第八話・「……なんか面倒なことになったわね」
武器の長さが半分になろうが、うるわの表情は変わらない。
カレンをいたわっていたときの顔とはまるで別人だ。
冷静に、静かに。
それえいて圧倒的な威力をたずさえて、攻撃は繰り出された。
半分に切断された標識をナナの頭上に振り下ろす。ナナは一瞬、きょとんとした顔を見せた。それは自分の間合いに簡単に入り込まれたことによる驚きだった。
レザースーツをかすめる標識。
数センチの間隔を残して、ナナは攻撃をひらりと身をさばいた。
標識が地面を砕く。
破砕音がしたかと思えば、今度は横薙ぎの一撃。ナナはそれも圧倒的な身体能力でかわして見せる。男の銃撃をよけて見せた体の柔らかさだ。まるで猫のように柔らかく、しなやかに、連続で繰り出される攻撃をいとも簡単によけていく。だが、うるわはかわされ続ける攻撃に動揺したりはしない。無表情のまま、集中力を高めていく。
「よっ、ほっ、はっ!」
対してナナは楽しそうに笑っている。口をつく擬音語と笑顔は、まるでアトラクションを楽しむかのようだ。足払いにきたうるわの足を、後方宙返りで逃げる。それを見越してさらに踏み込むうるわ。標識の先端をナナに定め、目にもとまらぬ突きを放つ。足から地面に着地する隙。そこを狙いすました突き。受ければ間違いなく体を突き抜けるだろう。
「にゃっ!」
それでもナナは笑みを崩さない。片手を地面につけたかと思えば、その片手一本で再度空中に舞わせたのだ。
空気を貫く標識の先端。
空中でひねりを加えて、ナナは空振りに終わった標識の上に乗る。
挑発にも似た言動に、うるわのエプロンドレスがはためいた。
突きを放ち、伸び上がってしまった腕を折りたたむ。
「にゃにゃっ!」
標識の上に乗っていたナナは、バランスを崩して無防備な体をさらすことになった。尻餅をつく格好。うるわは標識の中心部を持って、両手でくるくると回転させる。
あっと言う間に間合いに飛び込んだうるわ。巻き起こされる白い旋風。加速をつけた標識が、鞭のようにしなって見えた。手数を繰り出す戦法に切り替えたうるわが、右から左から標識の両端を繰り出す。持ち手を標識の中心に切り替えたことで、素早く攻撃に移ることができる。
「わわわ……!」
「まだ行きますよ」
体力勝負といわんばかりに、徐々にそのスピードをあげながらナナを追い詰めていく。軟体動物のように体を反らしたり、曲げたり。人間の反応を超越した動きで、ナナはよけることにだけ専念していく。
「メイド・イン・ジャパン……まさかこれほどのものとは」
古代兵器を追い詰めていくうるわに、驚きを隠さない兵士。
「あら、うるわはまだこんなものではないわよ? あれでまだ五分も力を出していないかしら」
「五分だと……?」
カレンの言葉に、力の抜けたような声を出す。
「ちなみに言っておくけれど、私はうるわより強いわよ」
メガネチェーンをもてあそぶのを止めて、ポケットからハンカチを取り出す。
「さっきのを見ていると、とてもそんな風には思えないな」
「うるさいわね。つべこべ言うんじゃないわよ、弱いくせに。私は弱い男が一番嫌いなの」
「言ってくれるな……」
「本当のことでしょうが。だから、うるわが殺されないように神にでも祈ることね」
「この中で一番強いんじゃなかったのか?」
「条件が悪いのよ。アレがないし」
「条件だと?」
興味なさそうに、ハンカチでメガネのレンズを拭き始める。レンズに温かい息を吹きかけ、曇ったメガネをぐりぐりと拭き取っていく。
「………………度が合っていないのか?」
男が呟いたタイミングで、うるわの空振りした標識が煉瓦を吹き飛ばす。
「それとも、コンタクトを忘れたのか?」
「残念だけど、そんな簡単なことじゃないの。メガネは最近買ったばかりだから、度はバッチリ合ってるわ。……ま、最初はコンタクトにしようか悩んだんだけど。でも、考えれば考えるほど面倒なのよね、コンタクト。それに、なによりもネックはアレよ。目に入れるってのが、ちょっと怖いのよね。考えただけでも恐ろしいじゃない。アンタもそう思わない? 目玉に触れてるのよ?」
金色の髪がうるわとナナの攻防の余波に揺れる。
「慣れれば大したことないさ。経験者は語るよ」
苦笑いを浮かべる男の脇で、カレンが拭いたメガネを装着した。
「だが、メガネの一つの魅力として……かけると理知的に見えるというところがあるな」
「あとで殺すわ」
「冗談だ。マジになるな」
「今殺すわ」
「冗談だと」
「殺す」
「……悪かった」
メガネ越しのクリアな視界。その視線の先では、うるわがナナを追い詰めていた。
倉庫のシャッターに背中をぶつける音。ナナがあわてて背後を見やれば、飛び退くスペースがない。左右は崩れた壁に遮られている。
「もう逃げられませんよ。恨みはありませんが、これも任務ですので」
エプロンドレスのスカートが、うるわの回転を得て大きく広がった。
「……やーめたっ」
ナナは唇をニヤリと嬉しそうにたわめて、腰を低く構える。
逃げの構えではない。迎え撃つつもりのようだ。
ぶつかり合う刀と標識。夜闇に散る火花。
うるわの頬の直ぐそばを、標識の半分が回転して飛んでいく。うるわは動じない。
斬り飛ばされた標識に目をくれることもなく、ナナにさらに一歩踏み込んでいく。アスファルトにびきりと亀裂が入るほどの加速。ナナはこのうるわの行動に虚を突かれたのか、回避動作に入れずにいる。
無邪気な笑顔が驚きに変わった。
鋭利な切っ先を追いかける、ナナのつぶらな瞳。
「終わったわね」
目をつぶるカレン。
うるわの放つ白い槍が、黒いレザースーツを貫く。まるで天使に断罪される悪魔。貫かれた胸からは破壊された内部機構がのぞく。バチバチと電気回路がショートしていく音。回路が無惨に裂けて、熱いオイルがどくどくと吐き出される。ビニールが焦げるような異臭が漂い、カレンは思わず顔をしかめそうになる。
「まだだ!」
目をつぶって古代兵器の惨状を思い描いていたカレンが、男の声によって現実に引き戻される。
「ばーんっ!」
ナナのわずかにふくらんだ胸に突き刺さるその刹那。
うるわの放った標識の先端部が、爆発を起こした。
うるわとナナが一瞬にして爆炎に飲み込まれる。灰色の煙に混じって、炎の赤がふくれあがっていった。巻き上がっていく噴煙を突き抜けて、うるわが飛び退る。エプロンドレスはすすけていて、火が燃え移っている。首元のヨークは黒こげで見る影もない。ひざをついて着地したうるわが、ごほごほと咳き込む。口からは灰色の煙。
すぐさまスカートをはたいて火を消し去ると、無表情に初めて忌々しげな色が浮かび上がった。
「とんだ隠し球ですね」
「それどんな球技よ?」
カレンがメガネのフレームを持ち上げる。
「違います。球技ではありません」
うるわが追い詰めていた場所は、今や爆炎によって蹂躙されていた。シャッターはひしゃげて黒く焦げてしまっている。周囲の窓ガラスは総じて粉々で、えぐり取られた地面の砂やらアスファルトが遅れて地面に降り注ぐ。
「敵も一筋縄ではいかないということです」
「縄? 縛る気?」
「もう結構です」
ため息をつきながら、近くに転がっていたカチューシャを拾い上げた。
「何よ、説明しなさいよ」
「切断された標識から発火しました。切り口が爆発したのです。摩擦や、引火……考え得る限りの前触れはありませんでした。私見ですが、一瞬で発火点に至ったように見受けられました。木材の発火点は摂氏四百度ほどですが……金属の切り口では考えられないことです」
カチューシャの汚れを丁寧に取ると、頭に装着した。カレンは黄金の瞳をぐるりと思案げに一周させると、ぼそり。
「…………あっそ」
「理解していませんね?」
うるわの言葉が間髪入れずに入り込む。
「う、うるさいわねぇっ!」
メガネの向こうでそらされる瞳。腕を組んだカレンが態度だけでも威厳を保とうとする。
「それよりうるわ、あれ、どうするのよ」
プレハブにつっこんだときと同じように、煙と炎の渦中から平然とナナが歩いてくる。刃こぼれのない美しい刀が、炎を受けてきらめいている。耐火性があるのか、肌に張り付くレザースーツに焦げ目はない。変化があるとすれば、避けきれなかった灰が、ナナの頭の上をねずみ色に染めているぐらいだ。
「加減を間違えちゃったよぅ……」
周囲を見回すナナががっくりとうなだれる。
「次はうまくやらなきゃなの!」
反省は終わりとばかりに刀を構える。
「…………にゃ?」
猫耳があったらぴょんと立っているだろう。何かに気がついたナナは、背後で燃えさかる炎や、崩れ去った倉庫、タイヤを空回りさせる自動車など、周囲をきょろきょろと見回し始めた。やがて、うつむいて唇をとがらせると、肩をがっくりと落として低く呟いた。
「……分かった。ナナ、帰る」
あわてたのはカレンら三人だ。あれだけ好戦的だった人型古代兵器が、手のひらを返すように帰ろうと言う。肩すかしを食らうのは当然だろう。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! ――うるわ!」
「分かっています」
カレンの指示が届く前に、うるわは地面を蹴っていた。
エプロンドレスが風にはためく。
「……ナナはハチに怒られるのやなの」
ナナは、唇を真一文字に結ぶと、持っていた刀で足下のアスファルトに軽い切り口をつけた。八つ当たりにも思える行為。ナナ自身は明らかに無防備だ。
うるわは拳を握りしめる。腹部に一撃をたたき込みさえすれば、戦闘を終わらせることができる。自信を持った未来図だった。だが、うるわが到達するよりも早く、アスファルト全体に亀裂が入った。ぼこりと盛り上がったかと思うと噴火するように爆発し、炎と共に粉塵を巻き上げた。
「なっ……!」
爆炎に飛び込もうという勢いだったうるわの足が止まる。
「まさか、逃げられた?」
眉をぴくぴくさせているカレンが、うるわの横に並ぶ。
「どうやらそうみたいですね」
視界を遮る大量の煙の向こうで消える気配。
「あのド畜生がっ!」
地団駄を踏むカレン。背後で警戒していた東洋風の兵士が、びくりと肩を震わせた。
「落ち着いてくださいカレン。どうぞ、乾燥梅です」
ポケットをまさぐると、灰で黒くなった干し梅をカレンに差し出す。
「焦げ臭いし、すすけた乾燥梅なんていらないわ」
「美味しいのに……残念です」
差し出した乾燥梅をすごすごとポケットに戻す。
「そういえば、アイツ妙なことを言っていたわね。ナナとかハチとか」
「はい。どうやら人型古代兵器は最低でも二体は起動しているようですね」
煙に紛れる直前、ナナが言い残した台詞を反芻する。
「……なんか面倒なことになったわね」
「そうですね」
空に向かって手を伸ばす炎を眺めながら、頬を堅くする二人。周囲を見渡せばここが発掘現場であるとは到底思えない。クレーン車は横倒しになり、ショベルカーはショベルを失って炎に飲み込まれている。プレハブはことごとく倒壊し、地面から掘り起こされた近代的な建造物も、もはやひびの入った柱一本を残すのみだ。
――瓦礫と火炎。
まるで絨毯爆撃を受けたような惨状だった。
それらを見つめていたカレンが、悲しそうにぼそり。
「うるわ…………被害報告書、お願いね」
「絶対に嫌です」
うるわの言葉と同時に、最後の柱がむなしく崩れ去った。