第二十四話・「チーム・ダテ」
「ご理解って……。俺はメイドなんかいらない。任務だろうと俺は認めないからな」
下げた頭をゆっくりと上げて、うるわがハルと視線を合わせる。
「それでは困ります。私はハルの身を守るためにメイドになるのですから。ハルがもし、生と死のやりとりに快感を感じる、痛みを感じることでしか生きている実感を得られない、または、この世に絶望していて自殺も厭わない……そういう人種であるのならば、無理矢理ベッドに縛り付けてでもハルの安全を死守します。これがどういう意味か分かりますね?」
「ひどく物騒な話だな……」
落としたぬれタオルを拾い上げながら、頭をかく。
「ハル、あなたは自分が思っている以上に重大な事件に巻き込まれてしまったのです。本意ではないにしろ、私がメイドにつくことをお認めになって下さい」
ハルはテーブルにひじをつき、頭を抱える。
「任務ってことは、うるわにとっては絶対なのか?」
「私にとっては絶対です」
「私にとっては? ……カ、カレ……あの金髪は?」
人を気軽に呼び捨てにできないせいか、はやりハルはつまずいた。
「いくら上層部の命令といえど、カレンを拘束することはできないでしょうね。カレンは任務に忠実ではありませんから。一方で、自分の欲望には忠実ですけれど」
両手で持ったカップに口をつける。ゆっくりとコーヒーを飲み下して体を温める。
「彼女を縛ることは何人たりともできないのです。彼女が右だと言ったら右。左と言ったら左。任務であってもそれが揺らぐことはありません。これまでも彼女は幾多の死線を越えると共に、敵対する全てのものをことごとく撃滅してきました。それが結果的に任務の達成になっていただけです」
「撃滅……」
ハルの頭に鮮明なのは、フロアの中心で自信満々に腕を組み、相手を見下すカレンの姿。一歩たりとも動かず、その場に鎮座し、相手を傲慢不遜な瞳で見据える。ゴシック調の黒いロングコートをなびかせ、まとうは疾風の風切り音。ひとたび両袖を突き出せば、風切り音はたちまち荒れ狂う龍と化し、相手を喰らい尽くす。マルチメディアビルを崩壊させたのは、よく考えれば彼女なのかもしれない。
「……確かに無茶苦茶だったな」
「はい、無茶苦茶です。ですが、私はそんなカレンが好きです」
「メイドになるくらいだからな」
ここでようやくハルは自分のコーヒーに口をつけた。いつもより苦いと感じてしまうのは、現在の状況がそうさせるのか。同時にうるわもカップに口をつけ、二人同時にカップを置いた。
「話がそれたけど、俺はどうして襲われなきゃいけないんだ?」
ハルの口調が強くなる。
「それは、ハルが《彼岸》を持つ者だからです」
「……悲願? 俺は何も望んでないぞ」
難しい顔をし、首をかしげる。
「ハル、その悲願ではありません。一般的には河の向う岸を指す方の《彼岸》です」
「あ、ああ……理解できた。……で、だ。その《彼岸》だけどな。俺は知らないし、持っていると言われても困る」
メディアビルで抱きついてきた少女にも、同じことを言われた。
「彼岸とは、生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界を意味します。ニルヴァーナ……涅槃とも呼ばれます」
うるわの声以外に音一つない空間に、時計の針の音が混じる。普段は聞こえないのに、意識したとたんに聞こえ出す。聞こえ出せば、今度は気になって仕方がなくなる。まるで事情聴取でも受けるような思い雰囲気が、テーブルの周辺に広がっていく。
「《彼岸》は、まさに意味通り、終局・理想・悟りの世界を体現するものです。世界各地に存在する古代遺跡。滅亡した古代文明。これは全て《彼岸》が引き金になっています」
時計の針の音が大きくなる。
「簡潔に言います。《彼岸》は持ち主が望んだことを体現させます。おそらく、自然の摂理すらも歪曲させて。現にこの世は一度《彼岸》という兵器によって滅亡に追いやられているのです」
「……待て。古代文明は、度重なる戦争により自ら滅亡の道をたどったんだろ……?」
限りなく白紙に近い脳内の教科書をめくる。
「ええ、それが通説となっています。他にも隕石、天変地異説がありますが、信憑性と論理性に欠けるということで、現在論ずる専門家はごくわずか。結果的に、ハルのおっしゃるとおり、一番現実的な論として世間に浸透することとなりました。現在では、世界中の主な教育機関で同様の教授がなされています」
うるわの視線にとらわれるハル。金縛りにでもあったかのように。
「しかし、それは見せかけに過ぎません。本質はそれとは異なるのです」
「待て、待ってくれ。だとしたら《彼岸》っていうのは……」
濁流のように流れ込んだうるわの言葉に溺れそうになる。
「いや、そんな馬鹿な話……。え、絵空事のたぐいじゃないのか……? 第一、そんな法外なものが存在していたら、大変なことになるじゃないか! 持ち主の願いを叶えるんだろ?」
時計の針の音がさらに大きくなる。聴覚を傷つけるかのように。
「教科書とは人々がよりよく暮らしていけるための指標。物事の本質を欺くためのものです。そうでもしなければ、人はまた争うことになる。古代文明のように」
声が出ない。ハルは息苦しささえ感じ始めていた。
「古代の科学者の願いを《彼岸》が叶えた。世界を一度終わらせるという願いを。……そして、破滅した世界の後で、再び人類は立ち上がったのです。再生は容易ではなかったと思います。長い長い年月を経て現在の技術力まで取り戻しました」
「まるで見て来たように話すんだな」
事実を淡々と告げるうるわの姿と、狼狽する自分の姿があまりに対照的すぎて、奥歯をかみしめる。うるわの告げる話が事実とするならば、人間の価値観が逆転するほど重大なものだ。それを、まるで念仏を唱えるが如くつらつらと冷静に話すことができる。そこまで達観できるうるわに、ハルはいらだちを隠せない。
気がつけば拳を握りしめていた。
「私が言ったことは、全てチーム・ダテによって発掘された資料によるものです。一人の天才的な科学者が人型古代兵器を、《彼岸》を作り、戦争を繰り返すかつての世界を呪い、終止符を打った。一般的には極秘ですが、それが真実なのです、ハル」
どくん。
心臓が脈動した。
「チーム・ダテ……?」
「はい、世界的にも有名な発掘調査隊です。《彼岸》発掘の折に人型古代兵器による襲撃に遭い、大打撃を受け、まもなく解体されました。情報部によると……ハル、あなたは確か――」
思い出す。思い出せる。
「チーム・ダテは……親父の……」
思い出す。思い出せる。
「チーム・ダテは、親父のチームだ! 俺もその場にいた!」
思い余って腰を浮かせるハル。イスを倒して立ち上がり、テーブルに両手をつく。
うるわは、そんなハルの狂態でさえ冷静に見つめている。絶たれた自らの言葉を無理に継ごうとはしなかった。
「俺は……気がついたら病院にいたんだ。親父も大けがを負っていて……ずっと事故だと思っていた。何があったのか覚えていなかったから……。それにメディアだってそう断定してた。事故の後、病院で目覚めて、包帯でぐるぐる巻きにされていて、マキが泣きながらベッドに寄り添っていて……」
浮かした腰をどっかりとイスに落とすハル。
憔悴しきった表情が全てを物語っている。
「そうか……親父は《彼岸》を見つけてしまったんだな。同行していた俺はそれに巻き込まれて……」
呆けたように言葉を漏らす。
小さいころから、父に連れられて世界を回っていた。目にするもの全てが新鮮で楽しかった。しかし、それも事故に巻き込まれるまでのこと。
思い出せば直ぐにでも浮かんでくる当時の妹の泣き顔。何日も生死の境をさまよった末、すんでの所で生をつかみ取った。頭のてっぺんから、つま先まで包帯で簀巻きにされ、ミイラ男同然の姿だった。目覚めてからも、度重なる偏頭痛と、全身に巣くった疼痛に悩まされる日々。もう二度と経験したくない日々。
その日々の中で、俺は絶対に発掘を手伝わないと誓った。
「大変な思いをしたのですね、ハル」
「あんな思いは二度とごめんだ」
思い出しただけで頭痛がした。痛みはあのときとまったく変わらない。時計の針が時を刻む音。それすらも身を傷つけられる音のような気がしてならない。ざくざくざく。そうして身を切られるような痛みが、ハルの顔を歪めさせた。長い前髪で顔を隠し、表情を隠す。今、ハルがどんな顔をしているのか、それはハル自身が一番よく分かっていた。
「《彼岸》は起動した……そういうことね?」
「カレン!」
壁により掛かかり、唇を歪めるカレンが、ハルを興味深げに眺めていた。身にまとうのはコートではなく、フリルが目につく漆黒のゴシック調シャツ。汗でぬらした額や、首下には長い金髪が張り付いている。吸った汗のせいか、透けたシャツからはその身の細さが感じ取れた。