第十九話・「まさに最悪のタイミング」
「ハチだ……じゃないよ。人間なんかにこてんぱんにされるなんて……ナナはすぐ遊ぶのが駄目だっていつも言ってるじゃないか」
飛び散ったガラス片を踏みしめながら、肩をすくめてみせる。青空を背負う細身の体躯。声質から判断するに、それはまだ少年の域を抜けていはない。声変わりを控えた幼ささえ感じられる。
「人間にしてはやるよね。僕も結構びっくりしてる」
腕を組んでフロアを見渡す。自信を醸すその出で立ちは、声音とは異なり、少年らしさを感じさせないものだった。入り込んでくる外光で少年のストレートヘアーが淡い光を放つ。
「《彼岸》は本格的にではないにしろ、どうやら起動しているみたいだね。存在してはならないものまで存在してる」
マキを見る目が細められる。
「良きにしろ悪しきにしろ使用者の望みを全て具現化させてしまう最大最強の兵器……やっぱり僕のお父さんは偉大だね」
事態について行けない兄妹を目に留めてにっこりと笑う。
「そんな偉大なお父さんが手塩にかけてくれたのにさ。……ねぇ、ナナ」
細く長い髪質は白く、銀髪と表現しても差し支えはない。幼い顔立ちに愛敬はあるが、大人でさえ顔をしかめるような軽薄さが見て取れた。白い歯を強調させるように笑う様はどこか小賢しく、いやらしささえ見え隠れする。黒い高級そうなスーツ姿で、ジャケットのボタンを全て外している。中に着込んだ白いワイシャツも第三ボタンまで開かれていて、襟元から着崩した感じは、少年ながらに高級ホストクラブのそれを思わせた。暗闇におおわれた中でも浮かび上がる瞳は、ガーネットのように赤々と輝いている。
「僕たちは至高の兵器なんだよ? そんな無様にやられちゃってるけど、自覚してる? してないでしょ?」
額に指を当てて、頭痛にでも耐えるかのようだ。
「にゃうう……ハチ……ごめん……」
カレンの靴底に踏まれたまま、ナナが謝罪する。
「あ、いいよ、いいよ、あやまらないで。ナナは旧型だし、そういうところは僕の監督不行届ってやつもあるから。……でも、ナナがそんなだとさ、最新型である僕も疑われるじゃない? ああ、《人機》もこの程度なんだな、ってさ」
手を広げて笑う。
「《人機》? うるわ、このガキは何を言ってるの?」
踏みつける力を強めるカレン。いらだちがガラス片を震えさせた。大粒の汗があごからしたたり落ちて、地面に大きな斑点を作っている。ナナを踏みつける足も細かく震えていることから判断するに、悠長に構えている時間はない。
うるわはカレンの汗と体の震えを見て、よりいっそう焦りを募らせる。
「まさに最悪のタイミング……。カレン、気をつけてください。少年の口ぶりからすると、彼が以前の事件で起動した二体目の人型古代兵器のようです」
カレンににじり寄っていくうるわ。主人のサポートを第一に考えようとしている。
「ああ、ごめんごめん、紹介が遅れたけど、僕はハチ。お父さんに作ってもらった《人機》……君たちの世界で言うところの人型古代兵器だよ」
ハチは地面に転がるナナを指さす。
「ちなみに、そこで踏みつけにされてるナナは、一応だけど僕のお姉さんってことになるのかな。僕の一世代前のタイプだから」
「しゃくに障る奴ね。人型古代兵器ってこんなのばっかりなの?」
「変な言い方しないでほしいな。こう見えても僕は紳士だよ?」
襟を正してカレンに目を合わせる。
「それに、そんな乱暴な物言いばっかりしていると嫌われるよ? もったいないと思わない? せっかく可愛い顔しているのにさ。えっと……カレンだっけ?」
くすくすと笑いながらハチは腕を組む。
「発言の訂正を求めます。でなければ、カレンを侮辱していると見なします。もちろん、ただでは済ませません」
うるわの内側から放たれる怒気に、エプロンドレスの裾が揺れる。
「うん、君はもっと表情豊かにした方がいいと思うな。それじゃあ、ナナにも劣るよ。……いや、実際に劣っているかな……? クールなうるわさん?」
緋色の目が楽しそうに揺れた。
「許しません」
言葉が早いか、行動が早いか。
うるわの背後から、黒い軌跡が躍り出る。風切り音を発現させながら、駆け出そうとするうるわを追い抜いた。カレンの放った《千手》が、縦横無尽にフロアを走る。フロアを乱舞しながらハチに襲いかかる無数の風切り音は、繰り出される剣舞そのもの。
「そうだナナ、僕がナナの代わりに汚名を返上してあげるよ」
ナナにウインクをすると、ハチは右腕を横に突き出した。
何かの鼓動が聞こえたかと思うと、一瞬のうちに右手がふくれあがっていく。金属が勢いよく飛び出し、次に機械が飛び出し、続いて配線が飛び出す。重火器らしき物が現れたかと思うと、ミサイルの残骸、手榴弾、鉄の甲冑、折れた銃剣さえも現れる。古今東西の武器が、膨張する手のひらから生み出されては、すぐに飲み込まれていく。そうして溶岩のように膨張を繰り返すと、やがて一つの物に集束していった。
「レトロだけど、これがいいかな」
右腕に握られていたのは、身の丈ほどもある大鎌だった。