺伝子設計通りに配線される脳に刻まれている感知情報~行動リストだけで。
ヒトは対照的に、多くの記憶から判断する。そして子が小さいころから、さまざまな情報を群れの中、特に直接繁殖した親から子に伝え、学ばせる。きわめて多様な行動様式で育つことができ、それで地球全体の、多様な気候や植生に順応できる。
ヒトを含む大型脊椎動物は、まず「繁殖が成功する」「生存に有利」な周辺情報を得るのを「快」とし、逆に不利な情報は「不快」とするように進化した。現在得た周囲の情報と、記憶を比較し、快に結びつく行動を繰り返し、不快に結びつく行動を避ける。
それが多くの動物に共通する、心の基本構造だ。ヒトも複雑になっているが、動物なのだからそれは変わらない。
飲食、呼吸、睡眠、交接、子に食を与えるなど「生存と繁殖」に必要なこと、快であることを、する。欲望、したがる。
何より自分の体が破壊される……食われる、死という信号、最大の不快……痛みを避ける。それをもたらす、敵から逃げるか戦うか。強く記憶し、激しい運動のため全身に血液を通じて微量物質を送り、脳の配線と信号も大きく変わる。
何か情報を感覚器が得たら、即座にそれが、自分を食う敵・うまい食物・交接相手・育てるべき子……それらを識別する。
群れがまとまっていること、また群れの中で高い地位にあることも、快になり求める。そうできたのが生き延びている。
別群れの他者は攻撃する。群れの成員は攻撃するな。ただし、上位者は下位者に命令でき、服従しなかった下位者を攻撃していい。群れの内部では、得た食物など物は同じ群れの成員に分けろ。
直接繁殖関係のある、自分を産んだ親・自分の子・同じ親から産まれた兄弟・交配の相手である同種異性……その死や不快を、不快と感じ防ぐ行動をする。復讐する。
それらも、人の心にとって根源的だ。
さて、人類は言語を用いて同じ群れの同種に情報を伝える。また脳がもともと大きく、前頭葉が肥大し、一時的に欲望を抑え計画を立てて考えることもよくやる。
それで、人類には人類だけの特殊な心のあり方がある、と人類はみんな考えている。自分の心を言葉で説明するシステムだ。意識とよばれる、説明不能なこと。むしろ、何かを擬人化し物語で表現する、という人類が言葉にすることを好む精神活動から逆に考えるほうがわかりやすい。
まず、人間の脳は周辺の環境を認識し、中でも電磁波情報で「人間を識別する」ことに優れる。石の模様と人間の顔を見分け、記憶、中でも瞬間的な敵味方識別に関連づけ、自分の群れかどうかを見分け、地位の上下をつかむ。それがきわめて早い……デジタルで論理回路を作っても、それに「人の顔を見分け」させるのは簡単ではない。言葉を操るより前に進化した、より単純な動物とも共通する、素早く判断し行動するためのシステムだ。その能力は狩猟や、群れ内での違反者を見つけ、序列を確認するのにも有利だ。その能力が高すぎて、石の模様からでも人の顔を「見て」しまうこともある。だが、誤動作はあっても優れたシステムであり、生存のためには有利なんだ。
その識別の時に、人は「擬人化」をする。そこには「心の理論」という高度な認識能力も関わる……「他者はこう考えているはずだ」と考え、それを前提として計画する。「他人も自分と同様の精神状態を持つ」という仮定、また「自分の心」そのものも「擬人化」の一つのモデルで把握し、そのモデルで自分も他人も推し量る、ということだな。
特定個体の名前と体を、人間の言葉構造における「擬人化された存在」として単純にとらえ、その行動を言葉にする。人の心の状態も読みとり、それも言葉にする。
その、物語を作り言葉にするのが、人間の脳はとても好きだ。音声言語に出すだけでなく、出さずに個体の脳内だけで言葉を組み上げ物語を作ることも多くあり、それをするのが意識だ。
その言葉による物語化は、実際に起きたことを荒い解像度でだが他者に伝えることもできるし、実際には起きていないことを解像度はもっと荒くなるが想像し、試行錯誤を実際に行う費用なしにシミュレーションでやることができる。机上演習ができず実戦しかできない軍隊と、机上演習をする軍隊の差を考えればその有利は明らかだ。あ、このたとえ……物語で表現しないとわからないのが人間だ。
そう、人の言語は物語を表現するためで、人の脳は人の行動を含む物語の処理に特化している。だから単純な論理の問題は解けなくても、それを人間の行動に翻訳すれば容易に解けることもある。また、たとえば人が普通にやる、物を投げたり紐につけた石を振り回したりした時の挙動から、月の公転軌道を理解することはできる。その変形として、原子核の周囲を電子が回っているモデルも理解できる。だが、確率の数式で表現される、原子内の電子の本当の挙動を理解するのは、心底苦手だ。数式を暗記しても理解した気には絶対なれない。その二つの描像がほぼ同じ正しい結果になったのはとんでもない幸運だ。
人間の認識では、共通の特徴やパターンを見出し、共通点があれば同じ集合に入れ、その集合を階層構造にすることも得意だ。「似ているものは同じ」という判断になる……生物の分類では、人間がやる外見による分類と、遺伝子による分類はかなり正確に一致する。そして生物は、同種は似た挙動をし、同じ物質を含む。アフリカの草原で狩りをするには十分機能している……模様が違うだけの同種動物に、いちいち新しい狩猟法を考えずにすむ。
こういってもいい。人の心は、自分自身や他人も含め、世界全部を物語にしている。その要素すべてを擬人化し、単純なレッテルを貼り、共通点やパターンを感知して階層集合に分類し、物語にあてはめている。その物語が、自我を構成している。
その「言語」「物語」機能は、脳にとって最近進化した後づけのものだ。まして論理・理性・数学は。
意識こそが、どんな行動をするか判断する、心の主役だと人間は思っている。だが実際には、判断したり信じたりするのは、動物としての感情の仕事だ。行動が先に決定され、意識はそれを説明する物語を作るだけ、と思える実験結果もある。多くの人は意識、より純粋な言葉でできた理性の仕事だ、と勘違いしているが。
そして忘れてはならないのは、人間が知覚するのは、この世界全体の狭い一部だ、ということだ。見える光の波長もごくわずか。匂いや音も、ごく一部しかわからない。感覚器が受けた情報も、そのごくわずかしか脳は処理せず残りは無視する。それどころか、意識が創っている物語と矛盾する情報は、意識以前の脳処理でなかったことにする。
「現実」と、その「自分の物語」を常に混同している。
それで、ヒトは「今まで通り」「群れの物語に従って」とやり続けたがる。本当は試行錯誤を遠慮なくやればどんどん技術が発達し、より多くの子孫が残せるとしても、子孫を残すという目的より「今まで通り」を優先することが普通だ。群れ内の地位を主張し、また群れ自体の全能性を主張するために、試行錯誤に反対することもとても多い。
「今まで通り」「群れの物語」は「自我」の一部でもあるから、それを変えるのは、自分の体を傷つけるのと同じかそれ以上に嫌なんだな。
ヒトは学習を得意とする。
高度な模倣ができるのも重要な特徴だ。他人がある動きをしたり、痛がったりすると、無意識に見ている他人と同じ動きをしたり、同じように痛みを感じたりすることもある。また、複雑な道具製作の手順も見て覚え真似ることができる。
また、人の学習能力を利用して、他人を支配することも得意だし、支配されるため……支配されることを喜びとする要素も心に入っている。
〇魔術[霊・神・呪術・超能力……]
人間は動物であり、自らの状態、特に心の状態を言葉で表現することができる。その、言葉を使う意識と、動物としての感情の中間に、科学的な世界像とは異なる世界の捉え方がある。それを仮に、魔術と呼ぼう。
一般に使われる「魔術」は別の意味があり、非常に複雑な言葉だ。
魔術には根本的な仮定がある……
●高い能力を持つ人は手など物理的に見える力を使わなくても、思っただけで物を動かしたり、他人の心を読んだり操ったり、未来を知ったり、確率を操ったり、色々な超能力が使える。
●善悪は、成功失敗につながる。因果応報。確率などない。運の良し悪しがあり、確率的なことはそれで決まる。運命が事前に書かれている。
●人間は死んでも、記憶し思考する、生者には基本的に見ることも触れることもできない存在が残る。それは目に見える物体の世界に力をおよぼすことができ、特殊能力を持つ人となら話せる。それ、霊は見えないだけでこの世界に留まることもあるし、目に見えない別の世界に行くこともある。生きながら霊だけ身体から出ることもある。
●星などは霊が人に伝える情報だ。
●悪・穢を裁き浄めなければ、自分も群れも破滅する。
●強い感情・思考は強い魔力になる。
●すべての物体、特に生物には人間以外も、人間同様の擬人化された心があり、言葉で命令できる。言葉・名前には魔力がある。
●約束を破れば悪いことが起きる、と約束を魔術で補強できる。
●所有ができ、所有した物・動物・ヒト・土地・抽象的価値などは自分の一部になる。
●特定の物体や幾何学的に単純な図形・性質に超能力につながる力がある。
●肉体のみでなく、衣類や身体装飾、切っても痛みのない毛髪、武器をはじめさまざまな物体・特定の言動などが「自分」に含まれる。それによって、悪しき霊的な力、実体のない恐怖から自分は守られている。
●模倣すれば、模倣した相手に変身できる。外見が似るものは同じ。
●人の出産・交接・死・飲食・糞尿・火・幻覚薬物などには強い魔力がある。
●集団で普通と違う行動を取ることで群れ全体が強い魔力を行使できる。
など。自我とか自由意志とかも、魔術的な前提であるとも言える。あらゆるものを擬人化し、物語の一部とする心の働きとも深く関係している。
どれも、科学的には過ちだが、人の心はそれを真と、深いところでみなしている。
実際に、その魔術は人の心、行動を変えてしまう。
たとえば脳の、「これは自分の体の一部かどうか」を分別する能力は、ちゃんとついて血も通っている自分の足を他者とする故障もあるし、手に持った棒を自己とすることもある。私物を没収されると激しい不快を感じ、反撃できなければ自分が支配される下位者だと受け入れてしまう。近代でも使われる有効な技術だ。
また、人に「お前は群れの下位者だ」と言葉で伝えるだけで、強い逃走・闘争用の肉体状態を起こし、それで肉体的な健康を壊すことも、実際に可能だ。
だが、心と言葉だけで石を浮かせることはできない。もしできるのであれば、生物は脳のそっち側を進化させ、手足を退化させて念力で狩りをしていただろう。
魔術に関係する、人間が現実に「感じる」ことがいくつかある。脳にとってはそれは、実際に起きたことと区別できない。
人は眠るときなど、「現実には起きていないこと」を体験しているように脳が働く。風景が見え、すでに死んだ知り合いと会話することもある。それを現実と混同することもある。
普通に生活していても、その現実に起きていないものを見、音を聞くことは多くある。それを見聞きすることがとても多く、それに考えを支配される……脳、心の異常がある人も常に一定数いる。
糖分を消費した微生物の出すエタノールなど、さまざまな生物毒の影響でも、そのような幻覚は起きる。
死にかけて助かった多数の人が、死ぬ直前に人は、共通の体験をすることを報告している。
目覚めているように感じているのに、手足を動かそうとしても動けないこともある。
人の「自分」意識は、普通意識されない特殊な感覚とつながっており、それが変に切れると「自分を外から見ている」と感じる。
特に強い苦痛・毒を含む食物・集団での激しい長時間の運動・孤立しての激しい睡眠不足と長時間行動などで、人は心全体が変容し、凄まじい快に包まれることがある。
それに関連する心の働きが、いくつかある。
善悪の分別。動物は、快であることをし、不快を避ければ生存できる確率が高い。だが群れ動物で、「遺伝子」「群れ」「個体」「群れ内他者」の利害が対立することが多く、しかも巨大な脳を持つ人類は、その調整が厄介になる。
上記の衣服や住居がある以上、糞尿を出すことすら、住居の特殊な場に移動して複雑な行動で衣類を排除しなければ、糞に含まれる伝染病微生物で群れ全体の生存率が下がる。微生物を知らなくても、糞に含まれ大気に混じる分子を感知し、不快を感じる……そう進化してきた。だから住居の特殊な場で衣類を一部脱いで糞尿を出す、という複雑な行動を、産まれて間もない子どもの頃から「教える」。
そして、群れ動物はすべて、最低でも敵味方識別、群れのメンバーとそうでない同種動物を識別できなければ群れを維持するのが難しい。アリも匂いで敵味方を識別する。ヒトは外見・言葉・行動・装飾などを多様に使う。人間は識別……集合論的に、ものごとの共通点や、周期のあるくり返しのパターンを見出すのがとても得意で、魔術もその構造になっている。色が同じ物は同じグループ、などと世界のすべてを少ない数のグループに分けたりする。
快・不快と状況・行動の組み合わせを記憶し、敵味方を識別し、行動を修正する動物としての機能がそのまま人の心になっている。
群れごとに、あらゆる行動・言葉・世界のあらゆる物や状態について「善悪」がある。生存率の高さの推定であり、敵味方識別の変形でもある。
学習能力を利用し、小さいころから「良いこと」をしたり言ったりすれば誉め……快になる食糧を与え、称賛の言葉をかけ、群れの一員として承認する。逆に「悪いこと」をしたり言ったりしたら、まるで敵を食うように、まあ致命傷にならないように攻撃し、ものを奪い、群れから一時的に排除する……不快にさせる。殺したり群れから追放することもあるし、また再統合するのを繰り返して教育することもある。
「悪いこと」をしたら不快感を感じ続けるようにも、心が形成される。その不快感に関連して、公平感・平等の感覚もある……物や行動を「もらったら返す」、善行に褒美、悪行に罰……チスイコウモリの、前に血をもらった相手には血を与えるのとすらつながりそうだ。善行の結果が成功と利益でなければ、世界そのものすら憎んでしまうほどだ。善悪の判断は意識、言葉でもやるが、それ以上に感情、魔術も重要になる。
善は群れの仲間で、悪はそうでない敵だ。善悪判断が物語形式になることも多い。自己増殖体である生物としては、群れが存続する率を上げる行動が善であり、下げるのが悪のはずだ……家畜で何が良い悪いかを考えれば、従順で丈夫で多産で生産量が多い、犬や馬は戦闘では勇敢で足が速く鋭敏なのが善のはずだ。だが、ヒトの心が特にヒトを判断する善悪は必ずしもそうとは限らない。
その善悪は、伝染性微生物が多い=不潔とも深く結びついている。動物としてのヒトは、伝染性微生物が多く、その繁殖に都合がいい状態が出す匂い・味・色などを敏感に感じ、不快を感じる……好き嫌い。伝染病感染率を低め、生存に有利だ。
厄介なのは、その善悪には、本質的に矛盾がある。またある前提では群れの利益になることが、別の前提ではならないことがある。
人間の心は、その善悪を、行動の成功失敗に結びつける。槍を投げて獲物に当たるか外れるか。それが、当たったらそれは自分が善……善の心のありかたを保ち、善の言動をしてきたから。外れたら自分が悪だったから。また、誰かの悪が、まるで糞が自分の食物に混じり、その分子が不快な感覚をもたらし、そして病気になるように、槍投げの失敗につながるとも考える。
他人が悪であること、それ自体が不快になる。不潔を不快とすることともつながる……進化的には正しい、群れ内に不潔な他者がいれば伝染病のリスクが増すのだから。不潔と、行動や心の善悪を結びつけてしまい、敵対と解釈する、という奇妙な心理がある。
その、「悪」=「穢れ」には伝染病の病原微生物や遺伝病の遺伝子にとても似た性質がある。目に見えないが、悪に触れると感染し、感染した者も危険になる。繁殖関係が近い者もリスクが高い。微量でも害を失わない。匂いや味でわかり、不快になる。火・塩化ナトリウム・エタノール・煙などで追い払える。
他にも、調理や狩猟など、人間が行うさまざまな営みが、魔術の論理で装飾される。支配と服従など群れの、人間関係構造そのものも善悪・魔術と深い関係がある。
さらに、自分の善が完全であれば、絶対にあらゆる事に成功するし不老不死で群れの最上位、そうなりたい、とも人は思っている。
敵味方識別、伝染病予防、集団統制、分配や取引の公正など、本来別々であるべき判断を混ぜてしまうんだ。戦闘機の、高度計と敵味方識別装置が混線しているように……でも、それで絶滅せず進化してきた。うまくいっていた。
集団が拡大すると、「完全な善=全能、最強」「親」「群れの最上位者」「[死後の心同様]見えないが高い能力の持ち主と会話し力を使う存在」として、「神」という概念を多くの人の群れが持ち、あらゆる善悪を「神が定めた命令」という言葉、「法」にする。また、群れで「この世界はどのようにできたか。この群れの先祖は誰か」を、神の物語として言葉にすることもやる。
また、言葉が通じない人間以外の動物、それどころか植物や天候などにも、同じ群れの同種ヒトにするように、食物を与え言葉で行動を頼む、というようなこともよくやる。本当は効果がないが、ヒトはそれが有効だと思ってしまう。食物どころか、ヒトを殺して餌として差し出し、天候と交渉することすらヒトは好む。
人は不合理な行動を多様にする。
遊び……儀式という行動もある。自分や群れの生存に、直接は結びつかない行動だ。大形の動物もやる。狩猟、群れ内部で地位を奪い合うための攻撃、誰かに何かを与えることを模倣する。また歌や踊り、音楽。集団で同じ動作をすること。または一人で群れから隠れて、決められた動作をしたり、存在しない誰かと話したりする。
遊びに関連して、「笑い」という特異な状態がある。制御できない呼吸で、快に似た感情を周囲に表明する。逆に痛みや不快を表明する「泣く」はより単純な動物でもできる、わかりやすい行動だ。
美の判断も人間の心にとって興味深い。人は幾何学的に単純な形、対称性が高く整った同種の体、適度な地表水がある草原などを、「美」として善に近く扱い、所有したがる。
特に同種異性で、「美しい」者を交接相手とすることを、この上なく強く渇望する。自分が美であることも求める。
何かを作って美とすることも多い。見た動物の姿を作ったり、輪郭線を壁に描いたりする。後には人物・静物・風景なども描くし、それは神を描くのにも使う。
不合理な魔術的な振る舞いとして、食べられる物を食べるなと禁止したりもする。合理性のある伝染病予防策であることも多くある。特に重要なのが、近親婚など性に関する禁止事項だ。人を食うのも禁止することが多い、少なくとも日常の食事とはせず魔術的に特別な儀式とする。
衣類や体自体に色をつけたりするのも魔術的に身を守る術だし、群れの一員だと主張する術でもある。誤った服装をしていれば群れの正しいメンバーではない、ともなる。
上述の、激しい苦痛や疲労、薬物による精神変容も用いられる。その精神変容では、その時の情報を無条件に神、絶対的な善とする。子を大人、一人前の群れの一員として受け入れ繁殖資格を与えるため、その状態を経験させることが多い。
長期間、集団で同じ動き・同じ言葉を、実行不可能なほど厳しいルール、疲労・苦痛、激しい水分・栄養・睡眠の不足をかけつつ強要することでも、群れに対する信仰を強めることができ、多用される。
魔術、特に相互模倣は「群れをまとめる」「他者を支配する」とも深く関わっている。魔術的な心理と行動なしに、群れをまとめることは不可能だ。それどころか、他人の言葉が真実かどうかも、他人が信頼できるかどうかもわからないだろう。
その後発展していく人類も、その魔術的な「前提」に深く縛られている。
そして……人の心の重要な欲。世界をきれいにしたい=全部自分のものにしたい=悪を滅ぼしたい。悪を滅ぼせばすべて良くなる。そして、悪とされれば自分の群れの一員とは違い、動物として人であっても、昨日までの隣人であっても、それは「人」ではなく、殺すべき獲物である……
通常、人は他者、特に自分の群れの成員を攻撃することに不快感を感じる。だが、人でない、悪だ、としてしまうと、際限なく残酷に殺す……他者の苦痛が最大の快楽になり、集団での大虐殺を好んで行う。群れ内部で、攻撃される側と定められた者を際限なく攻撃するのも好む。
また人間の、物語を作り出す心が何よりよくやるのは、自分の心、行動は善であった、とすることだ。人の、善でいたい、自分の判断・行動は正しかったと納得したい、という思いはきわめて強く、しばしば生存よりも優先される。
人間にとっては、根源的に悪いことは悪霊のせい、誰か悪いことをしている人がいるからだ。
逆に全員が完璧に善なら、群れも自分もすべてがうまくいく。勝利し贅沢を楽しめる。
正しい人が船長で、船員もみんな正しく、正しい針路に舵を切れば、風は順風で船は絶対に沈まない。
嵐が起きたり、群れが負けたり、自分たちが貧しかったり、一番偉いという気がしなかったりするのは、悪人がいるから。規律が緩んでいるから。今の支配者が悪人たちだから。
だから、悪人を殺す。悪い船長を殺して完全な善人を船長にする。善い神である船長は正しく舵を切ってくれる。
仲間にまぎれている悪人を殺せ。そうすれば、嵐はおさまり船は助かる。
船員全員、規律と心の中を完全に善にしろ。誰も悪い考えを心に抱くな。みんな同じ心になり、同じ言葉を話せ。細かな規律を完璧に徹底しろ。特に衣類を徹底的に、同じように飾れ。真鍮でできた服のボタンや船の手すりを完璧に磨け。そうすれば全員が善人になり、そうすれば船に都合のいい風が吹く。
完璧な船員を完璧な船長が率いて正しく舵を切れば、風も波も思い通りだ。
それがホモ・サピエンスだ。
〇我々は何者か
ヒトの集団には、驚くほどの多様性がある。しかし、生物学的にはどれも同じで、交配可能だ。解剖し、元素比を分析し、細胞の内部の分子を読んでも、違いはないに等しい。
生殖によって生まれ、例外なく死ぬ。
人体についての知識から、「異星人の動物園飼育係のための、地球人飼育マニュアル」を作ることは容易だろう。窒素と酸素の適度な気圧の大気、重力、塩化ナトリウムが多すぎない水、栄養、温度、汚物処理、睡眠……。また、医療に必要なこともかなりわかる。
人間の共通点は、生物としての生存に必要なことだけではない。多くの孤立した群れにも、共通することはある。
ヒトは集団で生活し、言語を使う。物語を作る。
踊り、歌、遊びがある。身を飾り、巣を作る。
道具を作り、火を使う。
群れの成員とそれ以外を区別する。群れの中でも、少人数の近い血縁、家族を特に大切にする。個体を識別する。
法があり、違反者を処罰する。善悪を区別する。
象徴、呪術、超自然、神話がある。
『ヒューマン・ユニヴァーサルズ』[ドナルド・E・ブラウン]
歴史を見れば明らかなこと。
アステカ帝国は百年続いた。北朝鮮のような極端な圧制を、何十年も続けることはできている。
中国や古代エジプトは、周期的に崩壊するがまた似たような帝国ができる。
私有財産や家族を否定したら短期間しか続かないし、国の規模を保つこともできない。
さまざまな社会実験が、それこそ裸で空を飛べないし眠らなくては死ぬのと同じぐらい、ヒトに何ができてなにができないかを示してくれる。
財産や平等の話を、ヒトと近縁サルの心のありようから触れてみようか。
サルには、大きな群れをきわめて強力な雄が支配し、あらゆる食物と雌を独占する構造で暮らす種も多い。
ヒトは、少なくとも今少人数で狩猟採集生活をしている群れは、一人の雄と一人の雌が決まった相手とのみ交接して繁殖し、雌の妊娠中は交接相手の雄が食糧を供給し、物資を群れで平等に分ける。
だが、後述するようにヒトは極端な物質的格差と強い支配のある巨大群れもしばしば作る。
格差・独占・身分と、平等……矛盾する両方の本性が、ヒトにはあるらしい。
我々ヒトは原子ででき、進化してきた、群れ動物だ。
動物には生きるための行動を取れる脳、知的能力がある。人類も動物で、肉体の内部情報から欠乏している物を欲し、快を求め不快を記憶し避け、感覚器の情報から瞬時に敵味方を識別し、同種者の感情を推定するなどの能力がある。
個体の感覚・生命・心、自分だけの欲望がありながら、群れで生きる。群れ仲間と同じ動作・服装・飲食・思考をしたがる。群れで上位になりたがり、自分より下位を支配することを好む。別の群れとは戦うが、動物としては例外的に交易もできる。
学習能力が異常に高い。言葉、瞬時に物語を構成する意識が最近進化した。動物としての脳の働きを言葉に換算するため、魔術としてまとめられる独特の論理に支配されている。
群れの物語・自分の物語で世界全体を解釈し、その物語を変えたがらない。敵味方・善悪の二分法という、簡単な物語とレッテルで処理したがる。
「群れをまとめたい」「世界をきれいにしたい」「敵を滅ぼしたい」と強烈に欲望している。常に。
《人は自分が信じたいものを信じる》。快をもたらす情報を。群れの従来通りの物語を補強する情報を。自分、自分の群れが全知全能・完全無欠・不老不死・絶対善の神だという物語を補強する情報を。自分や自分の群れにとって都合の良い情報を。そうでない情報は敵だと憎み、目に映っても見ない。自分自身を常に騙している。
「信じる」というのは動物的な感情、瞬間的敵味方識別装置の仕事だ。言葉、まして抽象的思考の仕事ではない。感情の判断を意識が物語とし、魔術的な言葉に訳すのが精一杯だ。
それが最初に言った《なぜ、我々はこうしていない?》の答えだ。長いこと鐙を思いつかなかった理由だ。従来通りの群れの物語とずれたことは、考えるだけでも悪だからだ。