第五話・「GO! GO! GO!」
爆発だった。
天を貫かんとする炎の柱は、周囲の建造物を吹き飛ばして、夜の闇に大きな手のひらを広げた。原形をとどめない建造物の残骸は、まるで積乱雲から降り注ぐ巨大な雹だ。冷蔵庫ほどもある岩石が、炎を纏って空中から降り注ぐ。
噴火かと見紛うばかりの光景。
屈強な兵士達を乗せた輸送車の列が、炎をかいくぐって爆発の根本へとスピードを上げる。
「なによ、まだ着かないわけ? こっちは待ちきれないっていうのに」
黄金色の瞳を輝かせ、装甲車に備え付けられた銃座から事件現場をのぞく。装填されたガンベルトが、走る輸送車の衝撃でじゃらじゃらと音を立てる。
「暗いからよく見えないわね」
目を細めたまま、胸元でぶら下がっている黒縁メガネをかける。銀色のメガネチェーンが閃光にきらきらと輝いている。
「しかし、何でこの私がこんな扱い……」
つぶやいた女の装甲車は最後尾。目の前には事件現場に急行する三両の装甲車。
そのどれにも兵士達がすし詰めになっていると考えると、なんだか気分が悪い。
筋肉と、筋肉と、筋肉。
ふと自分の乗っている装甲車の車内を見回すと、褐色の肌をしたスキンヘッドの兵士と目が合った。スキンヘッドの男は、女と目が合うとニヤリと下品な笑みで応える。
「……うげ」
舌を出して吐き気を催す女の耳に、生々しい爆発音。
爆発の閃光から音が聞こえるまでのタイムラグは、ほぼなきに等しい。
緊迫した状況の中で、周囲の男達は興奮を隠せない。立ち上る水蒸気は男達の意気盛んな汗なわけで、メガネを外した女は自分の首を絞めるように呼吸系を絶った。
これ以上、一秒たりともこの密室空間の悪臭をかぎたくはない。
「カレン、気持ちは分かりますが、ここは気持ちを落ち着けるようにしてください」
涼やかな声は、カレンと呼ばれた金髪女の隣。
カレンは流れるような金髪を後ろに振り払って、瞑想にふける女に顔を近づける。
「そう言ううるわはだいぶ静かね? 緊張してるの? それとも怖い?」
つんと伸びた鼻先をぶつけるように、面と向かって物静かな女に挑発を仕掛ける。うるわはカレンの無遠慮な言葉には一切応じずに、ただ目をつぶって長く深い呼吸を繰り返す。閉じられた長いまつげが、目の下に影を作っている。肩で切りそろえられたおかっぱの黒髪は、車の激しい上下運動に従うように、ゆらりゆらりと揺れている。一見して何事にも動じない平常心は、明鏡止水の如し。
「緊張はしていますが、怖くはありません。カレンはどうなのですか?」
「もちろん、やる気満々。久々に私の活躍の機会が巡ってきたんだから」
拳をぱきぽきとならして口角をつり上げる。悪戯を思いついた子供というよりは、愉快犯を思わせる嗜虐的な笑み。
そんな二人のやりとり見ていたスキンヘッドの男が、突然笑い出した。
「活躍だって? いいねぇ……その響きと自信。獲物も持たずに活躍できるほど残念ながらこの世界は甘くはないぜ? どちらかというとお嬢ちゃん達が活躍できるのは風俗街だと思うが? それとも都市最大の電気街かな?」
二人の女の子を指さして笑う。確かに、男の言うことには一理あった。
兵士達は皆、防弾チョッキや暗視ゴーグル、アサルトライフルにサブマシンガン、最近導入されたばかりの多目的ヘッドセットのおまけ付きだ。そんな最新の武装を身に纏った兵士達の中。
カレンはゴシック調の黒いロングコートを身に纏っていた。襟元にはリボン似せたレースがあしらわれている。袖は大きめで腕がもう一本はいるほどの不可解な隙間がある。大きめのサイズというわけではないようなので、オーダーメイドといったところか。漆黒のゴシックロリータに金髪。どこの世間知らずのお嬢様だと言われても反論する者はいないだろう。
もう一方、うるわはワンピース型の漆黒のエプロンドレス。首元にはふりふりしたコットン仕様のヨークが揺れ、黒髪には真っ白なレースのカチューシャ。まさにお嬢様付きのメイドという出で立ち。もちろん、この場合のお嬢様はカレンだ。
まだ年端もない少女二人に、男はいらだたしげに顔をしかめる。
「まったく、非常事態にこれはどういう訳だ? いつからここは託児所になった?」
男達がサブマシンガンの弾倉を念入りに確認する向かい側で、メイド服の女はあからさまな皮肉にも物静かに目をつぶって座っている。カレンに至っては、馬鹿にしたようにニヤついてさえいる。
それが気にくわなかったのだろう。
男はサブマシンガンのレーザーサイトを開いて、赤い光点をカレンの額に向ける。明らかな度を行き過ぎた挑発に、周囲の兵士が舌打ちをした。
「ふ~ん、そのヘッドセット、一応、最新鋭のでしょ。自分では見えない場所の情報を自動的に視界に届け、なおかつ部隊内で逐一共有できる。でも、過信しない方が良いわ。戦場では結局、誰かの届ける情報を信じるよりも、自分で見た情報を信じる方が長く生き残れるものよ」
「ガキが知った風な口を」
「その言葉には訂正を要求します。カレンの言うことは正鵠を得ています。私もその機器を試してみましたが、しっくりときませんでした。戦場は一秒一秒、刻々と変化していきます。生きた戦場で情報が届くのを待つ数秒は、死を待つのと同義です」
銃口がカレンからうるわへ。
「試した、だと?」
「世間では最新鋭といわれていますが、私たちにとっては一年前までのことです。現在はバージョンアップされて、よりタクティカルに進歩しています」
目をつぶったまま、淡々と告げるうるわ。
「はったりを――」
「知らないのは幸せよね。井の中の蛙でいられるもの」
手を広げてため息をつく。妙に芝居がかった仕草が男のカンに触ったのか、男は銃底でカレンに殴りかかる。
男の攻撃に隙はない。
筋肉が一瞬にしてふくれあがり、最短距離でカレンの右側頭部を襲う。車内の男達が、いさかいを止めようと腰を浮かしかける。
間に合うはずはない。
男の攻撃は、言葉や行動で止められる速度ではないのだから。打ち所が悪ければ、頭蓋を傷つけられてもおかしくない一撃だった。
銃底を受けたカレンのこめかみはぱっくりと裂け、血がほとばしる。
金色の瞳が男の視界から消えるのは、意識を失った合図である。
「……うるわ、私は別によかったのよ?」
男の見た未来図は、筋書き通りの結末へは至らない。
「ですが、カレン」
座席の上で瞑想していたうるわはいない。遅れて男のスキンヘッドに届いた風が、男の冷や汗を乾かしていく。左手で銃底を押しとどめて、右肘を男のあごへ。まるで首筋に押しつけられたナイフのように、肘は正確に男のあご下で停止していた。
「いいわよ、私もいい加減この臭いにイライラしているんだから。早く外の空気が吸いたいわ」
カレンの纏うゴシック調のコート。その袖元で何かがうごめいた。
「それは困ります。カレンが本気になってしまったら、装甲車がただではすみません。カレンは狙いがおおざっぱすぎますから」
「面倒くさいのよ。やっぱり派手さが一番でしょ?」
「駄目です。派手好きとはいえ、ここは自重してください。それと……」
うるわはカレンに向けていた黒瞳を男へと戻す。
「無駄な抵抗はやめてください。敵は他にいるでしょう?」
空いた左手で胸元のコンバットナイフを取り出そうとする男。
「違いますか?」
うるわはさらに強い言葉と態度で釘を刺す。
男がサブマシンガンを押しても引いてもびくともしない。二の腕の筋肉を限界まで振り絞って、いくら血管を浮き立たせようが、うるわは涼しげに受け止めている。
奇妙な光景だった。羊がライオンを食らうような構図だ。周囲の屈強な男達も、さしもの光景には口をあんぐりと開けっぱなし。
「クッ……!」
うるわが受け止めたサブマシンガンの銃底が、みしりと音を立てて歪みはじめた。軽量化されているとはいえ、握力で銃を変形させるのは人間業ではない。
メイド服を着た怪力女。
どこの戦場を探しても、そんな兵士は見つからないだろう。男は背筋を凍らせながら、奥歯をかみしめて力を抜く。どさりと腰を落ち着けた男は、限界まで力比べをした真っ赤な二の腕をさする。奥歯をかみしめているのは、少なからず傷つけられたプライドのせいだ。
「……聞いたことがある」
最奥に座っていた東洋風の男がうるわを見やる。
「要人警護型戦闘家政婦、通称SAM……大統領級の要人警護のために世界中から選抜される、世界で最高最強のメイド集団……その内の一人が君か」
「丁寧なご紹介ありがとうございます」
うるわはぺこりとスカートの裾を取り優雅に一礼する。しかし、振る舞いに見合うような笑顔はついてこなかった。
「……へぇ、関心関心。アンタ結構物知りね。そうよ、うるわは日本で唯一のメイド・イン・ジャパン。SAMの中でも史上最年少でメイド・インの称号を受け取った、屈強な乙女ってわけ」
「カレン、それは褒めているのですか? 屈強と乙女は、どこか対義語に近い響きがありますが」
カレンの表現がお気に召さないようだ。わずかに眉間に皺を寄せている。
我がことのように胸を張るカレンはなおも続ける。
人差し指をたてて、得意満面。
「ちなみに、表情に関する審査は軒並みマイナス。その他は満点。前代未聞よね」
「ははは……同意していいのか……困るな」
カレンの背後でぴくりと眉を動かしたうるわに気がつき、男はあわてて語尾を濁した。
「それにしてもよく気がついたわね。褒めてあげてもいいわよ?」
腕を組んで男を見下ろす。
「どうも。俺はこう見えても、昔は要人警護をしていたんだ。メイド・イン・アメリカとはちょっとした顔見知りでね。それで君のことも多少聞いていただけだ」
メイド・イン・アメリカの単語が飛び出して、うるわは頬を少しだけこわばらせた。
「だが、詳しくは知らない。表情審査がマイナス評価だったってこともね」
表情の変化に乏しい少女は、男の意地悪な言葉にも動じない。
「……メイド・イン・アメリカは苦手です。彼女はカレンと似て、手が早いのが玉にきずですから。私は専守防衛こそがメイドの本分だと自負します。宣誓式でも誓いました」
「やられるまでやらない……日本人らしい解釈だな」
うるわを肯定するわけではなく、男は苦笑いをこぼした。
「まったく、あんな女と一緒にしないで。少なくとも私の方が何倍も上品でおしとやかだし、なにより強いわ」
会話の間に割ってはいるように、カレンが足を踏みならした。
「後者は否定しませんが、前者には同意しかねます」
首を横に振るうるわ。
「煮え切らないわね……スマートに物事を解決できるという意味でよ」
「力で解決することはスマートではありません。加えて、カレンが何かをしでかした後には、それはもう大量の瓦礫の山と、被害報告書、請求書、関係各省からの抗議文の山が残ります。カレンはそれを全部私に押しつけます。カレンは面倒くさがりです。カレンは後片付けを知らない子供と同じです」
カレン、カレンとあえて名前を強調しするのは、特大の嫌味だろうか。
「いちいちうるさいわね……で、当然、私のことも知っているんでしょうね?」
口では勝てないと踏んだのか、反撃をあきらめ、矛先を東洋系の男に向ける。
「すまない、君のことはあいにく……」
「ふざけてるの? うるわは知っていて私は知らないってどういう訳!? カレン・アントワネット・山田と言ったら、その筋では超有名でしょうが!」
男が首を横に振るのを見て、カレンは髪を逆立てる。
「すまないが、俺はその筋の人間じゃないのでね」
冗談めかした風に手のひらを広げてみせる。
「その厳つい顔は、思いっきりこの筋でしょうが!」
カレンが髪を振り乱す背後から、うるわがあわてて羽交い締めにした。
「落ち着いてください、それが越えられない知名度という壁です」
「うるわ、アンタね! いいわ、いい機会だから、その極小の脳みそにたたき込むといいわ! 私はあの――」
うるわが素早くポケットに手を突っ込む。
「カレン、乾燥梅です。落ち着いてください」
言下を遮ってカレンの口に赤い粒を押し込んだ。
乾燥梅を右に左に口の中で転がしながら、カレンは酸味に口をとがらせる。
「ん……む……物でつられるのは癪だけど。まぁ、許してあげるわよ」
これには男も苦笑いを浮かべるしかない。まるで母親と子供だ。そう言おうとした口をあわててつぐむ。
「それにしても、この味……たまらないわね。このブランドの乾燥梅じゃないと真似できないのよ。ちょうどいいリハビリになるのよね……」
干し梅は右の頬にある。小さい口の中でころころとよく転がすから、干し梅の行方がはっきり分かる。激昂していたかと思いきや、スイッチを切り替えるように落ち着きを取り戻すカレンもそうだが、怪力やメイド・イン・ジャパンという肩書きにもかかわらず、人間らしい反応を見せたりするうるわ。
東洋系の男同様、乗り合わせた兵士達は一様に疲れを感じていた。実は、今いるのは装甲車の中ではなくスクールバスの中で、任務は武力鎮圧ではなく喜劇鑑賞なのではないかとさえ思える。すぐそばまで迫った爆発音を耳元に感じながら、男達はあわてて気を引き締め直す。
乾燥梅に舌鼓をうっていたカレンの体が、前触れもなく宙に舞う。
カレンはうるわに手を取ってもらい、どうにか転倒をまぬがれた。全速で道を駆け抜けていた装甲車が、急停止している。兵士の一人が倒れた体を持ち上げながら、運転席に何事かと叫んでいた。
「レディを乗せての運転とは思えないわね……! バラバラにしてやろうかしら」
「どうやら前方の車列が敵にやられたようです。行きましょう」
燃え上がる先頭車両が左右に備え付けられた銃座から確認できる。数名が銃座に取り付いて、残りの人間は腰を低くする。後部ハッチが開く時間すら惜しい。サブマシンガンのグリップを握りしめる兵士達の握力が強まる。ヘッドセットの起動音ですらうるさいと感じられるほどに研ぎ澄まされる感覚。野獣のごとく腰を丸めて戦闘態勢を取る様は、さすがの歴戦の人間が持つ鬼気だけある。
「敵がいること、すっかり忘れていたわ」
コートの両袖口が、カレンの腕とは別に蠢き出す。
何かが入り込んでいるような奇妙な動きだ。
「思い出したようでよかったです」
丸腰で奇異な服装をした二人だけが、この場の空気から取り残されていた。
戦場への道が開く。
後部ハッチが開放され、男達は一斉に軍靴を鳴らして飛び出していく。
「GO! GO! GO!」