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第四十三話・「強くなりたい」

 ハチが着用するスーツの背中を突破るようにして、鋼が生い茂る。スーツの生地はちぎれ、宙に舞う。まるで巨木が生えるようにハチの背中を鋼が覆っていく。屋久島に生え、圧倒的な存在感を誇る杉の木。千年という気の遠くなる樹齢を一気に早回しにしたような。ハチの小さな背中から膨大な質量が飛び出す。

 カレンはその変貌を見守る気はないようだった。

 ニヤリと笑い、手のひらを一気にハチに突き出すと、袖を激しく震わせる。袖の隙間から吐き出される力の波動は、辺りを滞空する風切り音と共鳴する。何十にも増えた見えざる攻撃が、ハチの周囲で炸裂した。

攻撃はそれだけでは済まない。

 制御しきれない力は、カレンが作り出す半径百メートル――絶対領域――を荒れ狂う。《遺片》がもたらす効果はてきめんだった。ビルの壁面を次々に風切り音が叩く。カレンが操る《千手》は、一般人の目ではとらえきれないが、超高速で放たれる鞭のような形態をしている。ビルを叩き、窓から窓へ突き抜けると、衝撃でビルが嘔吐する。内容物は噴煙とデスク、書類の山に、パソコン、イスだ。惜しげもなくビルから落ちてきて、地面に叩きつけられる。

 カレンが、参ったわね、と言うように舌打ちをする。

 周りを見れば、自らの意思を越えて破壊を続ける《千手》の軌跡。ハチの背中から飛び出した鋼が一体何であるかを見極めるよりも先に、破壊はハチを襲い続ける。

 地面を、ハチを。

 叩く。叩く。叩く。

 四方八方から強襲する。

 ビルというビルの窓ガラスが飛び散り、きらきらと地面に落ちてくる。まもなく止むであろう雨と共に、地上に降り注いでくる。

 あまりにも美しく、あまりにも鋭利な天からの贈り物。

 ハルは傷ついたうるわを背中でかばう。ガラス中に大きい破片が混じっていたのか、ハルの背中に鋭い痛みが走った。痛みに顔を引きつらせながら、ハルは戦闘のただ中で翻弄されるしかない。

 安全な場所を探そうと忙しく首を回すと、ガードレールを抱きかかえるように意識を失っているナナを発見する。その奥、交差点。街頭の巨大液晶パネルは、ひびこそ入っているがいまだ健在。

 表示されている時刻を見れば、戦闘開始からの経過時間が否応なく分かってしまう。

 ――一分、経過。


「うるわ……悪い、我慢してくれよ」


 地面に横たえていたうるわの身体を持ち上げると、ナナの下へ歩き出す。足取りは重い。カレンが作り出す暴風域の中で一歩一歩、瓦礫を踏みしめながらナナの下へ急ぐ。道中、隕石のように降り注ぐ、キーボードやら、マウスやら、マグカップやらに冷や冷やさせられながらも、ハルはナナの下にたどり着く。直ぐ近くに落下したデスクの引き出しからは、文房具が飛び出していた。


「ナナ? おい、ナナ!」


 心の中で謝りながら、ハルはナナを少々乱暴に揺する。


「…………パ……パ?」

「パパじゃない。俺はハルだ」

「ハル……ハル……」


 記憶領域を検索しているのだろうか。ナナはしばらく無機質にハルの名前を繰り返す。


「ハル……ハル……ハル……にゃ? ハルなの?」


 検索にヒットしたのか、意思のこもった声を出す。


「ああ、大丈夫か? 立てるか?」

「うにゃ……ナナは自己修復にメモリを全て使っているから、起動維持に精一杯……ごめんなさい、ハル……ナナ、動けそうにない」

「分かった。無理するな」

「にゃ……ありがと、ハル」


 ガードレールに覆い被さっていたナナの身体を抱え、折れた街路樹に寄りかからせる。重傷のうるわも、その隣に寄りかからせた。ハルはその二人を守ることで尽力する。激しい戦闘の巻き添えになりながら、せめて二人の安全だけは最低限確保しようと気を配る。空から降ってくる瓦礫。引き出しや、ファイルの束、メディアのケース……。

 はぎ取った車のドアを、盾代わりにすることで受け流す。

 大きい瓦礫は歯を食いしばって耐え抜くしかない。車のドアをへこませる衝撃。思わずひざを付きそうになる痛みにも歯を食いしばる。うるわ、ナナ、そして現在進行形で苦しむカレン。

 彼女たちに及ばないにしても。彼女たちほど強くないとしても。

 まだ出来ることはある、するべきことはある。彼女たちに近づくために。強くなるために。守れるようになるために。最後の最後まで悪あがきを止めない。

 あのとき。絶望が染みこんできたあの瞬間を思い出しながら、胸に刻みつけた。

 ちらり。時間を確認する。

 ――二分、経過。


「ナナ……ハチを止められなかった」


 車のドアを盾にするハルに悲しげな声が届く。

 会話をするだけに機能を集中させているのか、会話によどみはなくなっていた。


「ハチは、パパに会いたいだけなの。ハチはパパが《彼岸》を起動する前にも後にも起動したことがなかったから。ハチは起動してからずっとパパに会いたがっていた。ナナはパパと会ったことがあるから、パパがどんな風だったか、ナナに聞いてきたよ。ナナ、分かるよ。ハチは寂しがりやなの」

「寂しがりやって言ってもな……!」

「ハチは《彼岸》を使ってパパに会おうとしてる。パパがいたころの世界に戻そうとしてる……でもナナね、それは駄目だって、ハチに言おうとしたの。この世界で生きている人間……みんなそれを望んでいないから。みんな痛くて、苦しくて、悲しんじゃうよ、って。ハチは聞いてくれなかった……それで、ナナ何度も何度も言ったの。そしたらハチを怒らせちゃった……」


 目を伏せるナナ。笑ってばかりのナナだからこそ、その悲しみの深さが分かる。

 今、悲しみの対象は、カレンと一騎打ちのただ中にいる。

 道路の真ん中、剥落するビルの外壁の中で、一体どんな戦いが繰り広げられているのか。噴煙の中にいる二人の状況は、ハルの位置からではうかがえない。

 巨大液晶に映された時刻を再度見る。

 ――三分、経過。

 ハルの焦燥感を見計らうように、それは起こる。

 続けざまの閃光と爆発。

 爆風よりも先んじた爆音が、鼓膜に痛みを走らせる。吹き飛ばされてくるタンクローリーの部品や、街路樹。加えて、絶望までも吹き飛ばされてくる。煙を突き抜けて、ハルめがけてトラックがごろごろと転がってきたのだ。

 ハルは体中を恐怖で縛りあげられながらも、動けないうるわとナナの前に立ちはだかる。

 逃げない。あきらめない。

 役に立たないドアの盾を手に、ハルは念じる。

 その意気に負けたのか、運良く街路樹にぶつかり大きくバウンドするトラック。


「う……く……!」


 鼻先を巨大なタイヤがかすめていった。心臓がすくみ上がるような恐怖の後に、生きていることを実感させるように心臓が激しく動き出す。


「……あいつの目的は分かった。それで、そのパパって言うのは、ナナやハチとか、人型古代兵器……《人機》を作った人間のことだよな?」


 噴き出す汗を拭って、背中越しにナナへ声をかける。


「うん……《人機》や、数々の古代兵器の設計、プログラミングをしたんだよ。《彼岸》を設計したのもパパ」

「諸悪の根源ってやつだな……!」


 奥歯をすり減らすハルの歯ぎしり。


「にゃ! ハル、パパをそんな風に言わないで! パパは人の未来を信じていたんだよ。誰よりも人が好きだったの。ナナ達《人機》が人に似せて作られているのは、そのためなんだよ……。兵器を作るんだったら、それは人型じゃなくてよかったはずなの……だからね、もともとは《人機》は戦うための存在じゃないの……」

「……俺たちが勝手にナナを……《人機》を人型古代兵器とかいう物騒な名前で呼んだ……。その中で、ナナは自分たちを人型古代、兵器、ではなく、《人機》であると言いたいのか……? 壊すための兵器ではなくて、人と生きるための機械だっていうのか?」

「にゃ。ナナは……初めから戦うために作られたんじゃないよ? 守るために作られたんだよ……《彼岸》を守るためだけに。だから、ナナ達《人機》は《彼岸》を奪おうとしない限り、使おうとしない限り、起動すら出来ないように設計されていたんだよ」

「……突然自分たちの家に踏み込んできて、宝を奪おうとする者がいる……。それに対して自衛しようとすることは当たり前……か。……確かに、そんなの当たり前だ。誰だってそうする……俺だってきっとそうする」


 家に土足で入り込んできて、大好きな猫画像を根こそぎ奪おうとする奴がいる。それは敵と見なして、排除するのが当たり前だ。そこに防衛の理由はあれど、熟慮の余地なんかいらない。ハルは眉間に険を刻む。

父と海外の発掘調査に同行した。《彼岸》を探す旅。それは父が主導するチーム・ダテにとってはトレジャーハンティングかもしれない。しかし、《彼岸》を守る《人機》にとってはどうだ。家を荒らされ、大事なものを一方的に奪われる。いい迷惑だ。

 それに同行とはいえ、荷担していたハル。二度の起動に荷担し、その度に《人機》は取り戻すための死力を尽くした。その彼らを兵器と断定し、全力で排除しようとする人間。

 ……悪いのは誰だ?

 胸の痛みを感じるハル。罪悪感に似た心痛。

 そう、悪いのは身勝手にほじくり返した自分達……ひいては人間ではないのか。

 ……ハルは、ナナに対する言葉もない。


「でもね……ハルは悪い人じゃなかったよ。ハルはいいひとだよ……ナナにゲーム教えてくれたもん」


 ナナが人懐っこい笑みを浮かべる。

 ハルの胸の痛みが少しだけ和らぐ。まるで胸が澄んでいくようだった。


「つまり……私が主人を守護するように、専守防衛を掲げるように……ナナ、あなたも守護すべき《彼岸》があり、奪還のために望まぬ戦をする……。ナナ、あなたはそう言いたいのですね?」

「うん、ナナも……うるわと同じだよ」


 ナナがにっこりと微笑む。


「うるわ! 気がついたのか……!」

「申し訳ありません、ハル……私はメイド・イン・ジャパンでありながら――」


 身を起こそうとするうるわを押し止めるハル。


「……主人命令だ。頼む、今は休んでくれ。……後は、カレンが何とかしてくれる」


 ハルの言葉にはふがいなさがにじんでいた。他力本願にもほどがある、と。


「カレンが……? カレンは療養中、《千手》もまともに操れないはず……まさか……!」


 慌ててポケットを探るが、目当ての品は出てこない。はっとして暴風域を見れば、爆炎が巻き上がり、ビルが倒壊していくところだった。噴き上がる煙と沈んでいくビルの中、うるわの瞳の炎が絶望の風に吹き消されそうになる。その視線を追うハルの目に飛び込んでくる、時計を表示する巨大液晶パネル。

 ――四分、経過。


「俺は、カレンに言われた。俺が弱いせいでうるわをこんな目に遭わせたんだって」

「ハル、それは違います!」

「いいから聞いてくれ!」


 うるわをせき止め、ハルは言葉を落ち着けた。


「カレンは俺に、うるわを頼むって、そう言い残して戦いに臨んだんだ。……だから、俺は全力でうるわを守る。もちろん、ナナも。そうすべきだし、俺自身もそう思ってる」

「しかし、それではあなたが……!」

「強くなれって言われた。あいつに、カレンに。……それっていけないことか? 強くなろうとすることは、駄目なのか?」


 ハルの問いかけに、うるわは押し黙る。


「俺は弱い。うるわの足を引っ張ってばかりだし、何一つうるわを支えてやれなかった。うるわが傷ついていくのを見ていることしかできなかった。自分の身を自分で守ることさえ出来なかった。マキに何があったのかも察してやれなかったし、探すことは出来ても、見つけてやることは出来ない。弱い……なんて弱いんだろうな」

「にゃ……ハル、弱い」


 笑顔のまま、いたずらに同意するナナと、背中越しに笑うハル。


「はは……ナナの言う通りだ。だからじゃないけどな……俺は強くなりたい。うるわが俺を守ってくれたように、強くなりたい。そうだな……せめて――」


 飛ばされてくる瓦礫。自動車のドアで二人を守りながら、ハルは声を張る。


「メイドとして奉仕する必要が無くなるぐらいには、強くなりたい。ナナがゲームの相手に困らないぐらいには、強くなりたい。カレンが心おきなく文句を言えるぐらいには、強くなりたい。マキが自慢できる兄でいられるぐらいには、強くなりたいんだ。強くありたいんだ。そうだ、俺は……そう決めたんだ。今、決めたんだ」


 子供のように感情的に言い放つ。


「じゃないと、カレンに笑われるからな」

「ハル……馬鹿ですか、あなたは」

「にゃ? ……ハル、馬鹿?」

「ナナ、勘違いしないでください。……どうやらハルは、馬鹿は馬鹿でも、前向きな馬鹿のようです」

「……言ってろよ」


 ハルは微笑むうるわに恥ずかしくなり、そっぽを向く。

 向いた先では今まで以上の破壊の狂想曲が奏でられていた。

 規模はすでに半径百メートルでは済まされない。視認できるまでに太く、速く、強力になった《千手》が、ビルの谷間でのたうち回る。破壊の限りを尽くす鞭の黒い軌跡。風切り音だった頃が、可愛いとさえ思える。八つ裂きにされるような大気の絶叫が響けば、立ち並ぶビル群がもれなく崩壊していく。内部の鉄筋を折られ、バランスを崩したビルが、隣のビルにもたれかかる。そこから飛び出す《千手》の黒い曲線。ビルは真っ二つになり、崩壊していった。ビルの倒壊と共に、突き上げるような振動がハルのバランスを崩そうとする。駅までの直線道路にビルの残骸がうずたかく積み上げられていく。

 昼下がりのオフィス街は、まるで世界大戦の様相を呈する。


「そうだ……時間は……っ!」


 難を逃れていたビルの液晶を、冷や汗混じりに発見する。

 ――五分、経過。

 タイムアップ。

 経過をハルに知らせると同時に、巨大な液晶パネルが地面へと落ちていった。液晶の設置されていたビルが、お役ご免とばかりに崩れ落ちていく。風塵が巻き起こる中、ハルはうるわとナナの風よけとなる。ドアに当たり跳ね返る破片の音が、激しさを物語る。口から吸い込む粉塵に、ハルの肺は激しく反発した。咳き込むハル。すでに口の中は砂埃の苦い味で一杯だ。口から唾を吐き出しながら、ハルはこらえ続けた。

 ……守ると言った。強くなると言った。

 カレンに、強くなれと言われた。頼むと言われた。

 疲弊したハルの身体に力がみなぎる。


「……二人とも……大丈夫か?」


 倒壊の衝撃が過ぎ去り、ハルは振り返る。うるわとナナがそれぞれうなずいた。

 全身を灰色に汚しながらも、二人はどうやら無事なようだ。

 まさに台風一過。

 雨の止んだ空は曇り空のままだが、激しかった攻防は五分を過ぎて直ぐに収まっていた。

 崩壊の音はもう無い。

 瓦礫の山を石ころが転がり落ちていく。その音だけが響き、空しく曇天に吸い込まれていく。廃墟と化した駅前のオフィスビル街。異様な静けさが周囲に充満していた。


「終わったのか……?」


 震災後の町並みに似て、煙があちこちから噴き上がっていた。立ち上る煙に咳き込みながらも、ハルはカレンを探す。すると、炎立ち上る向こうから歩いてくる人影があった。ハル達の下にゆっくりと歩み寄ってくる。

 何重にも視界を曇らせる煙のせいで断定は出来ない。

 しかし、ハルはその人影に思わず顔をほころばせるのであった。


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