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第三十九話・「……降ってきましたね」

 非常階段を駆け上がって一分と立たないうちに、ハルは階下から身も凍るような気配が迫ってきていること知った。手すりから身を乗り出して見おろせば、階段を上ってくる兵士達の姿がある。薄汚れた鋼の鎧を鳴らしながら、まるで魔女狩りをするが如く階段を駆け上っていた。

 兵士達の兜からのぞく幽鬼のような紅い目に息をのむハル。

 圧倒的な数が群れをなして襲ってくる。

 勝てるのだろうか。逃げ切れるのだろうか。

 ネガティブな感情に飲み込まれそうになる。


「ハル、早く! こっちです!」


 思わずごくりとつばを飲み込もうとするハルの耳元を、ボウガンの矢がかすめ飛ぶ。存在は完全に気取られているようだった。敵を目視できたことがそんなに嬉しいのか、疲れ知らずの兵士達は口々に雄叫びを上げた。


「ハル」


 凍った頬に手を添えてくるうるわに、ハルはびくりと反応する。うるわの声すら聞こえなかった。焦る思考回路が熱を帯び、脳をショート寸前にまで焼き付けていた。


「私はあなたに『最大の犠牲心を持って奉仕する』と誓いました。安心してください」


 うるわのひんやりとした手がハルにとっては救いだった。かろうじて冷静さを保たせる。


「マキを見つけるのでしょう?」

「あ、ああ……まだ俺は見つけてもいないんだよな」


 落ち着いていく心。うるわの冷静さが良い意味でハルにも感化されていく。


「はい、私はまだ夕飯の買い物も済ませていません」


 どこから取り出したのか、空の買い物かごをハルに見せる。

 戦闘中にどこかへ行ってしまっていることには気がついたが、隠し持っていたとは。

 ハルの強ばる頬がほころんでいく。


「今日は、カレーだよな?」

「ええ、カレーには自信があります。だから、皆さんに食べて欲しい」


 階下から迫るどう猛な足音。極限の状況の中、優しい風が二人の周囲を取り巻く。

 極限の状況だからこそ、リラックスしなければならない。いわば、急いては事をし損じる、だ。

 そんな言葉が勝ってに飛び出してきて、ハルは意識的に肺の空気を入れ換えた。


「みなさん……か」

「はい。ハル、カレン、ナナ……そして、マキ。みなさんにです」

「ナナは敵じゃなかったのか?」


 上の階へは行かずに、非常ドアから中に体を滑り込ませると静かに閉める。あえて上の階へ行くように見せかけるようだ。


「もう、慣れました。ハル、私が今まで仕えてきた主人を誰だとお思いですか?」

「そうか、そうだったな。人型古代兵器とゲームをやるような人間だもんな」


 悔しさのあまりコントローラーを床に叩きつける姿が目に浮かぶ。


「その通りです。私自身もまた変わらなければ、彼女にはついて行けませんので」


 通路を行くと、情報ソフトフェア第四事業部と書かれたプレートがつり下げられているのが見えた。整然と並べられた机上にはデスクトップパソコンがひしめき、各机には働き手の個性がうかがえる物品が数多く置かれていた。家族の写真、アニメのフィギュア、雑誌……。


「……あの家には俺一人だったはずなのに……いつのまにか五人か……。賑やかな食事になりそうだな」


 デスクの間を通り抜け、玄関口とは反対側に位置するエレベーターへ。


「賑やかなのは嫌いですか、ハル?」

「ああ、好きじゃない」


 エレベーターの開閉ボタンを押そうとするうるわの指が止まる。


「――でも、嫌いでもない」

「優柔不断は嫌われるものです」


 ボタンを押すと、エレベーターが一階から上がってくる。ランプが徐々にハルのいる階へ近づいてきた。


「誰に嫌われるって言うんだよ?」

「そうですね……少なくとも、あなたのそばにいる人に」


 うるわがハルを振り向くと、到着を告げるベルが鳴り、エレベーターのドアが開いた。


「……ハル?」


 とっさに伸ばしたハルの手が、うるわのエプロンドレスを引き寄せていた。

 鞘走りの音とともに、うるわのエプロンドレスが引き裂かれる。背中を一直線に駆けた刀傷は、うるわの背に真っ赤な花を咲かせる。うるわはハルの胸に体をあずけて、痛みに顔を引きつらせる。

 続けざまの斬撃が、ハルとうるわを襲う。うるわは背後の気配に気がついたのか、背中の傷をかばいもしないでハルを突き飛ばす。離れたハルとうるわの中間点に振り下ろされる刀がフロアにめり込んだ。


「大丈夫か!?」


 思い出される数秒前。克明な記憶。

 初手は、不意打ちに近い形だった。エレベーターが空いた瞬間、中から鋼の兵士達があふれ出てきた。先陣を切った兵士が刀を振り下ろしたときにはもう遅く、うるわはハルに身を任せることでしか回避できない状況にまで陥っていた。

 うるわにしては珍しい、油断だった。


「私は大丈夫です……それよりハル、あなたこそ大丈夫なのですか?」

「俺なんかより、うるわのほうだ……!」


 兵士達に取り囲まれてしまい、自然に背中あわせに互いをカバーしあう。ハルが命を預けるうるわの背は、だらだらと赤い血が止めどなく流れ落ちている。真っ白なエプロンドレスはまるで紅い染め物のようだ。今もなお紅い染色は続いている。つまりはそれだけ出血がひどいということ。


「私はメイド・イン・ジャパンです。このくらいの傷は日常茶飯事です」

「日常茶飯事って……」

「ハル、私の背中から離れないで」


 戦いの火ぶたは、言葉通り、敵の刃によって切って落とされた。

 まっさきに切りかかってきた兵士の刀を、上段蹴りで打ち払ううるわ。武器を失ったその懐に、力を込めた掌底を打ち込む。鎧がへこむ衝撃は、兵士を簡単に吹き飛ばした。後続の兵士を巻き込んでエレベーターの中へ飛んでいく。そのまま中の鏡に激突し、兵士は力尽きる。誤作動を起こしたエレベーターは自動的に閉まり、一階に戻っていった。


「背中から離れるなって言ってもな……!」


 見ただけで分かる。刀傷は深い。流れ出る血の量も尋常ではない。もともと素肌の白いうるわだが、今はそれ以上に青白く見えてしまう。取り囲む兵士の数は十余名。この場をしのぐことはうるわなら容易いはずだ。しかし、状況は悪い方向に転び始めていた。非常階段を途中で抜けることで出し抜いたと思っていた兵士達が、この場所をかぎつけてきたのだ。遠くデスクの間を駆け抜けながら、様々な獲物を持ってこちらに向かってくる。

 物量で来られたら、より困難な状況に陥ってしまう。

 うるわは小さく舌打ちし、包囲網を突破するべく舞い上がる。

 ……突破口を開こうとしていた。

 一人の兵士の顔面を踏み台にすると、鉄兜があらぬ方向に曲がる気持ちの悪い音がした。周囲の兵士達は踏み台にされた兵士共々、うるわを八つ裂きにしようとする。巨大なハンマーでうるわの顔面を狙うが、外れ。首の曲がった兵士の顔面をたたきつぶす結果となる。吹き出すのは紅い血潮ではなく、銀色の飛沫だ。うるわの背中を伝う血が空中を漂った。


「ハル、私を信じてください」


 ハルは突き出された槍を、身をよじってかわす。そのまま脇の下で柄を締め上げて槍の動きを封じる。槍を力で引き戻そうとする兵士の腹部はがら空き。そこに渾身の前蹴りをいれて吹き飛ばす。ハルの手元には敵から奪った槍が残る。


「信じる。信じてるけどな……だからって全部を全部任せられないだろ……!」


 言葉尻ごと槍を敵に叩きつけた。敵の足を槍で払い、後方から来る兵士を引き戻した槍の後部で突く。のけぞる兵士が、さらなる兵士に突き飛ばされていた。


「俺だってな……小さいころから伊達に親父について回ったんじゃないんだ!」


 槍を振りかぶり、投てきする。風を切る刃が兵士の腹部を貫いた。バーベキューの串のように、二人まとめて風穴が空く。


「頼もしい言葉です、ハル」


 ハルが声の主を捜す。うるわは敵の力を利用する戦法に切り替えていた。巨大なハンマーを振り下ろした敵の手首をとって足を払えば、兵士は簡単に床に這いつくばった。とどめとばかりに背中を足蹴にし、次なる兵士の攻撃に備える。短剣を投げてくる兵士に対しては、敵の陰に隠れることで同士討ちを誘う。その間すれ違う兵士には、落ちていたショートソードを拾い上げて切り結ぶ。剣同士がぶつかるごとに火花が散り、二撃目は見事に剣の軌道を読む。そのすきを狙って敵を切り伏せていくうるわ。

 死屍累々とばかりに兵士達の死体が積み重なっていった。二人を囲んでいた十余名の兵士達は床に伏している。そのほとんどがうるわの手によるものだった。

 刃こぼれしたショートソードを足下に落とし、うるわはふらりと揺らめいた。慌ててうるわの背中を受け止めるハル。


「……ハル、一体どうしたのですか?」


 うるわは無表情のまま。なぜハルが自分を抱いているのか、と問いかけるような瞳が、ハルを見上げる。周囲には至る所に赤い血が点在していた。敵の間隙をぬった移動のつけである。極力敵の力を利用する戦法に切り替えようが、動くことには変わりない。


「うるわ、これ以上は駄目だ」

「何を言うのですか……? 信じてくださいと言ったはずです」


 ハルを押しのけて立ち上がる。フラットな声は平常通り。電話の戸口であったなら、怪我していることすら感じさせない完璧な声。立ち上がってうるわの肩に手を伸ばそうとするハル。追いかけたその手は……惜しくも、うるわには届かなかった。

 情報ソフトフェア第四事業部のプレートをくぐって、何十という敵が現れる。

 迎え撃つべく拳を握りしめるうるわ。ハルの一歩前に立ち、血ぬれの背中をさらす。やはり今もまだ、血がじくじくとにじみ出している。血塗られたエプロンドレス。紅いグラデーションが施されたものかと勘違いしてしまいそうになる。

 傷。血。

 それでも、うるわは立ち上がる。他でもない、主のために。拳に力を込め、床を踏みしめる。うるわの気迫に、エプロンドレスが揺れた。

地面に横たわる鋼の骸を睥睨すると、うるわは頭上のカチューシャを正す。

 迫り来るは、無限に増え続ける狂気の軍隊。ハチが作り出した凶悪な鋼鉄の軍団。

 待ち受けるは、史上最年少でメイド・インの称号を賜りしうるわと、その仮初めの主。

 メイドは血を流し、主は困難を打開する力もない。

 背水の陣にも程がある。ハルは奥歯を噛みしめた。

 何も出来ないこと。助けられてばかりの自分自身のふがいなさに。

 声には出さなかったが、ハルは心の奥底で激しく自戒していた。


「国際家政婦条項、冒頭」


 押し寄せる敵の大群を見据えながら、少女は静かにつぶやいた。


「……『いかなる時も、冷静・笑顔・優雅であれ』」


 悪いことは重なるもの。

 うるわとハルを取り囲む四つのエレベータが全て同時に動き出した。どれもこの階を目指しているのは明らかだ。あと十秒もすれば全ての扉が開き、敵が大挙して押し寄せるだろう。非常階段からは津波のように大群が押し寄せ続ける。逃げ場はない。醜悪な輝きを持った紅き瞳が、オフィスに残像を残す。手に持った武器は、血に飢えた兵士同様、柔肌を切りつけたくて仕方がないようだ。


「……『かつ、最大の犠牲心を持って奉仕せよ』」


 最大の犠牲心。うるわはたびたび口にする。

 ハルはこの言葉を今、初めて理解し、強く噛みしめていた。

 最大の犠牲心とは。メイドが持つ最大の犠牲心とは。

 他でもない、命、であると。命よりも優先しても守るべき主が存在すると。

 周囲のエレベータ全てのランプが停止する。うるわとハルが臨戦態勢を取る。

 到着を告げるベルが鳴り、扉が一斉に開いていく。全方位から接近する破滅の足音が、鼓膜をびりびりと震わせる。


「……降ってきましたね」


 降り出した雨音が、窓の外から聞こえ始める。


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