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Anti-sentimental love

 風の強い冬の日だった。僕とカエデはいつものように共同住宅の敷地を出て、コンビニエンスストアの角を曲がって、この辺りでは比較的人通りの多いタワーやレストランの並ぶ通りに出た。ガラス張りで清潔感のある建物が多い通りには不釣り合いな、古めかしいネオンが行く先を照らしている。ブルー、エメラルドグリーン、ピンク・ブルーの明滅がサイケデリックなグラデーションとなって、疲労した目に鈍い痛覚をもたらす。


 カエデが僕のイヤホンの片方をひったくって、冷気で赤らんだ頬に手を当てる。一緒に暮らし始めてから1年経とうとしているのに、不意に距離が近くなったりするとやっぱり動揺してしまう。こいつがそういう事をちっとも気にしてなさそうなのが僕としては幾分腹立たしいのだけれど、カエデが目を閉じて音楽に聴き入っているのを見ていたりすると、まあいいかなんて気になってくる。


「これ、なんて曲?」カエデが聴くので小さく肩を竦ませる

「知らないで聴いてたの?」

「いや、そうじゃなくてさ。これ、最近ダウンロードしたアプリで、特定のリスニングエリアに行くと人工衛星と連動して期間限定で配信してる曲聴けるんだよ」

「ふーん...」カエデの表情からは関心も無関心も読み取れない

「それでポイント間の境界って曖昧でさ、曲同士がぶつかりあいながら変わっていくのが面白くてハマっちゃんったんだよね。角度によっては4つのエリアの交点があるから三重にも四重にも混濁した音響になるし」

「アーティスト情報とかは表示されないの?」

「わからないな。基本的に匿名のトラックメイカーから提供された曲がデザイナーの意向でネットワークされるシステムみたいだし...」

「じゃあやっぱり知らないで聴いてたんじゃないの?」

「そうなんだけど名前も知らない人達の歌を聞き流すのとはちょっと違う気がして...あ、もう着いたみたいだよ」


 青い蛍光灯でライトアップされた、直方体の建物を前にして僕達は立ち止まる。やはりガラス張りだが、黒い鉄枠が昆虫の複眼のようなフラクタル模様を縁取っている。極度に人工的だけれど、ある種の生命体の構造のようでもあるデザイン。夜空の星は、建物の明かりで大分薄らいでいるようだ。リスニングエリアが変わると、曲も移り変わる。女性ボーカルがグロテスクに溶解し、残酷なノイズの狂騒に呑まれていく。やがて新しいトラックが始まる。始めて聴く曲だ。ということは、始めてここに来たのだ。


「トオル~?」

カエデがコートの裾を掴んで揺さぶっている。どうやらさっきからずっと僕の名前を連呼していたらしい。

「ああ、ごめんごめん」

「もう、放っとくとすぐ自分の世界に入っちゃうんだから!そうやって別の世界に夢うつつで知らない間に現世で車に轢かれても知らないよ?」

そういう女の子の話あったよね...

「別に。予想以上に大きい建物だなって思ってただけだよ。」

「トオルは小さいから大きい物にコンプレックスがあるんじゃない?」

「カエデ僕より小さいじゃん」

「だから私がトオルのこと好きだって言わせたいの?」

咄嗟に星空を見上げる。ため息で視界が濁る

「まあね。君が私に本当には関心持ってないことぐらい許容範囲だけど。今日のデートは、その、ちょっとしたテストっていう名目もあったし」

初耳なんだが...ああ、僕に知らせてないからテストなのか。

ええと、確か今日は水星と金星の公転周期が最小公倍数で一致する日...だったかな。

「僕とカエデが出会った日...とか」

刹那、腹部に激痛が走り白い空気塊を吐き出す。弱冠のタイムラグの後、カエデのブーツが僕の腹を穿ったのだ気付く。こいつその小動物じみた体躯のどこにこんな力が...体を二つ折りにして激痛に耐えながらも恐る恐る目を上げると、両手を腰に当て、目を細めて仁王立ちしているカエデの凶相が僕を睨んでいる。

殺される、と思った。

「どうでもいい!」

はああ?

「予想はしてたけど本当に覚えてないなんて!信じらんない!一生そこで水揚げされた深海魚みたいにくたばってれば?ふん。」

カエデは僕を置き去りにしてそそくさと建物に入っていこうとする。いや、ちょっと待って欲しい、今日が、今日がそうなのか?だとしたらあまりにも...腹部の激痛が一瞬にして焦りに変わる。

「待って!僕が悪かったてば!」

哀れによろめきながらカエデを追いかける。思うように足が動かない。

「誕生日!誕生日おめでとう!」

「それ、私に言ってんの?」

白々しく顔半分だけこっちに向けるカエデ。

「他に誰がいるんだよ!悪かったよ今日の帰りダイニングバーにでも寄ろう。それでチャラにする気ないけど今後君のバスタオルを無断で使ったりしないし朝も邪険にしないし一人で買い物に行かせたりもしない、誕生日だって忘れない!」

「そういう条件って普通許す側の人間が出すものなんじゃないの?」

「そう...だね」

「それにね。私そんな約束をトオルが守れるかどうかなんてどうでもいいの。約束を守れるかどうか確認する前に、トオルが死んだりしたら...」

カエデはうつむく。星の海が溜まった瞳は、一瞬にして深海の闇に移ろう。薄青い蛍光灯が彼女の横顔を照らし、空々しいBGMが今更のようにリフを繰り返す。


そうだな、その通りだ。でもそれよりも今はとりあえず....

「閉店時間が近い。早く中に入ろう」

彼女の手を取る。手袋越しに、小さな体温を感じながら。


 ショッピングモールのゲートをくぐると、100キロ先まで見渡せそうな感覚の鋭敏化が訪れる。人間には最も快感と感じる温度、音、匂いの水準値があり、その全てが一体化したオートセンスチューニングが情報統御されている。このショッピングモールを含めた都市の中枢、ミッドタウン全体の建物にオートセンスチューニングが施されているらしい。外界からシャットアウトされることによって開かれる感覚の全方位性。内壁はスクリーンになっていて、サイン波の音像に同期した図像が映し出されている。僕は思う。人間にとっての平均的なユートピアは、これ程にも暗いモノクロの世界なのか。それは、僕達の祖先が海の底からやってきたから...?つまらない妄想は止めて、僕は行き先までの道順をスマートフォンで確認する。目当ての店は巨大な六角形の対岸にある。どうやらここからだと建物中央のゲートを突っ切った方が早そうだ。ランダムな電子音の反復が包む中、僕達は歩き出す。心なしか、さっきよりもカエデの手に力がこもっているように感じる。不安の裏返しみたいな、衝動的な力...弱冠気になりながらも、やはり誕生日を忘れていたことのバツが悪くて何も言い出せない僕だった。閉店時刻間近なために、あまり人の気配がなかった。途中僕達以上にけだるそうなカップル何組かとすれ違ったぐらいだ。僕達はこの世界で二人きりだ。二人きりで夜の街を歩いていた時より、よほどそう思った。


店の入口の前で、僕とカエデはライトアップされた店名を見上げる。インサイド・ゲート...その店の名だ。


「ここ?カエデの来たかったとこって。」

声の成分が辺り一体に拡散する。不安にさせるような残響。

「そう...だよ。」

少しの沈黙の後、カエデの声が反響する


店の中に入ると、お互い手を離す。こういう時、僕達は決まって単独行動なのだ。カエデはどうやら二階に用があるらしく、早々と階段を登っていってしまった。 僕は店内奥の巨大な陳列棚を見渡す。


8列の陳列棚は、取り扱う領域によって4つに区切られている


1つは Emotinal > frontier

> nostalgia


2つ目は Melancholy


3つ目は Coquetry


4つ目は... Extacy


 それぞれの棚には何百何千というサンプル液の入った球状のグラスが、その数だけ細分化された色相のグラデーションを見せながら陳列されている。色は感情指数と対応している。グラスの中のサンプル液が青い蛍光でライトアップされて、脆弱な光を放っている。まるで熱帯魚の群れみたいだな、なんて場違いなことを思った。


 そう、ここは感情のドラッグストアなのだ。近頃はミッドタウンのあちこちで、この系の店が増えた気がする。扱っているドラッグは日本製のものだけでなく、アメリカ製、韓国製、特にヨーロッパ製が多く、こうしたドラッグストアの需要が国際的なものであることがわかる。一番端の棚~Emotional > nostalgiaの領域~暖色系の多い色相の領域から、徐々に灰色や、寒色系の色が支配するメランコリーの領域へと歩を進める。やがて、どこまでも完全な白に近いエクスタシーの領域へ...極北は完全なブラックだった。僕は何かの美術書で目にした、最も輝かしい色は黒である、なんて言葉を思い出す。(To be continue...)

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