第九話・「それこそが、メイド・インの称号が持つ力です」
二人の人間がオタクの聖地と呼ばれる電気街へ降り立ったとき、改札口でひときわ大きな歓声が巻き起こった。
ある者は足を止めて目を丸くし、ある者はメガネを外してはかけ直し、あるものは口笛を吹き、あるものは携帯電話のカメラで、あるいは望遠鏡のような巨大なカメラを向けて撮影を開始する。
連続するシャッター音は、まるでスキャンダルを撮影するパパラッチのそれ。お忍びでやってきたアイドルに群がるように、二人はあっと言う間に群衆に取り囲まれた。
黒山の人だかりの八十パーセントは男性で占められ、汗臭いことこの上ない。
ただでさえ身長が高いわけではない二人の人間は、波にのまれるようにその身ごと沈んでいった。
真っ先に飲み込まれてしまったおかっぱ頭の少女は、押し寄せる波浪を眉毛一つ動かさずに受け止める。少女は、白銀のエプロンドレスを身にまとい、同じく銀に輝くカチューシャを頭に載せている。押し寄せる熱気がヨークやフリルを揺らし、おかっぱをかき分け、少女の綺麗なおでこをあらわにさせた。
「大丈夫ですか? カレン」
エプロンドレスの少女が背後を見ると、うんざりしたように肩をすくめている金髪の少女がいる。
「人混みは苦手なんだけど。……特に体臭。ふと思い出すと、なんか最近こういうシチュエーションが多いことに気がつくわ」
髪と同じ黄金色の目は半眼で、けだるさを隠そうともしない。漆黒のゴシック調コートをまるで引きずるように歩き出す。胸元でチェーンにつながれているメガネが、少女の歩幅に合わせるように右に左に揺れている。
「カレン、我慢です。これも任務のためです」
「分かってるわよ、いちいち言われなくても」
つばでも吐き捨てるような物言い。
「分かってる……分かってはいるのよ。分かってはいるんだけど、でもやっぱり嫌。嫌ったら嫌。嫌、嫌、嫌。うるわ、何とかして。今すぐよ。一秒たりとも待てない」
まるで、だだをこねる子供。ここが玩具店なら仰向けになってじたばたしていそうだ。
「なら、片っ端からたたきのめしますか?」
「あ、それいいわね。ちょうど私の《千手》は戦略兵器だし? ごみごみしたものが減って、少しは空が広く見えるようになるかもね、フッフッフ……」
空をふさぐビル群を見回すカレン。大きく開いた袖口を周囲のビルに向けると、不適に笑った。
「それは却下です、カレン。冗談を真に受けないでください」
「あ、今の冗談だったの? うるわが冗談を言うなんて思っても見なかったわ。それに、冗談を言うにしても、もっと上手い冗談を言ってよね」
わざとらしく驚いてみせると、大発見でもしたかのように手のひらをぽんと叩いた。
「………………冗談ぐらい、私も……」
ぼそり。
「あれー? うるわ、傷ついたの?」
おかっぱ頭の少女をこれ見よがしにのぞき込むカレン。
「ノーコメントです」
うるわのいつもの無表情がカレンの反撃を許さない。
「言葉を返すようですが、空が広くなるのには同意します。……が、地上はそうもいかないでしょう。後は野となれ山となれ、カレンにぴったりの言葉です。カレンが不用意に動けば増えるのはゴミの山ばかりです。ちょっとした夢の島ができてしまうほどです」
「ちょ、ちょっ――」
カレンの言下を遮り、丁寧口調でまくし立てる。
「それに」
鼻と鼻をぶつけるほどに詰め寄るうるわ。
「先週の事件の被害報告書、関係各省への謝罪文、その他三十をこえる報告書、始末書を誰が書いたか覚えていますか?」
「うるわでしょ?」
にべもなく言ってのける。
「どの口でそう言いますか? カレン」
うるわの無表情にほころびが生じる。頬の筋肉がわずかだが引きつっていた。
「わ、分かったわよ、分かった、今度こそ本当に分かりました! ったく……」
大きなため息を足下に落とすと、うるわの横に並んで歩き出そうとする。
……が、できなかった。
「それにしても……なんだか腑に落ちないわね。というか納得できないわ」
今更周囲を見回すまでもなく、奇抜な格好をした二人を中心にして黒山の人だかりができあがっている。彼らは話が終わったと分かるやいなや、うるわにどっと押し寄せた。
かけられる声援に、うるわは淡々と応対しはじめる。
「あ、あの! メイド・イン・ジャパンのうるわさんですよね!? 俺、ファンなんです!」
「ありがとうございます」
握手を求められては握り返す。
「うるわたん! 視線こっち! こっちね!」
「分かりました」
視線を要求されれば振り向き。
「あ、こっちにも視線お願いします!」
「分かりました」
くるくると立ち位置と、ポーズを変える。
「やべぇよ、マジすげぇよ! メイド・イン・ジャパン! 超可愛いよ! 涼しいと格好良いの二つの意味でクールだよ!」
「ありがとうございます。……でも皮肉にも聞こえます」
他方、サインをねだられば。
「サインください、サイン! これペンです! シャツに書いて下さい!」
「う、る、わ……と。どうぞ」
ひらがな三文字を一筆書き。まるで舞を踊るが如くに流麗に書き上げた。
手つきが慣れている感じだ。
「あ、あの! 私がこの業界に入ったきっかけは、うるわさんに憧れてなんです! 尊敬しています!」
「頑張ってください」
同じメイド服姿の女性に握手を求められる。
そしてうるわは、偏愛すらこもったまなざしも泰然と受け止めてみせた。
「うる様……こんなにお近くで拝見できるなんて……ああ、まさにお名前の通り麗しゅうございます……きゅう」
うるわを模したのか、おかっぱ頭の女の子が熱を上げて倒れてしまった。
さらには雑誌記者風の男まで、ボイスレコーダーを持って現れる。
「メイド・イン・アメリカと仲が悪いって本当ですか? メイド・イン・チャイナの最近の活躍をどう思われますか? メイド・イン・イングランドが前評判通り本年度のメイド・オブ・オナー(年間最優秀家政婦)に選出されましたが、日本代表として一言!」
「前者は苦手です。後者は侮れません。メイド・イン・イングランドは尊敬に足る人物です。結果は当然だと思います」
返答もばっちりだ。
「――しかし! その実態は無表情で無愛想、愛敬ゼロ! しかも、世界一の美女と世界中で絶賛されるカレン・アントワネット・山田とは、美貌、戦闘、知識、どれをとっても圧倒的すぎて、というかむしろ当然だけど――とにかく手も足もしっぽも出ないと聞きますが、本当でしょうか? 本当よね、本当だと言いなさい、言え。今すぐ言えっ!」
「……カレン、何のつもりですか?」
ボイスレコーダーをうるわの口元に向けているカレン。質問をしていた雑誌記者風の男は、カレンの後ろで気持ちよく気絶していた。頭の上には特大のたんこぶが見える。
「何でうるわは人気爆発で……私は人気がないのよっ!? 不公平じゃないっ!?」
「それこそが、メイド・インの称号が持つ力です」
「…………チッ」
舌打ちをして、つまらなそうにボイスレコーダーを放り投げる。
あっけにとられたのは周囲の人間達だ。
空気の読めない人間が現れた、とでも言いたそうに眉をひそめ、愚痴をこぼす。あからさまに顔をしかめるものまでいた。うるわは取り巻く人達を慌てて取りなそうとするが、言葉はカレンに上書きされてしまう。
「いい加減にしないと、一人残らずぶち殺すわよ?」
風もないのにばたばたとはためく袖口。
怒りの余波が、周囲を取り囲んでいるカメラ小僧達を五メートル後ずらせた。それでもシャッター音だけは途切れることはない。
「落ち着いてください、カレン。まずは深呼吸です。それと、どうぞ。乾燥梅干しです」
「ふんっ! 悔しいけど、うるわの人気は認めてあげるわよ」
差し出された乾燥梅を、乱暴に口内へ放り込む。
右から左へと乾燥梅干しを口内で転がす度に、頬にくっきりと梅の形が浮かび上がる。
まるで夢中になってキャンディーをなめる子供。
その純朴な仕草に、シャッター音が急増した。
どうやらカメラマン達に、その仕草がシャッターチャンスだと認定されたらしい。
「……沈黙は金。用法は間違っていますが、カレンの美しさはそういうところなのです。知らぬは本人ばかりなり。そこが唯一の難点ですが」
小さくつぶやいてカレンを見る。
「んん~、おいひい、すっぱい、やっぱりこの乾燥梅干し最高~(ころころ)」
口の中で転がる梅干しの種。背伸びをし、満足そうに喜色に染まる頬。輝く金色の髪、金色の瞳。黄金比を体現する磨かれた顔貌。浮世離れした雰囲気は、まるで後光を背負うようだ。
《千手》と命名されるカレンの切り札も、もしかしたらカレン自身から来ているのかもしれない。
うるわはふとそんなことを考えていた。
高圧的で自尊心の高い少女が、大好きな梅干しを頬張ることで刺々しさを忘れ、幼さを、純粋さを取り戻す。喪失したものを取り戻す過程というのは、一般的に感動を伴うものだ。
ひっきりなしにシャッターがきられ始める。
ここでシャッターをきらずにどこできる。
そんな意気込みが、カメラマン達に沸々とたぎり始めていた。
「カレン、ご気分はいかがですか?」
乾燥梅干しからにじみ出る酸味が少女の舌を喜ばせるに伴い、はためいていた袖は静けさを取り戻していく。気が立っていても、一流ブランドの乾燥梅干しの味は、いつも通り少女を落ち着かせる。
「ん? 味? やっぱりこのブランドじゃないと駄目ね。他のはなんて言うか、安っぽいのよ。梅の原産地が悪いのね。それか作業行程」
「そう思いまして、ストックは多めに用意してあります。万が一底をついても、通信販売できるそうです。海外発送も承るとか」
どこからともなく乾燥梅干しのパッケージを取り出して、扇のように広げて見せた。
手品のようなうるわの妙技に周囲がどよめく。
「今回は思い切って箱で買いました。世間では、大人買いと言われており、潤沢な資金を持つ者にのみ許される特権行為のようです」
「私にぴったりじゃない。むしろ、この私にこそふさわしい言葉ね。大人買い……覚えたわ」
取り囲む野次馬の群れをひっさげて、二人は電気街を歩き出す。




