第十八話・「誰にも負けない、それが絶対」
「腕だけでは済まないわよ」
駆け出したカレンが、ナナに向かって両手を突き出す。袖が裂けそうなぐらいにふくれあがり、それがナナの周囲をことごとくなぎ払った。
舞い散るガラス片は、まるでブリザード。
ナナに向かう途中に存在する障害物が細切れになり、火花が散る。壁も、床も、天井も。例外なくずたずたにしながら風切り音がナナの四方を取り巻いた。ナナは右腕をだらりとさせたままバックステップ。外気が吹き込んでくる壁の穴へと下がっていく。
「逃がしはしません」
風切り音に意識を傾けていたナナの背後を取る。うるわに手加減はない。狙いすましたようにナナの足に蹴りを放つ。ナナは刀を地面に突き刺して足場にし、空中に飛び上がった。武器を捨て、足場にしたナナは空振りしたうるわを飛び越える。その背後に迫っていたのはカレンの放つ風切り音。ナナの目に映る黒い軌跡は、確実に下半身を狙ってきていた。ナナの武器である機動力をそぐつもりか。
「《遺片》を服用した私は無敵よ。誰にも負けない、それが絶対」
《千手》を擁するカレンの数え切れない多重攻撃に、防戦一方のナナ。
「むむむ……ちょっとくやしいけど、ナナ頑張るもん!」
思考より体が先に動き出す。空中で開脚し、風切り音を飛び越える。後は重力落下に身を任せるのみ。うるわが着地点に素早く回り込んで右腕を引く。
「早々に終わらせます。《遺片》を服用したカレンには、五分と時間がありませんから」
待ち受けるは渾身の一撃。追い立てるはカレンの袖もとから放たれる黒い軌跡。
――戦いが終わる。
戦闘を見守る兄妹がそう確信する。
「そうはいかない……にゃ!」
地面に着地すると思いきや、天井からは見出した配線に左手一つでぶら下がり、さらなる退路を導き出す。ケーブルにぶら下がり、大車輪のように体を回転させて、元いた場所へ着地する。突き刺した刀を引き抜くと、低い体勢を維持してカレンに斬りかかった。左手といえど剣速は落ちない。
スピードに劣るカレンには驚異となるはずだった。
「だから――」
ため息の後、カレンは自信ありげに笑みを浮かべ、目の前の敵に意識を傾けた。
「私は無敵だって言ってるじゃない」
黄金の髪が美しく広がる。
腕を開き、袖口を右と左に広げると、カレンの前方に防壁が築かれた。
ナナの繰り出した刃に食らいつく風切り音。
金属同士がぶつかり合う音の後に、ひもがたわむ音。黒い流線がナナの剣戟を相殺した。速度が落ちて見えたそれは、黒い鞭のようなもの。それがカレンの袖口から飛び出し、速度を増して、風切り音を作り出している。
「卑怯だよ! 卑怯! 数が多いもん!」
「古代兵器のアンタが、卑怯も何もないと思うけど?」
火花散る視線。
「卑怯じゃないもん! ナナは頑張ってるもん!」
「どちらかと言うとあなたは存在自体が卑怯です」
ナナの背中に言葉を叩き付けたうるわ。追い打ちをかけるべく疾風をまとった。
「ナナは一人だよ! たぜいにぶぜい!」
「私、馬鹿だから言っている意味が分からないの」
カレンの嘲笑。
人の認識速度を超えて繰り出されるのは高速の鞭。まるでハイエナのように動き回り、風切り音という牙を研いでそのときを待つ。いざカレンの意思が加われば、相手が一人であろうと四方八方から襲いかかる。《遺片》を飲む前後で、その手数が倍以上に増えている。回避できるスペースを見つけることすら困難。
「それだけあなたの力を認めているということです。人型古代兵器ナナ」
死に体をさらしたナナの腹部に、うるわの拳が入り込む。
硬質な音と共に、小さな体は軽々と吹き飛んだ。吹き飛んでいくナナを、カレンの目が捕捉する。とたんに黒い軌跡は方向を変え、ナナを襲い始めた。食らいつく蛇を連想させる。
六階から落下してきたおもちゃと瓦礫を切り刻み、殴り飛ばされたナナのレザースーツを切り刻む。
「認める? ……私は違うわね、うるわ」
ナナは苦しい体勢ながらも刀を振るい、黒い流線を打ち払う。飛ばされた先の内壁に着地すると、壁を走り出す。うるわが壁際で待ち受けるのを目にしながらも、速度はゆるめない。ナナの走った後には、彫刻刀で刻んだような文様がうまれる。
「私は古代兵器を認めるんじゃない。否定するのよ」
それは全て、襲いかかるカレンの《千手》が作り出した傷。無数の軌跡が間断なく襲いかかっている。うるわは腰を低くし、壁を走ってきたナナに正拳突きを見舞う。ナナはそれに真っ向から立ち向かうことはしなかった。刀を振りかぶり、躊躇なく投げる。意外な形で刃を向けられたうるわもさすがに驚いたようだ。うるわのカチューシャをかすめて、プロジェクターに突き刺さる。その隙に壁を離れ、うるわの横を通過する。慌てて繰り出したうるわの回し蹴りは、左手一本の前転で置き去りにした。
「相変わらずトリッキーですね」
エプロンドレスを翻し、すぐにナナへ接近する。
「ナナの刀! ナナの刀っと!」
途中でプロジェクターに突き刺さっている刀を回収すると、回り込まれた黒い攻撃を受け流す。その三秒の攻防で、刀を交えたのは二十を軽く上回る。その間にもナナは後ろから接近するうるわの攻撃や、絶え間なく襲ってくる黒い風切り音にさらされる。
「うにゃ! ……やばいかも」
鋭さと手数を増したカレンの攻撃に防御するのがやっと。刀を振るう左手にもしびれが残る。身体が発する警告情報を読み取れば、先ほどから右手に信号は渡っていない。打撃を受けた腹部の調子も思わしくない。脳内にけたたましいアラームが鳴り響く。ナナは使い物にならない右手に難しい顔をすると、それでも残る左腕で風切り音と切り結ぶ。
「うう……ナナ、きっとハチに怒られる……」
呟いた瞬間に、右足を鋭い衝撃が襲った。
見れば、強化仕様のレザースーツが切り裂かれ、肌があらわになっている。防刃、耐火仕様を切り裂かれる衝撃に、体がよろめく。
「うるわ、仕上げよ」
アイコンタクトが、言葉より先んじる。
「はい」
ここぞとばかりにうるわが仕掛けた。
幾度となく接近戦に持ち込みながら、とらえきれなかったナナの腕をつかむと、大外から足を払って背負う。地面に叩き伏せられたナナの背中でフロアに亀裂が入る。受け身を取り損ねたナナの口から大量の空気が吐き出された。素早くうるわの背後にひざをくれてなんとか引きはがす。地面を蹴って後退するも速度が得られない。
「カレン! 今です!」
ナナの頭で巻き起こる警報アラームが予期するとおり、数を増したカレンの風切り音がナナの体を取り巻いた。
全身。もはや全身だった。
刀ではじき、受け流し、あるいは体を曲げ、そらし、柔軟性を駆使して回避してきたナナが、ついによけきれなくなったのだ。
ピンボールのように体を弄ばれ、風切り音に囲まれたまま空中に放り出される。
とどめとばかりに、うるわの体全体を使った掌底に打ち据えられえた。液晶テレビの残骸へ突っ込んでいくナナ。刀を握りしめることもできなくなったのか、吹き飛ばされる中でその手を離れた。
「あう……ナナ……もう動けないよ……」
瓦礫からはい出してひざを着く。刀を求めて手を伸ばすも、届きはしない。やがて力尽きるようにうつぶせに倒れ込む。ナナは砂埃の中に頬をこすりつけたまま動けなくなった。
カレンは地面に転がる刀を手に取ると、軽く品定めをする。
「ふ~ん、これも古代兵器なのかしら。一見すると変哲もないただの業物って感じだけど。類推するところ、刀で切った部分から発火するのかしらね」
「ナナの……刀……だよ」
ナナの声を聞いて、カレンは乱暴に刀を投げ捨てた。嗜虐的な表情がカレンを女王様へと変貌させる。うるわはそれを見て少しだけ頬を強ばらせる。いくら主人とはいえ、好ましい部分でないことを知っているのだろう。
「一目瞭然だけど、私の勝ち。けじめはつけさせてもらうわよ」
うつぶせに倒れるナナの目の前にわざとブーツをさらし、これ見よがしに頭に足裏を押しつけた。弱者を踏みにじる絶対強者の構図。
「カレン、お願いです。冷静になって下さい。上層部は古代兵器が稼働したままの捕獲を命じています。そこまでする必要性はありませんし、破壊しなかったところであなたの勝利は揺るぎません」
「いい、うるわ? 私は私のしたいようにする。上層部なんて知った事じゃないわ」
ブーツに力を込めるとナナの頭蓋がみしみしと音を立てる。
風切り音は依然猛威をふるったままで、ぐるぐるとカレンの周りを回り続けている。いまだたぎる力を垂れ流しにしているようだった。流動する力は、フロアをのたうち回り、破壊対象を探し回っているようにさえ見える。まだ足りない。もっと破壊したい。そんな破壊衝動を《千手》が訴えかけているようにも見えた。
他方、カレンの額に浮かぶ玉のような汗。勝負がつく前後で、カレンの手が震え始めていた。微震だったそれが大きな振動へ変わろうとしている。一瞬、貧血のように上体がふらつく。カレンは神経の糸をつなぎ止め、傾いた体を何とか持ち直す。
「カレン、副作用が……!」
「分かってるわよ!」
金切り声に近いカレンが、大声を張り上げた。汗が流れ落ちる中で、狂気をまとうように唇をつり上げる。金色の目はさびを帯びるようによどみ始めていた。
「壊してやる。バラバラにしてやる。配線の一本一本を引きずり出して、引きちぎってやるのよ……!」
フロアにめり込んでいくナナの頭部。まるでトマトを踏みつぶすように。害虫を踏みつぶすように。しいたげる狂気に染まったカレン。
……ブーツのかかとに、よりいっそうの力が込められた。
「まったく、ナナときたら見ていられないよ」
聞いたことのない声は、穴の空いた内壁から。
「これだからナナは進歩しないんだよ。お父さんが見たら悲しむよ? 僕だったら少なくとも見ていられないね」
五階から見える青空を背景にして、太陽光を背負っていた。
小さなシルエットが黒く映り込む。
「にゃ……? ハチ……?」
その場にいた五人が一斉に振り向く。