2、遡りさんは巡り合う
どこかで教わった気がする知識や執事たちの協力によって体裁を整えた手紙は、その日の内に祖父母の住む領地へと送られた。
事情を知った母は抗議したが、マーレが屋敷で培った我儘力には勝てなかった。
そんな騒ぎの中帰って来た姉は、頬を上気させていた。
父曰く、下心を見せる他家の令息や嫉妬心に満ちた令嬢が近付くのを見て、王子が婚約者としての自覚を持ったようだとのこと。
姉から離れず、甲斐甲斐しく付き添っていたという。
「綺麗だ、なんて初めて言われたわ……」
侍女たちから世話を受けながら姉がぽつりと漏らした言葉を聞いて、マーレは安堵した。
(これで、お姉様も他の男に目を向けないはず。殿下にはこれからも励んでいただかないと)
留守中に次女が致したことに父も僅かに困惑していたが、「当然のことだろうね」と納得した素振りを見せていた。
連絡を受けた祖父母は、マーレの予想よりも早く屋敷に到着した。
疲労しきった馬と御者に謝意を述べながら馬車から飛び降りた二人は、想像よりも痩せ細ってはいなかった孫娘の姿に安堵した。
祖母に抱きしめられた姉は、声を押し殺して泣いていた。
自らの所業を悔いたマーレは、姉と共に家庭教師に習う機会が増えた。
作法、語学、歴史、ダンスに器楽……父が祖父に教えを乞う姿や、祖母と母が涙ながらに語り合う姿を横目に、マーレは邁進した。
全ては、グレイル・アトモスに愛されるために――
「マーレは頑張り屋さんね。あなたの方が王妃に相応しいんじゃないかしら」
姉がそう零してからは、少し控えめに。
教師達に褒められる度、マーレは「姉の手本があったからです」「王家に嫁ぐため努力する姉にはかないません」と絶えず返し続け、“未来の王妃は素晴らしい”と布教し続けた。
姉は勤勉で優秀であるが、それでも自分に自信が無い部分が見受けられた。
後ろ向きな発言をすると王子が飛んできて「私はシエルが良いんだ」「共に努力していこう」と訴えかける。
恥じらう姉を見て、小さく拳を握りしめるマーレの姿を祖母や執事に見咎められることもしばしば。
二人は順調に愛を育み――婚姻の日を迎えた。
鈴蘭を模したレースと刺繍をあしらった純白のドレスを纏ったシエルは、身内のマーレでも息を呑むほどの美しさだった。
「よく似合っているわ、シエル」
年月をかけて長女との関係を改善することができた母は、瞳を潤ませながら支度を手伝っている。
「本当に綺麗よ、お姉様。殿下だって惚れ直しちゃうわ」
「ありがとう」
白い肌を少し染めて、シエルは微笑んだ。
集まった民衆を前に、王太子とシエルが並ぶ。
歓声を浴びながら堂々と立つ姉からは、昔の気弱さは感じられない。
“以前”の自分は、確か姉が自分より注目を浴びるのが許せないという理由だけで、結婚を反対していたように思う。
母に『教育が不十分なので』と言わせていたはずだ。
王子に寄り添い微笑む姉を見ていると、この日を迎えることが出来て本当に良かったと思う。
感涙にむせぶ母を支えるマーレの瞳にも、涙が浮かんでいた。
「うーん……」
姿見のまえで、一唸り。
儀式や手続き諸々を終えて、時間は夕刻。
王太子の婚姻を祝う夜会に向けて、タイロス家は王宮の控室で身支度を整えていた。
白いレースをあしらった、深い青色のドレス――デビュタントを済ませていないマーレは、あくまで“身内”として夜会に出るつもりでいた。
社交界に出ているお嬢様方より、肌の露出も少なく、流行の最先端“ではない”意匠で。
それでも、軽く化粧をして身に纏ってみると、華やかで可愛らしい印象があった。
入念に身なりを確認していると、扉を叩く音が聞こえた。
「入ってもいいかな?」
「大丈夫ですわ、あなた」
父の声に、母が返す。
部屋に入った父は、まず、マーレの姿を確認した。顎に手を当てながら満足そうに頷いている。
「これならアトモス家の方達に紹介できそうだ」
「グレイル・アトモス様?」
父から発せられた言葉に、マーレは身を乗り出す。
「おや、もう知っているのか……まあ、君の婿になるだろうとは、皆が噂しているからね」
(私のデビュタントの日に紹介されるのではなかったかしら……? お姉様が予定通りに結婚したから未来が変わったのかしら? 私はまだ社交に出ていないけど大丈夫なの?)
「どうしましょう、もっと私を印象付けなきゃ」
一部の令嬢方がしているように、胸を強調すべきか――些か焦ったマーレは胸元を広げるように襟に手を掛け。
「マーレ、どうしたの!?」
母の甲高い叫びを、数年ぶりに聞いた。
皆の中心で、王太子と姉が踊る。足取りは軽く、微笑みも絶やさない。
羨望や嫉妬が見え隠れする視線を浴びる彼女は、間違いなく本日の主役であった。
マーレは会場の隅、室内を一望できる場所に陣取り、あちこちを見渡していた。
目線も、グラスを取る挙動も、そわそわとして落ち着かない。
「そんなに、気になるのかい?」
隣に立つ父はそんな彼女を見て肩を竦める。
「だって、ずっとお会いしたかったの」
いつぞや垣間見た、青い瞳の美しい殿方――自分が愛した筈の婚約者。再び巡り合い、結ばれるために、ここまでやってきたのだ。
「娘が二人とも早くに結婚すると、寂しいけどね……」
会話の合間にも、公爵家の元には次々と誰かがやって来る。マーレも姉に恥をかかせるまいと丁寧に挨拶を返していく。
「公爵、この度はおめでとうございます」
「ああ、どうも」
男性二人が連れ立って、父と挨拶を交わす。
親子らしき二人――そのうちの一人に、マーレの目が釘付けとなった。
青い瞳に彫りの深い顔立ち。
金の髪は照明の光を受けて輝いている。
目を細めて微笑む姿は、ずっと会いたくてやまなかったグレイル・アトモスその人だった。
「こちらが、マーレさんですかな?」
壮年の男性の方がマーレを見つめる。
「ええ。いずれ挨拶を、とは思っていたのですが……ほら、アトモス家のお二人だ」
「は、初めまして……マーレ・タイロスと申します」
家庭教師の前よりも些かぎこちない動きで、彼女は礼をする。
「いやぁ可愛らしいお嬢さんで。なぁ、グレイル」
「……そうですね」
グレイルは穏やかな笑みを崩さない。
暫し、二人で見つめ合う。
(どうしましょう? 何か、お話しすべきなのかしら? でも、私から話題を振るなんてはしたないかしら?)
以前の自分は何を話していたか……最近両親に買ってもらった服や装飾品のこと、お友達よりもマーレのどこが優れているか、姉が母にまた叱られたこと……思い出そうとしても碌な話題が見つからなかった。
「……どうでしょう、二人で話してみては。なあ、グレイル?」
「そうですね、父上」
壮年の男性の気遣いらしき提案に、グレイルは同意する。
「……では、あちらで」
彼が指し示したのは、会場から良く見える庭園の長椅子だった。
「……寒くありませんか?」
「はいっ。だ、大丈夫です」
蝋燭があちこちに灯され、夜でも薔薇が美しく照らされた庭園の中で、並んで座る。
大きな長椅子は、大人一人分隙間を空けても余裕があった。
何から切り出そうかと悩みながら、ちらちらと横目でグレイルを見るが、彼は穏やかな表情を崩さない。
口を開きかけては閉じる、といった行為をマーレが繰り返していると――
「……すまない」
突如として、彼が口を開いた。
その言葉の意味が分からず、マーレは彼の顔を見る。
「私達が婚約する必要があるのは分かっていたのだが、どうも気が進まなかった。年も少し離れているし、貴方は……少し前まで、その、我儘娘と有名だったし」
苦笑する姿は、以前の自分が、ずっと見ていた表情。
「そう……でしたの……」
マーレは少し得心した。以前の彼は、ずっと、自分に辟易していたのだろう。
彼の表情を見ていられず、目を背けた。
「……でも、最近は姉思いで向上心に溢れるお嬢さんだと評判だし」
その言葉に再び彼の方を見ると、柔らかい微笑み――以前の自分が最後に見た、姉に向けていたような笑顔であった。
「今日の様子を見ていても、令嬢としての振る舞いも申し分ない方だと分かった」
自分の反省と努力は正しかったのだ――胸に熱いものがこみ上げてくるように感じた。
「……私達は、これからお互いを知る必要があるね」
「グレイル様っ」
感極まってグレイルに抱き着くマーレは、すぐに駆け付けた父によって引き離されるのであった。