第二十話・「自殺行為だぞ!?」
細身の体で大鎌を肩に担ぐと、四方から襲いかかる風切り音に笑顔で応える。
「ナナが負けるのも納得。過去にもこれほど使いこなせる人間はいなかったからね」
スーツのジャケットを翻して、宙を舞う。体を伸ばしてひねりを加え、宙返りをする。回転を加えて華麗に舞う様は、新体操を思わせる美しさ。まるでおもちゃのように大鎌を片手で扱う。回転を加えながら、襲いかかる風切り音と切り結んだ。火花が散り、打ち払われた風切り音が、地面をのたうつ。はじかれた黒い鞭のうねりが地面を叩く。ばしん、という鞭を叩く音が周囲に響き、その度に砂埃が吹き上がり、破片が飛ぶ。ナナほどのスピードと柔軟性は感じられないが、それでも十分に人間の領域を逸脱している。
「そもそもの話をすれば、君が使っている兵器は《人機》専用の武器なんだよ。僕でも扱えるかどうかは難しい……いや、扱えないというわけではないよ。ただ、あまりにも効率的ではないんだ。僕が言っていること、分かる?」
左手で柄の末端を、右手を柄の真ん中付近を握りしめ、着地する。断頭台を思わせる巨大な刃が、外光を跳ね返す。
「例えるなら、害虫一匹を駆除するのにガトリングガンを持ち出すようなものだね」
少年の口唇の形と重なるような三日月型の白刃が、鋭い軌跡を描く。一度に三本の風切り音がなぎ払われた。大振りの後、少年の体が無防備になる。しかるべき死に体と化したのだ。
風切り音に続いて、うるわが天井から拳を繰り出した。地面から襲いかかる風切り音と、天井から振り下ろされる拳。カレンとうるわの連係攻撃。
「人の話は最後まで聞けって言われなかった? 兵器である僕でも知ってるよ?」
死に体のまま、体をさらにもう一回転させる。大鎌の柄を握る右手を解放。両手持ちから左手のみへ。体の回転から遅れて現れた右手。
「ちょっと黙ってもらわないと、おちおち話もできないよ」
諸手のはずの右手は、一瞬にしてガトリングガンへと変貌を遂げる。砲身がすさまじい勢いで空回りし始めた。拳を振り下ろそうと天井から急降下するうるわに、回転する銃口が向けられる。うるわの顔が驚愕に歪む。
「しまった……!」
膨大な汗で額をぬらし、床にひざを突くカレンが、命令と共にうるわに右手を伸ばす。
「うるわ! 下がりなさい!」
目もくらむそうな銃口の回転から、暗闇の広がるフロアに火が放たれる。少年の背後で鞭のようにふり乱れるガンベルト。吐き出される数百という薬莢の嵐。消えることのないマズルフラッシュと、オレンジ色の弾道。
無邪気なハチの笑い声が、ガトリングガンの咆哮にかき消される。
ガトリングガンから吐き出される銃弾は、フロア中を蹂躙していった。天井を蜂の巣にしたかと思えば、柱を根こそぎ削り取る。ストロボのようにハチの表情を照らすマズルフラッシュ。流れ星のようにきらめき、落ちたフロアで跳ねる薬莢。交差する跳弾。
「なんだって言うんだよ! なんでもありかよ!」
「お兄ちゃん! 逃げて!」
右往左往する兄妹。
「どこに!?」
「そ、それは……ですね……! 分からないです!」
二人はフロアにうつぶせになり、耳を両手で覆っている。
「助かりました、カレン」
「細かい作業は苦手よ、二度とさせないで」
うるわは急降下していた体をカレンによって絡め取られていた。カレンの意思を伝導した《千手》がうるわの腹部に巻き付き、難を逃れさせたのだ。カレンが操る黒い触手に助けられたうるわは、カレンの隣に着地し、素早くカレンの肩を抱える。汗が干上がってしまったカレンの容態は、もはや自力では歩くことさえも困難なようだった。風切り音を辺りに停滞させておくことですら、顔をしかめる原因になりつつある。
「話を戻すけどさ。君が使っているその兵器、さっきの害虫の例えを引用すると、無駄が多すぎるんだよ。今のように攻撃を周囲に停滞させておくことですら、力の浪費だとは思わない? 繰り出す攻撃だって大雑把。規模も大きい。比例して、消費する力も増大する。たった一発の銃弾で解決するはずの物事に、わざわざ軍隊を持ち出している。それって税金の無駄遣いに等しいよね」
肩をすくめてみせる。ガトリングガンはいつの間にか元の細い右腕に戻っている。
「たかが人型古代兵器に言われたくはないわ」
「いや、僕は君を認めているんだよ? たかが人間が《人機》専用の兵器を使えるんだからさ」
軽薄な笑いに、怒りを爆発させるカレン。汗が乾いた顔は青白く、怒気に輝くはずの金色の瞳もくすんでしまっている。カレンをここまで突き動かすのは、もはや意地でしかない。
「そのたかが人間にやられるのよ、アンタは!」
うるわを突き飛ばして、風切り音を加速させる。両手をハチに向けて広げると、滞空する全ての風切り音が、ハチに殺到した。
「せっかく心配してあげてるのに、意地っ張りだねぇ」
軽口はカレンに届く前に切り裂かれた。蛇のようにハチに食らいつく《千手》の軌跡。
カレンの両袖は破れんばかりにはためき、内部からすさまじい力が放出される。限界を超えて吐き出される力に押しつぶされるように、カレンの体がよろめいて、ひざを突く。
「カレン、これ以上はもう止めてください! このままではあなたの体が!」
声を振り絞るうるわに、カレンはがんとして応じない。ただ敵だけを見据えて、悔しさに歯がみするばかり。自らの体よりも、敵の殲滅を先んずる。そこまでしてカレンを支えるプライド。
風切り音がさらに数を増し、ハチの逃げ場を消していく。
《千手》の力は決してゆるめない。
攻撃して、攻撃して、攻撃して。
追撃して、追撃して、追撃して。
破壊して、破壊して、撃滅する。
常に自分優位でいなければ気が済まない、カレンらしい無限に続く攻撃の手。
戦略級の圧倒的なごり押しこそ、カレンの本領。
「カレン! 聞いているのですか!」
先に壊れるのはカレンか、それともハチか。
どちらが壊れるのが先にしろ、カレンの体が壊れることに代わりはない。ハチが破壊された後に、カレン自身も二度と立てなくなるだろう。乱れ散る風切り音が、フロア全体を飲み込んでいく。暴走するカレンの力は、本人の限界を超えて破壊の限りを尽くす。
「さてと、汚名返上はこんなもんかな? ……ナナ?」
乱れ飛ぶコンクリートの欠片の中に、壊滅的な構造のきしみを聞き取る。日本最大級のマルチメディアビルが崩壊しようとしている。ガトリングガンや、《千手》によって粉砕された柱が、上の階を支えきれなくなったのだ。亀裂がフロア中を満たしていく。
「帰るよ? ナナ?」
天井から落ちてきた瓦礫の下敷きになっているナナを見る。ナナは返す言葉すら失っているようで、もはや起動しているかすら分からないほど沈黙を保っている。
「……残念だけど、ナナは駄目みたいだね」
わずかに物憂げなため息をつくと、ナナに背を向ける。手に持っていた大鎌が液状の金属になり、腕の中に吸収されていく。最後に手のひらに残ったのは、二個のスモークグレネードだった。二個のピンを口で引っこ抜くと、ゴミを捨てるようにカレンに向かって放り投げた。転がる二個のスモークグレネードが爆発し、煙が一気に噴き上がる。
「色々と勉強になったよ。じゃ、またね」
内壁に空いた穴から空に向かって飛び出していく。吹き出す煙の向こうで青空の中に吸い込まれていく少年の背中。黒いスーツのジャケットが白い煙に塗りつぶされる。
「逃げる気!?」
後を追おうとするカレンが、うつぶせに倒れ込んだ。頬を地面にこすりつけて転んだ衝撃で、口内に血の味が広がった。手をつくこともできず、頭をしたたかに打ち付けていたカレンから意識が飛んでいきそうになる。メガネのレンズが割れ、フレームがひしゃげていた。
風切り音が消失し、ビルの崩壊する音だけが不気味なほどに耳にまとわりつく。
「しっかりしてください、カレン。ここから脱出します」
「ハチとかいう……いけ好かない古代兵器は……?」
倒れたカレンを引き起こすと、メガネチェーンが切れて首から滑り落ちていった。
「逃げました。私が見るに、カレンに恐れをなしたのでしょう」
不器用な笑顔しか作れない自分を呪ううるわ。
「…………嘘が下手ね」
凍えるように全身を震わせ、生気が失われていく。体温さえも奪われて、うるわの手を握り返すことすらできない。うるわはしっかりと主人の体を支え、崩壊寸前のマルチメディアビルに目をはせる。
「そこのお二人! 早く外へ脱出してください! ここはもう保ちません!」
うるわがカレンの肩を抱きながら、兄妹に叫んだ。
フロアが揺れて、ハルがバランスを崩す。
「も、保たないって!? どういうことだよ!?」
「言葉通りですよ、お兄ちゃん! 早く行きましょうっ!」
ハルの手をぐいぐいと引っ張るマキ。
「だから、さっきからどこへ行くって――って、まさか!」
「そのまさかですよ、お兄ちゃん! あそこから飛び出すのです!」
マキが指さした先は、内壁に空いた穴。スモークグレネードからもうもうと立ち上った煙が、穴に吸い込まれていく。
「ば、馬鹿だろ! 自殺行為だぞ!?」
「お兄ちゃん……」
「何階だと思ってるんだ!? 無理に決まってる!」
「お兄ちゃん」
「それより何か別の方法があるはずだ! それを探したほうが――」
「――お兄ちゃん!」
ハルの思考がマキの意気で停止する。
「今ならきっとできるような気がするんです。今のマキなら、お兄ちゃんを助けることができるような気がするんです!」
兄の手首をぎゅっと握りしめて、強い光を瞳に灯す。
「お兄ちゃんが信じてさえくれれば、マキにできないことはないって……バカみたいだけど、そんな気さえするんです!」
必死に訴えかけるマキに思わずうなずいてしまう。マキがハルにここまで強く訴えかけたことは今までにない。だから、初めて見るマキの真剣なまなざしに、ハルはついうなずいてしまった。
「彼女にはその力があると思います」
カレンを気遣いながら、うるわは兄妹のやりとりに補足する。
「あくまで客観的な視点に過ぎませんが、人型古代兵器と渡り合って生きていられる人間はそうはいません。信じるに足ると思います」
天井が崩れ去り、上の階にあった商品が雪崩のように落ちてくる。
「先に行きます」
うるわが先陣を切って内壁から身を投げた。
「マキを信じてください! お兄ちゃん!」
手をつなぐ兄妹が、内壁に向かって走り出す。
それに連動するように、フロアが崩壊を始めた。天井が次々に瓦解していき、その瓦礫の重さで下の階の床ごと陥没していく。吹き抜けのように次々に穴の空いていくフロアでは、配線がちぎれ飛び、あちこちで火花が散った。崩壊する天井が、兄妹の背中に迫る。フロアの中心から外側へ、足場が失われていく。フロア自体が斜めにかしぎ始め、兄妹は思わず転びそうになった。まるで二人三脚。転びそうになりながらも、すんでところでお互いがお互いを支え合う。両足でしっかりと地面を蹴る。
「マキ、待ってくれ!」
地面に転がっている刀を目に留めて、ハルは急ブレーキを敢行した。兄妹のつないだ手が離れて、マキが盛大に転ぶ。
「お兄ちゃん! 何をやっているんですか!?」
マキが崩れゆくフロアの中で見た光景は、にわかには信じられないもの。ハルが瓦礫を力一杯に持ち上げて、その中からナナを助け出していたのだ。首と額に走った血管が今にもちぎれそうなほど、瓦礫を力一杯持ち上げてひっくり返すハル。ぴくりともせず、眠りについた子猫を腕の中に抱きかかえる。小さな体はカレン達との戦闘で傷つき、様々な耐性を持つレザースーツも破けてしまっている。のぞく肌色も傷だらけで痛々しい。
「お兄ちゃんは馬鹿ですか!? 殺されかけたんですよ!?」
転んでこすりつけた頬を拭いながら、マキは叫ぶ。
「………………にゃ……?」
うっすらとのぞかせたナナの瞳にハルが映り込む。ハルを不思議そうに見つめてはいるが、抵抗はないようだった。まるでゼンマイの切れかけた人形のよう。お姫様だっこの状態でハルに抱えられているナナ。消えかけの灯火を瞳の中にたたえながら、ハルをじっと見つめ続ける。
フロアの床が下層に消えていく恐怖に背中を焦がしながら、ハルは走った。
「おああああああっ!」
全力疾走。
底なしの沼に飲み込まれぬよう。奈落の底に落ちぬよう。ナナを抱えて地面を蹴り上げた。
地面に転がる破片で足を切りっても、走った。
落ちてきた石に額を打ち付けられ、血が目に飛び込んできても、走った。
力を緩めない。外へ。とにかく外へ。けたたましい崩壊音と、舞い上がる噴煙に背中を押されて、ハルは内壁から外へと飛び出す。
外に広がる青空に吸い込まれたかと思った瞬間、今度は自由落下。当たり前だ。人間は鳥ではない。飛び出したところで、重力に引かれて落ちるのが関の山。
外光のまぶしさに目を細める暇もなく、ハルは重力に容赦なく引かれ、落ちていく。
崩れゆくビルから遠ざかるように逃げていく野次馬。狂乱する人々の叫びが、逃げまどう姿から遅れて耳に飛び込んでくる。
次第に人々の輪郭がはっきりし始める。
地面は近い。
腕の中に感じる人型古代兵器を抱きしめるようにハルは目をつぶった。暗闇の中で覚悟を決める。痛みに耐える覚悟。死を恐れぬ覚悟。腕の中で眠る子猫を守ろうとする覚悟。
自己満足かもしれない。
逃げ出す際で、ナナと愛猫ニャン太を重ねてしまった。永眠するニャン太の安らかな顔が脳裏をよぎった。気がついたときには駆け出していた。
どうしようもない。体が反応してしまったんだから。
耳に打ち付けられる激しい風の音。子猫を強く抱きしめる。
――……マキ。
信じろと言った。
俺が願えば、何でもできる気がすると。メイド服の少女もうなずいていた。
もしも、それが本当なら。
もしも、それが現実になるのなら。
『なんとかしろおおおおおっ!』
叫んでやろうじゃないか。
「マキいいいいいいいぃっ!」
俺の妹の名を。
「――了解です! お兄ちゃん!」
待ち望んだ声に目を開けると、マキが弾丸のように壁を駆けてくるのが見えた。
崩れてくる瓦礫を足場にして加速。さらには外壁を利用して崩れ落ちる壁を追い抜く。巨大な瓦礫の隙間に体を滑り込ませながら直滑降。自由落下するハルに迫っていく。
崩壊するマルチメディアビル。全てが落下してくる。看板、瓦礫、ガラス。大小様々な崩壊の欠片。接近してくる。
手をさしのべるマキ。
手を伸ばすハル。
兄妹の手。
繋ぐ。
絆。
「お兄ちゃん、先に謝っておきますっ!」
はがれ落ちた大きな外壁が兄妹に迫る。
「何っ!?」
「少し揺れますよ!」
マキはハルの襟首をつかむと、力強く外壁を蹴って、崩壊するビルから離れる。
空を駆ける少女。
狂乱する人々を俯瞰するように空高く飛翔する。電気街が一望できた。崩れ落ちて噴煙におおわれたマルチメディアビル、駆けつける救急隊員、消防隊、警察、機動隊、輝くパトライト。それらを後ろに置き去りにして、マキは別のビルの屋上に降り立った。慣れない着地にバランスを崩したのか、ハルを放りだしてしまう。ビルの屋上で回る換気扇に体を預けるマキ。換気ダクトに背中をぶつけるハル。ブラックアウトしそうになる意識を何とかたぐり寄せて、ハルは胸の中に抱くナナを確認する。
「だ、大丈夫か?」
「…………にゃふ……っ?」
ナナはやはり不思議そうな表情を浮かべたままでハルを瞳に映していた。ハルの頬を小さな手のひらで撫でると、自分の頬に持っていく。
「…………ナナ、生きてる」
うっすらと微笑むと、まるで主人に懐いた子猫のようにハルに体を預けるのだった。