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エピローグ・「絆」

 ハルがいつになく仏頂面でイスに座っている。

 足を組んで、そっぽを向いて、頬杖までついて。


「くくっ……ハ、ハル……ア、アンタ……どうしてまた……また……また……ぷっ!」


 伸びきってしまったニット帽。どうやら、かぶるのはあきらめたようだ。床で伸びているマキの顔面に臨終が如くかぶせられている。マキの頭には、駅前のアイスクリームのようにたんこぶがいくつも重なっていた。たんこぶから上がる煙が、見るからに痛々しい。


「くくく……あははははっ! やっぱり駄目よ、笑いが止まらないわ……ああ、お腹が痛い。傑作、本当に傑作……くくく……もう駄目! もう駄目!」


 目をそらしては笑い、目を合わせてはまた笑う。見かねたうるわが、キッチンからカレンを冷静にたしなめようとする。

 振り返ったうるわの手には、包丁とジャガイモ。皮は薄く綺麗に剥かれていた。


「カレン、笑いすぎです。そんなに笑っては……そんなに笑っては……いけま――」


 調理に戻るうるわ。


「今、絶対に笑っただろ!?」

「いえ、気のせいです」

「嘘だ!」

「いえ、気のせいです」


 ちっともハルの方を向こうとはせずに、調理に集中しようとする。うるわの肩が小刻みに震えているのを見たハルは、むっとしてイスにどっかりと腰を据えるしかない。


「あはは……全く、本当に面白いわね、アンタって。私の予想の斜め上をいってくれるわ」


 笑いすぎで溜まった涙を指先で拭う。


「好きでここまで短くしたんじゃない」

「勘違いして欲しくないんだけど、別に似合ってないって訳じゃないのよ?」

「あれだけ笑った後に言う台詞かよ、それが」


 仏頂面は堅さを増す。


「確かにそうね。……あ~あ、久しぶりに大笑いしたわ」


 嬉々とした表情を見せていたカレンが、ふいに表情を軟らかくする。


「ま、それはそれとして。……ねぇ、あれからどう?」


 手を組んだ上に顔をのせて、小首をかしげる。透き通るような金髪が、首筋を流れ落ちた。


「少しはマシになった?」


 悪魔のような天使は、天使のような悪魔の微笑みを浮かべてハルを見つめる。


「前髪のことなら笑っただろ、それに――」

「そんな表層的なことじゃないわよ」


 カレンの言葉が追求する先はハルには分かっていた。

 ハチとの戦いの折にカレンが言った言葉が蘇る。胸ぐらをつかみ、カレンがハルに告げたこと。頭を打ち付けるような強い言葉。

 キッチンで調理するうるわも手を止めて、二人の会話の行く末を探っている。


「……俺に分かるか、そんなこと」

「お兄ちゃんは、頑張ってますよ」


 イスに座った兄の肩を揉むようにしてマキが顔を出す。

 たんこぶはいつの間にか治っていた。


「ベッドの下にあったエッチなコスプレ本は、全部トレーニンググッズに変わりましたよ!」

「……ハル、コスプレのジャンルはちなみにどのようなものでしょう? 返答によっては今後の対応を改めねばなりません」


 ジャガイモをまな板ごと叩き切ったうるわが、背中でもの申す。


「うるわ……なぜそこだけ絡んでくる……?」


 ハルのつぶやきを上書きするマキの声。


「前髪を切ったのだって、前向きに生きる決意の証なんです!」

「それは妹としてのひいき目かしら?」


 眼を細めるカレン。狩猟者のような瞳の輝き。


「違います。女としての男を見る目です!」


 挑発をはねのけ、兄の首に嬉しそうに抱きつく。逆に、カレンを挑発的に見つめ返す。


「女らしさもないくせに、女を語るなんてね」

「それは、少しぐらいマキよりも胸があるからそう言うんですか? でも、いいんです! お兄ちゃんは、私ぐらいの大きさの方が好きだって言ってくれたんですっ!」

「…………は?」


 記憶にない。証人喚問でも同じように断言できる。

 今のは完全なマキのでっち上げだ。


「そうなのハル? アンタはこんな小振りなのがいいわけ? 大は小を兼ねるのに?」

「…………は?」


 マキの胸を指さして、自らも胸を張る。本人が誇示するように、確かにマキよりも一回り大きい。


「そうですよね? ここにいる誰よりもマキの方がいいって言ってくれましたよね?」

「ハル、本当ですか?」

「う、うるわ……包丁をしまえ。ここに切るものはない」

「包丁の使い方は切るだけではありません。刺すことだって出来るのです」

「その使い方は間違ってる!」


 一瞬の早業。ハルの鼻先に無表情のまま包丁をあてがっている。無表情でありながらも影をまとうその姿に、ハルは脅迫されているように感じられた。命の危険を察知した汗が、逃げるように頬を流れ落ちる。


「ハルのピンチだー!」


 ドアを蹴破って現れる小柄な影。空中で二回転し、ひねりを加えると、見事にテーブルの上に着地した。ハルを取り囲んでいた三人の動きが止まる。


「にゃっ! ハル~! やっと会えた~! ナナ寂しかったよっ!」

「な、ナナ!?」


 イスに座るハルに、正面からまたがるように胸に飛び込む。ハルに頬ずりしながら、ごろごろとのどを鳴らす。まるで猫のような仕草。

 反射的にハルの胸が高鳴ってしまう。反射的に頭をなで、反射的にナナの背中に手を回してしまい、反射的に抱きしめるような格好へ。


「お兄ちゃん!」

「ハル、アンタ……!」

「ハル、不潔です」


 殺気立つ三人、六つの眼光に、ハルが我に返る。


「あ、いや……つい、反射的にであって……やましいことは何もない……ぞ」


 反射的に回してしまった手を離すと、反射的にぶんぶんと首を横に振る。


「やれやれ、我が姉ながら、はしたないことこの上ないね」


 ナナが蹴破ったドアの上に立ちながら、銀色の髪が揺れていた。


「お久しぶり、ハルと愉快な仲間達。その節はお世話になりました」


 うやうやしく頭を下げると銀色の髪が輝く。


「……ハチだったよな」

「僕の名前を覚えていてくれたんですね。そうです、八体目の《人機》にして至高の兵器ハチです」

「……直ったんだな」

「この通り」


 返答として、ハチはスーツを開いて懐を見せる。白い歯をこぼして微笑む様は、年相応のものに溢れていた。


「やろうと思えば、今からでも戦えるよ」


 ニヤリと歪めた口の端を待たずに、ハルを取り巻いていた三人の少女達が一斉に戦闘態勢を取る。マキは襲いかかる熊のように手をあげ、カレンは緩やかに袖を揺らし、うるわは包丁を逆手に構える。


「にゃ? みんなどうしたの?」


 目を丸くして首を回らせるナナ。危機感は微塵もない。


「……なんてね、嘘だよ、嘘。冗談。そんなつもりはないよ」

「本当なのか?」


 ハルの低い声にハチはため息をつきながら、肩をすくめる。


「嘘つくことで僕になんのメリットが?」

「メリットならあるわね。油断した不意をつけるじゃない?」


 鼻を鳴らすカレン。


「あ、言われれば確かにね。……でも、目的はそうじゃない。なにしろ僕がこうしてここにいられるのも、ハルのおかげだし。あのとき……ハルが僕を助けてくれた理由が知りたくてさ」


 手を広げて、ゆっくりと握りしめる。


「僕は敵だった。紛う事なき敵だった。うるわやカレンを倒したし、ナナでさえ敵に回した。ハルには僕を助ける理由なんて無かったはずだよね?」


 全員の視線がハルをとらえる。


「……お前がいなくなったら、ナナが悲しむだろ。それだけだ」

「ハルー!」


 嬉しそうにハルの頬をなめるナナ。ハルはくすぐったそうにしながらも、言葉を付け加える。


「……この世界だって捨てたもんじゃない。俺も色々あったけど、それでもこの世界で生きていこうと思える。それに……失ったものと同じくらい大切なものが見つかるかもしれないだろ」

「見つからなかったら?」


 赤い瞳がハルを見透かそうとする。

 思わずカチンと来たカレンが、声を荒げようと口を開きかける。


「見つけるんだよ。初めから後ろ向きでどうするんだ」


 ハルの意思のこもった声。カレンの口が開いたままで止まる。


「それに、大切なものが必ずしも道の先に転がっているとは限らない。埋まってるかもしれないだろ。良く探してもいないのにあきらめるなんて許さないからな」


 のど元までせり上がってきた台詞は、ハルと全く同じ。台詞を取られた悔しさは、不思議と表れなかった。

 それどころか、ハルの横顔に頼もしさに似た暖かさを感じ、カレンはゆっくりと自分の言葉を飲み込んだ。


「ふふ……さすが人間だよね。絶望の中に希望を見いだそうとする。たとえそれが、はかないものだとしてもさ」

「……ああ、そうだよ、悪いか」


 眉間に力がこもる。


「悪くない。だって、僕のお父さんも人間だから」

「にゃ! お父さんは人間だよー、ねー、ハルー」

「幸い、ナナはもう見つけているようだし、僕も僕なりに探してみるよ」


 《人機》の表情が砕けたものに変わっていた。


    ○○○


「ホント、ウチの上層部も愉快な判断下すわよね」


 テーブルを指でとんとんと叩きながら、カレンはハチを睥睨する。


「もともと捕獲が任務でしたからね。上層部としては多少ごたごたしたとはいえ、丸く収まってめでたしといったところでしょうか。任務も無事達成、瓦礫の山も破格の予算投入で再生支援、法律による箝口令で事件もあっと言う間に集束……。加えて私とカレンは《人機》監視任務に着任。平行して《彼岸》を守護するとともにここで暮らせと言うんですから」

「そういうところはホントに素早いのよね、相変わらず」

「上司というのは責任を取るために存在するのです」


 危うく流してしまいそうな軽い会話に、ハルがくってかかる。


「おい! 俺は聞いていないぞ!?」


 あまりの勢いにイスがひっくり返りそうになる。


「今、言いましたが」


 しれっと言ってのけるのは日本一のメイド。


「あ、あのなぁ……今日はただの打ち上げだと思って――」

「どちらかと言えば、快気祝いだよね、お兄ちゃん?」

「た、確かに――ってどっちだっていい!」


 テーブルを叩くとスプーンが飛び上がる。


「そう騒ぎ立てないでよ。決まっちゃったんだから仕方が無いじゃない。長いものには巻かれるのが一番。なんなら私の《千手》にも巻かれてみる?」


 スプーンに自分の顔を映して遊んでいるナナを横目に、いたずらに笑う。


「それにこの妹がいるんだもの、心配ないでしょ?」

「そうです! お兄ちゃんはマキが守ります!」

「ナナも守る! ナナもハルを守るよ!」


 仲良く挙手をする二人に盛大なため息をつき、ハルは力なくイスに腰を預ける。


「あなたの負けのようですね、ハル」

「はなから勝敗の見えたいかさま勝負だったみたいだけどな」


 顔を手のひらで覆い、指の隙間からうるわをにらむ。


「疑心暗鬼を生ずです、ハル」


 湯気が立ち上るカレーをテーブルに並べていくうるわ。


「くそ……で、始末書は書き終わったのか?」

「ええ、今回はカレンにも手伝っていただきましたから」


 ハルの前に置かれたカレー。スパイスのきいた香辛料が香り豊かに広がり、食欲をそそる。形良く切りそろえられた具材が、ルーから顔を出している。


「半月よ、半月。部屋に閉じこめられて、一日中デスクワーク……うるわもよくやるわよ」

「よくやったのはカレンです。よくもあそこまで破壊したものです」

「うまい皮肉だね。流石に主人とは違ってメイドは優秀。このカレーも美味しそうだし」


 ハチが浮かべるのは、得意の軽薄な笑み。


「コイツ……大晦日の対戦カードは決まったも同然ね」

「どっちもどっちだろうが……」


 ハルの盛大なため息で、湯気が吹き飛ばされる。


「ねぇ、お兄ちゃん、早くいただきますしましょう! マキはもうお腹がぺったんこですよ!」

「にゃ! ナナも、ナナも!」


 ハル、マキ、カレン、ナナ、ハチ、うるわ。

 計六人の狭い食卓ができあがる。

 それぞれの前には大皿に盛られたカレーライス。


「それではハル、乾杯の音頭といきましょうか」

「乾杯? ……い、いつの間にジュースが」


 カレーの隣には、オレンジジュース。


「それがメイド・イン・ジャパンですよ、ハル」

「早くしなさいよ、冷めるでしょ」


 カレンがグラスを掲げると、他のメンバーもそれぞれにグラスを掲げる。全員の期待の目に、ハルは引っ込みがつかなくなってしまって、何を言おうか考え込んでしまう。

 見渡せば、賑やかな食卓と、それを取り囲む個性豊かな面々。

 ……それほど遠くない昔、一人になってしまった食卓が確かにあった。一人には広すぎる食卓で、一人には広すぎる家で、たった一人いただきますの発声をすれば、あまりにも空しく声が響き渡る。それはまるで洞窟。太陽の光が届かない、冷たく湿った洞窟だった。

 そこでハルは孤独と、悲哀と共に暮らしていくことを決めた。


「あ~……その、なんだ……」


 それがどうだ。

 今や食卓を囲むのは、天真爛漫な最強妹と、世界屈指のメイド、勇壮可憐な女主人、稀代の古代兵器達。なんて賑やかで、どうしようもない食卓だろう。

 響き渡る喧騒は、近所迷惑だといわれるかもしれない。苦情だってくるかもしれない。


「お兄ちゃん! 頑張るのですっ!」

「ハル、落ち着いて深呼吸をするのです」

「あと五秒ね、それ以上は待てないわ」

「僕はカレンとは違って、待つよ」

「ナナも待つー!」


 ……ったく、どいつもこいつも、好き放題笑いやがって。

 ぽっかりと空いた心の隙間に暖かい光が入り込んでくる。

 あまりにもすんなりと。あらかじめ場所を用意していたかのように。初めから決まっていたかのように迷い無く。身体の隅々まで染みこんでいく。

 気持ちいい。

 長く絡まっていた糸が、解かれていくようだった。ハルは暖かい空気を肺一杯に吸い込んで、グラスを高々と掲げた。オレンジジュースがグラスの縁からこぼれるほどに。

 ハルの高らかな声。次の瞬間には、食卓に響くだろう。

 短くなった前髪から、見たこともない表情がのぞく。

 ハル以外の全員が、その顔を目に焼き付ける。


「――みんなの絆に、乾杯!」


 ハルは笑っていた。



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