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第三十五話・「……雨が降るのか?」

 ――もう一度だけ、もう一回だけ。


 町中を走り回るハルの頭の中では、ずっとこの言葉が回っていた。

しめやかにいとなまれていたマキの葬式。白と黒で配色されたホール。

喪主となったハルがたった一人で葬式を取り仕切っていた。

 バックグラウンドでかかっていた音楽はマキが生前大好きだった曲。アコースティックギターで弾き語るアーティストのしゃがれた声が、もの悲しさをいっそう膨れあがらせた。


「ハル、休みますか?」

「……いや、いい」


 かれこれ三十分以上走り続けている。

 その間中、あてもなく町中に視線をさまよわせ、適当な路地を曲がり、赤信号の横断歩道を駆け抜け続けた。海にまでつながる一級河川。それをまたぐ町一番の大橋を走破する。息つく暇も惜しんでオフィス街へ。

 約束の場所だとか、思い出の場所だとか、そんな都合のいい場所なんて存在しない。

 思い出は町中に溢れている。どれが一番だとか、決めることは出来ない。それでも、あえて順位付けをするならば、どれもがベストで、どれもがワーストだ。

 思い出そうとして初めて解き放たれる小箱。

 頭の奥に存在し、無造作に放り込まれてある思い出。

 その中に必ずといっていいほど映っている、赤い髪留めをした栗色髪の少女。

 ハルは闇雲にその少女を捜し続けていた。

 ……なくなるまでは、それが大切なものだったなんて気がつくことができなかった。

 騒がしくて、しつこくて、扱いにくくて……全てひっくるめて迷惑千万極まりない。

 そう思ったから、何度も何度も叱ったし、叩いたし、ぞんざいに扱ってしまった。後悔はない。言って分からないのだから、手をあげてしまうのは当然の成り行きなのだ。

 毎日そんな風だったから、日常に疲れて、いい加減に抜け出したいと思うようにもなる。本当は大切な物も、大切とは思えなくなっていく。

たとえ一度失い、大事であることに気がついても、再び失ったものが手元に戻ってきてしまえば……時がたってしまえば、また同じ日常が繰り返されるようになる。

 大切に思う気持ちはどこかにいってしまう。もとの路線に戻ってしまう。

 事実……戻ってしまった。


「ちくしょう……俺は……!」


 何がしたいのかも分からず、開口一番の言葉も用意せず、ハルはただ探し続ける。


「あの馬鹿妹……!」


 ある時、マキが風邪をこじらせた。

 新型インフルエンザと診断される一週間前の出来事。


 ――お兄ちゃん、マキはふらふらです! どうかお兄ちゃんの温もりでマキを癒してください! 理想的なのはですね、え~と……ベッドで横たわるマキのおでこにお兄ちゃんのおでこをくっつけて熱を測るんです。熱が高いと分かったお兄ちゃんは、マキのためにおかゆを作ってきてくれて、レンゲスプーンでふーふーしてくれた後に、こう言うんです。はい、あ~ん、して。あうう……考えただけでのぼせてしまいそうです。


 その後、無理がたたって倒れるのだが、そのときまで、マキはそんなそぶりを見せることはなかった。気丈に振る舞い続けた。病人が健常者のふりをするのではなく、健常者が病人のふりをするように見えたから、ハルは気がつくことができなかった。たいした役者根性だ。


 ――そうして、お兄ちゃんの愛情料理で身も心も温まった後は、マキがかいた体中の汗を、体中の汗を……お、お兄ちゃんがタオルで丹念に拭ってくれるのです……! もう、お兄ちゃん、さっきからそこばっかり拭ってるよ? ……あっ……ん……お兄ちゃん、なんか触り方がやらしい…………なーんて! なんて言っちゃったり! もう! お兄ちゃんのえっち!


 四十ほど熱のある人間が、こんな台詞を吐くことが出来るだろうか。反射的に空手チョップで迎撃してしまったが、それでもマキは懲りずに追いかけてきた。

 それはもう、楽しそうに、嬉しそうに。


「ハル、何がそんなに楽しいのですか?」


 空の買い物かごを小脇に抱えながら、うるわが問うた。


「……ん? 何のことだ?」

「さっきからずっとニヤついていましたから」


 ショーウインドウに映る自分の顔を見てしまうハル。


「そ、そうか?」

「マキのことですか? 彼女のことを考えていたのですか?」

「……別に、そんなんじゃない」


 ぶっきらぼうな言葉を置き去りにする。


「では何を考えていたのですか?」

「……」

「ハルは素直ではありませんね」


 肺がフル稼働しているハルに比べて、うるわはまるで座禅でも組んでいるように落ち着いた声。同じ早さで併走しながらも、圧倒的な体力の差。さすがメイド・インの称号は伊達ではないと言ったところか。

 通り過ぎていく人並みを見れば、エプロンドレス姿の少女目を丸くし、メイド・イン・ジャパンだと気がついた人は、通りで黄色い声を上げている。


「でも、ハルのそういう不器用なところは」


 追いかけてくる者もあるが、体力が続かないのかあきらめてしまう。


「私は嫌いではありません。むしろ、親近感すら抱いてしまいます」


 青になった中央交差点。四方から中央へ流れてくる人並みを、いの一番に駆け抜ける。


「親近感?」


 答えはない。

 ついに体力の限界を迎えたハルは、立ち止まって激しい呼吸を繰り返す。

 何車線にもなる車道の先には都市一番の駅があった。遺跡産業で発展した都市らしく、アルカイックな雰囲気に溢れた駅。外観はまるでコロセウム。天井はガラス張りで近代的な作り。天井から採光するので、太陽がさんさんと輝くときには、それはそれは幻想的な光が駅内に降り注ぐ。

 遠くに来たものだなと、一息つくハル。


「――こんな話があります」


 心拍を感じながら、うるわの声に耳を傾ける。


「あるところに一人の少女がいました。その少女は表情を作ることが不得意でした。不得意でしたけれど、それを悔いることもありませんでした。感情的にならなければ争いごとやもめ事は起こらない。全てがフラットな関係でいられるからです」


 働く町。オフィスビルに囲まれる真ん中で、うるわとハル、二人だけが足を止めていた。


「そんな時、少女は一人のメイドと出会います。そのメイドはいつも笑顔でした。主に尽くすことに、喜びを感じていました。誰かのために粉骨砕身尽くし、それを己の喜びとすること。そこには争いごとなど無く、ただ笑顔だけがあったのです。少女はそのメイドを見て思いました。私もメイドになる、と。少女が見たメイドのように美しく笑いたいと」


 おかっぱ頭の上で光る純白のカチューシャ。


「そして、数年後……少女はメイドになることができたのです」


 うるわの表情は、今日も今日とて無表情。間をつなぐように遠雷がビルを震わせる。

 どす黒い雲が遙か空の向こうに集結しつつある。


「……そっか、よかった。いい話じゃないか。でも」


 天気は急な下り坂になるだろう。すれ違うサラリーマンがそうつぶやいていた。


「その少女は、今、笑えているのか?」


 頭をぼりぼりとかいて、目をそらすハル。


「分かりません。ハル、あなたはどう思うのですか……?」


 長い前髪が風に揺れている。その隙間からうるわの黒い瞳を見る。

 思わずうるわの笑顔を想像したハルは、とたんに顔が赤くなる。

 笑い声が出るほど、うるわが笑えたなら。見ることが出来たら。その可愛らしさにきっと正面切って見ることは出来ないだろう。このエプロンドレス姿の少女にとって、クールビューティーさも魅力の一つではあるけれど、笑顔はきっと、もっと魅力的なはずだ。

 隠された魅力。それはどんな秘宝も及ばない。


 ――『そんな笑顔を、一度だけでもいいから見てみたい』


 そう願ってしまう。

 酸欠のせいなのか、今頃痛み出す頭を振って、ぼそり。


「……む、無表情にも色々あるだろ」


 背中を向けて、ずんずんと歩いていってしまう。


「ふふっ……不器用なハルらしいです」


 そして、うるわは自分の口を慌ててふさぐ。


「私……今、笑って……? ハル?」


 距離のあるハルに確認の問いかけをするが、ハルは気がつかない。

うるわを置いてどんどんと先に行ってしまう。


「……ハル、あなたは不思議な人ですね」


 一歩を踏み出し、誰に言うでもなくひとりごちる。

 ハルに追いつこうと足早になるうるわが、買い物かごを抱え直す。


「ん? 何か言ったか?」


 そのハルの前を横切る一匹の黒猫。湿気が増し、にわか雨でも降りそうな雰囲気の中、ハルはふいの闖入者に頬をだらしなくさせている。カメラ付き携帯電話を素早く開いて、写真撮影を開始。


「猫……猫はやっぱり、か、かわいいな……。黒猫のつんとした魅力、孤高の美は品格さすら漂わせてる……」


 立ち止まってうんうんとうなっている。

 つんとした態度で横切る猫が、空を見上げた。猫が何かに反応するように毛をびくりと逆立て、植え込みに隠れる。名残惜しそうに肩を落とすハルの周囲を、黒い影が覆い始めた。


「……雨が降るのか?」


 影は次第に濃くなっていく。ハルは手を広げて、頭上を見上げた。

 それは確かに雨だった。

 ――銃弾の。


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