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第四話・「ツンデレよね」

 思い出しながら苦笑いをこぼすしかないこずえ。

 クラス一番の座をいとも簡単に奪われてしまったのに、どこかすがすがしい。

 ……ま、あれだけ圧倒的ならね。

 窓の外で戯れる小鳥に平和を感じながら、こずえはハルを見下ろした。


「とにかく、ハルは少し心を落ち着けて。今頃マキは先生方にこってりと絞られてるよ。ここは心の広い兄として、怒られてしょげているだろうマキを許してあげないとさ」


 我ながら格好良いことを言っているなと感心してしまう。


「俺は怒ってない」


 しかし、敵の城はどうにも難攻不落のようだった。


「怒ってる」


 こずえがハルの鼻先に指を突きつければ。


「怒ってない」


 ハルは眉間にしわを寄せたままそっぽを向く。


「怒ってるじゃない」

「怒ってない」

「どこが怒ってないのよ」

「本人が怒ってないって言ってるんだから、俺は怒ってないんだよ」

「どう見ても怒ってるじゃない」


 外巻きの髪がふるふると震え始める。

 ハルの机についたこずえの両手は、今にも机をひっくり返しそうな勢いだ。教室の外で待機するクラスメイトは、こずえの発火点が近いことを敏感に感じ取る。説得を試みる者が先に爆発してしまっては本末転倒。ミイラ取りがミイラになっては意味がない。それでは収拾がつかなくなってしまう。あわてて窓の隙間や入り口から身を乗り出して、身振り手振りで退却して来いと訴えている。それでも一歩たりとも教室の敷居をまたぐことはない。

 何はともあれ、へたれなクラスメイト達なのであった。


「しつこい奴だな……!」


 ハルの目がここで初めてこずえの目に向けられる。心底わずらわしそうににらみ付けたハルの眼光が、ついにこずえの導火線に火をつけた。肩から真っ黒なオーラが立ち上り始め、外巻きの髪もさらにカール度を増している。委員長を視覚的に判断できるバロメーターが、周囲に警鐘を鳴らす。

 やばい。やばいぞ。あの委員長はまずい。こらえてくれ。

 こずえ、怒っちゃ駄目。お願い、我慢して。

 戦況を見守るクラスメイトの小さな叫びが聞こえる。


「しつこくもなるわよ!」


 ハルの机を叩いて額と額をぶつけ合う。


「悪いけど、余計なお世話だ」


 負けじとハルも、長い前髪の隙間から泣く子も黙る眼光をあらわにする。


「あ、そんなこと言うんだ~……へぇ~、ハルはせっかく助け船を出してあげようとしている私にそんなことを言っちゃうんだ~」


 一歩引いたかと思えば、イスに座るハルを見下すように腕を組む。


「放っておいてくれ」

「放っておけるわけないじゃない!」


 もう一度ハルの机を手のひらで叩く。耳をつんざく音に、廊下にいる全員の肩がびくんと跳ね上がる。衝撃は、前列の席で広げられていた弁当箱も飛び上がるほど。

 ごくり。

 廊下で何人が息や唾液を飲んだことだろう。

 息をのむ静寂が、教室の中に緊張を作り出す。緊張の針が教室の外にも飛び出しているのか、外で戯れていた小鳥が大あわてで飛び去っていった。

 広げた弁当箱と、雑談でにぎわうはずの昼休み。

 しばらく続くと思われた膠着状態は、ハルの低い声量で破られた。


「……何でだよ。俺のことなんて無視してればいいだろ」


 怒りが少しだけ消失したハルの言葉に、こずえは面食らったようだ。


「何でって……それは、その、あれよ、合理的な理由よ」


 廊下をちらりと見れば、全員が目をそらす。顔面を手でおおっている友人達。

 決めた。委員長権限で、全員の宿題を増やしてもらおう。

 こずえは心に誓った。


「うーん……そう! クラスのためなの。みんな迷惑してるの! いつもそんなにむすっとしてたら、何か色々ハルはもったいないのよ。第一印象から損してるの!」


 オブラートに包もうとしても、うまく言葉として出てこない。結局は思い浮かんだ言葉そのまま。

 委員長としてそれはやっぱり未熟かな。

 こずえの脳の冷静な部分がそう反省をする。


「ハルが怒るとみんな怖がるの! みんなハルと色々話したいのに、いつもしかめっ面で、無愛想で……ハルはいい加減にそこら辺を理解してよ!」


 半ば懇願のような物言いだった。

 身を乗り出してハルに気持ちをぶつけるこずえ。

 クラスメイト達は、その様子を廊下から眺めながら、自分たちの選出は間違っていないのだと一様にうなずく。

 感情を包み隠さず、正直に、誰にでも対等にぶつかっていける。

 それが、こずえがクラス委員長に選ばれた理由。

 ……存外、怒りっぽいところをのぞけば。

 うなずきながらも、全員がそう後付けした。


「ハル、そうやっていつもいつも怒ってばっかりじゃ、眉間のしわが当たり前になっちゃうよ? もっと明るく行こうよ。楽観的にさ。少しは妹のマキみたいに年中ニコニコする努力をしてみたら? そんなハルを見てると……こっちだって苦しいんだから」


 ハルはこずえの瞳を見ることができなくなって、とうとう視線をそらした。偽りの葬式となってしまったが、妹の死を悼んで本物の涙を流してくれた委員長。人相が悪くて、人に避けられがちなのに、かまわず突っかかってきてくれる委員長。

 罪悪感がハルの胸を締め付ける。

 窓の外に顔を背けたまま、ハルは下唇を強くかみしめた。

 本当は何がしたいか。どうしてあげたいか。どうして欲しいか。心の中では分かっているつもりだった。でも、それをしたら自分が自分でなくなってしまう気がする。行動に移してしまった瞬間に、今まで築き上げてきた自分という人間が崩れ去ってしまうような気がする。

 それはとても怖いことだった。

 ハルは悔しさを隠すように、表情を伸びた前髪でおおった。


「ハル……。……ん?」


 ここが勝負だと理解した委員長がさらなる一手を打とうかというとき、上履きに何かがぶつかった。滑ってきた方向を見ると、教室の窓際にいた女友達数人が、同じタイミングで自信満々に親指を突き上げていた。

 最終兵器よ、受け取って! 

 ……とでも言いたそうな爽やかな笑顔が窓際に整列している。目元がきらりと光ったのは、マスカラのせいだと思いたい。


(……でも、これは確かに最終兵器だわ)


 足下に転がるあるものを拾い上げて、こずえはにたりといやらしい笑みを浮かべた。女友達同様に、目元がきらりと輝く。


「ええと……ハル、実はね、言い忘れていたことがあるの」


 ハルには悪いけれど、卑怯だと分かっていても、時には心を鬼にしなくては。

 こずえの先ほどの怒りはどこへやら。最終兵器を手にしたこずえは、今、圧倒的な捕食者へ成り上がったのだ。


「私ね、昨日、ゲームセンターに行ったの。ふと見かけたあるゲームに私は心惹かれてしまった。何か分かる? ――はい、分からない。では教えましょう。そう、かの機械の御名はクレーンゲームっ!」


 唐突な司会進行と、ナレーション。加え、へたくそな芝居でも演じるようにクレーンの輪郭を指で描いた。声もどこかわざとらしく、ハルは眉をぴくりと上げていぶかしがる。


「ハル、これがその戦利品なの」


 大げさな芝居は突如消え失せて、ハルの机の上に戦利品をそっと置いた。まるで殿様への献上品の如く、こずえの手のひらに収まる物体がその姿を現した。


「これなんだけど、どう?」


 猫。三百六十度、どこから見ても猫のぬいぐるみだった。


「かわいいでしょー?」


 茶色の毛並みに白い斑点。真っ黒でつぶらな瞳が、外光を浴びてうるんでいるように見える。耳はぴんと立っており、手は頬に添えられている。長く垂れたひげと柔らかそうな肉球は、まるで甘えるような仕草。二本足で立ち、体が丸くなっているのは販売会社の仕様だろう。最近クレーンゲームの景品として登場したばかりの新作だった。バリエーションも多く、ちまたでは密かなブームとなっている。お尻の方にある商品タグには、ぬこたん、とひらがなで書かれていた。長いしっぽがトレードマークだ。

 ハルはその出会いに目がくらむような錯覚を覚えた。


「き……きょ、興味ないな」


 顔をそっぽ向かせながらも、視線でちらちらと猫のぬいぐるみを牽制してしまうハル。みるみる落ち着きがなくなり始めている。まるで妻に浮気を見破られた夫のよう。こずえはハルの軟化していく怒りが嬉しくて、ほっとして、今にも頬がほころびそうになる。


「興味はないが……。す、少し……見せて……くれ」

「え? 何か言った?」


 ハルに耳を向け、良く聞こえるように手を添える。怒りの切っ先が刃こぼれをし始めていた。手に取るように分かってしまうので、こずえはどんどん楽しくなってしまう。


「べ、別に」

「もうっ、ハルは素直じゃないんだからっ!」


 ついに耐えきれなくなったこずえが、前髪で顔を隠し続けるハルの肩を叩く。


「コノヤロウ……! 俺はそんなことでごまかされたりは!」


 ハルがイスを倒して立ち上がる。こずえより背の高いハルの顔を下からのぞけば、顔を真っ赤にしている。前髪では隠しきれない表情があらわになっていた。


「これ、実はもう一個、同じもの持っているのよねー」

「……だ、だからどうした」


 こずえの言葉に、交渉の予感を感じ取ったのだろう。ハルが冷静な口調を取り戻す。


「どうしてもって言うなら、ハルにあげてもいいかな~……なんて」

「人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ……!」


 ハルはハルで譲れないプライドがある。拳を握りしめて、胸の前で震わせている。

 これ以上ハルを挑発したら、鉄拳が襲ってきてもおかしくはない。

 慎重を期すこずえ。

 教室内でマキが幾度となくたたきのめされるのを目にしてきたせいか、ハルの鉄拳が飛んでくるまでの怒りの境界線は分かっているつもりだ。ここは楽しさや、嬉しさを二の次にして、確実に。


「いいよ。ハルにあげる。さっきは大声出してごめんね」


 ハルの机上に猫のぬいぐるみを置いたまま、教室の外で待機するクラスメイト達の中に戻っていく。

 去り際、肩越しに振り返ると、ハルが複雑な顔をしたまま、倒したイスを起こしているところだった。少しだけ嬉しそうに、少しだけ悔しそうに。

 こずえはハルに、ごめんね、と声に出さずに告げていた。

 ぬいぐるみでごまかしてごめんね。ハルの慌てぶりを楽しんでごめんね。でも、怒りっぱなしのハルも悪いよ。

 こずえは教室の外で待つクラスメイトにガッツポーズを見せながら、自己弁護した。

 教室に張り詰めた緊張の糸が切れたとたん、教室に生徒達が次々になだれ込んでくる。思い思いに弁当を食べ始め、雑談に興じたり、トランプをしたり、本を読み始めたり。あっとう間に日常が戻ってくる。

 こずえはぬいぐるみを渡してきた女友達と弁当を広げながら、ちらりとハルを盗み見た。一番最奥の席に黙って座りながら、窓の外を見ている。猫のぬいぐるみは、相変わらず机の上でハルを見上げていた。ハルはきょろきょろと視線を教室に巡らせたあと、顔を向けずに、視線だけで猫を見る。

 どうやら、誰も見ていないことを確認したようだ。

 残念ながら、こずえは見ていたのだが。


「……ふふ……かわいいな、お前……」


 人差し指で猫の鼻先をはじくと、仰向けに猫が倒れる。

 微笑みをこぼしてしまうハル。頬は赤く染まっている。


「ツンデレよね」

「うん、ツンデレだわ」

「胸がときめきます、きゅん、ってなります」


 こずえと同じ風景を目にした三人の女友達は、胸を押さえてうっとりと呟く。

 輝く瞳は、まるで恋する乙女。


「調子よすぎよ、あんたたち……!」


 こずえの握りしめた箸が、みしみしと音を立てていた。


「俺はハル。……。……そうか、こちらこそよろしくな、ぬこたん」


 こちらこそ、ということは、ぬこたんとの自己紹介が成立したのだろうか。ひときわ純朴なハルの笑みが、窓際から差し込む昼休みの陽気に映える。


「デレデレよね」

「うん、デレデレだわ」

「胸がときめきます、きゅんきゅん、ってなります」


 胸を押さえてのぼせたように呟く。染まる頬は、まさに恋する乙女。


「知らないわよ、もう……」


 こずえのため息も、どこか嬉しさを含んでいた。


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