生命・文明のr戦略
《人は原子でできた生物だ。生きふえることで、あり続けることが生命である。だから人にとって、生命・人類の永続が使命・善だ》。
どう間違っている?
正しいとしたら、何よりすべきことは、《まく》こと、生息地を広げることだ。
タンポポの綿毛のついた種が、空高く風に乗り、何十本も飛ぶ。どれか一つでも、いい土に落ちて芽を出せば子孫を残せる。
カビやキノコが胞子を《まく》。マンボウは億に及ぶ卵を《まく》。サケは川で多数の卵を産み息絶える。
あらゆる動植物が膨大な数の、少しずつ違う卵や種を産み、ほとんどは食われ、一つでも生きのび次の繁殖ができればいい。
単細胞生物さえ、増え続け広がることで同じことをしている。
昔は人類はそれをやってきた。少人数で群れを離れ荒野に踏み出し、多くは死ぬが新天地を見つけた集団もあった。小船で絶海の孤島まで広がった。そのおかげで、ある地域が砂漠になっても氷河に覆われても、別の大陸にも親戚がいることで血筋を保ち、絶滅を免れてきた。産み増え広がるのが、正しかった。一つの籠にすべての卵を入れないようにしてきたんだ。
人類はカビがパンを覆うように、地球を覆い食い尽くしている。寄生虫のように母なる地球に寄生している。だが、カビや寄生虫と今の人類は目的が、目的論を避けてもやっている行動が違う。カビはパンを食って莫大な数の胞子をばらまき、寄生虫はほぼ全身を巨大な卵巣にして莫大な数の卵を産むが、今の人類全体はそれをやっていない。数は増えているが生息地を広げ、子を広くばらまくことはしない。カビや寄生虫にたとえるのは、間違っているし侮辱だ。
なぜやっていない?
『超時空惑星カターン』……『新スター・トレック』のもっとも有名なエピソード。
ある、焼かれ生命は滅んだ惑星を調べていた宇宙船エンタープライズが、人工物を拾った。調べたピカード艦長が倒れ、目覚めた……見知らぬ田舎のベッドに。
ホロデッキの故障か、とブリッジに連絡しようとするが、通信機はない。エンタープライズなど誰も知らない。おまえはケイミンという鍛冶屋だ、高熱だったが夢でも見たのか、と言われる。
困惑しつつ別の人生に順応し、妻を愛し子を慈しみ、村の一員となったケイミン=ピカード。
だがピカード艦長としての人生の記憶は残り、星を眺めることは趣味となって続いた。それで恐ろしい事実に気がついた……この惑星を照らす太陽はもうすぐ爆発し、惑星の生命は滅びる。
ワープ技術はない、みんなで別の星に逃げることはできない。
でも無人ロケットならできる。遺伝子サンプルでもなんでも打ち上げろ。我々が生きてきた歴史を無にしないために!
そう主張するケイミン。彼が言い出すまでもなく、その計画はとっくに動いていた。
強まる陽光の中ロケットの打ち上げを見守る、老いたケイミンの生涯が終わり……
《なぜやっていない?》
今現実の地球人と、カターン星人は、どう違う?
何も違わない。確率が違うだけだ……カターンは九九・九九%/百年、今の地球は〇・〇〇〇〇〇〇〇〇二%/百年とか……実際の確率は、僕は知らない!
明日にも、この太陽は爆発するかもしれない。何が起きるかわからない。ガンマ線バーストを、科学は理解していない。避けようのない巨大隕石が落ちるかもしれない。人類が自滅する可能性もいくらでもある。今も核兵器はたっぷりある。「はやぶさ」の応用で、小惑星を地球に落とすことがもうできる。
科学技術も、ワープができずロケットができる、そこは同じだ。
地球人はカターン星人同様、故郷惑星に閉じこめられたまま、滅亡を待つしかないのかもしれない。宇宙とエネルギーの科学技術は、これ以上発達しないかもしれない。何百年研究しても、軌道エレベーターに必要な長いカーボンナノチューブはできないかもしれない。核融合ロケットも自己増殖性ナノマシンも冷凍睡眠もできないかもしれない。
宇宙とエネルギーの技術は、現状が限度だと信じる人が多い。
未来の技術は予測できない。何が起きるかわからない。言い切れるのはそれだけだ。
宇宙船地球号は、救命ボートのない船だ。タイタニック以下だ、ボートは足りないどころか一つもないんだ。誰一人生き延びられない……三百人委員会と宇宙人が月の裏に基地を作っている、ってことはあいにくないんだから。
しかも行き着くあてもないんだから、難破船、氷に閉ざされた極地探検船も同然だ。絶望的な非常事態だ。
ボイジャーやパイオニア、電波送信は前にできたんだから、今もできるはずだ。今やるべきだ。
人類の宇宙進出は、本当に不可能かもしれない。
だとしたら宇宙船地球号は、極地探検船が氷に閉じこめられたように、もう全滅を待つだけということだ。それですべきことは? ひたすら塩漬け肉と乾パンとラム酒の配給を節約し、餓死を先延ばしするか? 規則と鞭を強め、弱い者を生贄にして秩序を維持するか? 最後まで何事もなかったように、毎日の訓練を繰り返すのか? もうだめだと快楽にふけるか? ひたすら祈るか?
違うだろう。何隊かに分かれ別々の方向に、ボートと食料を橇に積み旅立つ。誰か一組でも、一人でも海に、町にたどり着き、それまでの航海日誌の写しを当局に届けてくれれば探検航海の成果が残る。みんなの努力が無駄にならない。松明は受け継がれる。
陸地が見えない難破船。なら、壜に手紙を入れて海に投げるべきだ。タンポポの種のようにたくさん。
人類の宇宙進出は不可能と言われる、それ自体を危機と感じ、全力でボイジャーのようなカプセルを宇宙のあちこちに打ち上げ、あちこちに電波放送を送るべき、と人類が行動していないこと、そう主張する本も見あたらないことが不思議でならない。滅亡話はこれほど好きなのに。
カターンのようなロケットはおろか、電波放送すら数度しかしていない。それが、宇宙から見た人類の行動だ。
理由は……まず、予算と言われるだろう。
《人は原子でできた生物だ。生きふえることで、あり続けることが生命である。だから人にとって、生命・人類の永続が使命・善だ。生命と文化を種にし宇宙に多数飛ばすべきだ》それに、誰もが反対している。人類全体が、人類が滅びないことの優先順位を最低、無視していいとしているんだ。
では何が最優先なんだ? 人類の使命・目的は、何だ? 何が望みなんだ?
人類はカビや寄生虫とは違う、胞子や卵をばらまくなんて下等なことはしない、というなら、何が人類にふさわしい高尚な使命・目的なんだ?
〇種[卵、胞子、幼生……]
多くの生物はr戦略、多産多死だ。さまざまな悪環境に耐える、とてつもなく小さな、それだけで自己複製を始めることができる「種」「卵」「胞子」「幼生」を膨大な数、少しずつ違うのを産み、できるだけ広くばらまく。
それが、人類全体として模倣すべきあり方だ。人が全知全能なら、結末を書き直せるお話の世界なら別だが。現実は違うのだから、多数ばらまく以上の方法は思いつかない。何より、生命はr戦略と進化で長く成功し続けている。
生きた人間を送るのは不可能だ、恒星間航行はできない……生きた人間がいなくてもいいじゃないか。ボイジャーやパイオニアを打ち上げる技術はある、何十年も前にできたんだ。ゴールデンレコードのような「誰か拾って読んでくれ」情報を最大限にしたのを多数打ち上げることは、静止軌道エレベーターとは違ってずっと前から可能だったはずだ。
自己複製機械はできない? 微生物という自己複製機械は今ある。送り先の宇宙人を利用すればいい。知的生物がいない星でも、水さえあればこちらの生物をばらまけば、いつかは知的生物が進化するかもしれない。
どちらであれ知的生物が情報を拾い、受精卵を解凍して隔離実験室であっても再生し、解読した地球人の文化を受け継いで、また別の星に向けて複製を打ち出してくれるかもしれない。
百万に一つもない……なら千万ばらまく。r戦略生物はそれで絶滅せず生きつづけている。
あちこちに、情報を電波放送していないことも不思議だ。こちらはいくらもかからないだろう。
ボイジャーで何百万年、電波でも何百年もかかる。何の価値もない……宇宙のどこかで地球型の生命が生き続け、誰かが人類の書いた本を読んでくれるという希望、何がそれ以上の価値だ?
それこそ人類の、地球の生命の、種だ。タンポポの種が風に乗って飛び、運良くいい土に落ちたものが芽を出し、成長して花を咲かせ、再び種を飛ばすのと同じように。種の頑丈な殻に、遺伝情報など自己複製のための分子が詰まっているように。
実際やるなら、より詳しく検討してみよう。今の技術でできることを。
まず電波放送は今の技術で簡単にできる。それも単純な情報だけでなく、生物の遺伝子や人類の文化のデジタル化済み情報を全部放送するぐらいするべきだ。
人類が滅びることもありえるので、人類文明が保守し制御しなくても太陽電池で自動的に電波放送を続ける機械を、宇宙に打ち上げておいたほうがいいだろう。
冷凍したヒトの受精卵や多様な微生物の胞子と、選んだ古典本や遺伝子のデジタル情報だけ詰めた、自律機械は持たないカプセルなら、角砂糖サイズの本体に広く薄い太陽帆がついたものにできるだろう。別恒星の光を浴びたら使いやすい波長の電波で素数を発信する、それぐらいならできるだろう。
宇宙人が探知し拾うのを待つだけだから、確率は低くなる。だが桁外れに膨大な数、太陽光などを利用して太陽系外にばらまくこともできるはずだ。
ボイジャーやパイオニアの、ゴールデンレコード機能を増強したものを考えよう。
目的は、行った先に知的生物がいれば拾ってもらい情報を渡す。侵略にはならないようにする、先住生物がいない場合にのみ、こちらの微生物をばらまく。
光年単位、現在の技術では数百万年の時間の後に情報が失われていないように、強化版ゴールデンレコード……より多くの情報を、超長期保存可能なように電子化して入れる。宇宙の極寒を利用して、様々な生物の冷凍受精卵や胞子を入れてもいい。そのために、堅牢で冗長性の高い、観測し判断し行動できる機械を積む。
0打ち上げ。地球人が文明を保っている限り、カプセルが向かう方向に電波放送で到着予告。
太陽系から出たら、頑丈な殻の中にもぐる。
1太陽電池が機能するほど別恒星に接近
・する:2へ
・しない:3へ
2太陽電池で再起動し、恒星から適度な距離をとるよう軌道を修正。
彗星などに着地し、反動推進剤を入手。
地球に向けて情報を送信。
素数数列とさまざまな地球人語で、文明の産物が到着したこと、目的を放送。
・回収される:4へ
・回収されない:5へ
3恒星に接近するまで飛び続ける。
4回収してもらい、情報を引き出して研究してもらう。できれば中身ごと複製し、あちこちにたくさん飛ばしてくれとも頼む。
[ウィルスが細胞を環境として自己複製するのと同様、無人播種船それ自体が、異星人文明を環境として自己複製する……病原ウィルスのように細胞を破壊することはしないが]
5液体の水などがないか探査する
・ある:6へ
・ない:7へ
6生命の有無を探査する[そのためには生命発生以前・生命発生後酸素光合成以前・酸素以後でどんな分子が出るか知る]。
・生命あり・知性文明あり:回収されるよう放送を続ける。4へ
・生命あり・知性文明なし:8へ
・生命なし:9へ
7一定期間液体の水を探し続け、たまに恒星に接近する軌道をとり、放送と水探しを繰り返す。
8たまに恒星に接近する軌道を取り、定期的に放送。原住の生物が知的生物に進化し、文明を作って、回収してもらうまで続ける。[こちらから侵略しないよう、こちらの微生物を投じるなど干渉することはしない]
9たまに液体の水のある惑星に接近する軌道を選ぶ。
多様な、水中生活する、極限環境にも強い細菌・古細菌、藍藻類、微小な多細胞生物など小さくてタフなのを冷凍して積んでおき、水面を狙って投下。
その後はたまに酸素の有無を探る。
酸素があれば冷凍小魚をはじめさまざまな、微小で解凍に耐える海洋生物の卵を投下。
酸素があり陸があれば、昆虫の卵・陸上植物の胞子や種など、より高度な生物も投下。
あとは長周期の接近ごとに情報を送信、地球由来の生物が知的生物に進化し、電波設備とロケットを作る地球人のような文明を作って、拾ってくれるのを待つ。
人類の冷凍受精卵や、電子化した情報も入れておく。その星に独自発生した知的生物でも、水に放り込んだカプセルの微生物の子孫の知的生物でも、もしかしたら人類やその文化を再生してくれるかもしれない。
それを、種を《まく》ことをしていない。
人は、人類そのものや地球型の生命自体が遠い未来に……わずかな確率で明日にも滅びることに対して、何もしないという行動を選んでいる。
人類全体が、生息地を広げ種の滅亡を免れる、という目的を放棄している……客観的にはそう見える。
人間が本気で関心を持ち行動するのは、戦争と魔女狩り含む生贄、貨幣と巨大宗教施設、飲食物や衣類、交接とゴシップと支配だけなんだな。ヒトの心はアフリカの草原で群れが続くために設計されている、それで増え広がって絶滅しなかったんだ。だが、今は増えるだけでは広がれない、意識的に地球から出ない限り。
関心はあるように見える、人々は宗教・娯楽を問わず、滅亡の話は大好きだ。だが、全体の行動としては人類は備えていない。備えている人々もいるが、その人たちも宇宙に出ることは考えないから、何億年で見れば滅びることは変わらない。誰も備えていないよりはましだが。
〇文明崩壊に備え種籾を
人類滅亡には至らないが文明は崩壊する、という事態にも備えよう。これは、「無人播種船と放送」同様、「どのみちやっておくべきこと」、救命ボートやフライトレコーダーに似た発想だ。そう、今の宇宙船地球号には、救命ボートも遭難ブイもフライトレコーダーもライフジャケットも非常食もない。保険もない。船や飛行機なら存在自体許されない。
イエローストーン火山が噴火する。宇宙から〈恐竜殺し〉のような巨大隕石が落ちる。主要作物の病気。核戦争。
ちょっとした不景気だと思っていたら。第一次大戦は、ちょっとした戦争だと思われたのが底なしに拡大し続いた。
『O・P・ハンター』[神坂一]……石油が尽きた。『石油消滅』[スコット・ライス]……精製石油を食う細菌。『深海のYrr』[フランク・シェッツィング]……洋上交通の途絶。絶対にない、と言いきれることなどない。
人類滅亡には至らないが、現代の文明を保つことはできない大惨事になる可能性は、常にある。非常に確率は低いが、完全に防止することはできない。今の地球人は、「そんなことは起きない」「考える必要はない」として暮らしている。だが、備えるべきだ。確率は非常に低いが、歴史的には何度も起きている。
地球全体に広がることは、もうやっている。しかし今の人類は、地球全体、すべての人間集団をつなげてしまっている。地球の半分が崩壊し残りの半分が無事でも、崩壊した側から膨大な難民が流れ、無事な半分も破壊する。地球全体に広がることで氷河期を切り抜けた昔の人類とは、まったく違う状態だ。今は、一つの籠にすべての卵を入れているんだ。
これまでの歴史にも、何度も文明崩壊は起きてきた。
多くの人が、食糧不足になる。そして社会の秩序を保つ、嘘・フィクション・神話・宗教……そんな、人間の心に、安定した社会という幻想を認知させている言葉や感情の集まりが、この行動にこの賞罰が返るという約束が、崩れていく。
そんな時によくあること。
まず、小さな群れが武装し、別の群れを襲う。宗教が原理主義的に暴走し、強まる。
そうなったときの、宗教感情が強い人間の群れは常に勝利し、そしてあらゆるものを徹底して破壊する。近代の国でそうなれば、図書館・博物館・動物園を襲い、本を焼き、文化財を破壊し闇に売り、動物を残酷に殺す。人類は骨の髄からそれが好きだ、いくつもの崩壊した国でそれをやっている。
問題は、その破壊されるものには、家畜や穀物の、一度失われたら取り返しがつかない品種もあることだ。
『北斗の拳』[武論尊・原哲夫]に、こんな話がある。
核戦争で荒廃した地球、わずかな生き残りが生きていた。多くは凶暴な、他人を殺し奪う生活をしていた。
そんな中、何とか昔のように、農業で生きたい、と思っている人たちもいた。水が豊富な土地もある。そのために、核戦争以前の優れた農作物の、種籾が必要だ。
その種籾を村に運ぶ、一人の老人がいた。
殺し奪う者たちは、その種籾も奪って食いたがる。老人が、この種籾は食えば終わりだ、だが育てれば何倍にもなる、そうしたらあんたたちにも分けてやる、と言う。
結局、殺し奪う者は老人を殺し、英雄に皆殺しにされた。
現実の文明崩壊後には、英雄はいない。だから、〈種籾老人〉は殺され種籾は食われるだけ、だろうか? いや、多くのr戦略の生物が、何千何億という子……種・胞子・卵・幼生をばらまき、一つでも生き残ればいい、とするように、〈種籾老人〉が多数いればどれかは逃れられる可能性がある。自然界では、英雄はいなくてもr戦略で弱者も生きのびている。
なぜやっていない? 始めるべきだ。
できる限り多くの人に、文明崩壊後に生き残る方法と残したい知識を記し、主要作物の種籾を少しずつ付録につけた本を配るべきだ。コストはわずかだから、多数の人に配れる。何億人も〈種籾老人〉がいれば、〈殺し奪う者〉から逃げきれる者もいるだろう。マンボウの、億の卵の一つのように。
その〈付録に種籾がついた本〉は、鉄骨やガラス片など文明遺物を原始的な道具や武器にする方法、食糧不足状態で人間を食うための、動物を解体して干し肉となめし皮にする技術から始めたほうがいいだろう。
文明が崩壊したら、人が人を食う事態になる。そして人は集まって争い、本を焼き、博物館を略奪し、動物園を襲う。それは避けられない。それを前提にして備えるしかない。その状態になりそうになったら、貴重な文化財物は人の手が届かない所に埋め隠すよう、政治としても制度化しておくべきだろう。
次いで、充分に世界人口が減ってから、交通がない状態で自給自足の農業をやる方法も書いておこう。付録の種籾の育て方だ。
それで生活できるようになった人間たちに、残しておきたい文章もつければいい。聖書という人もいるだろう。科学知識という人もいるだろう。何をつけるかは考えればいい。
また、できる限り多くの地域の多様な施設で、主要な家畜を飼っておくべきだ。多ければどれかが生き残る確率は増す。
確かに今、北極近いある島に、世界中からさまざまな作物の種を集め保存する活動は行われている。しかし、一つだけなら、そこが飢えて原理主義に染まった破壊者に襲われればすべてが終わる。
一つの籠にすべての卵を入れるな。
種籾を保存する場を、世界中に、できるだけ多数作るべきだ。中世ヨーロッパの修道院や、古代エジプトの王家の墓のように。
また、生き残りの生活が安定したときのために、人類文明の最上の本や、本のテキスト情報を電子化したもの、本当に重要な芸術やその電子資料、近代工業を再起動するのに必要になる超高精度の工具や測定具を、長期間保存されるよう密封して、人の手が届かないところに埋めることも必要だろう。
あらゆる生物の遺伝子を、遠い未来に復活した文明が技術を発達させることをあてにして、冷凍やデジタル情報にして埋めておくべきだ。
埋めた場所は誰にも知られないように。砂漠、廃坑、深海、南極の氷河の下……月にも打ち上げておいたほうがいい。彗星のような長い楕円軌道にも打ち上げるべきだ。
文明が崩壊したら宗教原理主義に暴走し飢餓と恐怖と憎悪に狂った武装集団が、本も文化財もすべて破壊する。それは避けられない以上、破壊しきれないほど多く、あちこちに隠す必要がある。
アレクサンドリア大図書館が焼かれるとは、関係者は誰も思っていなかったはずだ。だが焼かれた。一冊書き写して返すのではなく、二冊書き写して、一冊を返し一冊を図書館に収め、もう一冊は王家の墓の奥深く隠しておくべきだった。そうしてくれていたらどれほどありがたかったか……それが見つかればどれほど嬉しい知らせか。
今回はそうすべきだ。世界中の図書館や美術館、博物館が焼かれても、情報が後世に残るように。
……それも、「後世に残る」ことが善だ、アレクサンドリア大図書館の炎上は残念だ、という偏った価値観なのだろう。多くの人は賛同しないのだろうか。多くの人は、常識と宗教と国家のほうが好きだ。
僕が知る限り、人類は今述べたことをやっていない。ただし、やってはいるが知らされていないと思うこともできる。本の保存をやっているとしたら、その事実は一般人に知らせてはならない。ただ少なくとも、種籾が付録についた燻製肉と皮服の作り方などの本も、あらゆる本のテキストが詰まったディスクも、僕は配られていない。
〈殺し奪う者〉と〈種籾老人〉は、時間の視野が違う。
〈殺し奪う者〉は、今。今夜の夕食。そして、他人を殺し、意思を否定し、蔑み、奪う快感。動物としての感情。それしかない。
〈種籾老人〉は、何年も先、そして遺伝子や人間の文化が……受け継がれてきた松明のリレーが、子孫まで受け渡されることも見ている。
本当に〈種籾老人〉の側にいる人は、どれだけいるんだ? みんな、〈殺し奪う者〉の側にいるんじゃないか?
〇宇宙船地球号の救命ボート
宇宙船地球号には、救命ボートがない。では今何ができるだろう? スペースコロニーや、月や火星の植民はすぐにはできない。化学ロケットの限界はどうしようもない。
カターン星人のように、今の技術でできることを考えよう。上述の無人播種船と放送。種籾と本を配っておく。
他に……あ、今たくさんある、戦略原子力潜水艦。たくさんの海水で守られている。電力で海水から酸素を作り、何年も潜ったままでいられる。核戦争から生き延び……大量の核ミサイルを打ち上げて人類を滅ぼすために作られている。だが、〈恐竜殺し〉が地球の反対に落ちても生き延びられる、ということでもある。それを宇宙船地球号の救命ボート……いや書類だけでも届ける郵便伝令ボート、松明を種火として受け継ぐものと考えたらどうだ? 今せっかく多数の原潜があるのだから、乗員を男女同数にすればいい。若い女性産科医ばかりで、多様な冷凍受精卵と人工授精機材を積んでおいてもいい、十分な備蓄が別にあれば。種籾と電子書籍入りディスク、高精度工具……それは武器と共に地下深くに埋めて、潜水艦の乗員だけに場所を知らせておけばいいか。
それに、あちこちの深海に原発はあるが動きの鈍い、ひたすら巨大な潜水艦を隠し、そこで主要家畜を十分な数育て維持する。また、浮上しなくても補給できる食糧・部品・医薬品・家畜飼料などの海底倉庫を用意しておく。
それで、人類が滅びる理由を百考えたら、その九二までは原潜の乗員が生き延び家畜と作物を育てて本を掘りだし、文明を再建できる。費用はわずかだろう。
同じように地下深くに原発がついた、地上から独立し厳重に守られたシェルターを作り、そこで原発の電力で照らし地下水をやって主要作物と家畜を育て、人間の文化を守り続けることはできないか?
さらに、今たくさんの人が、鉱山などで地下深くに潜って生活している。その人達も、埋めた種火と考えてちょっと配慮しておけば、人類滅亡のリスクを軽減できるのでは?
バイオスフィア2は失敗したが、研究を続けることはできる。バイオスフィア2のような、閉鎖独立生態系の技術さえ完成すれば、太陽の近くや月面、水星に箱舟を作れる。それがない現時点でも、原子力潜水艦の技術が蓄積されているのだから、大量のエネルギーを浪費する生命維持システムで、地球から食糧が補給されるなら実現可能だ。人類が、それをやらないという行動を選んでいるだけだ。
太陽から離れていても、原発をつけてしまえば家畜ごと箱舟を維持することは可能なはずだ、原子力潜水艦が可能なんだから。
比較的現実的には、単に人里離れたところ、地球のあちこちに、中世ヨーロッパの修道院のように隔絶され、それでいて暴徒を撃退できるよう重武装した、主要な家畜と作物を育て続け、十年間日光がなくても人も家畜も維持できる食糧・水・燃料を備蓄し、大量の本を保存する場。対処できる事態の幅は狭まるが。
世界各地にある、核シェルターに食糧と種籾を備蓄し本を保管するだけでも、かなり違うだろう。
救命ボートなら全員助かるように、とできればしたいが、それには莫大な費用がかかるし、破局の規模によっては全員は無理だ。
■□■
ついでに、環境のことを思うなら、ゆりかごを出て自立し、母なる地球のすねかじりをやめて仕送りをしなければ。
宇宙に全人口を移民させるのは当分困難だろう。だが、宇宙太陽光発電・次世代原子力・洋上風力発電などで海水を淡水化して砂漠に都市を作り、砂漠を掘って海水を満たした水田にし、外洋に肥料をまいて海藻と牡蠣を養殖して、人類の大半はそれで飲み、食い、住むことはできるだろう。
今は森と化石地下水と石油を収奪しているが、海水と日光を使う。今利用している、森だった地域は森に戻す。
同時に宇宙から資源を得て、地下資源の限界を克服することもすべきだ。また地球内外に救命ボートを作り、宇宙に種を《まく》。全生命滅亡の確率を少しでも減らすために。
技術的には最悪に近い前提、極超音速スカイフックとアッケシソウだけでもできるはずだ。
それができれば、生物多様性も保たれる。熱帯雨林を切らなくてもいい。
これも、誰の耳にも届かない。
何より、「そんな予算はない」が、神のお告げのように感情を叩く。予算という強力な呪文は、人類のフロンティアスピリッツと探求心を根こそぎ潰すほど威力があったらしい……アポロ以降、人は月面すら歩いていない。
考え行動するより、反対し拒絶し悪口を言うほうがずっと楽しい。
我々人類は、〈殺し奪う者〉たちと同じように狭い視野でしか、物事を考えない。考えることを自ら・互いに禁じている。考えることは、自分の世界観、自分の物語を書き換えることになるからだろう。ヒトはそれに、死と同じように抵抗する。
今の人類は最悪を想定して全滅を免れ、できれば文明を続けるための、今の技術で現実に可能な対策をやっていない。
〇人道を捨てれば
人類には別の道もある。
環境保護を、人類という種、この文明や文化、生物多様性……地球の生命そのもの。それを保つことだけに目的をしぼれば、人類全部を生かす必要はない。世界平和も、人権も、その目的とは関係ない。人類が滅びるかどうか、いや単純に食料が足りなければ、人権などの出る幕はない。人間は動物であり、食料がなければ生きられない。価値観を切り替え、目的を定めて限られた資源を集中すべきだ。
生命にとって、個体の生命も、その苦痛も、善悪も何もない。生命全体が意識や、価値を感じる感情をもっているわけではない。遺伝子が繁殖し続けるか滅びるかだけだし、それすら意識していない。
人間の多くは、世界平和や経済的な平等、政治的な自由、女性の解放など正義がなければ環境保護もできない、逆にそれら正義が実現すれば環境も守られる、と奇妙にも関連づけている。悪人である船長と悪人である船員たちを殺し、善人船長が正しく舵を切り、船員全員が完璧な規律と内心を持つ善人になった船は絶対に沈まず目的地に着く、だ。
正義のための革命と、環境の関係なら干上がったアラル海を見ればいい。ソ連は真のなんとか主義ではなかったから、と言ってもアラル海はもとに戻らない、「真の」はホモ・サピエンスには不可能なのが歴史的事実だ。
確かに戦争、極端な貧困、不自由な政治体制で、極度に環境破壊が進むことは多い……高みから見て、一つの大きい島の東西で緑色がくっきり違うこともある。しかし、平和で平等で自由な地域であっても、多数の人が豊かに暮らす限り環境破壊はある。または別のどこかの森林皆伐を利用している。
人類滅亡、地球型生命全滅の確率が低いのなら、ディストピアで何が悪い? まあ、『すばらしい新世界』[オールダス・ハックスリー]は遺伝子の多様性が乏しいため伝染病に弱いし、『一九八四年』[ジョージ・オーウェル]は技術の低下と環境破壊による自滅を免れまい。他のディストピアもユートピアも試行錯誤は容認されず、巨大隕石などには弱い。
人権や民主主義は、上記の科学・政治・経済の試行錯誤に結びつく。生物の進化と共通する強み、エラー修正機能がある。ただし、千年持続できるかどうかは実績がないのでわからない。短期的には強力だが持続しないのかもしれない。文明が存続した期間は、民主主義のアメリカより古代エジプト帝国のほうがずっと長い。
それらを考えに入れれば、人権水準はひどいが、文明・生命そのものが長期間存続する確率は高いディストピアは、考えられるはずだ。
生物を裁く尺度は絶滅だけだ。人間の文明も崩壊したかどうか、どれだけ続いたかで裁くことはできる。
単純な事実。地球環境を守りたければ、簡単で唯一確実な方法は、人類の九九%を今すぐ殺すことだ。
誰も殺さず、それも充分近代的な生活水準だが〈持続可能な〉技術システムに至らせて、それで環境破壊を軽減する、というのはよく言っても綱渡りだ。今の時点で人口が多すぎる。第一持続可能は、百%リサイクルは無理だから永遠ではない。
特に人間の性、闘うことと精々群れの利益しか考えない群れの集まりであること、理性より感情や宗教心のほうが強いことが、人類全体を理想にそって動かすことを事実上不可能にする。世界を良くしよう、というのも道徳感情から出る衝動だ。だから人間は世界を良くしようとして政治を崩したらすぐ密告と粛清を始めてしまい、権力を持つ小さな群れが自分たちの利益を追求し、結局は自由を失い進歩できず破滅する。
ある鳥と蛾の最後のつがいが住んでいる熱帯雨林の大木。その木と、鳥と蛾にとっては、反対運動で伐採を免れたのでも、その地域が自然保護区に指定されただけであっても、人類が伝染病で瞬時に全滅したのでも、アメリカが自国以外をスマートに皆殺しにしたのでも、金持ちたちがターミネーターを作り貧乏人を皆殺しにしたのでも、宇宙人が原生林伐採禁止命令を出したのでも、どこかの金持ちが別荘に買ったのでも、神が全人類を天国か地獄に強制連行したのでも、全人類が改心し世界がひとつになったのでも、同じだ。チェーンソーを、絶滅を免れたことには変わらない。そして木にはもちろん鳥にも蛾にも、「絶滅したくない」などという意識はないんだ。一匹一匹が遺伝子と環境が織った神経の信号によって動くだけだ。木や蛾は多数の種を落とし卵を産み、鳥は卵を温め子に餌をやる……正確には巣にある特定の模様がある塊を抱き、ある波長の音を出すところに餌を落とすことを、欲するように作られた脳の欲に従って動いている程度だ。
人類の大半を殺すほうが、地球環境保護・文明と生命の存続にとって現実的だ、と思う理由は他にもある。
現実のこの地球人たちを見れば、ごく少数の金持ちや、利益追求集団の「力」が圧倒的に強い。なら発想を変えればどうだ、「この宇宙と地球は、力がある者の贅沢と快楽のためにある」と。それが現実だ。
それを認めれば、こう考えることができる……力がある者の贅沢と快楽を維持するのに、今の世界人口七〇億は、必要なのか?
必要ない。五億もいれば足りるだろう。一億で充分かもしれない。不要分を殺し、残りも徹底的に奴隷化すれば、少なくとも地球環境の持続可能性は大幅に高まる。人類の多くの文明は、極端な奴隷制で何千年も維持された。ホモ・サピエンスはそれができる動物だ。宗教も、結局は追認し、それが善だとして支える側に回る。環境の尺度でも善だ……太陽の寿命レベルの時間尺度は考えていないが。
近代の人権・人道の尺度で、悪とされるだけだ。
力がある者たちが、本気で地球の有限性を認めれば、そうするだろう。最近の産業技術の歴史は少数者に力を集中させるもののようだから、避けられぬ歴史の流れとも言える。また、「力がある者」が人間集団そのものの暴走を起こしたら、良心では止められないだろう。
そうなっていないのは、個人も人間集団も、いかに地球が有限だと考えることが苦手か、ということだな。幸運にか、それとも不幸にもか……僕は間違いなく、殺される側だ。
だが、今現実の力を持っている大金持ちたちに、もう貧しい九九%は必要ない殺してしまえ……そう吹きこむほうが、全人類を改心させるより簡単で、人類という種が絶滅を免れる確率は高い。
もう一つ、国家・宗教団体・部族などの群れが人間にとって唯一の現実で正義だ、に徹底的にこだわれば、力のある集団が自分たち以外を皆殺しにしても、環境にとってはいい。
まあ、その過程で核戦争をやって地表を破壊しすぎなければ、無人になった人工施設が大量の毒をばらまくことがなければ、だが。
さらに言えば、人類全体がカビのようにふるまうことも考えられる。
一人一人の人権はおろか、地球環境・生物多様性すら無視して、無人播種船の打ち上げと放送に人類の総力を注ぐ……人類は短期間で滅亡し、地球はしばらく荒れ果るか最悪金星化しても、「宇宙のどこかで地球型の生物が生き延び、人間の文化が受け継がれる」確率を高めることに賭ける、というわけだ。カビがパンを食い尽くして胞子をばらまき、自らは死滅するように。
それがどう間違っている?
ただ、僕は地球型の生命・人類・文明がずっと続くことと、根拠なく人権と人道を善・目的とする。論理的な必然がなくても、誰も賛同しなくても。地球人が誰も餓死せず、拷問がない、何を書いてもいいぐらいは望んでいる。
そのためには科学技術に投資しろ、鐙を探せ。試行錯誤の自由、交易、新大陸がなければ海を耕せ。食料が足りなくなれば人権は絶対なくなるから、それを防ぐためにも。
同時に、生命・文明のr戦略、種を《まく》。地球号の操舵輪を奪い合うより救命ボートを点検。
根拠はない。ヒトの、進化で作られた感情にも訴えない。だから誰も説得はできない。ヒトデから進化した宇宙人向けパイロットシートのようなものだな。