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第四十五話・「犠牲」

 五分という時間の経過をハルに知らせると同時に、巨大な液晶パネルが地面へと落ちていく。

 液晶が設置されていたビルがお役ご免とばかりに崩れ落ちていった。風塵が巻き起こる中、ハルはうるわとナナの風よけとなる。破片がドアに当たり跳ね返る音が激しさを物語っていた。口から吸い込む粉塵に、ハルの肺は激しく反発した。激しく咳き込むハル。すでに口の中は砂埃の苦い味で一杯になっている。口から唾を吐き出しながら、ハルはこらえ続けた。

 ……守ると言った。強くなると言った。

 カレンに、強くなれと言われた。頼むと言われた。

 疲弊したハルの身体に、わずかだが力が蘇る。


「……二人とも……大丈夫か?」


 倒壊の衝撃が過ぎ去り、ハルは振り返る。うるわとナナがそれぞれうなずいた。

 全身を灰色に汚しながらも、二人はどうやら無事なようだ。

 まさに台風一過。雨の止んだ空は曇り空のままだが、激しかった攻防は五分を過ぎて直ぐに収まっていた。

 崩壊の音はもう無い。

 瓦礫の山を石ころが転がり落ちていく。その音だけが響き、空しく曇天に吸い込まれていく。廃墟と化した駅前のオフィスビル街。異様な静けさが周囲に充満していた。


「終わったのか……?」


 震災後の町並みに似て、煙があちこちから噴き上がっていた。立ち上る煙に咳き込みながらも、ハルはカレンを探す。すると、炎立ち上る向こうから歩いてくる人影があった。ハル達の下にゆっくりと歩み寄ってくる。

 何重にも視界を曇らせる煙のせいで断定は出来ない。

 しかし、ハルはその人影に思わず顔をほころばせるのであった。


 ――ハルの瞳が現実を追い抜いて、イメージを結ぶ。


 崩壊したビルの谷間を抜けて、風が走る。風ははぜる炎を揺らめかせ、流れる煙の背中を押した。せかされた煙は急ぎ足で遠のき、煙の中を歩む人物の姿をあらわにする。煙を晴らした一陣の風が、その者の髪を撫でていった。

 揺れる金色の髪。自信みなぎる黄金の瞳。

 彼の者の名はカレン・アントワネット・山田。

 《アンタッチャブル》の二つ名を持つ最強の少女。

 ハルも、うるわも、同じ思いを、同じ記憶を共有していた。彼女は言っていた。《遺片》を服用した私は無敵よ、と。その言葉に疑いはない。崩れ落ちたいくつものビル。それらの残骸を目に映し、カレンの無敵宣言を疑うはずなんてないのだから。

 体中の痛みを抱え、うるわは目をこらした。見届けなければいけない。我が主の勝利の勇姿を。

 気を抜けばかすんでしまいそうになる視界をなんとかクリアにする。

 ハルは持っていたドアを地面に落とし、歓喜に突き上げる腕を用意していた。


 ――ハルの瞳が現実に追いついて、リアルを結ぶ。


 崩壊したビルの谷間を抜けて、風が走る。風ははぜる炎を揺らめかせ、流れる煙の背中を押した。せかされた煙は急ぎ足で遠のき、煙の中を歩む人物の姿をあらわにする。煙を晴らした一陣の風が、その者の髪を撫でていった。

 揺れる銀色の髪。悔しさみなぎる深紅の瞳。


「嘘……だろ? あいつは、あの自信満々なあいつは……」


 彼の者の名はハチ。


「まさか……そんなはずありません。あり得ません!」


 《人機》八号機にして、最新最強の古代兵器。


「僕を……ここまで追い詰めるなんてね……! 正直なところ、驚いているを通り越して、信じられないよ……。でも、もう終わりだ。賭けは……僕の勝ちだ!」


 左腕を振り、ハチは声をからした。声をからす理由は一目見れば明らかになる。その身は《人機》といえど満身創痍。右腕は肩から先が存在しない。ちぎれた配線が肩先から飛び出している。修復が間に合っていないのか、火花散らす肩がバチバチと悲鳴を上げたままだ。


「お父さんに会うんだ! 絶対に会うんだ……! 会って、撫でてもらうんだ、抱きしめてもらうんだ!」


 巨大な翼は片方がもげてしまい、かろうじて片翼がその存在を主張している。染み一つ無かったスーツは上着を無くし、ワイシャツも所々が破けている。侮蔑と軽薄さで溢れていた赤い瞳も、怒りの劫火で埋め尽くされている。


「僕はこんなところで負けていられないんだ!」


 思いを爆発させるハチには、かつての大人びた雰囲気や言葉遣いはない。身の丈にあったわがままと、身の丈にあったむき出しの言葉。


「僕は《彼岸》を手に入れる! お父さんに会うんだ……誰にも邪魔はさせない! 妨げさせやしない!」


 片翼をめいっぱいに広げ、残った左腕で大鎌を出現させるハチ。

 感情を大鎌に込めるように、一度大きく振り抜いた。


「カレンはどうしたのですか!」


 ハルの背中から鋭い気勢が放たれる。うるわがいつの間にか立ち上がり、ガードレールを手すりにして身体を起こしている。


「私の主は! カレンはどうしたのですか!」


 自らの血で染まった体を忘れてしまったように。


「カレンが負けるはずありません! カレンは、カレンはどこにいるのです!」


 まるで全身を覆う苦痛を感じることも出来ないように。


「うるわ、駄目だ!」


 ハルは足を引きずりながらハチにくってかかろうとするうるわの腕を取る。


「離してください、ハル! 離しなさい!」


 うるわをつかんだ腕が、乱暴にふりほどかれる。そのあまりの勢いに、ハルは地面に倒れ込んだ。うるわの中で広がる巨大な感情の波は、うるわの五感全てを飲み込んでしまっていた。ハルは眼中にないようで、言葉遣いさえも忘却の彼方。無表情ですら憎悪に歪み始めていた。


「カレンは! 私の主は!?」

「……何を言っているの? 僕がここにいるのが証拠じゃないか」

「嘘です! でたらめです!」


 うるわの瞳には疑うことを知らない純粋な眼差しがある。しかし、瓦礫の上で大鎌を構えるハチの姿に、空模様同様、曇り始める。


「カレンはどこにいるのですか!」


 ここにいる者と、いない者。その理由。


「私の主はどうしたのですか!?」


 覆い隠す黒い雲は、絶望に似ていた。


「カレンが負けるはずがないのです……。カレンは……カレンはいつだって強かった! 笑っていてくれた! だからカレンは!」


 大鎌を持った左腕だけで肩をすくめるハチ。


「相手にするだけ無駄だね……いい? 純粋な結果だよ。彼女は僕もろとも自爆しようとした。《遺片》を使って、身体を壊してまでね。……でも、出来なかった」


 うるわの拳は怒りに震える。うつむかせた顔の下、身体全体が怒りで震えている。


「それは僕の方がより強者だったからだよ。僕が生き残り、カレンが犠牲になった。これが全て。カレンはよくやったと思うよ……誇ってもいいぐらいに。なにせ僕をここまで追い詰めたんだからね……でも、結局はその程度でしかないってことだけど」


 こらえきれず加速し、飛びだしたうるわ。うるわの顔があった場所に、きらりと光る雫が舞っていた。うつむいた影の中でにじんだ、うるわの感情の残滓。


「うるわ!」


 ハルの制止も空しく、うるわはとハチが激突する。うるわにとっては最後の力を振り絞った攻撃だった。無理に無理を重ねるような行為。

憎しみすらも力に変えた一撃。残りの力全てを費やした一撃。明日をかえりみない一撃。

 全てを総動員したうるわの一撃は、あまりにもあっけなく、ハチによって叩きふせられてしまう。

 うるわの一撃を軽く身をさばいて避けると、その懐に大鎌の柄をたたき込む。内蔵を痛めつけられたのか、わずかに吐血し、ハルの前に転がってくる。悔しさに歯ぎしりし、うつぶせたまま顔を上げられないでいる。


「うるわの剣、今度こそ折らせてもらったよ」


 うつぶせに倒れたまま動かないうるわに変わり、ナナが口を開く。


「ハチ、駄目だよ。お父さんはこの世にはいないんだよ……?」

「少し黙ってよ、ナナ。僕にまだそれを言うなら、いくらナナでも修復可能な状態では済まさないからね」

「お父さんが生きていた世界と、ハルたちが生きている世界は違うんだよ」


 修復機能を一時的に停止させているナナ。声帯機能だけをしっかりと保ち、ハチに声を届けようとする。


「ハルの生きている世界はハルたちのもの。私たちはその中で生きていく方法を探さなきゃいけないんだよ」

「ナナのくせに、分かったようなことを言うんだね……。でも、それは違うよナナ! 《彼岸》があれば、お父さんが遺してくれた《彼岸》さえあれば、失ったものも、世界も、お父さんも元通りになるんだ!」


 瓦礫の上から、大鎌の矛先をナナに突きつける。街路樹の幹に背を預けるナナは、ハチににっこりと笑顔を届ける。


「お父さんは、優しかったよ。たくさん遊んでくれたし、たくさん教えてくれた。でもね、お父さんはね、その中でもね……ずっとハチのことを考えてたの。ハチが出来上がったら、ナナと一緒に遊ばせてくれるって約束したの。ナナ、嬉しかった。だって、やっと一人じゃなくなるんだもん」

「なら、ナナだって会いたいだろ? 僕と同じで、お父さんがいなくて寂しいだろ?」

「ううん……ナナは悲しいけど、寂しくなんかないよ」


 ハチが握りしめる大鎌の柄が、握力でみしみしと音を立てる。


「ナナには、たくさん友達がいるの」


 ブリキの人形のようにぎこちなく指を折る。


「ハルでしょ、カレンでしょ、うるわでしょ、マキでしょ、それに、ハチ……こんなにいるもん、寂しくなんかないよ」

「……ナナはお父さんを捨てるの? そうなんだね? お父さんに作ってもらったくせに、可愛がってもらったくせに……僕はそれすらしてもらっていないのに!」


 片翼がばさりと広がる。

 そこから何百と生えだしたのは、武器ではなくプラグだった。ヘッドホンの端子だったり、充電用のコードだったり、用途不明の太いコネクタだったり。それらがまるで蛇のように揺れながら、翼からはい出してくる。そして、獲物を定めるかのように鎌首をもたげると、ナナに向かって一直線に飛び出す。

 ナナはなすすべなく右肩と腹部を貫かれ、街路樹にはりつけにされてしまう。痛がる様子も見せずにハチを見つめる。火花散る腹部に修復の兆しはない。


「そうじゃないよ、ハチ……ハチもね、ハルたちと一緒に遊ぼう? 一緒にゲームしよう? そうすればきっと分かるはずなの。ナナ達はね、この世界で生きるべきなんだよ。この世界の人たちを不幸にしてまで、昔の世界に戻すことなんてしてはいけないんだよ。お父さんはね、きっと好きだったの。きっと人がすごくすごく好きだったから。その証拠に、私たちはその人の形に作られているんだよ?」


 さらにもう一本のプラグが、ナナの左肩を貫く。


「ハチ、止めろ!」

「ハルは黙っていてよ。これは《人機》の……姉弟の問題なんだ」


 止めに入ろうと体を動かした瞬間、ハルは別の配線に体を絡め取られ、地面に顔面をこすりつけられる。あごの痛みとともに、噛んでしまった舌から血が滴る。


「……ナナ、僕には分からないよ。それってさ、つまり共存しろってことだよね? ナナは、お父さんがどうして《彼岸》を用いて世界を終わらせたのか分かっていないの? それともナナの記憶領域は壊れているの? どちらにせよ、ナナはもう一度しっかり記憶領域に刻んだ方がいいよ。お父さんはね……お父さんは、人に絶望したんだよ。戦争や、環境破壊を繰り返す人類にさ! 今だってそうだ! 僕が作られていたときと何ら変わっていない!」

「それでもね……お父さんはきっと人のことが好きだったんだよ。ナナはそう思うの。ナナ達は、こんなにも人に似ているもん」


 にっこりとナナは笑った。

 子供のような純真な笑み。じゃれ合う猫。目を細めて幸せに遊ぶ姿。ハルは地面でがんじがらめにされながらも、その笑顔に心を打たれた。

昔に亡くした愛猫ニャン太。勉強していると遊んでほしそうにすり寄ってきた。仕方なく猫じゃらしを眼前で揺らすと、愛猫は楽しそうにワンツーパンチを繰り出す。勉強時間がなくなるのもかまわずに、ハルは愛猫と遊んでしまう。

 ハルの脳裏をよぎる思い出のストロボ写真。

 不思議そうに目を丸め、楽しそうに目を細め、飼い猫と飼い主が遊ぶ姿。

 きっとその二つの微笑みは同じだったに違いない。


「ハチもきっとこの世界が好きになる」

「……駄目だ。ナナはもう壊れているよ」


 ゆらりと太い配線が持ち上がる。鋭い銀のプラグをきらりと光らせ、ナナに照準を定めた。

 ハルは配線の拘束から何とか抜け出そうとめちゃくちゃにもがく。しかし体に食い込んでくるばかりでちっとも抜け出せる気配はない。締め付けられる痛みが襲うばかり。

 ハルは唯一、拘束のないうるわに視線を向けるが、うるわは戦意を喪失し、肩を震わせている。ハルの心で早鐘が打ち鳴らされる。

 カレンはいない。皮肉も毒舌も聞こえない。カレンが《遺片》を使用し、早五分以上……それも難しい。


「……こ……の……くそっ!」


 ハルはがむしゃらに体を動かし、配線の痛みにもだえるようにもがき出す。すると反動でポケットの中からあるものが飛び出し、ハルの目の前に転がってきた。

 ハルは目の前で止まったそれに焦点を合わせる。


「……バイバイ、ナナ。お父さんにはよろしく言っておくね」


 プラグの鋭利な先端が、ナナに向かって急加速。

 プラグは寸分の狂いもなく目標を目指し、その先端で突き刺した。


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