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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

攻撃目標03

掲載日:2026/04/08

かつて、「攻撃目標03」という架空戦記漫画がありました。

今回はそれを翻案したものです。


このお話が勇み足で終わればいいのだけど……。



一.


「戦争を始めるのはたやすいが、終わらせるのは難しい」



 大統領は四月に最初の締め切りを設け、それを破り、また新しい締め切りを設けた。五月に、六月に、七月に。言葉は毎回同じだった。開けなければ、一晩で終わらせる。文明が今夜死ぬ。


 文明は死ななかった。ホルムズ海峡は閉じたままだった。


 かわりに、別のものが少しずつ死んでいった。


 五月、テヘランの発電所が落とされた。軍民両用施設、という説明だった。二百三十万人が暗闇の中に取り残された。六月、上下水道のポンプ施設が爆撃された。テロ組織の通信拠点を兼ねていた、という説明だった。テヘランで赤痢が広がりはじめた。七月、橋が落ち、市場が燃え、病院の非常用電源が尽きた。


「イラン民衆の解放のために」


 大統領はそう繰り返した。テレビの向こうで、老人が暗闇の中でスマートフォンを充電しようとしていた。その老人が解放されているのかどうか、誰も答えなかった。


 人は爆撃されると、政府を信じなくなる。しかし爆弾を落としてくる側は、もっと信じられなくなる。


 そういうとき人は、壕の中で隣の人間と肩を寄せ合う。ただそれだけのことだ。イランは屈しなかった。


 地下施設は生きていた。深すぎて、通常兵器では届かなかった。



・・・



 七月の末、状況室の空気は煮詰まっていた。副大統領が静かに言った。


「四ヶ月です、大統領。インフラの七割を破壊しました。しかし彼らは膝をつかない。原油は三倍になった。議会が揺れている」


 大統領は黙っていた。


「選択肢は、一つ残っています」


 統合参謀本部議長が口を開いた。声に感情はなかった。


「それは三度目になります」


 誰も、すぐには続けなかった。エアコンの低い音だけが部屋に満ちていた。


「小型戦術核です」と副大統領が言った。


「爆発規模はTNT5キロトン相当。広島の数分の一。地下への貫通爆発。地上への直接被害は──」

「何人が死ぬ?」

「……試算では、直接死者が五百から二千。放射性降下物の長期的影響については──」

「……わかった」


 窓の外、ワシントンの夏の空が白く光っていた。


「日付はいつにする」と大統領が言った。


 誰も答えなかった。



二.


 命令書が届いたのは、八月五日の深夜だった。


TARGET 03 / TEHRAN UNDERGROUND COMPLEX

EXECUTE: 2026.08.06 / LOCAL TIME 02:17

AUTHORIZE:GOLF-FOXTROT-BRAVO-BRAVO-7286


 ジョン・ハヤシ少佐はその紙を手に、しばらく動けなかった。


 八月六日。


 知らないはずがなかった。知らない日系人など、いるはずがなかった。


 祖父の家には一枚の写真があった。広島の爆心地から二キロ、焼け野原の前に立つ曾祖母の写真。影のように薄く、しかし生きていた。子供の頃、ハヤシはその写真が怖かった。


 後ろの風景が怖いのではなく、その前に立つ女が、あまりにも静かだったから。



『目標をTARGET03と呼称する』


 空中管制機の指示にハヤシは呻いた。


 ゼロワンはヒロシマ。

 ゼロツーはナガサキ。

 そしてゼロスリーは──



三.


 B-2の操縦席は、宇宙のように静かだった。


 眼下にペルシャ湾の暗い海が広がっていた。星が出ていなかった。テヘランまで、あと三十八分。


「GOLF-FOXTROT-BRAVO-BRAVO-7286、認証確認しました」と副操縦士が言った。


「少佐、コードを」


 ハヤシは答えなかった。


 曾祖母は何を見たのだろう、と思った。空から来た光を。地面を走った熱を。すべてが白くなった瞬間を。


 それでも生き残って、焼け野原の前に立って、誰かに写真を撮らせた。なぜ撮らせたのか。残したかったのか。それとも、もう何も考えられなかっただけなのか。


「少佐?」

「わかってる」


 手が震えていた。震えたまま、コードを打ち込んだ。


 指が、キーを叩く音が、やけに大きく聞こえた。



四.


 八月六日、テヘラン時間の午前四時十七分。


 光は地下で生まれ、地面を揺らし、地上へは衝撃波だけを送った。


 死者、五百十二名。負傷者、千八百名超。放射性降下物の飛散範囲、半径三十五キロ。


 ペンタゴンは「限定的」という言葉を使った。


 八月六日という日付が、その言葉を粉砕した。


 広島市長の声明は短かった。


「今日、人類は三度目の核使用を経験しました。私たちはこの日を、永遠に忘れません」


 日本の首相官邸では未明から電話が鳴り続けた。同盟国として、被爆国として、どう言葉を選ぶか。閣議は紛糾し、結局「深刻な懸念」という五文字に落ち着いた。その五文字の軽さを、その場にいた全員が知っていた。知っていて、それを選んだ。


 国連安保理の緊急会合で、中国大使が一枚の写真を掲げた。広島ではなかった。八月六日のテヘラン郊外で撮影された、羊の群れの写真だった。


「動物たちでさえ、何かが変わったことを知っています。八月六日に、また」


 イギリス首相は議会で、静かな声で言った。


「我々は合衆国の同盟国です。しかし我々は、ニュルンベルク以降の国際秩序の守護者でもあります。そして今日が何月何日であるかを、よく知っています。この二つは──もはや両立しない」



五.


 最初の三日間、大統領の支持率は上がった。


 四日目から落ちはじめた。


 ホルムズ海峡は、核攻撃の後も閉じたままだった。死者が出ても、国家は簡単には膝をつかない。それはアメリカ自身が、かつて、身をもって証明したことだった。


 原油価格は三倍のまま動かなかった。ガソリンが一夜で一ドル五十セント跳ね上がった。ニューヨーク証券取引所が二日間停止した。


 カリフォルニア州知事が声明を出した。


「我が州は、この核使用を認めない」


 テキサス州知事が声明を出した。


「大統領は正しい」


 国際刑事裁判所が戦争犯罪の予備調査を開始した。合衆国はICCを脱退した。G7は空中分解し、NATOは四ヶ月の紛糾の末に白紙の共同声明を出した。


 韓国と日本は声に出さないまま、防衛予算の数字を書き換えはじめた。サウジアラビアが中国との安全保障協議を開始した。



 同盟は、音も立てずに溶けていった。



六.


 二〇二七年。


 十七の州が核使用に反対する決議を可決した。五つの州が支持する決議を可決した。西海岸三州からの連邦税収が滞りはじめた。


 太平洋艦隊のある提督が議会の公聴会で証言した。


「私は合衆国憲法に忠誠を誓いました。一人の大統領にではありません。あの命令は、手続きの上では合法だったかもしれない。しかし──八月六日に、あの番号で撃つことが正しかったかどうか。それは別の問いです」



終章


 二〇二九年。


 合衆国は法的には一つだった。実質的には、すでに二つだった。


 西部連合はEUと通商協定を結び、独自の外交代表部を持った。内陸・南部連合は連邦最高裁の判決を無視しはじめた。コロンビア特別区は機能していた。ただし、その権威がどこまで届いているのか──誰にも正確にはわからなかった。



 ハヤシ少佐は除隊した。


 診断書には「複雑性PTSD」とあった。


 カリフォルニアに帰り、祖父の家の写真の前に座った。焼け野原の前に立つ、影のような女を見た。


「俺が三番目を撃った」と彼は言った。


 声に出して言った。「しかも──今日という日に」


 曾祖母は何も答えなかった。ただ静かに、カメラを見ていた。



 八月六日の、ロサンゼルスの空は青かった。



 その青さが、許せなかった。




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