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第二十三話・「……俺を馬鹿にしてるのか?」

 カーテンの隙間から、白み始めた明け方の光が入り込んでくる。

 ハルは一日中開けっ放しだった自分の目をねぎらうように、ぬれタオルを目にのせる。食卓のイスに深く腰を落ち着けると、天井にため息を漏らした。黒に落ちた視界に映し出されるのは、垣間見た死線と崩壊だった。瓦礫が落下してくる。人一人を簡単に押しつぶす大きな瓦礫だった。ハルは子猫のような少女を強く抱きしめて、迷わず妹の名前を叫んでいだ。なんのためらいもなく、自分でも信じられないぐらい気持ちよく叫ぶことができた。それが不思議で不思議で仕方がなかった。

 もう一度、ハルは肺からため息を引き出す。


「起きていらしたんですね」

「そっちこそ起きていたんだな」


 風がわずかに揺れる。


「……あの女の子の様子は?」

「カレンです。カレン・アントワネット・山田。私の主です。どうぞ気軽にカレンとおよび下さい。それと、私のことはうるわ、と。呼び捨てで呼んでくださって結構です。お気になさる必要もありません」

「……メイドが決めることなのか? そういうことは」

「私とカレンは特別です。そして……あなたも」

「俺も? どういう意味だ?」


 ぬれタオルの隙間から声のした方向をのぞけば、そこにうるわはいない。いつの間にかハルの背後を通り過ぎて、キッチンの方へ。ハルの問いかけには答えずに、背中を向ける。


「人型古代兵器はどうしたのですか?」

「人型古代……? あ、ああ……よく、眠ってる。まるで猫みたいに体を丸めて」


 いまいちぴんと来ない言葉と、子猫のような少女を無理矢理一致させる。


「猫がお好きなのですか?」

「す、好きだけど、悪いかよ」

「いいえ」


 うるわが目を留めたのは、ハルの目にあてられたぬれタオル。猫の顔がたくさん描かれた可愛らしいタオルだ。さらに、コーヒーメーカーの横に置かれたコーヒーカップにも猫のプリントが入っている。


「コーヒーでもいかがでしょうか、ハル」

「いきなり呼び捨てとは、一方的なんだな」

「嫌ですか? でしたら、お兄ちゃん、とお呼びすれば?」

「止めてくれ」

「では、やはりハルと」


 むっとして唇をとがらせるハル。その仕草にうるわのまとう空気が揺れる。相変わらずの無表情だが、どことなく笑った気がした。凛とした無表情と日本人らしい和を彷彿させる端整な顔立ちは、さながら日本人形を想起させる。


「くっ……それでいい。ハルで」


 綺麗に拭われたエプロンドレスには戦闘の傷跡はない。着替えを用意したのか、繕ったのか。新品同様に輝きを放ち、コーヒーメーカーの前に立つ。カチューシャの角度も、おかっぱ頭の髪型も、完璧に整えられていた。


「では、改めて。コーヒーでもいかがでしょうか、ハル」

「……いただき、ます」


 ほとんど初対面に近いので、どうしても固くなってしまう。


「かしこまりました、ハル。砂糖はいくつお入れすればよろしいでしょうか?」

「ブラックで」

「ハルは大人ですね」

「……俺を馬鹿にしてるのか?」

「冗談です、ハル」

「……」


 勝手知った我が家のように、うるわはてきぱきとコーヒーを用意していく。そのよどみない動作は、長年寝食を共にした使用人そのもの。訪問者とは思えない手際。


「う、うる……」


 いきなり呼び捨てにしてしまうのに多少なりとも抵抗を感じたが、ハルは改めて言い直した。引き締めた顔には真剣さが帯びる。


「うるわ、約束通り説明してくれないか」

「……わかりました。ハルがそう望むのでしたら」


 うるわの手によって目の前に置かれたコーヒー。波紋を広げる黒い表面から湯気が立ち上る。安物のインスタントだが、鼻腔をくすぐる良い香りをただよわせていた。うるわは自分の分のコーヒーは用意せずに、ハルの正面に立つ。


「……座らないのか?」

「私はメイドです。お気になさらず」

「冗談は言うくせに、そういうところはきっちりしているんだな」


 冷気を失ったぬれタオルを顔面からはぎ取ると、ハルは立ち上がる。そのままコーヒーメーカーの前まで来ると、自分の分が用意されているにもかかわらず、カップにもう一杯コーヒーを注ぎ始める。


「お気に召しませんでしたか?」


 ハルの返答はなく、黙々と粉末コーヒーにお湯を注いでいく。

 やがて湯気を立ち上らせながらうるわのそばによると、ハルの座る正面にカップを置いた。イスを引くと足がフローリングにこすれて高い音を響かせる。どれも多少乱暴さが混じっていた。


「座ればいいだろ。それとこれはうるわの分だ。俺の分じゃない。話すのはそれからだ」


 顔を背けながらのハルは、どこか微笑ましく、それでいて不器用さに溢れていた。


「ハル――」

「勘違いするなよ。これは……そう……あれだ。あ、あくまで客人に対して当然のことをしたまでなんだからな」


 手に持ったぬれタオルで再び顔面をおおった。


「ハルは不器用なのですね。でも、なぜでしょうか。嬉しいと思ってしまう自分がいます。親近感、そんな言葉がふとよぎってしまいました」

「……うるさい」


 イスに座り、両手でカップを持ち上げる。カップから漂う芳香を小さな鼻で吸い込んだあと、そっとコーヒーに口づける。香りと味を楽しむ。インスタントには大げさすぎるほどの作法。


「いい香りです。それに――優しい」

「……。そ、そんな味のするコーヒーを買った覚えはないけどな」


 目が合い、慌てて吐き捨てた。


「買えるものではありません。それがハルの味なのですから」


 うるわの無表情がコーヒーの熱で溶かされたのか、かすかに笑みに崩れる。ハルは自分のコーヒーを飲むのも忘れて、ぬれタオルで顔を隠し続ける。ぬれタオルは急激にぬるくなっていく。顔の熱さはいっこうに収まってはくれなかった。


「ハル」


 次にうるわが発した声は、うるわの雰囲気を一変させていた。ハルはぬれタオルの隙間から、うるわをうかがった。


「今から告げるのは上層部が私とカレンに正式に下した任務です。私にはどうすることもできません。カレンにもです」


 うるわはじっとコーヒーの湯気をみつめていた。フラットな声が機械的で、冷たいものに感じられる。コーヒーの表面に落としたうるわの顔もまた、感情のないペルソナそのものだった。


「特命により、私、メイド・イン・ジャパンうるわは、本日より任務が完了するまで、伊達ハルのメイドとなります」

「……なっ!」


 ハルの顔面からぬれタオルが落ちていった。


「『いかなる時も、冷静・笑顔・優雅であれ。かつ、最大の犠牲心を持って奉仕せよ』……国際家政婦条項、その冒頭にある通り、ハル、あなたの身の安全は最大限の犠牲心を持って私がお守りいたします」


 イスから滑り落ちそうになりながらも、ハルはなんとか深く座り直す。


「お、俺はメイドなんかいらない。それにうるわは――」

「カレンが私の主であることには変わりません。ただ、任務中はハルを最優先にするということです。どうか、ご理解下さい」


 うるわは深く頭を下げた。


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