第四十八話・「人間だもん」
どちらが先というわけではない。それが必然であるように、時が重なった。一定の距離を保つように構内を駆け、ホームにつながる階段を上っていく。
滑り込んでくる電車はない。やはり全線運行停止の電光掲示板だけが、一定間隔でホームにぶら下がっている。多くの人でごった返すホームも今は二人だけ。足音だけが駅に反響していく。
微妙な距離感。力を最大限に発揮できる距離感を探す。
マキが電車の屋根に飛び乗り、ハチもそれに続く。車両と車両の継ぎ目を飛び越え、先頭車両にさしかかる。
着地の寸前で滞空しながら振り返るマキ。
――それが、最後の激突の合図だった。
着地と同時に一転、追いかけるハチへと急接近。
保っていた均衡が一気に崩れる。
二人から吐き出される鬼気が、ホームの雰囲気を一変させた。
力を宿した烈風がホームを駆け抜けていく。
二つの刃が激突。
一合、二合。
三合目はなく、大鎌の一振りをジャンプで交わしたハチが、大剣での唐竹割りを繰り出す。マキのバックステップ。制服が縦に切り裂かれ、胸元があらわになる。電車の天井に突き刺さる大剣。紙一重の一撃。マキの頬を汗が伝い、命が危険にさらされたことを知る。
剣を電車から引き抜き、追撃するハチ。刺突の姿勢。ハチの加速度が音速を超える。
一方、バランスを崩したマキの体。迎撃に体を持ち直そうとする。刹那、マキの背筋に戦慄が走った。
かかとが地に着いていない。背後には何もない。眼下には線路。
先頭車両であることがあだとなる。さらなるバックステップは無理だと直感が告げた。神速となったハチを止めることは不可能とも。後退したところで武器ごと貫かれるだろう。
背水の陣。
マキは前進することを即断した。
迫り来る白刃。兄の顔がよぎる。
閃く大鎌。兄の願いがよぎる。
走馬灯のように駆けめぐった。
ベッド脇で握りしめてくれた兄の手のぬくもり。優しい声。
聞きたい。もう一度だけ、もう一回だけ。
違う。そんなの嫌だ。一度なんてやだ。一回なんてやだ。
何度でも、何回でも。聞きたい。感じたい。
マキは。
「――マキは欲張りなのです!」
ハチの大剣がマキの首筋を抜けていく。
首に血の筋を残しながら、マキはハチの体を大鎌で断ち切った。
上半身と下半身が離れ離れになる切断音。
下半身は滑るように線路に落ちていき、上半身はホームに転がった。火花が散り、漏電した電気がほとばしる。瀕死の主に呼応するように、大鎌が形を維持できなくなる。マキは溶けていく大鎌をホームに落とし、ハチに近付いていった。
「……お父さん……負けちゃったよ……」
小さな声がホームに流れる。上半身だけとなったハチの目元から、綺麗な雫がこぼれていた。
「せっかく造ってもらったのに……会いたかったのに……」
軽薄な瞳も、今はどこかへ消えた。
ずっと自信満々だったのは、父親への信頼が故。尊敬する父親が造ったから、負けるはずがない。そう赤子のように信じ続けていたから。
マキは唇を噛むばかりで、声を出すことが出来なかった。
誰が悪いわけでもない。互いの願いを貫いた結果がそこにあるだけ。お互いに譲れない思いがあった。そして、どちらかが願いを叶え、どちらかが叶わなかっただけ。
それだけのこと。当然の摂理だった。
「終わったんだな、マキ……」
渇望してやまない声にマキが振り返る。ハルがうるわに肩を貸し、小脇をナナに支えられていた。瀕死のハチを見つけるや、ナナはハルから離れ、ハチに駆け寄っていった。
「お兄ちゃん……マキは、マキは……」
「言わなくていい。分かってるから、何も言わなくていい」
兄の優しい声音に、マキの表情が簡単に崩れていった。
その場でぼろぼろと涙を流し、ハチの願いを絶ってしまった自らの選択に苦しむ。
「俺がお前にそうさせたんだ。だから、俺も一緒なんだ」
マキの頭を手のひらでなでると、感極まったマキがハルの胸に飛び込んでくる。子供のように泣きじゃくる妹の姿に、ハルもまた胸を突かれる思いだった。
「理解に苦しみます、ハル。私にはあなたのような考え方は出来かねます」
無表情に冷徹さすら宿して、ホームに転がるハチを見ている。
「俺には……何が正しいなんて分からない。それを押し通すだけの力もない。でも、受け止める力はあると思う。たとえば……憎しみ。正しさを押し通せば、それがどんなに正しくても憎しみが生まれる。やがて、その憎しみが復讐の連鎖を呼ぶ。だから……連鎖させる力よりも、憎しみを終わりにするための力が必要なんだ。受け止める力が必要なんだ。……俺にはその力の方があると思う。傷つけられても許してあげたいと思う。そういう考え方もあっていいはずなんだ。俺は……悲しむことに慣れてるからな」
手を握りしめ、ハチに語りかけるナナの姿。それを悲しげに見つめるハルの顔は、寂しさと優しさにあふれていた。かつて、病床でマキを看取ったハル。そんな自分の過去を重ねるようなハルの目に、うるわの心が揺れる。
「ハル、あなたはお人好しすぎるのです……顔の割に」
フラットを装う、うるわの声。
「一言余計だと思う」
「ええ、存じています。そして……それぐらいで済ませてしまう私も、十分お人好しなのですが」
「うるわ……ありがとう」
胸の中で泣くマキの頭をなでながら、ハルはうるわに感謝した。
終わりの風がホームをないでいく。
ナナの悲しげな声が、風に乗ってハルに届いていた。
「ハチ……ハチ、大丈夫?」
「……ナナ、僕、お父さんに会いたかった……どうしても……一度でいいから、お父さんに」
声に雑音が混じり始める。まるで壊れかけのラジオのように。
「ナナも、お父さんが好き。ハチも好き。ハルも、カレンも、マキも、うるわも好き。ナナは、みんなで遊びたいの。みんなで楽しくゲームしたりしたいの」
切に願う声。
「ナナは誰も欠けてほしくないよ」
紡ぎ出される言葉達が、惜しみなくハチの記憶領域に書き込まれていく。
「お父さんがいなくても、ナナたちがいるこの世界には、たくさんの楽しさとか、優しさがあふれているの。お父さんが好きになった世界は、お父さんが生きていた世界だけじゃないんだよ。世界そのもの……そこに生きていた人とか、動物とか、生きているすべてのものが好きだったんだよ、きっと」
「でも……お父さんは絶望して……」
「――お父さんだって人間だもん」
その言葉にはすべてが込められていた。
人間が犯す、過ち。悲劇、喜劇。奇跡、絶望。
すべてを包み込み、それでもなお見守ろうとする力強さ。
「…………そうなの、かな……」
「うん!」
純粋な笑顔で頷く少女、《人機》ナナ。
あまりにも無垢な、疑うことを知らない笑みに、ハチの思考制御が一つの答えを導き出す。
「……そうだね」
「うん」
「ナナの……言うとおりだ………………」
唯一残ったハチの左腕を握りしめ、ナナは弟を最後まで見守った。
○○○
積み重なった瓦礫のてっぺんが揺れ、そこからほうほうの体ではい出す影がある。
真っ黒にすすけた姿を地面に這わせながら、ごほごほと咳き込む。
「…………うう……誰かいい加減に私を助けなさいよ」
ほふく前進しながら、破壊し尽くされた無人の町に顔を巡らせる。
「まさか――」
思いついたのは、ある一つの推測。
「――私を忘れてるんじゃないでしょうね!?」
崩壊したビルの谷間に、声は虚しくこだました。