或る医者の日記
はい。
短編です。
連載書けよ!って話なんですが、モチベーションが上がらなかったので、こちらを投稿します。
4月5日木曜日
久しぶりに患者が来た。高校生くらいの女の子で、丁寧な娘だった。
どうやら最近、朝起きると隣の部屋で起きたり、リビングで起きたりするらしい。
恐らく、突発的な夢遊病だろう。というか十中八九そうだ。
とりあえずストレスを溜めないよう言った。幸い学校が始まるまでまだ少し日があるようだし、出来るだけ何も――好きなことも嫌なことも――しないように言った。
「嫌なことは分かるんですが、好きなこともですか?」
「自分の好きなことをすることと、ストレスがなくなることは決してイコールじゃないんです。出来るだけリラックスして、感情を表に出さないようにしてください」
「………難しいですね」
「まあ、あくまでも出来るだけ、ですから。意識するだけでも全然違いますよ?」
そう言うと彼女は何か納得したように頷いた。
一週間後くらいにまた様子を見せるように言っておいた。受診料は学生ということもあり、保険証を忘れたようだが安くしておいた。
4月6日金曜日
今日は誰も来なかった。
まあ、来ない方がいいんだけれど。
ぼくも別に日々の生活には困っている訳ではないし、こっちの仕事がメインという訳でもない。
しばらくは患者が来なくても安泰だ。ざっと十四年ほどは。
このまま何も起こらなければいいんだが。
ぼくはフラグをへし折っていく男だ。本当に何も起こらないだろう。
………起こらないよね?
4月7日土曜日
患者があまりにも来なくて、暇だから外に出たのが間違いだった。
死体を見つけてしまった。
場所は裏路地。時刻は15時半。
中年のサラリーマンの男性が、背中から包丁らしきもので一突き。顔はずたずたに引き裂かれている。
すぐに知り合いの警察官に連絡し、急行してもらう。
まさかこんなに早くフラグを回収するとは思わなかった。
最悪だ。
4月8日日曜日
最近、少し調子が悪い。
元々この日記をつけたのはぼく自身の発作を抑えるためなのだけれど、それでも抑えきれない嫌悪感を感じる。
死体を見たからだろうか?
いや、多分だがそれは、きっかけに過ぎない。元々抑えられるはずがなかったんだ、こんな精神疾患。
ほんと、笑い者だ。
精神科医が精神疾患を患っているだなんて。
………気分が悪い。
もう寝よう。
4月9日月曜日
今日はどこもかしこも入学式とやらで騒がしい。道を歩けば制服が見え、コンビニに寄る時にもゴミのように群れている学生達とすれ違った。
昔は自分もこんな風だったかと思い返して、全然違うことに少しだけ苦笑した。
ぼくは昔から生意気で、大人ぶっているだけのクソガキだった。今の若い奴らみたいに新生活に心踊らせていなかったし、そもそもその頃にはもう裏側の世界に片足を突っ込んでいたから、薔薇色の青春とは無関係だっただろう。
タバコを吸いながら歩いてると女子数名がこちらを見ながら話をしていた。
なんか気分が悪いからさっさと診療所まで帰ってきた。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
桜の木の下で笑っている集団が気持ち悪い。
どうしてそんなに笑っていられるのだろう。理解できない。
桜なんて簡単に散ってしまうのに。
どうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしているどうかしている。
ああ、そうだった。
どうかしているのは、ぼくの方だ。
4月10日火曜日
目を覚ました途端にものすごい空腹に襲われた。
そういえば、昨日は家に帰った途端に寝てしまったのだったか。机の上にコンビニの袋が無造作に投げ出されていて、中からおにぎりがいくつか覗いていた。
鮭、おかか、明太子、梅干し、昆布。
ぶっちゃけ二、三日くらいなら水だけでもなんとかなるのだが、それでも鮭とおかかと明太子の誘惑に負けて、結局朝食(昼食も兼ねていた)ではおにぎりを三つも平らげてしまった。
晩は残り二つを食べて寝た。以上。
4月11日水曜日
知り合いのヤクザが店に遊びに来た。
タバコと酒をを幾つか譲ってもらい、それからとりとめもない世間話をした。
「おい、闇医者」
「なんだ、ヤクザ」
「この前の殺人事件。最近起きている連続殺人と関係がありそうだ」
「連続殺人?」
「ああ、一週間くらい前から起きているやつだ。ニュースとかでもやってるだろ?」
「………ああ。そんなのも、あったような」
「………おいおい。そんな調子で大丈夫か? ………凶器は包丁。メーカーは不明だそうだ。近くに監視カメラも無かったし、目撃証言もないらしい」
「………へぇ」
ぼくはあの警察官に連絡したのに、どうしてヤクザがそんな話をするのか聞きたかったが、生憎とぼくにはあまり関係のない話だ。
ぼくはもうそっちの家業から足を洗っているのだから。
そもそもぼくが一番使いなれているのは拳銃―――それも一発しか弾丸が込められないアンティークである。包丁なんて使ったことがない。コイツもそれを分かっているだろう。
きっと、用心しておけとか、そういうことを言うつもりだったのだろう。
「お前が殺ったんじゃないよな」
「帰れ」
すぐに追い出した。
それにしても、包丁、包丁ねぇ………。
ま、気に留めておくとしようか。
4月12日木曜日
患者が来た。
ちょうど一週間前にぼくが様子を見て、今日顔を出すように言っておいた夢遊病の患者だ。
顔色も悪くないし、健康状態もいたって普通。最近、寝室以外で起きる、というようなこともなくなっているらしい。彼女が言うにはきちんとリラックスできたようで、どこも問題がないようにも思えた。だが、まだ少しだけ不安らしい。
取り合えず彼女には精神安定剤と睡眠薬を一週間分渡しておいた。これで取り合えずは大丈夫だろう。
4月13日金曜日
「やっほー」
「…………まあ、上がれ」
「サンキュ」
今日はジェイソンの日だ。
ということで知り合いの殺人鬼が訪ねてきた。
殺人鬼は痛々しい通り名をつけられていて、本人もそれを誇りに思っているが、ぼくは呼ぶのも恥ずかしいので殺人鬼と呼んでいる。
お酒を持ってきたらしく、一緒に飲まないかと誘われた。
もちろん飲んだ。飲みまくった。
殺人鬼は酔わない体質らしく、気分よく夜を明かした。
………つーか、殺人鬼。お前二十歳だっけ?
「ところで、知ってるか?」
「何を?」
「最近の連続殺人事件。包丁が凶器の」
「お前、まさか………」
「俺じゃねえよ。俺の凶器、知ってんだろ?」
「………まあ、それもそうか。それで?その殺人事件がどうしたんだよ」
「俺、犯人に会ったよ」
「………」
「いや、顔は見れてねぇんだけどさ」
「見てないのかよ」
「しゃあねえだろ。夜遅くだったんだから。………それでその犯人がさ、何か様子がおかしかったんだよ」
「おかしい?何が」
「なーんか奇妙にふらふらー、ふらふらー、ってしててさ。ありゃあぜってえクスリキメてんぜ。間違いねぇ」
ふらふら、ねぇ。
少し気掛かりだ。注意しておこう。
4月14日土曜日
知り合いのロリコンが子どもを連れてきた。
遂にそういうことをするようになったのか、と本格的に軽蔑の意を込めた目で見ると慌てて弁解しだした。
なんでも、人が殺される瞬間を見てしまったらしく、その時の状況を教えてくれと言っても話してくれないのだそうだ。
それが今連れてきている少女だった。
どうにか聞きだせないか、とロリコンは頼んできた。
もちろん断るつもりだった。
こいつが良い奴だってことは知っている。頼ってくるなんてのは珍しいことだ。今のうちに恩を売っておくべきだろう。けれど、無垢な少女に自白剤やら催眠術やらをかけるのは気が引けた。
けれど、その少女を一目見て、引き受けない訳にはいかなかった。
とりあえず、顔色とかから簡単な診察をしたけれど―――多分、これは。
ぼくは、少しだけ断りを入れてから、その子ののどに手を当て、そして口を開けさせ、のどまで覗いた。
「きみがそういうことをすると、何だか悪魔が子どもに取り憑こうとしているみたいだね」
「うっせぇ。今真剣なんだよ………、っと、もういいよ。ありがとう」
「で、どうだった?」
ロリコンの質問にどう答えればいいか迷って、結局普通に現状を話した。
「この子は話したくなくて喋らないんじゃない。喋れないんだ」
「なんで?」
「ぼくの範疇だな、これは。立派な精神疾患だ。そもそもこの年齢で殺人現場に居合わせて、犯人を見たんだろ? こうなっても仕方がない」
「………なんとか治せないのか?」
「今すぐは無理だな。そして催眠療法も薬も効かない。しばらくうちで面倒見てやるから、今日は帰れ」
「………そうか」
ロリコンは残念そうな顔をしたあとこちらに向き直って、真剣そうな顔をして言った。
「襲うなよ」
「死ね」
はあ。つくづく時と場合を考えない奴だ。
今日は少女に手料理を振る舞ってやった。オムライスだ。
少女は喜んでいた。
ところで、その少女なんだが、ぼくが料理している時に妙に震えていた。
玉ねぎを切る包丁を見て、震えていた。
包丁。殺人現場。
………明日からは、少女には包丁を見せないようにしよう。
4月15日日曜日
暇だ。
患者も来ないし、することもない。小説とかももう読み漁るのも飽きた。
昨日預かった少女は一人で絵本を読んでいる。大人しくて、手間が掛からない。なんて出来た娘なんだろう。
………そういえば、あのロリコン。この娘の親とかに連絡したのか?
しょうがないし、こっちからしとくか。
少女に怪しまれないように、出来る限り音を消して顔写真を撮った。
それをとあるメールアドレスに向かって送信。数日もすれば大概の情報は判明するだろう。
あー、暇だ。
少女も暇そうだったから、僕の仕事の話をしてあげた。
実際のカルテを見せながら、こういう事例があったんだよと教えていると、少女はまた震えだした。
こういうのは、たまにあることだ。
当時の状況を何の引鉄もなく思い出す。
とりあえず、ゆっくり寝かせることにした。
4月16日月曜日
まただ。
また、死体だ。
背後から一突き。包丁のような刺し傷。恐怖で凍りついた表情。
ああ。最悪だ。吐き気がする。
そして、もう一つ最悪なことがある。
少女に死体を見られたことだ。
彼女が前に見たのと、恐らく同じ死に方の、死体。それを直視してしまったものだから、少女は恐怖のあまり、その場で倒れ込んでしまった。
今は布団で寝かせているが、これは本当に最悪の事態だ。
この娘のためにも、早く犯人を見つけないと。
4月17日火曜日
ヤクザと警察官から今回の連続殺人事件についての情報を聞き出した。分かりやすいように以下に纏めておく。
・犯人の凶器は包丁。メーカーは恐らく同じ。
・時間帯は決まって夜。これまで上がっている死体は五つ。僕が見たのは三つ目と五つ目。少女が見たのは恐らく二つ目かと思われる。
・周期は不定期。
・殺害現場は路地裏、もしくは人目につかない所。定番といえば定番だ。
・被害者の顔は、死後、誰か分からないほどに切り刻まれている。
・防犯カメラには怪しい人物は映っていない。目撃者も今のところなし。
ここに、殺人鬼の情報を足す。
・犯人はふらふらしてた。→何らかの薬を服用していた?
………大体、目星はついた。けれど確証はない。それを確かめる必要がある。
二日ほど待てば欲しい情報も入るだろうから、ちょうどいいだろう。少女のためにも、気合いを入れよう。
………少女は意識を取り戻したものの、まだ震えている。
4月18日水曜日
びっくりした。
朝、目を覚ますと少女が台所にぽつんと座っていた。気分が良くなったのだろうか、と思いもしたが、まだ少し不安なようで、体が僅かに震えている。簡単なカウンセリングをしたが、効果は薄い。
少し、イレギュラーだ。
犯行現場を目撃したことで、精神が不安定になる事例は多々ある。しかしここまで極端に恐怖や怯えの感情を抱くというのは、おかしい気がする。
それほどまでにショッキングだったのか。
少女の話が聞けたら、なんとかなるかも知れないのに。
こういう時に何も出来ない自分が、ひどく、嫌いだ。
嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ。
吐き気がする。悪寒がする。虫唾が走る。自己嫌悪に満たされる。無力感に苛まれる。
僕には何も出来ない。
少女の心を開くことは出来ない。
こんな自分は、無意味だ。
無意味なのはこんなことを考えている時間だ。
ともかく明日、多分だけど大事な手がかりが手に入る。遅くても明後日には。
それまでに、自分に出来ることをしないと。
4月19日木曜日
僕が少女の写真を送った知り合いからメールが送られてきた。それと同時に警察からもだ。
内容は、知りたくないものだった。
知り合いからは、少女の両親がもう死んでいること。
警察からは、少女が見たであろう死体が、男女の夫婦であったこと。
………くそ、最悪だ。
◇◆◇◆◇◆◇
がちゃり、とドアが開いた。
つい先日も相手にした、夢遊病の患者だ。
とりあえず、「一週間ぶりですね」と声をかけて、椅子に座るように促した。
「まだ、症状が?」
「はい………。とても、寒気がして、仕方がないんです」
彼女は、怯えるように肩を抱いた。
その体は震えている。
「………それでは、軽いカウンセリングを始めましょう」
「薬を、くれるのではないのですか?」
「薬はあくまで安定させるだけ。完治させるには、カウンセリングなども必要なのです」
「はあ」
そして、簡単に質問をしていく。その内容は、カウンセリングとしてはとてもありふれたものだ。彼女もすらすらと答えていく。
そして、最後の質問だ。
「これに、見覚えはありますか?」
ケータイの画面に、一枚の写真を表示させる。すると、彼女の表情も堅くなった。
「なん、ですか、これ」
「人の死体ですよ」
最近起きた連続殺人。
その死体を見せた。
「見覚えなんて、ありません。こんな、こんな酷い写真なんかに、見覚えは………」
憔悴している。これ以上はダメだと、心の中で自分が囁く。
だが、僕は、やらなくちゃならない。
「あなたが、やったんですよ」
「…………え?」
「あなたが、この人達を、殺したんです」
「そ、そんな、訳が………っ!」
狼狽えている。だが、事実だ。
彼女が、殺しているんだ。………正確には、彼女に巣食う、殺意のような何かが。
「犯行現場に、あなたは映っている。決定的なんですよ」
「あ、ああああぁぁぁああああ!!」
彼女は、僕を突き飛ばす。がつんと壁にぶつかり、脳内で火花が散った。
うめき声を漏らし、目を開く。
彼女は一振りの包丁をバッグから引き抜いていた。
「わたしは………ワタシは!」
包丁が降り下ろされる。
早い。
速い。
間に合わない。避けられない。
僕じゃあ、この人は、救えない。
僕は、懐に手を伸ばした。
ざしゅり。
刃が、肉を絶つ。
「………………え?」
ただし、僕のナイフが。
彼女の、腹部を。
「な、んで」
「………すみません」
机の引き出しを開ける。
大量に血が流れ出ているせいで、まともに立つことが出来ない彼女に、僕はアンティークの拳銃を向けた。
「あなたには、悪いけれど」
言い訳だ。
「人殺しを、放って置く訳には、いかないので」
僕が、彼女の心を癒さないといけなかったのに。
見抜けなかった。
………もう少し、早い段階で、止められていれば。
「………ひと、ごろ、し」
「それは、あなたもだ」
引鉄を引いた。
頭が、弾ける。
◇◆◇◆◇◆◇
4月20日金曜日
ずいぶん久しぶりに、人を殺した。
死体は、殺人鬼が片付けてくれた。
血だまりは、ヤクザが片付けてくれた。
少女は、ロリコンに預けた。
もう、やれることはやった。
4月21日土曜日
事件の全貌を、記しておく。
まず、彼女は夢遊病なんかじゃない。
恐らく薬物の過剰摂取による、第二人格の発現。
どうしてその人格が発現したのかは知らないし、その薬物がなんなのかも知らない。だが、それは、ある程度は収まっていたのだ。僕の処方した精神安定剤などで。
だが、彼女はその精神安定剤を一度に大量に摂取した。
それにより、一週間分の薬が足りなくなり、第二人格が人を殺し始めたのだ。
僕がロリコンから引き取った少女の震えは、第二人格を見たことによるもの。
包丁は、第二人格が振るっていた凶器だった。
そして、カルテを見ていたときの震えは、彼女のの写真だった。
彼女の夢遊病らしきものが始まったのは、4月5日時点で数日前。
事件が起こったのは、4月11日時点で一週間ほど前。
時間的にはぴったりである。
これらから考えて、犯人は、彼女である。
………僕は、彼女を救えなかった。
医者なのに、彼女に気づけなかった。
だが、幼い少女を助けられたことに、満足感を感じてもいる。
気分が悪い。
僕なんか、死ねばいいのに。
だけど、まだ死ねないでいる。
本当に、死ねば、いいのに。