第三十一話・「…………マキ?」
「それでは、これより第一回、人型古代兵器対策会議を行います」
うるわの声が開会を告げ、ナナが嬉しそうに拍手する。カレンは我関せずの体で紅茶をすすり、ハルは難しそうな顔で頬杖をついていた。
「……対策される側の人型古代兵器にしか拍手をいただけないのは心外ではありますが……とにかく、人型古代兵器について考えたいと思います。正確には《人機》といいましたか。それについては間違いありませんか、ナナ?」
「うん、間違いないよ。《人機》は最高の兵器で最重要機密なの。自立型の単独兵器で、思考性も備えてるんだよ。もちろん自己修復機能付きで、対人対物、対空対地なににでも対処できるようにお父さんが設計してくれたんだー。それでねー、ナナは七番目に作ってもらったんだよ。ハチは八番目で最新モデルなの。すごく強いんだよ」
「……空耳? 最重要機密って聞こえた気がしたんだけど」
「はい、私も聞こえました。ですが好都合です」
「えへへー、すごいでしょ? ハルー、ほめてほめてー?」
ハルのつく頬杖をぐいぐいと引っ張る。ハルのいらだたしげな表情が左右に揺れていた。
「では、ナナ、質問です。あなたは《彼岸》を手に入れるためにハルを襲いましたね。なのに今はその気配はない。私に納得がいくように説明できますか?」
「ナナは今セーフモードで起動してるの」
ハルはうるわに向き直るナナを見ながら、パソコンのセーフモードを思い浮かべる。
「セーフモードはね、ナナが活動するために、最低限必要な機能だけを起動させている状態だよ。ナナ、前回の戦闘で故障しちゃって、大部分が機能を停止させて自己修復中だから。しばらくは何もできないの」
「では、ハルを襲う恐れもないと?」
うるわの真剣な問いかけに、ナナはきょとんとする。
「うん、戦闘行為は出来ないようになってるよ。それに、どうしてハルを襲うの? ハルはナナのパパだよ?」
「……すみません、ナナ、私の聞き違いならばよいのですが……今なんと?」
「ば、馬鹿! ナナ!」
大あわてでナナの口をふさごうとするが、突然の羽交い締めで身動きが取れない。ハルが肩越しに犯人を見れば、そこには嫌らしい笑みを浮かべるカレンがいた。
抗おうとするがカレンの力は予想以上に強い。
「う~ん……パパはパパだよ。間違っているのかな? だったら、ハルはナナのご主人様、オーナー、主、マスター、ダーリン……」
「アンタ、そういう趣味があるわけ? 軽蔑するわ」
「ハル……私もあなたを買いかぶっていたのかもしれません」
冷ややかなまなざしが二つ。
「俺じゃない! 俺が決めたんじゃない!」
声を荒げて抵抗する。
「私はハルがどのような嗜好、性癖の持主であろうと、メイドたる責務は果たします。どうかご安心下さい」
「うげ、私は嫌よ」
羽交い締めを解いたカレンが、心底嫌な顔をする。グロテスクなものを見る目で、嘔吐するふりのおまけ付き。
「いい加減にしろよ……!」
長い前髪を震わせて、握り拳を作るハル。
「ハル~、ハルは何がいい? ナナはパパがいい!」
「ハルだ! それ以外は認めない!」
体に染みついた癖か、ナナの頭に手刀を振り下ろしてしまう。
「にゃうっ! 分かった……」
ハルの手刀に首を縮ませると、唇をとがらせてすねるような仕草を見せる。上目遣いが何とも愛らしい。うるうると揺らぐ瞳は捨てられる猫のよう。
「わ、分かればいいんだ……分かれば」
ハルも怒るに怒れなくなってしまい、渋々イスに腰を落ち着けた。
「――とすると、このポンコツは本当にポンコツなのね。あえて例えるなら……電源はつくけど、チャンネルの設定がされていないテレビみたいなものね。全チャンネルが砂嵐で、見る価値がないって感じ?」
足と腕を組んで胸を張る。
「ええと……それはつまり、人型古代兵器たる存在価値がないということですか?」
うるわの補足でハルはようやく納得することができた。
「そ、ガラクタそのものよ」
「……あえて例える必要があったか?」
「ハル、それは分かっていても言わないほうが賢明というものです」
「ナナはテレビじゃないよ?」
カレンを口々に批評する三人。
「くっ、黙りなさい! ポンコツと馬鹿メイドとその他!」
照れ隠しにわめき散らす。誰も賛同してくれなかったのがよほど悔しいのだろう。
「それを言うならば、今のカレンも同じではないですか」
「カレンはテレビなの?」
ナナが小首をかしげる。
うるわはうつむき加減に首を横に振ってから、改めて顔を上げる。
「ポンコツなのはカレンも同じだということです」
「カレン、ポンコツなの? 使い物にならない? 機能不全?」
「そうなのか? 若い身空で大変だな」
ハルがカレンの上から下を順に眺める。同性もうらやむ均整の取れた体つきで、外傷は全くない。昨夜は衰弱の極みだったが、今朝はすっかりと良くなっているように見える。
「……こっち見るんじゃないわよ変態。悪人顔」
「ええ、カレンは……今は、ポンコツ同然です」
今は、の部分を強調する。
「カレンは前日の戦闘の折、《遺片》を服用しましたから」
悲しげなうるわの瞳が、皆の視線から逃げるカレンに向けられる。
カレンは腕を組みながら、揺れるカーテンを見つめていた。
「《遺片》は、使用者の能力を一時的に増大させ、限界以上の力を引き出す薬のような古代兵器です。あのときのカレンを思い出していただければ明解かとは思いますが、服用者には例外なく副作用が伴います。服用直後から襲う、動悸、息切れ、めまい……」
無表情は相変わらずだが、うるわの言葉には説得力があった。カレン本人も口を挟もうとせず、腕組みをほどき、むすっとしたままテーブルを指でとんとんと叩いている。
「……一言で言えば《遺片》は麻薬なのです。もちろん麻薬と言うからには、中毒性もあります。そして……後遺症も。《遺片》は服用者の力を引き出す代わりに、人の身体機能を容赦なく奪っていく。カレンの体力のなさ、視力の悪さはそこからきています」
「当たり前だよー、あれは《人機》用のサプリメントだもん。人間が使ったら体をこわしちゃうよ?」
「壊している本人を前にあっけらかんと言ってくれるわね。逆にすがすがしいわ」
背もたれに体を預けて、大きく体を反らす。伸びをするように首をそらすと、金色の髪が床に垂れ下がる。きらきらと輝く、きめ細やかな髪。
「カレン、気休めかもしれませんが、乾燥梅です」
ポケットから取り出した乾燥梅を一粒、カレンに差し出した。カレンは伸ばした体を元に戻して、うるわの差し出す乾燥梅干しをしばらく見つめていた。
「……ありがと。……ん、美味しい」
口内で梅を転がすと、かみしめるようにつぶやいた。
「ホント、この味……そっくりなのよね。馬鹿みたいに」
寂しそうな微笑みに、ハルはなんと声をかけていいか分からなかった。そして、なぜかその梅干しを無性に食べてみたくなった。意思のこもった声がテーブルを飛び越える。
「うるわ、俺にもくれないか」
「ハル……どうぞ、高級品ですよ」
雪解けの山頂を思わせるうるわの表情。ハルに差し出した空の右手を、結んで、開く。
すると手品のように種が出現した。
「ちょっと、ハル! あんた何言ってんのよ! それ私の――」
「よいではないですか、カレン。ストックはまだまだあるのですから」
トランプを広げるように、ストックされているパッケージを扇形に広げる。
「あ、美味いな、これ」
「あー、いいなー、ナナもナナも!」
だだをこねるナナを押しのけて、ころころと口内で転がす。
「……ふん、あったり前じゃない」
「ああ、満更じゃない。どちらかと言えば癖になりそうだ。そうだな……この調子で《遺片》だって食べられそうだ」
「……バカ、強がるんじゃないわよ」
鼻で笑うカレンがどこか嬉しそうに肩をすくめる。
「いや、俺は本気だ」
「はいはい、分かったわよ、そういうことにしといたげる」
取り合おうとしないカレン。
「この……! お前が飲まなくとも、《遺片》ぐらい俺が飲んでもなんとかなるはずだ。いや、なんとかする」
根拠のない自信を吐き出し、テーブルに手をついて抗議する。熱くなっているハルにため息をつくと、あきれるというよりは嬉しそうにカレンが言葉を紡いだ。
「それが強がりなのよ。いい? アンタは私たちが意地でも守る。このガラクタからも、ハチっていういけ好かないガキからもね。だから、アンタが気を遣う必要なんてないのよ。もちろん、強がられても困るわ。つまり、アンタのすべきことはこうよ」
ハルの鼻先に五本の指を立て、指折り数え始める。
「黙って従って、黙って守られて、黙って自分の心配して、黙って安心して、最後に私たちのことも黙っていればいい。だから、アンタは素直に私たちに守られなさい」
五つ数えた握り拳で、ハルの胸を軽く小突いた。
「それぐらいの強さは、私にもうるわにもある。少しは信頼しなさいよ」
仏頂面のハルの肩に手を置いて、自信満々。
「ま、上層部からの命令でもあるし、守りきってみせるわよ」
カレンの形の良い唇。長いまつげ。小さい鼻と、細く描かれた柳眉。
その全てで構成される笑みに、ハルは自分にはない強さと自信を見せつけられた気がした。
「カレン――」
声が静かに広がる。
それは、うるわの柔らかい発声だった。
「それが正しい強がり方です」
雪解けの隙間から、新芽が芽吹く。そんな風景を思い浮かべてしまうほど、ふいのうるわの微笑みは色鮮やかだった。
「カレン、私は嬉しい。いえ、それだけではない……とても誇らしいのです。自分のためではなく、誰かのために強がるカレンを見ることができて。そして、そんなカレンのメイドでいられて」
うるわの声が浸透するにつれて、朱を帯びていくカレンの頬。ハルの肩に触れている手を慌てて引っ込める。
「そ……それが私たちの、し、仕事でしょうがっ。珍しく感情を見せるんじゃないわよ、調子狂うじゃないの」
自然とハルに触れてしまった手。その手をこねながら、カレンは金色の髪の毛を振り乱し、明後日の方向を向いた。
「ねえ、ハルー、何ぼーっとしているの?」
「してない。ぼーっとなんかしてない。断じて」
「ふーん、顔、赤いよー?」
「赤くない。赤くなんかなってない。断じて」
「断じてー?」
「断じて断じてだ」
「断じてー断じてー、にゃはは」
講師うるわは、バラバラになってしまった場の雰囲気を組み合わせるように咳払い。
「ナナ、今あなたがハルを襲う意思がないのは分かりました。これは私たちにとっては僥倖といえます。残る敵はハチだけとなりましたからね。そこで肝心要の対策ですが……」
会議に戻ってきたハルとカレンが、うるわの視線を受け止める。
「時間の問題でしょう」
「……は? 何よそれ?」
「ですから、時間の問題なのです。今日かもしれないし、明日かもしれない」
「意味分からないんだけど」
「覚えているでしょう、カレン。マルチメディアビルの件。私たちはなぜ、ナナと戦闘に入ったのか、ハルを発見することができたのか。行き当たりばったりでしたか?」
「ふ~ん……。そう言うことね」
疑問が氷解し、優雅に紅茶をすする。
「なんだ? どういうんだ?」
いまだに理解できないハルが、うるわとカレンを交互に見やる。ナナはニコニコ顔のまま、滑稽なハルの顔を楽しそうに眺めている。
「古代兵器同士は引かれあうのよ。例外なくね」
頬杖をついたまま、カップの縁を指ではじく。
「御名答です、カレン。《彼岸》であるならばなおさらです。さらには、ここにはおあつらえ向きにナナもいます。同じ《人機》であるならば発見は容易でしょう。要するに、私たちには選択権もなければ、拒否権もないということです。私たちは受け身でしかいられません。ゆえに、二十四時間態勢で要撃できるように備えなければいけないのです」
頬にかかる黄金の髪を乱暴に払う。苛立ちを隠すつもりはないようだった。
「そ、うるわ先生の言う通り。あっちは自分の都合でいつでも仕掛けられるって訳。言い換えるならアポなしって感じかしら。嫌われるタイプね」
「ええ、私も嫌いです」
「ねぇねぇ、ハルも? ハルも嫌い?」
眉間にしわを寄せて体を緊張させる。これからは訪れる一分、一秒を危険に備えなければいけないのだ。
「……ああ、嫌いだな」
「にゃっ! じゃあ、ナナも嫌いー」
ハルに向けてびしっと手をあげ、気持ちよく宣誓する。ハルは無垢なナナの意思に、この世からいなくなった愛猫ニャン太の姿を思い出す。寂しいとき、悲しかったとき、そっとドアの隙間から入り込み、足下に寄り添ってきた。居眠りをしてしまって目覚めたときには、いつも隣で丸くなって眠っているニャン太がいた。美麗な毛並みが上下に動いている。生きている。呼吸している。丸まった背中にそっと触れると、温かさが染みこんできて、寂しさがどこかへ飛んでいった。
「にゃ……んんぅ」
ハルはナナの頭を撫でてやる。
そのひたむきな純粋さに感謝するように撫でた。ナナは目を閉じて、ハルの手の感触に感じ入っているようだった。気持ちよさそうに身体を預けてくる。
……そこに物音が飛び込んでくる。わずかに空気が動くような気配がして、ハルは思いつく最初の単語を口にした。
「…………マキ?」
探し人を求める声は、がらんとした家に空しく消えていった。
扉の外に出たが、そこにあるのは虚空と無音。
「ハル、どうかしたのですか?」
「何よ、敵でも来たわけ? ……気配は無いようだけど」
「ハルー……にゃ? 何もないよ? 生体反応なーしっ!」
そばに寄ってきたナナが、扉の外をきょろきょろと見回す。
「いや…………気のせいか」
ため息。
差し込む朝日のコントラストの中、微細なほこりが空中で光り輝く。
際だつほこりが揺らいでいた。