第二十二話・「……お兄ちゃんは……私のことなんか」
「お話中、申し訳ありませんが」
兄妹の賑やかなやりとりの中に、深刻な声が混ざる。声がした方向を見れば、カレンに肩を貸すうるわがいる。カレンは力すらも入らないようで、ひざを折ってしまっている。体そのものを預ける、と言いかえてもいいような苦しさを伴ったカレンの表情に、生気は感じられない。
「どうか、私とカレンを助けて欲しいのです」
「…………必要ないわよ」
「カレン、そうやって強がるのがあなたの悪いところです」
悲しげに眉を下げ、衰弱したカレンを気遣う。自らの体が傷ついていることは後回し。腕を伝う血の流れは、ハルの腕の中で眠る人型古代兵器によって傷つけられたものだ。
「……やめてよね、私は強がってなんかない。強がるのは弱い人間だけ。はじめから強ければ、強がる必要なんてないもの」
「それが強がるというのです」
しっかりと手を回し、カレンの肩を抱えた。
「どうか、お願いします」
頭を下げるうるわ。ダクトに預けていた体をおこして、ハルは腕の中で眠るナナを見る。
「……またこの子と戦うのか?」
「必要があれば、そうなります」
ハルの腕の中で子猫のように眠るナナ。見た目からは想像できない、力とスピード。死と背中合わせの中に放り込まれてしまった恐怖を感じながらも、ハルは体が自然に救出に動いてしまった。今は亡き愛猫と、小柄な人型古代兵器。似ても似つかないものなのに、ハルは心を揺り動かされる。
「俺は、何も知らない。この子に襲われた理由も、あんた達が何で戦うのかも何もかも。当然、説明してくれるんだよな?」
鋭いまなざしでうるわをにらみつける。ただでさえ鋭いハルの視線が、怒りを増して鋭く研ぎ澄まされる。
「……その必要が、あるのならば」
「説明してくれるんだったら、いい」
「お兄ちゃん! 私は反対です!」
兄とうるわの真ん中に割り込むマキ。
「お兄ちゃんは、殺されかけたんですよ! 自分から飛び込んでいく必要はないはずです! マキと一緒に平和に暮らしていきましょう!」
振り絞った声が、屋上に広がる。
「そこのメイド服の人もです! お兄ちゃんを巻き込むのは止めてください! お兄ちゃんは、昔から、小さいころから大変だったんです! なのに、また、また……っ!」
「……遅かれ早かれ、こうなる運命なのよ、あんた達兄妹はね」
か細い呼吸を繰り返していたカレンが顔を上げる。
「……あのくそ生意気なハチとかいう人型古代兵器の目的は、そいつなんだから」
カレンの黄金の瞳が、ハルをとらえる。
「でたらめです! でっちあげです! 助かりたいための方便です!」
何をもってでたらめと断ずるのか。それすらも分からないで、マキはただ意思のままに首を振った。
「もういい、マキ。説明はするって言っているんだ。文句を言うにしろ、否定するにしても、今は手当てしてやるのが先だ」
「お兄ちゃんはそうやって! マキのことはどうでもいいんですか!?」
兄の腕を揺り動かすが、その腕の中には小柄な少女がいる。マキは自分の体の奥に眠る、黒い炎に火がつくのが分かった。
「お兄ちゃ――」
が、ハルはマキにまったく耳を貸さず、うるわと会話を始めてしまう。
「一つ条件がある」
「どのような条件でしょうか」
「この子の手当もする。それだけだ」
遠く、マルチメディアビル崩壊現場からは、緊急車両のサイレンの音が鳴りやまない。もうもうと立ち上る崩壊の粉塵が、まるで某国のビルを襲ったテロの煙を思い出させた。人々の叫びや怒声、報道陣の事件を伝える熱弁が耳元に聞こえてきそうなほど、熱い風がハルらの肌を焼く。
報道用のヘリコプターが、一機、また一機とハル達の頭上を飛んでいき、とびのようにマルチメディアビル跡を周回していた。
「……わかりました。条件に従います。カレンもそれに従ってください」
「…………ふん、従ってあげるわよ」
カレンの返答に、うるわの無表情がわずかにゆるむ。
「決まりだな」
腕の中をのぞき見て、決意にも似た息を吐く。静かな寝息を立てるナナは、ハルにとって古代兵器とは到底思えなかった。
「住所を教えてください。私たちは人目を避けて合流します」
「ああ、分かった」
「ちなみに嘘は教えないでください」
「あ、当たり前だ」
心外だと言わんばかりに、むっとするハル。
「……案外分からないわよ、コイツ人相悪いから、変な店に売り込まれたりして」
衰弱しながらも横やりを入れるカレンに、手当は不要なのではと思うハルがいた。
「あなたは存外そういう方なのですか? 見損ないました」
「俺は存外そういう方じゃない。見損なわないでくれ」
「……よかった」
うるわが微笑んだ。微笑みと呼べないほどの小さな表情の変化だったが、ハルにはそれが手に取るように分かった。不器用な感情表現しかできないハルだからこそ、気がつけたのかもしれなかった。
突然見せられた笑顔にどぎまぎしながらも、ハルは丁寧に住所を告げる。
三度復唱したうるわは最後に、ありがとうございます、と頭を下げる。
恥ずかしさにハルが目を離した隙。エプロンドレスがひるがえる音がしたかと思うと、すでにその場にうるわとカレンはいなかった。
ハルの足下に転がるのは、白色のカプセルが一錠。
エプロンドレスに穴が空いていたのだろう。ハルはそれをズボンのポケットに突っ込む。
「落とし物は持ち主に届ける……ね」
つぶやいて屋上を去ろうとする。
腕の中では相変わらずの子猫のような笑顔。ハルもうるわ同様微笑みをこぼしてしまいそうになり、慌てて首を振った。
「マキ?」
お姫様だっこをしているため屋上の扉を回せないことに気がついて、マキを振り返る。
「……お兄ちゃんは……私のことなんか」
マキは顔を下げて下唇をかんでいるようだった。
「……マキ?」
いつも明るい妹には、ついぞ見られない姿。屋上で回る換気扇の音でマキの声を耳にできなかったが、その様子に不自然さを感じてハルは声を大きくする。
「マキ! 置いていくぞ」
兄に呼ばれていることに気がつくと、マキは深刻な表情を一変させて、はしゃぐようにハルに寄り添う。せかすように先導するマキの姿を見て、ハルは先ほどの風景を忘れていった。
「そういえば、結局パソコン買い換えられなかったな」
「ぎくり」
パソコンを壊した張本人が、ハルの数歩先で背中を強ばらせる。
「そ、そういえば、そんな気もするようなしないような……」
体を強ばらせたままのマキを追い抜くハル。
「そういえば、結局お前に助けられたよな」
「お兄ちゃん……?」
ハルの咳払いが通路に響く。
「パソコンは……割り勘にする」
遠ざかる兄の背中に、マキは胸を押さえる。
締め付けられるようにじんじんとうずく。どうしようもなく締め付けられる。
「……それでいいです。ううん、それがいいですっ!」
思わず兄に飛びついていた。