明日の朝から
とても嫌な夢を見ている。大切な人が奪われ、殺される瞬間。次々と見知った人達が血を流して叫び声をあげている。何度も何度も見た光景で目をそむけたくなる。見ているだけで吐きそうになって、心が軋み壊れる音がする。
私の家族が死に、私の友達が殺されても私は動くことができなくて、心の底から叫び声をあげる。この世界で災禍と呼ばれる怪物がただただ暴れるだけで何も変わらない。
その化け物は一度、私の方へ視線を向けて嗤った後、見せつけるように人を肉塊へとかえる作業にもどった。
震える手、情けない感情を抱えながらあれを倒そうと剣を握って叫び声を荒げて怪物に斬りかかった。けれど私の攻撃はすり抜ける。
化物は黒い霧がかかっていてよく見えなっていった。慌てて周囲を見回して探す。悲鳴が聞こえてくる。どこか現実感がない暗い闇の世界に私は一人。一人だけ生きている。沢山の死者が私を囲んでいる。
これは夢なのだ。何度も見た同じ夢。
好きな人が、大切な人が奪われるその瞬間を見せられる夢。はやく、はやく終わってと夢から逃げるように化け物を探す。あの化け物に殺されたらいつものようにこの夢から覚めることができる。
探してやっと見つけた怪物は笑っていた。私が剣を構えたその瞬間、嘲笑うかのように爪を振り上げてあっさりと私の喉を引き裂く。
意識が遠くなる。閉じて行く視界。これで何度目だろう。何度、勝てないのだろう。何度、挑み続けないといけないのだろう。きっと、私が死ぬまでずっとこの夢を見る。そんな確信があった。
誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。おそらく夢から目を覚ます。やっと終わる。次は絶対に負けないと願いながら、もう二度と戻りたくないとどこか諦めていた。
「あっ」
目を開くとすぐそばから声が聞こえた。ぼんやりとした視界がはっきりとしていく。
目の前に一人の少女がいた。少女の唇が私の唇のそばにあった。どうやら彼女は、私にキスしようとしているところだったらしい。私はとっさにその少女を両手で止めた。
「何をしているの?リーナ」
「むぅ、残念です」
咎めるような声色で問いかけても彼女は少しも反省した様子はなかった。これは毎度のこと、最近の私の日常だった。美少女に寝込みを襲われはのは役得のようで、心臓に悪い。
「はぁ」
「体調が悪いの?」
「違う」
目が覚めたばかり、夢に見た彼女の表情が頭から離れてくれない。
「どうして毎朝、私の部屋に忍び込んでいるの?」
「お姉様が私を侍従としてお認めになってくださったので、私なりにお世話していたいのです」
「それは寝ている人にキスをすることもはいっているのかしら?」
「むぅ」
「唸っても駄目。私は世話を認めたけれど私を襲っていいとまでは言っていないわ。さぁ、着替えるので部屋から出て行きなさい」
「お手伝いし」
私はリーナの唇に指を当てる。それは許さないと目を細めた。
「ダメよ。貴女は一度、着替えの時に私に悪戯をしたでしょう?」
「うぅ、わかりました。外で待っています」
リーナはすごすごとベットから降りて部屋から出ていく。それを見て私はそっとため息をはいた。普段はもっとまともな子なのに、二人きりのときはほんとうにどうしようもない。
まぁ女の子同士の恋愛はここでは特別おかしなことではない。
ここは聖リリアント女学院。百合ゲーム、アスノヨルと呼ばれるゲームにある学校だった。聖女リリアを擁したメルキア王国の王都に最初に作られた貴族専用の女学校で、数千年前に没した聖女の代わりを作るための養成期間。
女の子同士、同性なら卒業後に禍根を残さないので学園側も生徒同士の恋愛に目をつぶっていたりする。まさに百合ゲームのためにあるような学校だった。
私。フィリアは二度目の人生でまさか同じ性別である女の子から求愛されていた。いや、好意はうれしくあるが私の立場だと恋愛にうつつを抜かしている場合でない。
再度、小さくため息を吐きながら私は着替えた。
「あ、お姉さま!」
制服へと着替え部屋から出た私のもとへ、リーナは笑顔で駆け寄ってきた。その嬉しそうな表情に私もつられて笑顔になる。
「リーナ、今日の予定は?」
「はい!グラマン先生の魔獣学、そのあとレリア先生の聖魔法の講義があります」
手帳を開いてすぐに答えるリーナ。彼女は性格が真面目で几帳面。私を恋愛対象としてみなければ優秀な従者ではあるのだ。
「そう。リーナはまだレリア先生の講義を受けたことはないのよね?」
「はい。とても難しいと聞くのですが」
「貴女にもわかるように私の復習も兼ねて時間の合間に今習っているところを教えてあげる」
「ありがとうございます!お姉さま!」
リーナが抱きついてくる。柑橘系の香水の匂いと柔らかな肌。これは別に彼女を思ってやるわけではない。私の侍従の時間を無駄にするのが嫌なだけだ。
「リーナ、離れなさい」
「嫌です。大好きです。お姉様」
リーナは嬉しそうに私の腕を抱きしめる。みかんサイズくらいのそこそこある胸に腕が挟まって柔らかい。煩悩はわかない。ただ彼女の好意に嬉しくもあるし悲しくもあるだけ。
この学園というかこの国は実は同性婚も許容されてもいる。同性のイチャコラなど学校でも見慣れたものだから、特に違和感もなくなった。
「はぁ」
「どうかしましたか?お姉様?」
「いえ、それより早く朝食にしましょう。私はお腹が空いたわ」
「はい。では、お手を拝借しますね」
私はリーナに手を取られて歩く。侍従が主人のエスコートをするのはこの学園では当たり前。むしろ、私もその手の知識は入学してすぐに教えられた。
聖女の直系。または姫様の侍従になったときに困らないようにするために、礼節は事細かに教えられていた。
最上級生の私の進路ももう決まっている。この国の姫様の近侍の護衛。リーナがやっている事を今度は私がしなければならないし、いまならどちらの視点も学べるしまさに実践的。夜のお供まで学べるのだから本当にこの学園はどこか狂っている。
「リーナ」
「はい」
「ありがと」
「いいえ」
私の感謝の声にリーナはきょとんとした後、すぐに笑みを浮かべて私の手をしっかりと握りしめた。伝う手のぬくもりは、ここがゲームなんかじゃないとわかる。だから、私は間違えているのもかしれない。
「それでは、リーナ任せたわ」
「はい、フィリア様は待っていてください!」
食堂に着くと私はリーナに配膳を任せて、いつもどおり隅にある机へと向かった。私が食堂に入ってから周囲の話し声が静かになりひそひそと私に視線を送りながら何かを言っている。
それはきっと私にとってろくでもないことなのは雰囲気でわかるし、その理由も私は理解している。
今の私の立場は正直にいってあまり良くなかった。もともといた貴族の派閥から敬遠されつつあったのに、ある事件がきっかけで完全に敵対されて家からも勘当されてしまった。
勘当は家を守るため、兄弟姉妹を守るため仕方ないと割り切っているし恨んではいない。しかし、後ろ盾をなくしたと貴族はこうも袋叩きにあうとは貴族社会をすこし舐めていた。まぁ、歯向かう奴は全て正面から力で捩じ伏せてやったが。
「あら、フィリアさん。貴女はまだ退学されていないのかしら?よろしければ私が学園を辞めたあとの仕事先を紹介してさしあげられますけど?」
「貴女、えっと。誰ですか?」
椅子に座りリーナを待っていた私の正面から堂々た腕を組み一人の少女が私の前にたつ。金髪の長い巻きロール。典型的なお嬢様。しかしあまりにも早口言葉で、何をいっているか聞き取れなかった。
「ヴィクトリアです!貴女と同期生だったのですよ!覚えていないのですか!?」
「ごめんなさい。本当に覚えてないの」
「あ、貴女。飛び級したからといって。ほんとうに怒るわよ!」
顔を真っ赤にするヴィクトリアは、かなりかわいい。というか、この子は普通にいい子だったりする。
この子とは派閥上、仲良くできないが集団でいじめに加担するのではなくこうして一対一でやりとりしてくれるから嫌いになれない。少なくとも影でこそこそ言われるよりこうして面と向かって話してくれた方が気分は悪くないわけだし。
「座る?」
「ええ、ありがとうございます?いえ、なんで私が貴女と朝食を取らないといけないのですか!?」
「え?じゃぁ、どうして話しかけてきたの?」
「え?それはその」
ヴィクトリアは何も考えてなかったのか口籠る。かわいい。口籠る彼女は、とってもかわいいけど私があまり彼女に構っているわけにもいかない。
「うんうん。わかってるわかってる。ヴィクトリアさんは私に朝の挨拶をしにきてくれたんだよね」
「え、あれ?そうですわね」
「うん。ありがと」
「え、ええ」
「じゃ、またご機嫌よう」
私がお礼を言って手を振ると戸惑っている彼女は、さっと近くにいた彼女の友達に連れられて行った。何か友達と言い合いをしているが、それが正しい。この学園、この国の四公爵の令嬢に敵視されている私に関わるべきではない。
「あれ、今の方は?」
「ううん、なんではないわ。リーナ、食事にしましょう」
なんでもないように私はリーナに笑って彼女に座るように促す。そう、今の私はリーナ以外に関わるわけにいかない。本当ならリーナも関わるべきではなかった。このゲームの世界の私の役目なんて何もないはずなのだから。
「リーナ」
「はい!」
「貴女は幸せ?」
「もちろんです!」
パンを片手に嬉しそうに話す彼女に私は、もう私の従者をしなくていいということを伝えたい。
私が敵視されている四公爵、ルイーズ・ド・クイーンズベリーは、アスノヨスガというゲームにおいて主人公の姉の死なせた元凶。
その姉は、今私の従者であるリーナであり、ヴィクトリアはリーナの親友。彼女は、私に用があったのではなく、本当はリーナのことを気にかけている。ゲームの世界でもヴィクトリアはリーナのことを深く後悔していたから。
「フィリア様、見てください。これ王都で流行っているお菓子ですよ。とても綺麗ですね」
「ええ、そうね」
笑顔で話しかけてくるリーナに相槌を打ちながらパンを食べる。どのみち、もう私はリーナと一緒にいられない。主人公達が入学してくるのだ。
「フィリア様?」
「なんでないわ。そうね、ご飯の食べながら今日の講義の予習なんてどうかしら?」
「はい!ありがとうございます!」
準備は万端のようでノートを広げたリーナの手からペンを借りて、私は今日習うだろう箇所を書込み解説していく。リーナに勉強を教えるのも今日で最後になるのかもしれない。
熱心聞く彼女を見つめながら、今日という日が終わらなければと思った。そしていつものように一日がなくなっていく。
「じゃまた明日ね。リーナ」
「はい、お姉様もまた明日」
リーナと一緒に湯浴みをして部屋の前で別れて扉を閉める。深夜。薄く灯りをつけた部屋で机に座る。明日、このゲーム主人公が入学してくる。
このゲームの主人公であるリーナの妹。その傍にはルイーズと同じく四公爵の一人の少女もいる。
主人公達が入学してくればリーナはもう私の傍にいなくても安全を確約されている。私が彼女を守る必要はなく、むしろ私が傍にいるほうが邪魔だ。
部屋に並ぶリーナの残した物が見える。一緒に買った小物、服。お揃いの髪留め。すこし寂しく思い立つも片付けようかと手を伸ばす。
「リーナは貴族なんだ。もう貴族ですらない、私の従者なのがおかしかった」
これでもとに戻るのに、名残惜しさを感じる自身に反吐がでる。女々しい。結局、今日は別れを告げることは出来なかった。別に一生の別れではないのだから、笑顔で彼女にサヨナラを告げたかった。
「な、なんで、涙が」
ぐりぐりと目蓋を拭う。大丈夫。明日、リーナにちゃんと別れは言える。私の気持ちをちゃんと伝えて、ありがとうっていう。眠気はもうない。バルコニーに出て星を見上げる。
「やっと物語が始まる。うん、あとは任せたよ。主人公。私の大切な親友を守ってあげてね」
明日を待つ。ひとりぼっちになってしまうけど、決して後悔はしない。はやく、はやく。大好きな人が幸せになる方へ行けばいい。
「ありがとう。リーナ。私は貴女のおかげで楽しかった」
だから幸せになってね。それが約束だから。貴女と出会った時に交わした約束なのだから。