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なぜ……

 アラビア半島の砂漠海岸。見渡す限り砂と岩、一方を見れば澄みきった、すぐに深くなる海岸。栄養塩類つまり肥料に乏しく、プランクトンも魚も少ないということだ。

 緑は地平線まで一つも見当たらない。

 タンカー大の浮き埠頭が沖合に繋留されている。海岸近くではブルドーザーがヘリポートを作り始めており、ショベルカー・ダンプカー・トラクター、セメント袋、苗や種、燃料や食糧が浮き埠頭から運ばれ積まれている。

 少し離れたところに、駐留する米海兵隊のフェンスもある。

 最優先は生きること、砂嵐や寒暖に耐えるシェルター、海水淡水化設備とトイレ・シャワー。衛星通信アンテナ。

 十頭のラクダが、荷物から出される濃厚飼料をもぐもぐ下あごを動かして噛み、砂漠をよたよたと歩いている。思っていたよりずっとでかい。匂い。つばを吐かれた。噛むから危険だとも言われた。

 この不毛の海岸から、すべてが始まる。


 水不足が問題になっている。

 地表の水の、九七%は海水だ。三%の淡水も大半は極地の氷で、人類が使える淡水はわずかだ。つまり今人間が騒いでいる百倍以上の水が、目の前にある。

 海水で育つ植物もいろいろあるし、海水で生きている動物もいる。

 淡水が足りないなら海水を使えばいい。簡単なことだ。

 アラビア半島沿岸にも、破壊されつつあるがマングローブ林は広がっている。そこの種や苗を手に入れた。

 遠い日本でも群落を作るアッケシソウも海水で育つ。

 そして、ラクダは濃い塩水とマングローブで生きられる。


 野球帽のつばにつけられた小型双眼鏡のような、3Dフルハイビジョンディスプレイを引き下ろして目にセットする。ヘッドホンをつけ、小型マイクを口近くに引き下げ、唇端に当たる突起に皮ごしに舌先を触れ手を使わない操作をする。音楽と、見ている景色に重なって今日の仕事が視界に浮かぶ。

 腰につけた本体が熱くなりはじめる。

 もう気温は摂氏四〇度、だが乾燥して日本のように不快な暑さではない。

 長い文を入力する必要がでてきたので、ポケットから小さな巻物を出し、広げる。三二鍵の、ピアノのように白黒がある鍵盤。和音入力も含めれば常用漢字すべて片手で打てるし、デフォルトがABCDEFG……とアルファベット順そのままで、小さい子でも楽に使いこなす。

 ゴーグルの端に浮かぶ指示に、一人一人が従って動く。だが、砂漠の砂と海からくる塩分の複合攻撃は苛酷だ。

 むしろ、守ってくれている海兵隊員があらゆる作業で役に立つので、周辺から来た労働者を指導してもらっている。砂漠海岸で重機をだましだまし動かすことでは、プロ中のプロぞろいだ。

 石油畑出身の人も国籍問わずいて、彼らも砂と塩の二重苦に慣れているし、現地民を使うのもうまい。


 浮き埠頭からはしけで陸と連絡できる、やや深い溝を陸側に掘る。それは短いがある種の運河にもなる。

 同時進行でたくさんの太陽電池や鏡を並べ、巨大な風車も建てる、その予定なので測量やボーリングも始める。

 運河部分から、内陸に向かって簡易道路も整備を始めなければならない。

 いくつもの工場、まず用地の測量から。

 そして、海岸から一マイル……海兵隊のほうが使える以上、ヤードポンドはしかたのない妥協だろう……をまずアッケシソウ、そして海岸はマングローブに……

■□■

 十四年後。

 鏡を並べ中央の塔に光を集める太陽熱発電所が、内陸で緑に囲まれている。

 その脇の短い滑走路から、米軍のオスプレイを民生化した飛行機がティルト・ローターを斜めにして離陸している。

 太陽発電は昔は晴れた昼しか発電できない問題があったが、ここは砂漠だから常に晴れだし、宇宙に浮かぶ極薄の鏡から集光され二十四時間稼動する。まあ暑いし、前は凄かった星も見えなくなったが。

 古い風力発電塔も、機能はしている。ここの発電量の数%でしかないが、何年も半分近くを担ってくれた。

 発電所の鏡の下は、大量の高濃度塩水がたまって蒸発し、塩を出している。塩は塩化ビニル工場などに運ばれる。他にもリチウムやマグネシウムなど、商品価値のある産物はある。

 海につながる運河から海水を吸い上げ、高濃度塩水を吐き出しているのが、発電所からの電力で動く海水淡水化工場だ。飲料水にも淡水潅漑にも工業用にも使われる生命線だ。その地下には巨大な淡水貯水槽もある。

 ナツメヤシ・ナンヨウアブラギリなどの淡水潅漑畑も広くあり、発電所を砂風から保護してくれてもいる。イスラエルから学んだ点滴潅漑で水を有効に使い、作物を選べばわずかな水でも驚くほど多くの油や繊維、飼料、こちらの人々が暮らす野菜が得られる。

 オリーブの木も植えられ、葡萄畑も広がっている。畝の間を鶏が走りまわり、虫をついばんでいる。

 工場は他にもある。ガラス工場、空気中の窒素を固定する肥料工場、バイオマス発酵工場。修理工場。油を絞る工場。マングローブの樹皮などからタンニンなど薬を抽出したり、繊維を加工する工場。製材工場。人間の下水や各工場の汚水を処理し、肥料とバイオガスにする施設。

 ラクダを処理し、肉を真空パックし、皮をある程度処理し、乳をバターやチーズにする。

 宇宙を利用した太陽エネルギーで海水から肉を作るのが、百億人に肉を食わせ続ける、最善の方法だ。今は。全員肉を食うなも、貴族以外肉を食うなも、肉を食う欲を捨てろも無理だから、やるしかない。

 貝や魚を保存食に処理する工場もある。安価な養殖乾燥貝の消費量は全世界で牛肉を上回っており、肉全体を上回るのも遠い日ではない。

 ガラス工場は主に周囲の砂を用いて、鎖と多くの気泡の入った浮きを作る。海藻や貝の養殖台になる。

 工場から海岸まで、また工場や農場の左右にも広がる砂漠には、ラクダが何千頭も走りまわっていた。

 淡水化工場で塩分濃度を下げた海水の水飲み場や、海岸から大型トラックで運ばれてくる餌の山があちこちにあり、電子タグをつけたラクダたちが群がっている。

 膨大な海藻の発酵残渣。マングローブの葉や枝、製材残渣。アッケシソウ。砕いた貝殻。ナツメヤシの種。餌はいくらでもあるし、塩分が強くてもラクダは平気で食べる。大量に落とす糞を半ば自動的に清掃する、軽自動車サイズでキャタピラのついたロボット車が動いている。いくつかの建物には搾乳場があり、大量のラクダ乳が清潔に搾られ、工場に直接送られている。

 そして、幅一マイルの帯が海岸線と並行に、延々と広がる。砂漠を海面より低く掘り、海水を潮汐を利用してたたえ交換するアッケシソウの水田だ。

 化学肥料を使うまでもなく、ラクダや鶏でも食べられない海藻発酵残渣や、ラクダや鶏の糞が膨大な肥料となっている。

 もちろん、今研究されている海水で育つ稲が実用化されれば、もっと収量は増えるだろう。大豆やワタの海水潅漑が可能な品種も研究されている。

 アッケシソウ海水田と海岸の間に少し、土を盛り上げた高い堤防がある。堤防の上には多数の家が建ち、バイオディーゼル駆動のバギーが駐まっている。店もいくつもある。芝生は禁じられているが、砂漠で育つ植物は育っていて、可憐な花を咲かせている。オリーブの木陰にベンチが据えられ、ココヤシやナツメヤシが茂っている。

 堤防から緩やかな海岸が海に下り、マングローブに覆われている。

 マングローブからも、大量のバイオマスをラクダの餌にできる。またタンニンを多く含み薬用など用途が多く、木材としても価値が高い。護岸としても有効だ。陸側から塩分濃度に応じて、汽水湿地に育ち多量のデンプンを得られるサゴヤシ、ニッパヤシ、ほぼ海水面下のヒルギまで多様な種がある。紅海沿岸の貴重なマングローブ林などから移植し殖やした。

 海岸から内陸にいくつか運河が掘られている。運河の堤防にも家があり、小型ヨットが係留されている。娯楽にもちょっとした輸送にも重宝する。

 また、海岸から埠頭と道路も伸びている。海のあちこちに、浮体洋上風力発電の巨大風車も見られる。

 海岸から少し離れたところから、数十キロメートルにわたって海面下浅くガラスの鎖が張りめぐらされ、海藻が育っている。より深いところで牡蠣カキも大量に養殖されている。鎖をたぐるだけで収穫できる。

 その上空を、今は埠頭にある飛行艇が飛び、窒素肥料と砂漠砂を薄く撒布している。

 肥料によって莫大に増える海藻を収穫し、発酵で軽油と区別できない燃料を作らせる。アッケシソウやナンヨウアブラギリからも油が得られる。軽油とディーゼルエンジンは現実には、同じ重さの電池とモーターより多くの動力を詰められるし、どこででも簡単に使える。

 沖にはいくつか、小型メガフロートの港があり、そこから肉や油、合成バイオ軽油などを輸出し、いろいろと輸入できる。まあ、衛星経由のインターネットで娯楽は充分にあるし、ヨットを楽しむ者も多い……

 ここでは現地周辺の人もたくさん働いているが、その多くは一度、生まれ育った共同体から切り離されて砂漠内のキャンプで教育と職業訓練を受け、「わが部族以外は人ではない、騙しても殺しても盗んでもいい」「復讐せよ」「女子供は家畜だ、殴って支配しろ」という非近代人のルールを解除されてからこちらで働き始める。

 人は周囲の人がするようにする。アメリカに移民した人は、すぐに部族の掟を忘れ法治国家に順応する。少数派にしてしまえば生き延びるために周囲をまね、短期間で別のルールで生きることに馴染む。部族で集まり孤立した、閉鎖集団を作らせないようにすればいい。


 世界全体を見回せば、この砂漠沿岸のような海水農業複合施設だけでなく、多様な新農業システムがある。

 メキシコ湾・黒海などの広大な、海から生命が消えることがあるほど富栄養化した海域。浮体洋上風力発電を応用して空気を吹き込む。南極海や北太平洋など、窒素肥料分子は多いのに光合成量が低い高硝酸低クロロフィル海域。空中散布や自動帆船で鉄肥料をやる。それで鉄鎖で海藻と貝を養殖する。その海藻と貝はバイオディーゼル・家畜飼料・乾燥食物となる。

 アフリカ西海岸・アマゾン沖などには大規模なメガフロートがいくつもでき、そこは膨大な淡水で水田とされ、稲とアゾラを交互に育てている。アゾラは水に浮く小さなシダ植物で、共生する微生物が空気の窒素を固定するので肥料を減らせる。赤道の海には雨がたくさん降るので、それでも水田は維持できる。その総収穫量はもう、化石地下水を用いるグレートプレーンズのトウモロコシを上回っている。

 そして、宇宙の極薄鏡からの日光を用い、ロシアやカナダ北方の膨大な淡水が、アゾラの空中窒素固定を利用して米になっている。宇宙から鏡で集中される日光のエネルギーで、オーストラリアの広大な砂漠や中国の黄土に淡水化された海水が汲み上げられ、慢性的な旱魃で疲弊した農地を潤している。

 もう、化石地下水のトウモロコシには依存しない。圧倒的にたくさんある海水、海に降る雨、アマゾンや北極海に流れる淡水を、宇宙の鏡で集光した太陽エネルギーで使う新農耕牧畜こそ、人類がこれから頼るものだ。

 もちろん、それらの……特にメガフロートの膨大な工事は、九〇億を越えようという世界人口の、特に教育水準の高い途上国の若者の、充分な職になる。職を得た若者は砂漠沿岸の、海水淡水化に依存する人工都市やメガフロートで豊かな情報生活を楽しむ。

 また、それはあちこちの、紛争地帯の紛争と貧困にも有効だった。争う民族・部族集団があれば両方に新天地を与えて距離をおかせ、元住んでいた場は無人にして植林し、先祖代々の敵とは接触できないようにするのだ。


 大量の海水淡水化やメガフロート建造の、莫大なエネルギーを補うのは宇宙に浮かぶ無数の、極薄の鏡。そのおかげで、それまで効率が低く高コストで、夜や雲に制限され不安定だった太陽熱・太陽光発電が、一気にベースロードの地位を奪った。

 薄鏡を打ち上げているのは、六基めが建造中の極超音速スカイフック。

 軌道エレベーターの一種だが、地上から静止軌道をつなぐ[アンカー質量がない場合静止軌道の倍以上]、何万キロメートルものカーボンナノチューブは必要ない。とっくに実用化されているケブラー繊維で充分だ。地球に近い軌道を公転する長大な棒。地表に近づいた端に特殊なジェット機で乗れば宇宙に運ばれる。それで宇宙への打ち上げコストが桁外れに安くなり、月や火星の探査も進んでいるし、民間での宇宙旅行も始まっている。

 月の裏側の天文台の恒久有人化も計画されている。そして月面の工場とマスドライバーが完成すれば、地球の好きなところに日光を送る薄鏡ももっともっと増やせるだろう。太陽電池を直接打ち上げ、電力を電波で地表に送ることもできるだろう。


 極超音速スカイフックから次々に打ち上げられているのは、鏡や通信衛星だけではない。

《カターン●号》と名づけられる……ボイジャーやパイオニアと同様外惑星探査機でもあるが、そちらの機能は最低限、ついでのおまけ。人類の冷凍受精卵や微生物の胞子、国立国会図書館はもちろんアメリカの議会図書館全部の電子化テキストを石英ガラスに刻み、太い線で自律回路を彫り、厚い鉛で覆った情報の塊。地球生命と人類文明そのものの、種であり胞子であり卵。

 すべて目標は太陽系離脱、何億年かけてでも別の恒星に接近する。その光を浴びたら目覚め、観測し電波送信を始める。水があって生命がないなら微生物入りカプセルを打ちこむ。生命があれば、情報を抱えたまま数万年に一度電波を放つのを続ける。知的生物がいれば拾ってくれるだろう。生命がいれば知的生物の進化を待つ。生命がいないなら打ちこんだ微生物が繁殖し、進化する……その子孫から知的生物が出れば、本体を拾ってくれればいい。

 宇宙のいたるところ、第二の地球がありそうでもなさそうでも無差別に、人類文明の力の限り打ち上げる。タンポポがたくさんの種を綿毛で飛ばし、運のいいどれかがいい土に落ちて芽吹けば子孫が残るように。地球の生命・人類の文化という受け継がれてきた松明を、いつ地球が滅んでも希望が残るよう、壜に種と手紙を詰めて宇宙の海に投げる。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()》救命ボートのない船はあってはならない。飛行機にもブラックボックスがあり、フライトレコーダーとブイだけは残すが、それもボイジャーとパイオニア、何度かの電波放送しかなかった。

 また、極超音速スカイフックはもちろん宇宙旅行という新産業をつくり、地球上どこでも衛星通信でつながるブロードバンドも実現した。「はやぶさ」の応用、ソーラーセイルで小惑星にたどり着き、そこで雪を掘ってイオンエンジンの推進剤にして、太陽電池の電力で吹かして、ゆっくりと地球に小惑星を押していく資源収穫衛星も実現した……一号が帰ってくるのは十七年後だが。

 宇宙進出が本格化しなければ、持続可能文明が実現しても、たとえ核融合ができても、主要資源がどれかひとつでも尽きれば終わり。銅が尽きれば導線・発電機コイル・変電コイルが不可能になり、どんな発電手段があってもムダだ。代替資源もリサイクルもジリ貧だ。

 何より、いつ何で人類の文明が崩壊し、滅びるかもしれない。最悪を前提に松明を受け継ぎ、地球という文明のゆりかごを卒業して、宇宙への橋渡し種になるための努力をしなければならない。

 文明が永続するためには、宇宙進出はどのみち必要だ。海水・アマゾンの水・海に降る雨水・北極に流れる水を活用して砂漠や海に移住する。森を砂漠化するまで搾取し、石油同様有限な化石地下水を浪費するのではなく……


 そのように科学技術を進歩させ、新天地を切り拓くことは、膨大な雇用を産み農業生産を爆発的に増やす。それは百億に迫る巨大な人口を満腹させ活用し、人権という理想も実現する方法にもなる。

 今の人類の、目的は明快だ。誰も餓死させない。新しいエネルギー、宇宙の金属資源で文明を千年後も、万年後も続ける。宇宙に出る。今まで使っていた森林地帯と化石地下水から、海と砂漠に移り住む。文明崩壊に備える。生命の種を宇宙に《まく》。

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