【12:00】頑張るアイリス。ボクの自信作を、安売りさせない
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「……ゴロゴロ、ここで待ってて。私、一人で行くわ」
アイリスは、差し出されたショコラの銀紙を握りしめ、足を止めた。
視線の先には、先ほどのエレン令嬢とは別の、さらに家格の高い令嬢たちの輪がある。
そこへ加わることは、今のアイリスにとって高い壁だ。けれど、いつまでも小さな背中に隠れているわけにはいかない。
「アイリス、無茶。あそこのトモダチ、口が悪い。……ボクが、先に話をする」
ゴロゴロが淡々と一歩前へ出ようとする。その機械的なまでの「正解」を、アイリスは自分の手で静かに遮った。
「……いいの。ゴロゴロは、そこで見ていて。私の後ろじゃなくて、……少し離れたところで」
ゴロゴロの蒼碧色の瞳がわずかに揺れた。
感情の起伏はないはずなのに、その一瞬の静寂には、誤動作を起こした精密機器のような戸惑いが混じっている。
「アイリス、効率が悪い。ボクが言えば十秒で終わる。……アイリスが言えば三分かかる。時間の無駄」
「無駄でもいいの。……私、自分の言葉で話したいから」
アイリスは、ゴロゴロが完璧に整えてくれたドレスの胸元を一度だけ強く握り、背筋を伸ばした。鏡の前で何度も教え込まれた、あの「完璧な姿勢」で。
ゴロゴロは、差し出した手をゆっくりと下ろした。
感情を排した顔のまま、けれどアイリスの決意を撥ね付けることはせず、猫のようにしなやかな動作で二歩、三歩と後ろへ下がる。
「……わかった。アイリス、行く。ここで見てる」
突き放すような、けれどどこか突き放しきれない響き。
ゴロゴロはスッと壁際に身を寄せ、気配を消した。
しかしその視線だけは、初めて一歩を踏み出す雛鳥を見守る親鳥のように、冷たく、けれど片時も離さずアイリスを追い続けている。
アイリスが令嬢たちの輪へ向かって歩き出す。
背中に感じる視線は、いつもよりちょっと遠い。
けれど、その「遠さ」が、今はアイリスに奇妙な勇気を与えていた。
壁際で、ゴロゴロが誰にも聞こえない声で独り言をつぶやく。
その無表情な顔に、ほんの一匙だけ、計算不可能な事態を楽しむような色が混じったことに、アイリスはまだ気づいていない。
「アイリス、歩き方、ちょっとぎこちない」
壁際に背を預け、ゴロゴロは誰にも聞こえない声で零した。
地面から120センチのほどの視界から見上げる世界は、ドレスの裾と磨き抜かれた靴が交差する、退屈な戦場だ。
アイリスが令嬢たちの輪へ踏み込んでいく。
背中が強張っている。
指先が震えている。
ボクが横にいれば、あんな無様な姿は晒させない。
十秒で相手を黙らせ、完璧な微笑みをアイリスの唇に乗せてあげられるのに。
「アイリス、無茶しすぎ」
ゴロゴロは蒼碧色の瞳を細め、群衆の中に紛れるように気配を殺した。
アイリスが「離れて」と言ったから、ゴロゴロはここから動かない。
それが主の命令なら、ゴロゴロは石像にだってなれる。
アイリスが口を開いた。声が少し震えている。対面する令嬢たちが、値踏みするように彼女を見ている。
ゴロゴロは無意識に、指先で袖口に隠した銀の匙に触れた。
そこらのテーブルの上から拝借したものだ。
もし、あいつらがアイリスを傷つける言葉を吐いたら。アイリスの瞳に涙が浮かびそうになったら。
アイリスの「トモダチ」として、あいつらのドレスの裾を踏んづけて転ばせてやろう。あるいは手に持ったグラスを魔法で少しだけ滑らせてやろう。
アイリスにバレないように。アイリスのプライドを傷つけない、あくまで「不運な事故」として。
「……アイリス、今、頷いた。……よし、次は笑う。……そう、それでいい」
ゴロゴロは淡々と、心の中でアイリスの挙動を採点する。
ゴロゴロは自分がいなければ何もできないと思っていた。毎朝のことだから。
けれど、今、アイリスは自分の足で立っている。ボクが教えた完璧な姿勢で、ボクが選んだ最高のドレスを纏って。
「……ボクの教え方、悪くなかったみたい」
感情の起伏が薄いゴロゴロの胸の奥で、ほんの少しだけ計算外の熱が生まれた。
それは、主人が成長していくのを眺める従者の愉悦か、それともお気に入りのぬいぐるみが勝手に歩き出したのを見るような、奇妙な寂しさか。
ゴロゴロは無表情なまま、そっと壁から背を離した。
アイリスが困った顔をして振り返ったとき、いつでもその視線を受け止められる、一番「都合のいい場所」へ移動するために。
★★★
ご一読ありがとうございます!
「ボクの自信作を、安売りしないでください」
ゴロゴロなりの、最大限の賛辞と信頼……届きましたでしょうか。
次回は【20:30】更新。
【14:00】第一王子拝謁。アイリス、やればできる子。ボクの誇り
いよいよ物語のクライマックス、第一王子との対面です。
ゴロゴロの「完璧なプロデュース」が、ついに最高の結果を導き出します。
お楽しみに!




