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第七話・「専守防衛」

 火の粉が天に昇り、燃え尽きて光を失うまで三秒。

 その三秒間に一連の攻防はあった。

 先手。うるわの制止に耳を貸さない黒いレザースーツの女は、余裕の笑みを浮かび続けるカレンに直線的な攻撃を仕掛けた。後手。カレンの右の袖口がよりいっそうはためく。

 すると、男の周囲を覆い尽くしていた風切り音が、レザースーツの女にも発生する。男の周囲に発生していた風切り音が消えたところを考えると、どうやら発生したのではなく移動したようだ。

 風切り音を継続させたまま、地面を切り裂き、あるいは火の粉を消し去り、車のボンネットをめくりあげる。

 衝撃が移動する様は、まるで台風の暴風域。周囲を破壊しながら移動し、レザースーツを切り裂くべく八方から何かが強襲した。

 台風を作る原因となるもの。

 暗闇に紛れながら四方八方から目標を襲うそれは、どこから仕掛けられた攻撃なのか、また幾重に及ぶ攻撃なのか、全く計り知れない。まるで何人もの見えない敵に包囲され、絶え間なく斬撃を受けるようなものだ。

 迫り来る破壊の嵐。

 直線的な加速を得ていたレザースーツの女は、耳をぴくりとそばだてる。周囲から迫り来る複数の攻撃に感づいたようだ。

 しかし、攻撃の方向は一貫して変えない。愚直とも取れる一直線。

 がりがりがりがり。

 刀を引きずりながら地面を這うように駆ける。蹴る度に地面では砂埃が舞い、女の黒いレザースーツが闇に紛れる。消えたように見えるのは、スピードがそうさせるのか。圧倒的なスピード。肉体の限界を超えるせめぎ合い。地面と刀の摩擦で火花さえも巻き起こす加速度は、常人の域を超えている。


「カレン!」


 うるわの声が届く頃には、ことは終わっていた。

 敵は、地面を切り裂きながら駆けていた体を急停止。アキレス腱に最大限の負荷をかけながら、跳躍。前方宙返り。追いついた嵐が、跳躍した足場のアスファルトをバラバラに砕く。

 飛び散る破片。えぐれる地面。

 敵は右手で握りしめていた刀を空中で両手に持ち変えた。燃える夜空とえぐれる地面を何度も目に映しながら、女は重力落下の力と、回転力を加えた一撃をカレンにたたき込む。

 紫電一閃。

 ひらめきは一刀両断の電光と化した。

 対するカレンの左袖がはためく。

 なんの前触れもなく、嵐の暴風域が勢力を増した。後方から襲い来るだけだと思われた嵐が、今度はカレンの正面から発生したのだ。きらめきがカレンの頭上をとらえるよりも早く、袖口から発生した新たなる波動がレザースーツの女をとらえた。殴りつけられたように腹部をくの字に曲げて吹き飛ばされる。きりもみ回転しながら、レザースーツの黒が燃えさかるプレハブ小屋に飛び込んでいく。

 ガラスの割れる音。遅れて、内部からは激突音。

 一歩も動くことのなかったカレン。

 その悠然たる姿は、動かざること山のごとし。


「まさか、これで終わりじゃないわよね?」


 カレンの巻き起こす暴風域が、カレンの周囲に停滞し続ける。左袖は全く動かなくなり、今は右の袖だけがゆらゆらとなびいている。二つあった暴風域は、いつの間にかカレンを覆う一つへと減少していた。

 割れた窓ガラスからは、炎が酸素を求めて手のひらを突き出している。数秒後、半焼していたプレハブ小屋のバランスが崩れた。基部がまっぷたつに折れて、大量の火の粉を吹き出す。まるでへたくそなサンドイッチでも作るように、燃えさかる火炎を噴き出しながらプレハブは倒壊した。


「大丈夫ですか、男の方」


 アスファルトから引っこ抜いた標識を、再びアスファルトに突き刺すうるわ。そのうるわの手に助けられながら、男が転がっていた別のサブマシンガンを持って立ち上がる。すぐさま空のマガジンを地面に転がし、リロード。

 兵士としての本能。戦闘の意志は薄れていないようだ。

 死の恐怖にとらわれた目も、怒りが再燃しはじめる。


「畜生……なんて日だ」


 サブマシンガンを崩れたプレハブに向けるのを見て、うるわはゆっくりと男の視線をなぞった。

 倒壊した屋根から、キノコでも生えるように短髪の女が顔を出す。プールから顔を出すような、すがすがしい顔。


「……ふにゃ~……ナナと戦える人間、ひさしぶり。ナナ嬉しい」


 周囲が火に包まれているのに、涼しげに微笑んでいる。赤い炭に苦もなく手を乗せると、手のひらからは、じゅう、と焦げる音。痛覚に顔をゆがめることも、煙にまかれることもない。


「ナナの刀……ナナの刀はどこにいったかな?」


 ひっくり返したおもちゃ箱の中から、お気に入りを探し出すような風景に似ている。やがて焦げたパイプ椅子の下敷きになっていた刀を見つけると、あどけない顔が花咲くようにほころんだ。刃先を満足そうに確認すると、よいしょ、のかけ声と共に瓦礫から抜け出した。

 揺らめく炎の向こうから、大量の煙を纏い、悠々と歩んでくる少女。


「俺は悪夢の中にいるのか……?」


 それは、現実を越えた存在。


「やはり人型古代兵器はひと味違うということかしら」


 カレンが口の端をつり上げ、ニヤリと笑う。


「のようですね」


 標識を引っこ抜いて、斜めに構えるうるわ。


「私の《千手》をまともに受けて、平然と立っていられるのって、なんか無性に腹が立つわ。それにふにゃ~ってなによ、ふにゃ~って! 兵器のくせに萌え要素っ!?」


 夜風がコートの裾をなびかせ、首から提げたメガネのチェーンを揺らす。カレンは外しっぱなしだったメガネをかけると、遠くからニコニコしながら歩いてくるナナをにらみ付けた。


「あの余裕、いらいらする」


 左手で肩に掛かっていた髪の毛を乱暴に払う。黄金の髪が、炎の中で輝かしく踊る。


「……カレン、感情が揺れています。冷静に。落ち着いて深呼吸を」

「いらいらするし面倒くさいから、一気にバラバラにしてやろうかしら」


 メガネの黒いフレームに周囲の赤い色が写り込む。同じように漆黒のレザースーツに赤を反射させたナナが、刀を地面に引きずりながら歩いてくる。

 探していたわりに、刀を大事に扱うつもりはないらしい。


「カレン、深呼吸を――」

「うるわ、あれ、よこしなさい」


 うるわの言葉を拒絶し、左手を差し出す。メガネの奥、金の瞳ににごりが混じる。


「駄目です。乾燥梅で我慢してください。それともまた苦しい思いをしたいのですか?」


 標識を握る手を片手に変えて、ポケットから梅干しの種を出す。うるわが差し出した乾燥梅のパッケージを見て戸惑い、すぐにカレンの目が熱を帯びる。それは強い意志を宿した目ではなく、どこか懇願に似た目だった。


「……あれがないといらいらするのよ。それに体が要求するんだから仕方ないじゃない。欲しい、欲しいって、全身がうずいてしかたがないのよ。うるわ、いいから黙って私によこしなさい」


 カレンの目が揺れはじめる。まるで焦点を失っていくようだった。

 カレンの周囲を覆っていた暴風域が乱れはじめる。一定速度で保たれていた風切り音が、速度も距離も不規則になり始め、身勝手に周囲を巻き込んでいく。男のマシンガンをはじき飛ばし、地面に横たわる死体をなぎ払う。男は何事が起こったのか分からず、尻餅をつくのをこらえるのがやっと。破壊された弾倉から、実弾がきらきらと散っていく。

 その瞬間、男は見た。今まで見えていなかった風切り音の正体。地面をのたうつように、黒い軌跡がひるがえったのを。

 黒い放物線は、遺跡の柱を周囲に組まれた足場ごと何本もたたき割り、小さな宮殿のような建物が発掘調査もまだのまま崩れていく。トラックの荷台に積まれた土砂を叩き、砂を巻き上げ、ついにはトラックごとひっくり返す。横っ面を叩かれたトラックのガラスは運転席に入り込み、横倒しになったトラックのシャフトが簡単にひしゃげる。

 意味もなく地面をはぎ取り、何十と空を切った。

 それこそ天災のたぐいとしか思えない有様だった。


「カレン、口を開けてください。乾燥干し梅です。カレンはこのブランドの梅が好きでしょう? 美味しいですから、ゆっくりと口を開けて」


 うるわが標識を地面において、カレンの腰に優しく手を添えた。右手でつまんだ乾燥梅をカレンの口元へ持って行こうとする。表情審査でマイナスだとは思えないほど、その顔は慈悲に溢れていた。


「嫌よ、うるわ……それじゃ駄目、気休めじゃ駄目なのよ!」


 うるわの胸ぐらをつかむ。首元の真っ白なヨークが引きちぎれそうなほどの握力。それでもうるわはカレンに笑顔で応え続ける。二人の周りでさらに乱れ広がる暴風域。セキュリティの車が、縦回転をしてブルドーザーにつっこんでいった。フロントタイヤが外れて転がり、東洋風の男は大あわてでタイヤをよける。


「次から次に、一体何が起こっている!?」


 周囲が絶大な破壊力をもってなぎ払われていく。男の叫びには同情するばかりだ。

 男の視線の先、嵐の中心では、うるわの細い指先がカレンの頬を撫でていた。


「カレン、自分に負けては駄目です。いつものあなたはもっと気高く、強い心の持ち主。こんなところで力への欲求に、欲望に流されてはいけないはずです。あなたは誰ですか? 誰も触れることのできない高嶺の存在――《アンタッチャブル》と称されるカレン・アントワネット・山田でしょう? 世界で最も美しく、強い人。私が、メイド・イン・ジャパンが身を捧げると誓った人なのですから。どうかカレン、口を開けて……」


 うるわの言葉にカレンがゆっくりと口を開く。

 まるで愛しい我が子に母乳を与えるよう。人差し指と中指で梅をつまむと、カレンの口の中にゆっくりと指を差し込んでいく。

 カレンの温かい舌が指に触れる。

 ちゅる……。

 うるわはカレンの舌がしっかりと梅を舐めしゃぶったことを確認し、指の間から梅を落とした。カレンはしばらく焦点が合わない視線をうるわに見せていたが、ようやく美しい黄金色の瞳を取り戻し始める。

 暴風域が、その範囲を狭めていく。

 百メートル四方に及んでいた破壊の嵐は、何事もなかったかのようにカレンを中心として集束していった。遺跡の円柱が横倒しになった轟音を最後に、現場に静寂が訪れる。

 激しく揺れていたカレンの両袖も、今は静かだ。


「ありがと、うるわ……久しぶりすぎて……調子がつかめなかったみたいね。我ながら馬鹿みたい……体力のなさもそうだけど、まだリハビリが必要かもね……」


 カレンはメガネを外し、チェーンを揺らす。手のひらで額をおおい、ゆっくりと深呼吸をした。汗が頬を伝い、砕けたアスファルトに落ちていく。お気に入りのゴシック調のコートはほこりだらけ。


「私が至らなかったのです。私はメイド・イン・ジャパン失格です」


 カレンの服についた汚れを丁寧にはたき落としながら、かすかに眉根を下げる。


「確かにメイド・イン・ジャパン失格ね」


 腕を組んだカレンが、うるわに残酷な決断を下す。

 うるわの手が止まり、悔しさに握りしめられそうになる。


「――でも、私のメイドとしては十分合格」


 握りしめかけた拳が、ゆっくりとほどかれていく。

 カレンが、うるわのおかっぱに手を置く。撫でると、頭の上で輝くレースのカチューシャがくしゃりとゆがむ。うるわの表情もまた、カチューシャのようにくしゃりとゆがみ、かすかだが強ばった顔がほころびはじめた。だが、それも一瞬。


「その言葉、とても嬉しく思います」


 カレンに背を向けて、無表情な顔をナナに向ける。ナナは刀をぐるぐると振り回して遊んでいるようだった。暴風に吹き飛ばされてきた自動車のドアや、ホイール、岩石。それらが綺麗な切り口と共にナナの足下に転がっている。


「カレン、私が代わります。いいですね?」


 背中でカレンに問いかけた。


「……そうね。残念だけど、代わってあげるわ」


 口の中で乾燥梅干しを転がしながら、乱れた髪の毛をすく。


「ねぇ~……もういいの? ナナ我慢できないよ?」


 教鞭を生徒に突きつける教師のように、刀の切っ先をカレン達に向けた。とても兵器を冠する者の発言とは思えない。もちろん、特殊部隊をたった一人で片付けたとも思えないほどの軽い発言に、東洋風の男は奥歯を鳴らす。


「人型古代兵器にもそういう気遣いはあるのですね」


 カレンより一歩前に出て、地面に落とした標識を拾い上げる。


「にゃにゃっ!? 違うよ! ナナは金髪と戦うの!」


 頬をふくらませ、刀を感情的に地面に叩き付けた。


「私が相手でも、失望はさせません」


 標識を人型古代兵器ナナに向ける。


「ふ~んふ~~んふ~~~ん! じゃ、いくよっ」


 笑顔を浮かべたナナが地面を蹴った。

 第一歩。初速。踏ん張ったアスファルトの地面にひびが入る。

 第二歩。加速。残像が、台風一過のような事件現場を駆け抜ける。

 第三歩。最速。音もなく、うるわの懐へ飛び込んだ。

 東洋風の男を殺そうとしたときよりも、カレンに飛びかかったときよりも、速度は上。

 ためらいもない必殺の斬り上げ。まるで神速の抜刀術。

 地面ぎりぎりから放たれた一閃が、うるわの持つ標識を容易に両断した。半分の長さになった標識が、地面に転がる。進入禁止のマークがなくなり、残るのは切り口が鋭利になった根本のみ。とっさにうるわが身をさばいていなかったら、生首が地面に転がっていただろう。

 視界に残像を伴うほどのスピードと剣速は、恐怖を通り越して絶望に値する。

 その様子を見たカレン。

 口内で転がしていた梅干しの動きが止まった。酸っぱさに舌鼓を打つのを止める。加えて、喜色が頬を彩り、組んだ腕に力が入るのが分かった。

 ナナがさらに踏み込んだ。刀を抜刀した右手。開いた体。それは回転によって攻撃へと変換された。未だ辺りをただよう暴風域の余韻。砂ぼこり。回転力で巻き込んで、右足の回し蹴りへ。初手をよけられることを見越しての予備策か、あるいはとっさの機転か。早さとしなやかさを兼ね備えたナナの柔軟な攻撃に、うるわは胸元に直撃を受けてしまう。

打撃の威力はどれほどのものか。

 エプロンドレスがアスファルトにこすれて汚れていく。小柄なうるわの体が十メートル後ろに蹴り飛ばされ、カレンの横を勢いよく滑っていった。飛ばされた先には、ひっくり返って炎上していた車。助手席にぶつかり、うるわはようやく止まる。レースのカチューシャがナナの目の前に舞い、カレンとナナを結ぶ視線を遮った。


「……にゃ?」


 うるわがやられたにもかかわらず、カレンは微動だにしない。

 余裕の笑みを浮かべたまま、胸を張り、腕を組んでいる。

 カチューシャが地面に落ちると、カレンの後ろで、むくりと立ち上がる気配。

 肺を圧迫されたのか、一つ大きな咳払いをして、うるわは顔を上げた。無表情は相変わらずだが、うるわの放つ意志は静かに燃えているように見える。汚れたエプロンドレスの裾を払うと、半分になった標識を右手に持つ。


「本当にやっかいよね。アンタもそう思わない? 人型古代兵器?」


 カレンが組んでいた腕を広げて、肩をすくめて見せた。

 質問の意味が分からず、首をかしげるナナ。


「だって、うるわは専守防衛。一度やられないと、やり返せないんだから」


 カレンが肩越しにうるわを見る。


「――先制攻撃と認識。防衛行動に移行します」


 うるわの背負う炎が、うるわを避けるように揺らめく。


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