第2話
煤はらい姫と男は、黄金の国を目指して歩きます。
ひとつ目の山を越えたところで、二人は大きくて立派なお墓のそばを通りかかることになりました。
しかしそのお墓は、長いあいだ手入れがされていなかったようで、蔓草が茂り、雨風に晒され、ひどく汚れております。なにより人里離れたところにあるそのお墓は、とても寂しげに見えました。
せめて花の一輪でも咲いていれば、少しは違ったかも知れませんが、あるのは薮や雑草ばかり。
そんな様子にいたく同情した煤はらい姫は、お墓を掃除してあげる事にいたしました。
「おいおい、お嬢さん。なんで俺らがこんな縁もゆかりもない墓の掃除をしないといけないんだい?」
「我々が、この道を通りかかったことこそが何かの縁でありましょう」
面倒臭そうに文句を垂れる男に、煤はらい姫はさらりと答えます。
「それに誰もがいつかは墓に入るものです。その時にお墓が荒れていたら悲しいし、誰かに綺麗にしてもらえたら嬉しいと思いませんか?」
そう問われ、しぶしぶと雑草を抜き始める男とともに、煤はらい姫も掃除を再開します。ただでさえ煤はらい姫がいればそれだけで、辺りの汚れは引き寄せられていくのです。お墓はあっという間に、眩しいほどにぴかぴかになりました。
綺麗になったお墓のまわりに、煤はらい姫は最後の仕上げとして、姉である花香る姫から貰った花の種を蒔きました。
花香る姫の不思議な力がこもった種です。種はすぐに芽吹き美しい花を咲かせます。
「これできっと、墓の主も寂しくないですね」
満足した煤はらい姫がひとつ頷いた、次の瞬間です。大きな歓声とともに、あたりからわらわらと何かが飛び出してまいりました。
びっくりして声も出ない煤はらい姫と男は、あっという間にまわりを取り囲まれてしまいます。
しかもよく見ればそれは、口々に人間の言葉で礼を言う小さな動物たちであったり、ぴょんぴょんと飛び跳ねては動き回る茶器や羽根ペンや衣装タンスといった道具類でした。
「このたびは、主のお墓を綺麗にして下さって本当にありがとうございます」
代表して御礼を言ったのは、三日月のような目を持つ真っ黒な猫でした。
このお墓は幾度となく悪魔の知恵比べを勝ち抜いた、偉大なる魔女のお墓でした。
ずるく狡猾な悪魔の裏をかき、三度鶏が鳴くのを待たず追い返し続けた魔女でしたが、寄る年波には勝てません。
彼女は自分で墓を建てると、使い魔たちに墓守を任せ、永遠の眠りについたのでした。
残された使い魔達は主である魔女の最後の命令に従って、しっかりお墓を守ります。
しかしこれまでずっと、命じられたことしかしてこなかった使い魔たちです。彼らは掃除のやり方すら分からず、ただお墓が荒れていくに任せるしかありませんでした。
そんな訳でしたから、彼らは掃除をしてくれた煤はらい姫と男に、非常に感謝しておりました。
「その上こんな綺麗なお花まで咲かせてくださって、感謝のしようもありません。ろくな礼もできないで大変恐縮ではありますが、よろしければこやつをあなた様の旅に連れて行ってやってはくれませんか?」
黒猫の言葉に、おずおずと出て来たのは一本の箒でした。
もちろんこの箒も、魔女の使い魔です。しかしこれまで自分の意志で掃除をしたことがなかった為、掃除道具でありながらお墓を綺麗にできなかったことを、箒は負い目に思っておりました。
「この箒はあなた様の掃除にいたく感動し、その技を習得したいと思ったそうです。お邪魔にはなりませんから、どうかご一緒させてください」
煤はらい姫は、特別なことなど何もしていないのだと慌てて固辞しました。しかし、箒の意志も固いようで齧り付いてでも付いていく、いえ。箒に口はありませんので、頑として譲らない構えです。
煤はらい姫は考えます。
自分はこれから、千本の黄金の箒を手に入れなければなりません。彼は黄金ではありませんが、もしかしたら同じ箒のよしみとして、黄金の箒が煤はらい姫の元に来るのを嫌がった時に、説得に力を貸してくれるかもしれません。
そう考えた煤はらい姫は、黒猫の頼みを聞き入れることにしました。
こうして二人と箒は連れ立って、黄金の国を目指す事になったのです。
煤はらい姫と男と箒は、黄金の国を目指して歩きます。
ふたつ目の山を越えたところで、二人と一本が辿り着いたのは善き隣人である妖精の里でした。
善き隣人とは言え、妖精はたいへん悪戯好きです。悪戯を仕掛けられないように気を付けながら進んでいた彼らでしたが、どうにも様子がおかしいことに気付きます。
妖精の里は、ゴミや物がとっちらかっていて雑然としているように見えますし、また、普段は陽気なはずの住人たちも一様にがっくりと肩を落とし、悲しげに項垂れているのです。
気になった煤はらい姫は、ほろほろと涙をこぼしていた妖精の少女に声を掛け、訳を尋ねました。
汚れに汚れ切った煤はらい姫を見て、一度は泣くのを忘れるほどに驚いていた妖精の少女でしたが、すぐにじわりとまた涙の粒が浮かび上がります。
妖精たちには、すべての妖精が一人残らず敬愛する妖精の女王がおりました。女王は各地の妖精の里を回っては、労いの声を掛けてくださります。
近々この里にも妖精の女王が訪ねて来てくださることになったのですが、困ったことにこの里の妖精達はそろって大の掃除下手。
このままでは散らかり放題のきたない里を見て、女王様が呆れて帰ってしまうかも知れない。そう考えて、みんな悲しくなってしまったのだと、妖精たちは言いました。
えぐえぐと泣きじゃくる幼い妖精の少女の様子は、煤はらい姫に妹の梢歌う姫を思い出させます。
気の毒に思った煤はらい姫は、妖精の里の掃除を手伝ってあげることにしました。
「おいおい、どうしてなんの得にもならないのに、 俺たちが妖精の里を掃除しないといけないんだ」
「誰にだって、苦手なことのひとつやふたつありますでしょう」
嫌そうに顔をしかめる男に、煤はらい姫はあっさりと答えます。
「ちょうど良いことにわたしは掃除が得意です。もし自分が某かの苦手なことのせいで困っている時に、それを得意な人が助けてくれたならとっても助かると思いませんか?」
そう問われ、しぶしぶと片付けを始める男とともに、煤はらい姫も掃除を再開します。魔女の箒も一生懸命真似をして掃除をしました。おかげで、妖精の里はみるみるうちに綺麗になっていきます。
感激した妖精たちは、たいそう可愛らしい声で口々にお礼を言いました。
「ありがとうございます! お蔭でとっても綺麗になりました。ご迷惑でなければこの里に留まって、これからも掃除を手伝っていただけませんか?」
妖精の少女も言いますが、煤はらい姫は千本の黄金の箒を手に入れなければならないので、妖精の里には留まれません。もちろん男も嫌そうに首を振りました。
「では、そちらの箒さんはいかがでしょう?」
突然話を振られた箒は、驚いてぴょこんと飛び上がります。
しかし箒も煤はらい姫について掃除を学ぶつもりでしたので、ぶんぶんと柄を横に振りました。
妖精の少女は、眉根を寄せて考えます。
「では、こういうのはどうでしょう。私たちが妖精の秘術を使って箒さんを増やします。そうして増えた一本に、この里に留まって頂くのです」
妖精の少女は、ぴんと人差し指を立てて提案します。
妖精は悪魔や魔女と同じように、魔法を使うことができました。悪魔が魔法を使って人間を唆したり、騙したりする一方で、妖精は人間にちょっとした悪戯をしかけたり、時にはささやかな手助けをしてくれたりするのです。
煤はらい姫が箒を見ますと、箒はそれなら構わないと柄を縦に振りました。
「ありがとうございます! ではさっそく、魔法を掛けましょう」
妖精たちは歓声をあげて、手と手を繋いで大きな輪を作りました。
そしてくるくると回りながら歌を歌い出します。妖精たちの足が軽やかに地を蹴るたびに、妖精の粉がきらきらと真ん中にいる箒に降り掛かりました。
《太陽が沈んで月が昇れば、そこからは魔法の時間。みんなで輪になって踊りましょう。だけど一番鶏が鳴けばそわそわ、二番鶏が鳴けば飛び上がって、三番鶏が鳴けばすたこらさっさと逃げていく。ああ、残念。太陽が昇ってしまったから、また明日!》
妖精達が歌っていたのは、そんな不思議な歌でした。
すると、どうでしょう。
箒がぽわんと音を立てて、二本に増えましたではありませんか。これで妖精の里の元に留まる箒と、煤はらい姫について行ける箒が、一本ずつできたことになります。
しかし、それだけでは終わりません。
増えた箒はまたぽわんと音を立てて三本になりました。三本に増えた箒は、またぽわんと音を立てて四本に増えました。四本に増えた箒は、ぽわんと音を立てて今度は五本に増えました。
こうして次から次へと箒は増えていき、しまいには唖然とする煤はらい姫の前に、1001本の箒が並んでおりました。
「では、約束通り一本の箒さんには、私たちの里に来て貰います。残りの箒さんたちは、掃除をしてくださったお礼にどうぞお連れになってください」
妖精の少女は、一本の箒を手に取って言いました。
しかしそんなことを言われてしまっても、ずらりとならんだ千本の箒を前に、煤はらい姫は困惑するばかりです。
慌てて呼び止めようとしましたが、妖精たちは感謝の言葉を口にして、一人、また一人ときゃらきゃらと笑って姿を消していきます。
気が付けば妖精の里そのものさえ煙のようになくなっており、草原に煤はらい姫と男と、千本の魔女の箒がぽつんと取り残されておりました。
そうなのです。
すっかり忘れてしまっておりましたが、妖精というのは生来たいへん悪戯好きなのでした。
どうするんだと言う目で男に見られ、煤はらい姫はしどろもどろになりながら口を開きます。
「旅は道連れとは言ったものです。道連れはたくさんいた方が、きっと心強いです」
「それでも、千本は多過ぎだろう」
男はじとーっとした半眼で、煤はらい姫を見ています。
「えっと、魔法の箒がついて来てくれれば、黄金の箒を手に入れる時に、一緒に嫌がる箒を説得をしてくれるかもしれません」
それでも千本は、さすがにいらない気がします。男はまだまだ煤はらい姫から目を逸らしません。
煤はらい姫は、ええいと自棄になったように声を張り上げました。
「いいんです。少ないよりは、多いほうがずっといいんです。きっとこの千本の箒たちは、役に立ってくれるはずです」
そう言って煤はらい姫は千本の魔法の箒を引き連れて、ずんずんと先に進んでいきます。
男も肩をすくめたものの、苦笑しながらついていきました。
こうして二人と千本は連れ立って、黄金の国を目指す事になったのです。