俺たちの戦いはこれからだ!
家を出るときはまだ白んでいた空が、すっかり夕焼けの紅色に染まっている。
駅に向かう彼が、人通りの少ない沿線の道にさしかかった。
よし……事前準備が効いている、邪魔をする者は誰もいない。今こそ突撃の瞬間。
「あの、すみません!」
鼻歌混じりに鞄を提げていた彼が、立ち止まって振り返る。
部活帰りの学ランにエナメルバック、きらりと輝く黒縁眼鏡。ああ、あなたはまさしく電車のあの人。
「……あれ。君、いつも電車で会う子?」
逆光が眩しくて若干彼の様子をうかがうのに苦労しますが、どうやら瞬きしてからくしゃりと笑みを零した模様です。
ああ、どうしよう。ここまであんなに用意周到に、色々なパターンでシミュレーションも準備もしてきたのに。今ここに立つ私はひたすらに無力だ、気の利いた文句の一つも頭に浮かばない。
これが、堅気同士の恋ってものなのかな。
気になって、会いたくて、話がしたくて、あなたのことが知りたくて、色々情報は掴んでみたけど何か腑に落ちなくて、刺客達を千切って投げてきて、ここまでやってきました。
途方に暮れたように立ち尽くし、呆然と見守る私の前で、
「もしかして……逢いに来てくれたの、かな」
はにかんだように言った彼が、すっと眼鏡に手をやって、
「僕も、ずっと君に会いたかった。なぜなら――」
そっと外した、その瞬間。
突如轟く爆発音!
身体に降りかかる衝撃!
たちまち辺りの空気が変わる!
持ってて良かった折りたたみ式仕込み傘。そう、忍だからね。
反射的にバッグから引き抜いて広げ、防御は万全ですが、一体何事です!?
珍しく本気で驚いている(ものの表情筋が変わらないのは私が特殊な訓練を受けている忍だからではなく元からこういう顔なのですがそれはともかく)私の前で、眼鏡が胸ポケットにしまわれ、真実の彼が姿を現す。
「僕もまた忍《SHINOBI》だからね」
――ああ。そうか、そういうことだったのですか。
あの冴えない眼鏡は彼のカモフラージュ。
あの情報の数々はダミー。
私が気になって気になって仕方なかった、どこにでもいる模範的な男子高校生。
調べれば調べるほど自然なことが証明されて、何一つ一般人と違わないはずなのに、何かが私の中で引っかかって、モヤモヤして、彼のことを考えると胸が苦しくなって、これはもうどうしても本人に会って確かめざるを得ないと思っていた、この、気持ちは。
「忍同士は惹かれ合う――」
たとえ、どんなに我々が、平常の人を装っても、所詮皮の下は死ぬまで忍、死んでも忍。
つまり、そういうことだったのですね。
「電車でいつも僕を見ていたね。眼鏡以外没個性な僕を、いつも気にしていたね。だから僕も、いつの間にか君が気になって、でも君は一般人としての僕に興味を持ってくれた、僕が君のことを逆に調べ尽くしている事がわかってしまったらきっと嫌われてしまう、本当の事がわかったら――ああでも、愛染真香ちゃん、ようやく話ができる、もう我慢なんてできない」
展開される忍ゾーンから、相当の実力者である事を告げています。
一面の紅の中、端正な彼の顔立ちが歪み、学ランが脱ぎ捨てられる。その下から現れたるは忍装束。どうやってそんなもん学ランの下に着込んでいたんだよおかしいだろ、なんて野暮な質問ですよ。
そう、忍ですからね。
夕焼けの逆光の中でも、今ならわかります。
ああ、あなたは興奮している。未知なる者に、それでいて誰より互いを理解できる存在に。
「残念です……この私としたことが、擬態を見破れぬとは」
「でも、誰もが一般人だと思った僕を、君だけが見つけてくれた」
「この屈辱は、すすがれねばなりません」
「来るんだね? 来てくれるんだね?」
らんらんと目を輝かせ、鎖鎌を構える彼の前で、私の肩掛け鞄と仕込み傘が落ち、愛用の赤トンファーが手に収まる。
「くノ一と知った上で、お近づきになったのなら。業界ルールはご存じのはず」
「さあ、始めよう。拳は言葉より雄弁なのだから」
人払いのされた沿線沿いの閑静な道路、電車が通り過ぎるのを合図に、私たちは叫ぶ。
「忍闘・開!」
忍達の戦いはこれからだ!