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親愛なる哲学様

 何が正しいか探究するのは、科学と哲学だ。神学だって人も多いがね。特に善悪、真理は哲学の領域とされる。

 で、哲学様は、この文が書いてきたことは、どうでもいいのか?「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」の、相当詳しい答えが、全人類共通の物語がここにあるんだぞ?

 百年後に人類が滅びるか、十億年後に生命が全滅するか、どうでもいいのか?

 巨大本屋の哲学・倫理学・環境倫理・生命倫理の棚をぶらついても、「核戦争の哲学」なんて本は見たことがない。「文明崩壊・人類滅亡は防ぐべき最大の悪」「人間は食物や水などがないと死ぬし、汚物処理・近代医学がなければ死亡率が高い」「宇宙に出なければ、何かあったら全滅する」という話題は見かけない。

 カール・セーガン、H・G・ウェルズ、アイザック・アシモフ、フリーマン・ダイソンらの宇宙進出ビジョンは、思想には相手にされていない。

「滅亡」「人類」「文明」などがタイトルに含まれる本は、トンデモ本か、または科学と欲望を捨てろばかりだ。

 倫理学にとって、なぜ人類滅亡は関心事ではないんだ? 倫理学と核戦争は関係ないのか?

 哲学や倫理学という学問の目的を、誤解しているのかもしれないな。

 思考を停止しろという圧力のほうが、宇宙からの地球を一目見れば、イエローストーン火山の火山灰の記録を調べればすぐわかることよりも、人間にとっては圧倒的に大きいんだろう。望遠鏡をのぞくのを拒んでるんだろう。


〇現代先端の「哲学」は、その前提として現在の科学を採用しているのか

 現在の科学。極大の相対性理論、極微の量子力学。どちらも多くの実験で、凄まじい精度で検証されている。双方の近似としてのニュートン力学も、宇宙飛行が可能なほど使える。

 さらにエネルギー保存則、熱力学第二法則、マックスウェル方程式。素粒子標準理論。すべての物質は、少なくとも一兆電子ボルトの範囲内ではとんでもない精度で、それら物理法則に従っている。

 カオスや複雑系も、一つ一つの原子は厳密に物理法則に従い、それが多数動く結果だ。

 そして人間も、すべての物もその原子でできている。利用するエネルギーや情報も、熱力学の法則に従う。

 人間は、詳細な分類は略すが、生物の一つの種、ホモ・サピエンスだ。すべての生物は原子の集まりで、DNA・RNAというデジタル情報分子により自己増殖しており、進化する。

 宇宙、太陽系、地球の成り立ちも、ビックバンからきわめて短時間まで・ダークマターやダークエネルギー・最初の生命以外は、科学の世界ではほぼ一致した知見がある。事実と言っていい。

 そのことを、哲学は前提としているのか? 科学的世界観は、どれほど理解され共有されているんだ?

 少なくとも飛行機に乗るのは、それらと一貫した科学を信頼し生命を預けている。銃を向ければ、それでも科学を前提とするのを拒むのか? 実在やパラダイムやポストコロニアルや悉皆空がどうだろうと……帰納についての参考文献をあげて嘲笑うだろう。だがその知恵は、千年後文明が続いているか、七〇億年後地球型の生命が生きているか、それどころか銃弾を防ぐのに、少しでも役に立つのか? 義和拳は銃弾を防いだか? それとも哲学者の多くは、別の前提でものを考え、科学については無知でいいと思っているのか? 科学など、現在の哲学者にとっては古く無価値な、流行遅れの骨董でしかないのか。


〇《人間とは何か》に、現在の科学は反映されているか

 人類は生物の、一つの種だという科学的事実。

 生物も原子でできており、DNAとRNAの情報が読み出されて生き増える。

 現在急速に進みつつある、脳研究や認知研究。積み重なる分子生物学の知見。進化を基盤とし、また考古学や未開人間集団との接触によって得た知見を反映させ、再現された人類の先祖の生活から構築される進化心理学。それから導かれる、遺伝子・群れ・家族の存続を目的とした道徳の解釈。行動経済学が解析している動物としての感情と理性二つのシステム。

 それらによって、「人間とは何か」を問い直すことを、哲学はしているのか?

 最新の哲学にとって、「人間とは何か」という前提は何だ? 進化してきた、原子でできた動物でなければ、何だ?

 少なくとも、人間は首を切断すれば死ぬ。人間が一人生きるには、十分な量の食料や真水が必要で、それらがなければ死ぬ。その前提自体、重要ではないのか?

 最低限、「人間はどんな物語を好むか」を、ハサミの設計者がヒトの手を理解するように人間工学として理解していなければ、自分の思考を客観視することなどできはしない。ハサミの握り心地がよければ実用性も高いが、言葉の心地よさと真実かどうかは関係ないんだ。人は心地いい言葉を真実と判断してしまう、それぐらい自覚してくれ。


〇科学を基盤とした《人類全体の目的》と倫理

 人間は生物だ。

 生物は自己複製し、その情報を変えつつ維持し続けるもの。目的論を廃しても、ひたすら「情報をコピーすることで残す」ことをしている。

 人間好みの目的論に翻訳し擬人化すれば、人間という動物の「目的」は自分の遺伝子情報、すなわち親戚も含む子孫の永続・繁栄。また生命そのものにとっての至上価値は、地球型の生命それ自体の永続、またそれぞれユニークな情報である生物多様性の維持に他ならない。

 誰の子孫でも人類に含まれるし、たとえ遺伝子改良で別種となっても生物には含まれる。だから生物が滅びれば人類は滅び、人類が滅びれば自分の子孫も残るはずもない。もちろん、人類が滅びたら祖国も部族も滅びる。純粋情報エネルギー生命体とか、全情報をコンピュータに移すとか、霊のからだによみがえるとかでなければ。

 また、近代科学文明がなければ人類は少人数しか生きられないし、宇宙に出られないので長期的には全滅する。

 子に教え、家畜を間引く善悪はある。好き嫌いもある。人類の先祖が原始生活を送るとき、「群れ・子孫の存続にとって利になる」からこそ、遺伝子・文化両面で進化してきたものだ。

 群れ、自分の子孫を残すことが善なら、地球生命を存続させなければならない。ハンス・ヨナスの、「人類が地球上でいつまでも存続できる条件を危険にさらすな」という原理は、それから導くこともできる。

 言葉を少し変形し、《人は原子でできた生物だ。生きふえることで、あり続けることが生命である。だから人にとって、生命・人類の永続が使命・善だ》これがあらゆる倫理の根本ではないのか?

 何が間違ってる? なぜヨナスの原理が、あらゆる倫理学書や哲学書の冒頭に記されていない?


 自然主義的誤謬?

 でも、少なくとも永続を目的とする視点を持ち、多産多死、r戦略を真似れば、千年後に生命と地球人の文化、松明すべてが消えている確率を減らせる。それは間違っていないだろう。r戦略と進化、試行錯誤がきわめて有効であることも正しいはずだ。それ以上の方法があるのなら教えてくれ……信仰以外。

 核戦争による人類滅亡の危機……それは今もいささかも変わってない……は、哲学にとってどの程度重要な問題なんだ? 松明を、文化と生命を受け継ぐことは、哲学とは関係ないのか?

 いやそれ以前に、人間もほかの陸上動物同様水に放り込めばもがく。子をかばって死ぬ。生きる、子孫を残す。それすら無視するのか、自然主義的誤謬や目的論を避けるために。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()》を前提とすれば、最大の悪は「地球型の生命すべてを根絶すること」「人類を滅亡させること」「文明崩壊に至ること」。逆にそれを防ぐための行為すべてが善となる。

 今の倫理学は、哲学は、それを前提としているのか? していないなら、何が前提なんだ? 使徒信条か? 教育勅語か? 純粋理性批判か? 一体何だ?

 文明崩壊や人類滅亡が倫理の問題でないのなら、何が善悪だというんだ? 文明崩壊は倫理の問題にはならないのか? 何十億人、一人一人が、餓死し伝染病で死に、人を食い食われることは、倫理学とは関係ないのか? 地球の生命が滅び、文化が失われることより大切なことというのは、何だ? あらゆる生物が、あらゆる人間が積み重ねてきた生命と文化が永遠に失われ、すべてが無駄になることは、代々受け渡されてきた松明が消えることは、悪ではないのか?

 巨大隕石が迫り、そして免れる希望があるなら、それこそ全人類共通の目的、最大の善になるのは、明らかではないか?

 究極善は子孫の永続ではなく、別の哲学的に高尚な何かだ、というとんでもない決断が、いつされたんだ?


 また僕は、人権・人道はその原理から導けないことも認めた上で、支持している。生命の存続とは関係のない善悪も多くあることを否定はしない。

 ただし、道徳感情は脳が感じているもの、アフリカの草原で群れサルが子孫を絶やさず進化してきた遺伝子の産物だ。食欲や性欲と同様の、生存と繁殖に関する脳の働きだ。

 僕は道徳感情は、理性と呼ばれているのも、信用していない。ホロコーストをやらかした種の脳を、どう信用するんだ?

 そしてサルの脳が進化した結果である道徳感情は、人口百億で石油が枯渇した場合の針路を、正しく示してはくれないと思っている。車輪の回転による速度計を、飛行機で飛んでいる時にあてにしたら墜落する。


〇人類、地球の遠い未来

 人類が宇宙に進出せず滅亡した、その後の地球生命について、科学が予測する運命。

 長い時間の後、太陽の水素が核融合でヘリウムなどより陽子数の多い原子となり、それがより高温の核融合をすることなどで太陽の出す熱量が増え、地球そのものが焼かれる。それは地球の、DNA・RNA構造を共有する生物すべての滅亡を意味している。

 それを待たなくとも、五億年とか十億年とかの期間で、いくつもの理由で一部の細菌以外は生きられなくなる。

 人類が滅亡しても次に進化する知的生物体が、というのは無理。使いやすい、浅い地下資源は使い尽くされている。また何億年も地上に大型動物はいたのに、人類型文明の発生は一度きりだったことから、地球型の生物にとって人類のような知的生物体を生み出すことは稀なことだと推定される。

 人類型文明以外、生物が進化で太陽系外に出るのは難しいだろう。火星や金星、木星や土星の大きい衛星が緑ではないという事実が、生物が進化だけで宇宙に出る確率が極度に低いことの証拠だ。


 動物の先祖が海から陸、陸から空と新しい場に適応したように、人類は生命を宇宙に進出させるための種である、と考えるのも人間の目的論的精神構造に合うし、それ以外に地球型の生命……少なくとも大型動物が、太陽の寿命を越えて存続する方法はない。

 目的論・価値判断を徹底的に排除すれば、人類はたまたま発生した「変な生物」であり、それが増えて生態系を破壊し、好み通りに行動してイースター島同様に自滅するのは、波に削られてできた美しい岩がさらに風化し崩れ去るのと同じ、物理法則のみに従って動く多数の原子の、必然的な振る舞いと言える。太陽の寿命とともに地球生命圏が滅びるのも、原子の集まりが変な挙動をして、熱力学第二法則の定めどおり、少し余計な秩序を作ることで大きく見ればより多くの秩序を消費し、全体は無秩序に向かうだけ。

 生命も宇宙の中では特別な意味も価値もない、「変な分子集団」に過ぎず、それが母星と運命を共にするのも当然だろう……地球が滅びれば地球の生命も滅びる、という諦念も多く見られる。

 でもそれが正しいのか? 哲学はその正しさを、どう考える? 遠い未来、人類や生命の行く末については、哲学は何の関心もないのか?

「宇宙の泡だから価値などない、すべては滅びる」または「神が救ってくれるから何もしなくていい」いや「ポストモダンのテキスト解釈以外何もない」。

 人類存続のために科学を進歩させること、宇宙に出ること、特に最悪を前提に多数の種を《まく》ことだけは、絶対に聞きたくもないってわけだ。


 さらに、人類の未来を考える時には、エネルギーや生態系、資源の限界と宇宙進出の技術的課題も重要になる。

 それは何十億という人間の生存や生活水準を変えるし、人類ひいては地球生命圏の存続にも関わる。人間はこれからも食べなければならない。

 それよりも近代の超克、進歩の否定という言葉、難解で厳密な言葉を弄ぶことのほうが重要なのか?

 さらに、これからどの技術が進歩するかを判断できるだけの科学技術の知識が、それについて論じている哲学者たちにあるのか? 科学技術の知識はなくても思想だけで、どの技術が進歩するか、また研究していいか判断できるのか?

 なぜ哲学者が原発の是非や、核融合や数万キロメートルのカーボンナノチューブが将来の人類に可能かどうかまで、判断できるんだ?


 活字の世界は、どうやら持続可能とかを好むようだ。数字のない科学書を書く人々も。科学技術の進歩はやめて、地球人みんな民主主義で、人権が実現し、物欲はあまりなく緊密な人間関係で満足し、化石燃料と化学肥料のようなストックではなく風力発電と有機農業で、地上資源文明だのフローだの、ずっと持続可能……

 少なくとも、宇宙に出ない持続可能は、欺瞞だ。百%のリサイクルという熱力学第二法則違反を前提にするか、または百年程度しか考えていないかだ。その延長の千年後は確実に何かが枯渇し崩壊する。もちろん十億年後もまるで考えていない。

 小国寡民の桃源郷、それもヒトの好みだ。当然だな、それは農業があること以外、ヒトがそのために進化してきた、アフリカの草原で移動生活する小集団の生活に、とても近いのだから。断言する、それは宗教と関係の深い原始的な情動で、無理に実現させたらろくな結果にならない。タスマニア島の先住民を見るといい……ある程度より少ない人数で孤立した島は、技術が失われ生活はどんどん悲惨になり、人口も減るんだ。それを知らなかった時代の人が書いた言葉を前提にするな。

 冷凍睡眠やワープは不可能だ。だから人類も地球生命も終わるのは必然だ、自然の命令なのだから逆らうのは愚かだ……なぜ、いつから科学技術を進歩させ宇宙に出る未来像は嫌われるようになった? なぜ、生命すべての未来を簡単に諦められる? なぜ、今できることを……ボイジャーや電波放送を、考えもしない?


〇存続のために

 人類という種、地球の生命の存続を、倫理の基準にする……それには大きな困難がある。善意の行動が、何手も先に予想外の結果になることもある、というこの世界の現実だ。

 ヨナスの倫理は、人間が自分の行為の結果を予測できるという誤った前提での話だ。現実は長期的には違う。

 人間の、考えてやる営みにつきものなのが、ある計画と行動に対して、長期的に予想されていない結果が返ってくることだ。共産主義の失敗もそれだし、禁酒法の失敗もそうだ。一手か二手先は予想がつくが、何十手も先には、行動に対しどんな結果が返ってくるかわからない。どれほど環境や地球のためにと思っても、行動すれば二十手後には災いになる可能性が常にある。

 長期的に見れば、全員が小石一つ動かしてはならない過去への時間旅行者と同様であり、ゆえに責任を取ること、正しい行動をすることは不可能だ。

 また、地球は永遠ではないことも考慮されていない。

 ワープエンジンの実験が人類を滅ぼす可能性があっても、実験を禁止した百年後にガンマ線バーストで太陽系が滅びるとしたら、一か八かやってみるべきだったとなる。

 何をしても結果がわからないし、何もしないのも行動だ……ではどうしろと?

 自然そのものがヒントだ。r戦略、多産多死。一つの籠にすべての卵を入れるな。進化、試行錯誤。


 r戦略は常に多様性があり、進化となる。害虫が殺虫剤に素早く適応するように、環境が変化しても対応できる。

 r戦略は、個々の性能が低く失敗することも前提にしている。また、現実の人間には性能が高くても運が悪い、ということがあるが、r戦略は運の悪い個体は死んでも別の兄弟姉妹が生きる可能性があることで、運・偶然がある現実世界にはより適している。

 情報を集め、考え計画して針路を決めるやり方は行き当たりばったりより食物を得る可能性は高いが、想定外のことに弱い。この複雑すぎる世界の全情報を得て、あらゆる場合を解析するのはどんな頭脳でも不可能だ。

 r戦略は、考えずに多数の子を《まく》から、行動した結果が予想外であっても運よく生き延びる子がいる。

 人類も全知ではないのだから、不完全な未来予測能力にすがるより、生命と文明を種にして、多数まくのが最善のはずだ。

 ただ、r戦略も全能ではない。生物のr戦略では、小さい生物ばかりなので宇宙には出られない。宇宙に出られるのは人類の技術だけだ。人類の試行錯誤で育った技術と、r戦略を組み合わせる……それ以上の生存戦略はあるだろうか?

 考えてみてほしい。太陽の寿命も地球の資源も有限で、人間の知も有限。この前提は間違っているか? そしてこの前提で、宇宙に広く種を《まく》以上の、人類を存続させる方法があるだろうか。


 生物は生息地で増え、子孫を遠くに《まく》。深海の火山や鯨の骨で生きる生物たちも、その小さい楽園で増えて、小さな幼生を多数海に流す。広く子孫を《まく》ことをしなければ、噴火が終われば、骨を食い尽くせば滅びるだけだ。

 人類も同じだ。増えるのも、資源や土地を取り合い争うのも本来は絶滅しないため……だが、同時に生息地を広げない限り、今は地球から出ない限り絶滅が待つだけだ。

 生息地を広げる、より遠くに行ける方面の科学技術研究や産業を発達させることは、人類や地球型の生命の存続につながる確率が高い行動といえる。科学技術の発達には、試行錯誤が容認されていることが必要だ。情報は多いほうがいい……焚書はするべきではないし、生物種の絶滅は避けるべきだ。どの赤ん坊も天才の可能性がある。だから虐殺はすべきではないし、全員を教育すべきだ。

 恐竜滅亡を哺乳類が生き延びたように、地中で暮らすことも人類絶滅の確率を低くする。多くの人が穴を掘り、食糧・燃料・薬・道具・武器を備蓄し、本や精密工具も埋めておくだけでも絶滅の確率は低くなるだろう。

 多様な食物を食べられ、多様な気候に適応する生物は絶滅しにくい。より多くの子を広くばらまく生物も絶滅しにくい。

 いくら長期的な影響はわからないと言っても、全面核戦争を起こせば人類がずっと存続する可能性は、ほぼ間違いなく下がるだろう。

 他にも、何が絶滅の確率を下げる行動か、考えてみよう。というか人類・生命滅亡の防止を目的とする国際機関が、僕が知る限りない……不思議を通り越した話だ。

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