明日の朝から1
「ふぅん、学園の入学式ってこんなに人が多かったんだ」
私は講堂の二階から新入生を迎えるための式を初めて眺めていた。この時期は魔物の繁盛期のために、あまり学園に残れないので私には入学式は縁のないイベントだった。
だからこうして外から見ると入学式には自身の時の懐かしさと目新しさがあった。
「ねぇ、リーナは」
つい側にいる少女を探して一人だと分かって、小さくため息をつく。隣にはもうリーナはいない。今朝、彼女に従者を解約の話をして別れた。
リーナには何度も理由を問われた。もう貴女は必要ないと表情を殺して言えた。どうしてと縋る彼女を私は払い退けた。
その場所は、新入生がいる校門の前でよく目立った。リーナの妹、主人公も当然いた。泣いた姉を助けない非情な主人公ではない。
主人公達が当然のように介入してきて私を敵視する視線を向けてきた。そして既に私の噂も広まっていたようで、彼らの一人が私をその蔑称で呼んだ。
裏切者と。
そのことにわたしは意外となんとも思わなかった。好きだったゲームのキャラに嫌われているというのにも痛みはなかった。
ただ泣いて主人公達を止めていたリーナの表情の方が辛かった。リーナと別れる際に伸ばされた手を無視する方がとても辛かった。
「でも、これでリーナは守られるべき人のところに行けたんだ」
「あら、貴女はそれでいいの?」
「別に、今はリーナが幸せならそれ以上は私の学園生活にいらない。あとは彼女達がきっとうまくやってくれる」
「あら、ほんとうに愛しているのね。すこしやけるわね」
「ん、あれ?」
独り言に返答が返ってくる。私を相手にするものは、もう学園にいないと思っていたのに。誰と?振り返る。学園では、安全であっても油断であり隙であった。
「って貴女は」
「初めましてかしら?フィリア様」
振り返った私は唖然とする。目の前には先ほど新入生にスピーチをしていたこの学園の生徒のトップである、生徒会長がいた。それも完全に気配を殺していて、暗殺者真っ青の隠遁を行なっている。
「テレンシア様、なぜここに?」
「なぜ?私の仕事はもう終わったの。はぁ、スピーチって面倒なのよね。代わってくださる?」
「そんな気軽に代わると言わないでください」
フランクに話しかけてくる生徒会長であるが、彼女も四公爵の一つ、その令嬢である。ちなみ彼女の妹も主人公と同い年で入学している。はやくそっちに行ってほしい。身分が高い相手との会話は、気が休まらないし疲れるから。
「それに、私のことはフィリアで構いません。今の私の立場で学園の生徒会長である貴女様から敬称を付けられるのは違和感しかありません」
「ふふ、では。フィリアと。私のことはテレンで構わないわ」
「いえ、恐れ多いです。私はテレンシア様とお呼びします。それで妹様の所へ行かなくてよろしいのですか?」
「あら、残念。フレンのこと?んー、あの子は反抗期っていうのかしら?迎えにいったら追い返されてしまったわ」
満面の笑顔でいうテレンシア。邪険にされているはずなのにすごく嬉しそうなのできっと彼女はゲーム通りシスコンだ。うん、間違いない。
「それで貴女はそれでいいの?」
「……何がですか?」
「聞かなくてもわかるでしょう?」
笑顔を崩さずに問われて私は彼女から視線を逸らした。すべてを見透かすような瞳。そして学生のすべてを変えてしまうそれだけの頭脳と権力もある。
「別に貴女には関係ない」
「そうね。私たちはもう今年で卒業してしまうものね」
「違う、卒業するからリーナを手放したわけじゃない」
「あら、ならどうして?自身の貴族の身分すら捨てて彼女を救った貴女がなぜ今になって手放したの?」
テレンシアは片手で私の腕を掴み、また片方の手で私を顔を彼女の方へ向けさせる。反抗はできない。下手に抵抗してこれ以上の敵を作るのはごめんだった。
「私は貴女を買っているのよ」
「離して」
「たった一人で自分の主人にあたる女に抵抗し主人の立場すら守って一人の少女の命を救った」
「あの子も命を奪う気はなかったはずです」
「いいえ、貴女の起こした事件を調べてそして観察させてもらったわ。間違いなく、リーナの命は危うかった。巧妙にあの子の逃げ場がなくなるように仕組まれたものだった。私が事件が起きてから気付くものだったもの。あの子が助かるには身内を裏切るしかないといえるひどいやり方だった。そして、性格をみてリーナは身内を裏切らない。ならたどり着く答えは一つしかない」
「だから手を離してください」
「それを貴女は覆した。自身の身分すら捨てて。さらにその汚い主人すら守ったのよ」
テレンシアが私の眼を覗き込む。端正な顔が近づいてくる。息が耳元にかかる。指が唇を触れる。何を考えているのかわからない彼女が怖い。
この学園で生徒会長をして、私の進退すら決めてしまえるような立場にいる彼女が本気になれば、彼女と同じ身分でなければ恐らく相手すらならない。いや、おそらく今のままでは誰も彼女に勝てない。
「ルイーズは悪くない。あの娘も追い詰められていたのを私は知っています」
「それでも汚い手段を取ったことは許されるわけではないのよ」
「貴女に私達の何がわかるの?」
「わからないわ。でもやってならないことはわかってるわ」
彼女はたった一年しかいないがゲーム中の最強キャラだった。戦闘力でも、舌戦でも真っ向から立ち向かっても勝てない。特にリーナの件で非があるのは私達の方だったから、私は黙る。
「あら黙ってしまうの?」
「私はどうなってもいい。今はまだリーナ達に手を出さないで」
もし彼女がリーナ達の敵に回ってしまえば、今度こそ物語が終わってしまう。私がリーナに手を出したせいで、物語変わってしまっている。なにが起こるかはわからない。
テレンシアがリーナ達の敵に回れば確実に負けてしまう。何をしてでも彼女を味方に、せめて中立にたってもらわないといけない。
「ふふ、私が今のところ手を出す理由がないわね。むしろ、私は貴女にお礼がしたいのよ」
「へ?」
「何を驚いているの。この学園の生徒会長の私を差し置いて、学園で勝手をしてくれた相手を止めたのよ。褒美をあげたいくらいなのよ?」
「いや、それはいりません」
「ええそうね。私が無償で貴女を助けたら貴女の家族達により迷惑がかかってしまうもの。だから、別の形で貴女を助けることにしたわ」
「ああ、テレンシア様のおかげだったのですか?姫様付きの護衛という推薦が貰えたのは」
「ふふ、むしろ王室の勢力からすれば渡り船だったみたいよ。貴女みたいな立場がなくなった子はあちらも扱いやすいでしょうから」
何故かテレンシアの物言いに卒業後が心配になった。そして私は王室のあの、次作で出てくる王権派のイケメン大臣からこき使われる未来が見えた。正直、貴族よりも力が弱まっている王室勢に関わるのって私の未来はついてない気もする。
「それで、何故今になって私に接触してきたか聞いても?」
「私も大切な妹が入学したの。ただ、私はたった一年しか見てあげられないの」
テレンシアは真面目な表情で心が冷えるような重たい口調で話を続ける。これは彼女が怒っているのがわかった。
「それなのに、好き放題する妹の先輩を放っておけないの」
「私も貴女と同じ年に卒業するのですが」
「だからこそよ。相手も私や貴女に対する意識が弱くなっていくわ。短い時間しか残されていない。企みができるのも今年だけというのは利点でもあるの」
「あいにくですけど、私はこれ以上事を荒げるつもりはないです」
ただでさえ私の家族は、私のせいで立場を悪くしているのだ。これ以上、私が主家に喧嘩を売れば家族の立場はない。
「離縁して何年も耐えたのよ。貴女はもう自由になっていいはずよ」
「それでも血が繋がっているのです。私の失敗は私の家に返ってくる。それは、私が離縁されようとも変わらない」
むしろそれなりの立場があるからこそ、利用されやすい。私の父の立場を狙う貴族だって大いにいる。もうこれ以上、家族に迷惑はかけたくない。
「残念、せっかく助けたそのリーナがまだ狙われているのだけど。仕方ないないものね」
「今、なにかいいましたか?」
テレンシアのいった言葉に唇添えられた手を私は掴む。
「あら?話に乗るつもりはないのでしょう?」
「どうしてリーナが狙われる。今日にはルージュ家がリーナを保護した筈だ」
「ええ、でも。クイーンズベリー家、貴女の主家は見逃すつもりはないそうよ。リーナ達の家は、いまや金の玉子を生む鳥だもの」
テレンシアの表情に決して冗談を言っていないとわかる。
「二つの公爵家が争うというのですか、それも全面的に」
「そう。そうなれば貴女の家族もただで済まなくなるわ」
戦争。内戦。それが頭によぎる。今、私の主家クイーンズベリー公爵家は、あまり余裕がない。内政の失敗、疫病が発生し保有している鉱山も枯渇し、農作物は不作が続いている。
だから、ルイーズは力を欲していた。自分たちだけでどうしようもないから、他から補おうとしていた。そのために、手段を選べなくなっていた。
ゲームではリーナを自殺に追い込み主人公達の敵となった。少しずつリーナの友人を排除し教員を買収し成績を操作して単位すらも落としていった。だから彼女は一学年落大している。
私がリーナに関わったのも、リーナを取り込みたいという打算もあったからだ。リーナの力は、原作主人公と決して劣るものではなく、彼女時期当主。彼女を味方につけたいのは、私もルイーズと一緒だった。ただ私はその時忙しいこともあってルイーズと話し合えず、その結果がリーナの命だけを救うことで終わってしまった。
「聖女の力の発現。ただ魔法では顕現できないほどの再生と治癒を得た、彼女の血はどの派閥も欲しがるもの。それこそ彼女の主家であるルージュ家の誰が、彼女を引き取るかで揉めたほど。しかも、彼女達の領内から希少鉱山も見つかったのも助長させたのかしら?」
現状の貴族たちのバランスを崩す、リーナ達主人公の家はこの国の爆弾だった。扱いを間違えればまっているのは内戦であり、ゲーム次作では主人公たちを巡って内戦が始まっていた。
「脅しですか?テレンシア様」
「そうね。私としては、二公爵が勝手に争って自滅してくれるなら構わないのだけど、ただ全面戦争するとね?」
「隣国が黙ってはいないと」
「そう。私達はこのヴェルトマー大陸のなかでも国土の三分の一を有する大国よ。でも、中央位置する私たちは常に狙われる立場でもある。それにその内戦には否応なく残りの二公爵も巻き込まれるのよ。そうしたら最悪ね」
大陸を巻き込んで世界大戦がまっている。ああ、考えたくもないが次回作の拡張版のアスノヨスガというゲームでは世界大戦が起こり、地獄のなかでの美少女の友情、ついでに恋愛が描かれていた。
悲劇が英雄を生み、感動を作るなんて言うけれど戦争をする当事者からすれば地獄だ。
そんなもの物語だから許される。それを現実でやられてはたまらない。だから私はリーナに接触したんだ。リーナだけではなく他の大切な者を生かすために、彼女を利用しようとすらした。
「私になにをさせようというのです?」
「別に無理強いさせるつもりはないわ。貴女はもう十分正しいことをしてくれたもの。これ以上、貴女を苦しめるつもりはないわ。安定の仕事も最低限の庇護も手伝ってあげる」
話すテレンシアの言葉にきっと嘘はない。彼女は私のことを最低限、まもってくれはするのだろう。自分ことだけを考えるなら、もうテレンシアに協力をする必要はなくて、最悪のことが起きなければ忙しくも安穏と生活が待っている。
けれど、本当にそれでいいのだろうか?まだ私に使い道があるというのなら。
「何をすればいいのですか?」
「あら、協力してくれるのかしら?」
「主家に家族に迷惑ならない程度ならば手くらいは貸します」
「それは難しいわね。恐らくどこかしらの家は損をすることになるわ」
「ならば、私の家族とリーナ、それにあの娘を守ってあげてください」
「あの子?それはリーナに手を出した元凶のことかしら?」
冷たい声。さっきまで人が話しかけやすい優しい声色から一転してテレンシアの表情が変わる。
「可能な限りでいいのです。私は最後まであの娘の味方になってあげれなかった。だから、少しでもあの娘が幸せになれるように導いてあげてほしい」
「あの娘が元凶であったしても?」
「私はあの娘の立場も、今のクイーンズベリー家の実情も知っています」
今のクイーンズベリーの権威と勢力は、他の三公爵よりも明らかに衰えている。力を求めるが故に、リーナに手を出すのは必然ですらあった。そうなるように仕組まれていると感じてすらしている。
「お願いします。クイーンズベリー家を、あの娘をつぶすことだけは」
「はぁ、そうね、わかったわ。私としても伝統ある公爵家がなくなることは避けたいもの。ただ、私達が力を貸すだけでは成り立たないわ。あの娘を正してあげるものが傍にいるのかしら?」
「それは」
「あの子の蛮行を止めようとしたのは貴女だけなのでしょう?」
私はなにもいえず口を紡ぐ。そう、むしろ周囲の者達はリーナを潰す気でいた。命など気にも止めなく、リーナのものをすべて奪う気ですらいた。主人だけが悪いわけじゃないのだ。
「クイーンズベリー家を助けたして、それが国のため私たちのためになるのかしら?」
「あの子はこの国のためになります」
「国を内戦へと導く可能性を取った愚かものであったとしても?」
「わたしはあの子を信じています。次は間違わない。いえ間違えさせません」
「はぁ、仕方ないわね。いいわ、クイーンズベリーのお馬鹿さんにも私が出来る限りの援助はしてあげるわ」
心底、面倒そうな表情で言うテレンシアにわたしはほっと息を吐く。彼女は言葉を違わない。だから、これからのことにすこし安心する。
「ただし、面倒事を引き受けるんだもの。貴女は私の傘下、いや私の所用物になってもらうわ。これが絶対条件よ」
「わかりました。契約が守られるのなら、もう終わった私など好きなようにしてください」
私はテレンシアと手を結ぶ。すこし未来が先が晴れた気がする。私の先が決まったけど、まだ私に出来ることがあってそれご大切なものを守るのだと思うと元気が出た。
「それでまず私は何をすれば?」
「良いわね。その行動の早さは。とても素敵よ」
テレンシアは私の髪を撫でで、顔をよせて耳元で指示を囁く。
「今日にでも夜伽をなさい」
微笑んだテレンシアの唇が私の唇に触れる。キスをされたことに気がついて私はテレンシアの手を振り解いた。
「な、な、な。何をするのですか!?」
「あら、もしかして初めてなのかしら?」
「キスが初めてのことで何がいけないのです!?」
「リーナにはまだ手付かず、いや逆だったのかしら。ふふ、貴女はまだリーナに手を出されていなかったのね?」
顔に熱がこもる。リーナとそういう雰囲気になりかけたことはある。けど、私は一歩踏み出せなかったし、踏み込ませなかった。
「私とリーナはそういう関係じゃない」
「そのようね。安心したわ。それはたくさん楽しめそうね」
テレンシアは再び私の手を取って距離を縮める。
「離してください」
「駄目よ。もう貴女は私のもの。貴女には拒否権はないわ」
抱き寄せられる。背丈が近いせいかテレンシアの顔は自分の顔の直ぐそばにある。
「私の部屋にいきましょう。今日は授業がないでしょう。そうだ、休みをとってお昼からしましょう。たくさん可愛がってあげる」
「私は」
「嫌と言わせないわ。守りたいものがあるのでしょう?そう。これは協力の対価なのよ?スキンシップも大事な関係を作るのに必要なものでしょう?」
そうなのだろうか?と悩み、結局私はテレンシアの手を離すことは出来ず、彼女の手に導かれる。顔は俯いたまま寮へと、高い階にあるテレンシアの私室へと誘われる。
周囲の声はもうなにも聞こえなくて、深く、深くテレンシアを刻み付けられ意識が真っ白に染まっていった。