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第二十九話・「誰がヘリウムよ!」

「やっと起きたわね」


 リビングに入ると、つまらなそうにニュースを眺めるカレンがいた。アンティーク調のカップを口に運び、優雅にたしなんでいるのはどうやら紅茶のようだった。


「退屈で退屈で仕方がなかったわよ」


 袖の長い白いワイシャツに、黒い短パンという、何ともアンバランスなカレンの出で立ち。ボタンを開けて着崩した胸元は鎖骨があらわになっており、うっすらと隆起した胸のふくらみが見える。前屈みにでもなったら大変なことになりそうである。すらりと伸びた足は惜しげもなくさらされ、はわわ、と大きなあくびを右手で受け止める。

 見目麗しい生足は誰の目にも刺激的だ。


「……一体何をしてる」

「何をって見て分かるでしょ? テレビを見てるのよ。アフタヌーンティーを楽しみながら、午後の優雅なひとときってわけ。……にしても、ここにはろくな紅茶がないわね」


 鼻を鳴らして小馬鹿にする。ハルは反射的に、だったら飲むな、と言いかけたが、寝起きの気だるさがそれを許さなかった。


「……で、うるわは?」

「ふふん、気になるの?」


 半眼でのぞき込んでくるカレン。中腰になって下からのぞき込もうとするから、胸元からシャツが離れる。小高く白い双丘がちらちらと見え隠れする。突然のシチュエーションに顔が赤くなってしまう。


「気になるんでしょ?」


 違うところが気になるとは口が裂けても言わない。


「べ、別に」

「不思議ー、顔が真っ赤っか」

「う、うるさい。ナナは黙っていてくれ」


 カレンは頭に疑問符を浮かべている。どうやら自分のことには割と鈍感なようだ。


「ま、うるわはああ見えて一途で譲らないところあるしね。今まで何人の男どもに求婚や交際を申し込まれたことか。ま、私には到底及ばない数だけど。そうそう、ここだけの話、某国の大統領にも求婚されたのよ。どう、すごいでしょ?」


 自分のことのように腕を組んで、自慢げに胸を反らす。組んだ腕の下では、形の良い胸が歪む。どうやら、下着を身につけていないらしかった。思わず、ごくりと生唾を飲み込んでしまうハル。


「ナナも、頼むから背中から降りてくれ」

「にゃ……? ナナは降りないよ? パパの背中ぬくぬくだもん」

「……パパですって?」

「ばっ! ……い、いや、なんでもないんだ」


 ハルが慌てて手のひらでナナの口を押さえる。隠れるようにカレンに背を向けると、小声になる。漏れ聞けば、パパじゃなくてハルだ、二度と間違えるなよ、と鋭いまなざしでナナを叱っていた。ナナは人質の如く口をふさがれたまま、こくこくとうなずく。


「……ぷはっ! ハルー」


 ハルが口から手を離すと、開放感からか、枕に頬ずりするようにハルの背中に体を密着させる。小柄な体でもその柔らかさは折り紙付きだ。体に張り付く服装が好きなのか、活発だからなのか、ナナはスパッツに、ハルが貸したジャージの上着という出で立ちだった。

 ハルは自問する。

 古代兵器とは名ばかりで、本当はただの女の子ではないだろうか。無邪気なナナの様子を見ていると、刀で斬りつけられたことがまるで夢幻にさえ思えてしまう。


「そうそう、うるわなら、私が寝ていた部屋で始末書を書いているわよ」

「始末書?」

「しまつしょー」

「そ、この始末書」


 カレンがあごをしゃくった先はテレビ。


「あ、昨日ナナのいたところ!」


 マルチメディアビル崩壊のニュースが、大々的なテロップと共にトップニュースとして取り上げられていた。


「構造上の欠陥、コスト削減による強度不足、設計段階のミスも指摘……はぁ!?」

「にゃっ! ……ハル、声が大きいよぅ」


 びっくりしてハルの背中から落ちそうになるナナ。


「いいリアクションね、多少大げさすぎないこともないけど」

「明らかにおかしいだろ! この報道は!」


 ニュースでは、マルチメディアビルのモデリングを用意して、一級建築士と共に多角的に事故を検証している。司会者やゲストはしきりにうなずき、視聴者に早鐘を鳴らしている。


「どう見ても、この犯人はお前だ!」

「おまえだーっ」


 二人に指をさされ、むっとするカレン。


「何よ、この私がやったって言うの?」

「他に誰がやったって言うんだ……?」

「そこのチビ黒がやったんじゃないの?」

「ナナは壊してないもん! ちょっと傷つけただけだもん! 変なものぶんぶん振り回したのはカレンだもん!」

「うるっさいわね、私を気安く呼ぶんじゃないわよ、このチビ助。それに私の《千手》を変なもの扱いしたわね……万死に値するわ。百歩譲ったとしても、ピアノ線で緊縛したあげく、燃えないゴミの日に出すわよ、ポンコツ」

「べーだ、ナナはポンコツじゃないもーん。あのときはたぜいにぶぜいだったんだもーん!」

「負けは負け、認めなさいよ、ガラクタ女」

「むむ~、そっちこそ、ドーピング女のくせに!」


 カレンが服用した《遺片》を指してのことだろう。

 ハルはうるわの落とし物をポケットに入れっぱなしだったのを思い出す。


「このミジンコ兵器……! 気がついていないでしょうけど、アンタ今、言ってはいけないこと言ったわよ……!」

「知らな~い……ねぇ、ハルー、ナナこの人嫌いーっ」

「あ、り、が、と、う。私も大っ嫌いよ、ゲテモノ兵器」


 にらみ合う女二人。


「悪いが、俺にすれば二人とも役立たずだ」

「にゃにゃっ!? は、ハルが、ハルがナナを役立たずって言ったぁ……っ……」

「ふふ、いい度胸ね、ハル。外に出なさい、後遺症で《千手》が使えなくても、今の台詞を後悔させてやることぐらいできるのよ」

「そうか、行ってらっしゃい。俺は寒いから外には出ない」


 徐々にボルテージを上げるカレンに対し、ハルはひどく反応が冷めている。


「ハル……ねぇ、ハル? ナナはいらない子なの……? 捨てられちゃうの……?」

「ふん、ハルは怖いんでしょ? 意気地なし、悪人顔、シスコン、猫中毒」

「猫を馬鹿にする気か!」


 大好きな猫を馬鹿にされて、憤怒が一気に顔中にあふれ出る。


「あの、大変申し訳ありませんが……少々静かにしていただけますか」

「うるわ……」


 言い争う三人の目が、入り口で額に手をやるうるわを映す。子供のしつけに困った母親の顔に似ている。


「報告書はいいの? 早く書かなきゃいけないんじゃないの? こんなところで時間を無駄にしていいわけ? 駄目でしょ? 上層部に怒られても私は知らないわよ?」

「カレン、今のあなたの言葉に多大な憤りを感じる私がいるのですが」


 色白のうるわがさらに顔を蒼白にさせている。疲れが体中に充満しているようだった。


「それとですね。この違和感……誰も聞いたりしないので、説明して欲しいのですが」


 けだるげなうるわがハルの背中を指さす。


「――それはなんですか?」


 震える指先は子猫のようにじゃれるナナを指し示す。


「これはただのガラクタ」

「いや、人型古代兵器だろ」


 腕組みしながら鼻で笑うカレンと、正しく訂正するハル。


「もう! ナナはナナだよ! ガラクタじゃないよ!」


 ハルの首にぶら下がりながら、背中でじたばたもがきだす。


「……どうしてそんなに平然と和んでいるのですか?」

「だって《千手》を使えないもの。使えるようになったらバラバラにしてやるんだけど」

「俺はただ捨て置けないだけだ。別に可愛がってやろうとか、捨て猫みたいで放っておけないとか、うるわが考えるような感情的なものはないぞ。そこのところ勘違いしないでくれ」

「分かりました。つまり、カレンは冷戦状態。ハルは可愛い捨て猫を拾ったと」

「おい、勘違いを――」

「ナナ、と言いましたね」


 ハルは無視された。


「にゃ! ナナはナナと言います」

「いいえ違うわ。たった今、私がゴミに改名させたの。ねぇ、ゴミ? そうよね、ゴミ? 何か言いなさいよ、ゴミ」


 頭一つ小さいナナを見下して馬鹿にする。


「………………うわ、性悪」

「にゃっ! 今、ハルがいいこと言った!」


 ハルが味方してくれたのが嬉しいのだろう。ジャンプ一番で胸に飛び込んでいく。ハルのあごにナナの頭が命中した。ノックアウト。仰向けに倒れ込んでしまう。


「カレンは話の腰を折らないでください。ハルも火に油を注がないでください。カレンはただでさえ沸点が低いのですから」

「誰がヘリウムよ!」

「そんなことは誰も言ってません」

「ハル、ヘリウムってね、沸点がマイナス二六八コンマ九度なんだよ」


 尻餅をついたハルの腰にまたがりながら、ナナがすらすらと答えてみせる。


「知らなかった。ナナは物知りだな」


 愛らしい笑みに、ハルは自然とナナの頭を撫でていた。

 愛猫の頭を撫でた過去がリフレインする。


「うにゃ! ナナ、物知り!」


 うれしがる猫のように目を細めるナナ。


「宴もたけなわ申し訳ありませんが、続けます。……この際です、始末書は後にします。すでに半分の百二十枚は書きましたから、残り一時間ほどで書き終えることができます。現在の最優先事項は、今後の方針を決めることです」


 体と精神の疲れを一瞬で吹き飛ばして、顔を引き締める。

 プロ根性という言葉が、あごをさするハルの脳を横切った。


「……そう言えば、ハル、マキが見あたりませんが」

「そういえばそんなのもいたわね」

「ナナ知らない」


 首を振る。

 自動的に、答えるのが最後になってしまったハルを三人の視線がとらえる。


「…………寝てるんだろ」


 深夜の出来事を思い出して、ハルの胸がちくりと痛んでいた。


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