第十二話・「今回で二回目?」
午後四時を回り、学生達も増える電気街。
まるで大名行列のように歩道を人々が行き来している。活気と町並みには独特のものがある。路上でたたき売りされるパソコンのパーツ、フィギュアやゲームで埋め尽くされた店、異世界に紛れ込んだのかと思うほど非日常的なコスチュームを着ている人……平日でなければ、近くの広場では大勢のカメラマンを従えての撮影会が開かれていたり、メイド姿の女の子が歌い始めたり、アニメの制服を着たダンサーが流行の曲に合わせて踊ったりすることもある。
「なんだ? 今日はやけに人が多いな」
電車から降りて改札口を抜けると、そこには黒山の人だかりができていた。
平日にもかかわらずに何かの催しが開かれているのだろうか。
ハルは首をキリンのように伸ばして確認しようとするが、なんだか端から見て恥ずかしい気がしてやめてしまう。
「お兄ちゃん、すごい人です! きっと何かのイベントですよ! 見に行きましょう!」
声優の握手会にしては場所が場所であるし、向かう電車の中でもそんな話題は何一つ聞かなかった。袖をぐいぐいと引くマキを引きずりながら、ハルは目的の家電量販店に向かっていく。
最近オープンしたばかりの国内最大級のマルチメディアビル。
首都高速を背にして立てられたそれは、休日平日を問わず人でにぎわい、くまなく見て回れば、それだけで一日がつぶれてしまうほどの広大な規模を誇る。四百台を超える駐車場を確保し、駅にも近く、交通の便は申し分ない。海外のスポーツ選手も多く訪れ、その度に店内全てが貸しきりになるのは有名な話だ。
「おーにーいーちゃーんっ! イベントですよ! イ、ベ、ン、トっ! 野次馬しに行きましょう!」
野次馬の話を漏れ聞くところによると、どうやら名高いメイドと、その付き人がやってきているらしい。ファンの一人が大事そうに抱える色紙をのぞき見ると、流麗な一筆書きが見えた。達筆すぎる字体なので、なんて書いてあるのかは分からない。自動的に誰が来ているのかも分からなかった。
「興味ないな」
「がーんっ! そんなこと言わないでください! ちょっとだけです! 決してお兄ちゃんを煩わせるようなことはしません! ねぇねぇ、いいでしょ、少しだけでもっ!」
前髪を逆さまに留める特徴的な髪型と、無邪気な笑顔が印象的な少女は、足踏みをして兄に訴えかけている。
「絶対に行かないからな」
対して、長い前髪と細い目を持ち、どこか冷たい印象が先行しがちな少年は、かたくなに妹の提案を拒み続ける。
「けち! けちけちけちっ! けちんぼ! デートなんですから、彼女のことを少しは考えてくれてもいいじゃないですか!」
「誰が誰とデートだ」
「愚問! 愚問ですね。お兄ちゃんと私に決まって――」
「じゃあな」
足早にマキを置き去りにするハル。
「おーにーいーちゃーん! お願いします! 一生のお願いです!」
すぐさまハルに回り込んで手を合わせる。
「前にもそんなことを言っただろうが」
「前は前! 今は今! だから、一生のお願いです! お兄ちゃん、ちらっと見るだけですから! あわよくばサインもらいましょう! そして、オークションで転売するんです! そうすれば、壊れたパソコ――」
「壊した。壊したパソコンな」
鋭い兄のつっこみに意気をそがれるマキ。
「……。とにかくっ! オークションで高値で転売すれば、壊れ……壊したパソコンの費用を稼げるというものです!」
兄の周りをぐるぐると回って懇願する。まるで星に願いをかけるようだ。
「一生のお願いです!」
涙を目に貯めている。度量のすわった野次馬根性だ。
「はぁ……一体、お前の一生は何回あるんだ?」
「えーと、今回で二回目?」
「あー……確かに。それは間違っちゃいない。間違ってはいないが、平然と言ってのけるお前に釈然としない……。でも、そうだな」
「え……!? それじゃあ!」
「ああ……時間がないからな、さっさと行くぞ」
マキの肩に手を置いてかすかな笑みを浮かべたと思ったが最後、ハルはさっさと横断歩道を渡ってビルの方へ行ってしまう。
「うわああああんっ! ……マキの心をそうやって弄ぶなんて卑劣です! でも、マキは耐える女、忍耐の女なんです。ドメスティック・バイオレンスもまた愛の鞭として受け取ってみせるのです! 叩かれれば叩かれるほど強くなる! 出る杭も打たれて突き抜けるっ! だから、マキはあきらめません! 野次馬しに行くまでは! 欲しがりません、勝つまでは!」
周囲が目を丸くするのもお構いなしに、人混みを軽々飛び越えて、兄の前に音もなく着地する。
「そこゆくお兄ちゃん! マキと、愛する彼女とデートしましょう! イベントを観に行きましょうっ!」
綱引きでもするように制服の袖を引っ張るから、ハルの制服がずれて肩からシャツがはみ出てしまっている。すれ違う人は、お兄ちゃんであり、彼女だと声を張り上げるマキに小首をかしげていた。中にはねたましげにハルをにらんでいる人もいる。
「デートっ! イベントっ! お兄ちゃ――ぎゃふん!」
ついにマキの脳天に雷が落ちた。ハルは路上で頭を抑えて泣き崩れるマキに他人のふりを決め込んで、さっさとビルへ歩いていく。
「うう……公衆の面前でこの羞恥プレイ……でも、こういうのも悪くないなと思ってしまうマキは、もはやお兄ちゃんには逆らえないんでしょうか……?」
まるで舞台女優のように、スポットライトの下、足を崩して観客に語りかける。マキに好奇の視線を向ける人々は、きっとマキの周囲にはブロードウェイの舞台が見えたことだろう。それぐらい迫真の演技だった。
「否! 否、否、否! 否なのです。そんなことだから、きっとお兄ちゃんは振り向いてくれないんです! ここは心を鬼にしてお兄ちゃんに背を向けなければいけないんです! 頑張れ自分! 頑張れマキ! 押して駄目なら、引いてみるしかないんです!」
勢いよく立ち上がり、唇をかむ。遠ざかっていく兄の背中。
「お兄ちゃん、後できっと後悔しますよ? 後で泣きついたって知らないんですからね? マキは行っちゃいますからね? どうなっても知りませんよ?」
兄のすらりと伸びた背中が、自動ドアの向こうに消えていった。すぐにたくさんの背中にかき消され、姿形さえ見えなくなってしまう。
「ど、どうなっても知りませんよ……後悔先に立たずなんですからね? マ、マキは帰っちゃいますよ? 帰ってこいって言ったって、帰らないんですからね? 土下座どころでは許しませんよ? そこいらのイケメンに寝取られてしまったって知らないんですよっ? 別れた昔の彼女に町中で再会したときに、付き合っていた頃より綺麗になっていることに気がついたって後の祭りなんですからね! それでもって、マキがいないのに気がついて、わんわん泣いて、マキの存在の大きさを思い知ればいいんです!」
地面を踏みしめて主張する。
「ふふふ、ぬっふっふ、今頃、お兄ちゃんは不安のまっただ中のはず……っ!」
一分経過。
「もうそろそろ戻ってきてもいい頃ですけど……頑張りますね、お兄ちゃん」
三分経過。
「お兄ちゃん……」
五分経過しても兄は戻ってこない。
「あ、あの、お兄ちゃん……?」
居ても立ってもいられなくなったマキが、指を絡めながらそわそわし始めた。
「は、早く……マキの偉大さに気がついてくださいよぅ……」
たくさんの靴音が耳の中をかき混ぜる。ハイヒール、ブーツ、スニーカー。行き交う混雑の音に、思考にノイズが生じ始めてしまう。地球上にただ一人置き去りにされてしまったかのように寂しさ広がっていく。
周囲は見知らぬ人ばかり。
時間の狭間に取り残されてしまったような不安感。
落ち着かない心。
「うう……ううう……うううわあああああんっ! やっぱり駄目です! お兄ちゃん、待って! マキも行きます! 置いていかないでください! マキが間違ってたのですっ!」
哀れ、伊達マキ。
彼女はどこまでも追いかける女なのであった。