第36話 ハンター、混沌と対峙する(1)
深夜、冷たい風が吹く都市防壁の上。俺とトモミンはその場所から西の森に目を光らせ、カオスウルフの襲撃に備えていた。
周囲には篝火が沢山焚かれ、俺達以外にも多くの兵士や冒険者達が警備に就いている。
ちなみにノルフィナとシロは遅番だ。二人には少し面倒な仕事を頼んでしまったので、先に休んでもらっている。
『うー、寒いよー、暇だよー…… ししょー。カオスウルフ、全然来ないね?』
『だな。まぁ、今夜来るだろうってのは侯爵様の勘みたいなもんだからな。俺も何となくそんな気がするが……』
だいぶ飽きた様子のトモミンに答えながら、BBQパーティーの後に行った会議を思い出す。
侯爵と立案したカオスウルフ討伐作戦は単純明快。最大戦力である俺達を全面に出しつつ、都市の防衛能力を活用した迎撃戦だ。
そしてこの作戦は、奴が必ず再び襲撃を仕掛けてくるという確信の元に立案されている。
根拠は過去の文献だ。侯爵が調べてくれた結果、奴は数百年周期で同じような災害を起こしていることが分かったのだ。
おそらく奴は、長い休眠期と短い活動期を繰り返す生態なのだろう。
休眠期前に大量の獲物を喰らいたいはずの奴が、数万人の人間がひしめくこの都市をこのまま見逃すわけが無い。それが今夜かは分からないが、奴は必ずここに来る…… はずだ。
こっちから西の森に出向いてカオスウルフを討伐する案も出たが、それは却下になった。
勝手を知らない森の中を探し回るのは危険だし、俺達が留守の間に奴に都市を襲撃されては本末転倒だからだ。
『えー!? 勘とか何となくとか、そんなんでいいのぉ……!? はぁ。僕、待つのって苦手なんだよー……
あ、師匠! あいつって、使い魔のシャドウウルフを沢山やられちゃったわけでしょ? 僕らにびびって、逃げちゃったりとかしてないかな……!?』
『それも有り得るが…… そっちはそっちで厄介な事になるな』
『その通りだ。そうなってしまったら困る』
突然聞こえた第三者の声に振り返ると、リースヒルド侯爵がいた。この方はガンガン現場に出てくるタイプの貴族なので、様子を見に来たのだろう。
彼女の登場に、だらしなく胸壁にもたれていたトモミンが慌てて姿勢を正す。
『こ、侯爵様……! その、どーしてですか……?』
『うむ…… 仮に奴が私達に諦めたのだとしても、私達にはそれを知る術が無いからだ。
避難民達は、遅くとも春前には各々の里へ戻り、種蒔きの準備に入る必要がある。
その時里に戻った彼らは、いつ来るとも分からぬ奴の襲撃にずっと怯えることになってしまうし、その懸念が現実にならない保証も無い……
どうだ? 見えていた脅威が所在不明となるより、今ここで襲って来てくれた方がましだろう?』
『そ、それは…… 確かにそーですね…… あー、もう! 来るなら早くきて欲しー! 見張りにがてー!』
『頑張れ。もうすぐノルフィナ達との交代の時間--』
ズッ……
『『……!』』
突然、都市防壁の外に異様な気配が出現した。
全員で胸壁から身を乗り出すと、防壁のすぐ側に、いつの間にか黒い何かが佇んでいた。
何故かその形をはっきりと認識できない。必死に目を凝らすと、それが巨大な狼の形をしているのが分かった。
『あれが……!?』
『て…… 敵襲ー!! カオスウルフだー!!』
カンカンカンカンッ!
騎士達が襲撃を知らせる鐘を鳴らし、防壁の上で警備に就いていた全員が一斉に武器を構える。
『侯爵様! 出ます!』
『ああ! 頼むぞ、カリヤマ殿……! ここの防衛は私に任せよ! ノルフィナ達も直ぐに呼んでこよう!』
『お願いします! トモミン!』
『うん!』
俺はトモミンを抱えると、そのまま都市防壁の外へ身を踊らせた。
そして先行させたダガーを足場に何度か落下速度を殺し、二人で奴の正面に降り立った。
「グルルッ……」
目の前で唸るカオスウルフを改めて観察する。
明るい月明かりを全て吸収しているかのような、闇よりも暗い漆黒の体躯をしている。これが体の輪郭や距離感を掴みにくくしているんだ。
こちらを睨む両目は血のように赤く、そのおかげでかろうじて頭の位置がわかる。
そしてこの気配…… 俺がこれまで狩った中で最強の魔物は、最強の亜竜と言われるA級のクェイクティラノだろう。
奴からもかなりの脅威を感じたし、戦いの中でヒヤリとした瞬間もあったが、こいつはその比じゃない。
俺はS級の領域にあるはずだが、奴はその俺を殺せるだけの力を確実に持っている。そう確信できるほどの強烈な気配を感じる。
覚醒して以来初めてだ…… 同格以上の獲物に出会うのは……!
『し、師匠…… あんなのが目の前にいるのに、なんで、笑ってるの……!?』
戸惑うようなトモミンの声で、俺は自分が笑みを浮かべていた事に気づいた。
『すまないトモミン…… 俺はやはりどこかおかしいらしい。こんな時なのに、あいつを狩れる事が嬉しくてしょうがない……!』
その歓喜に、抑えていた殺気が漏れ出る。
奴はそれを感じ取ったのか、小さく身じろぎすると前足で軽く地面を叩いた。
ゾバッ!
瞬間。月明かりが作り出す奴の影から、数百ものシャドウウルフが溢れ出した。
そいつらが一糸乱れぬ動きで俺たちに殺到する。しかし。
『震脚!』
ドンッ…… ドバババァンッ!
「「ギャィィィンッ!?」」
俺が地面を踏み抜いて放った振動波が、出現した魔物の大群をまとめて消し飛ばした。
『『オォ…… ウォォォォォッ!!』』
都市防壁の上から上がる歓声を背に、俺は刀を抜いた。
『そいつはもう何度も見た。俺たちには通用しない』
『そ、そーだそーだ! このままやっつけちゃうぞ!』
挑発する俺達を目にした奴は、実に面倒くさそうにふぅー、と息を吐いた。
妙に人間臭くて、カチンとくる仕草だ。やはり人間並の知能を持っているのか……?
だが、奴がそんな気だるげな様子を見せたのは一瞬だけだった。
奴は直ぐに殺気を漲らせ、その赤い双眸で射竦めるように俺たちを凝視した。
ギンッ……!
『『……!?』』
ぞわりと、まるで心の奥底を暴かれたかのような不快な感覚が体を突き抜けていく。
なんだ、何をされている……!? いや、何をぼーっとしているんだ……! 攻撃を--
「オ゛ォォーーーン!!」
ゾバッ!
しかし俺が反撃する直前、地獄の底から響くような不気味な遠吠えと共に、奴の影から再びシャドウウルフの大群が飛び出した。
また……!?
そう思って『震脚』を放とうとした所で、ぎくりと俺の足は止まった。
魔物の大群の後から、どこか見覚えのある四つの影が湧き出したのだ。
「ゴルルッ…… ゴァァァァァッ!!」
『ひぃっ……!? あ、あれって…… なんで!?』
最も大きな影が上げた咆吼に、トモミンは悲鳴のような声で応えた。
その姿は巨大なヒグマのようで、極太の四肢と巨躯は鋼のような体毛に覆われ、頭部には刀剣のような角を生やしている。
『馬鹿な…… 熊野郎だと!?』
そう。現れたのは、かつて俺が地球で仕留めた熊野郎だった。以前見た鈍色ではなく、黒い毛並みをしているが、それ以外の全てが同じだった。
さらに驚愕は続く。
残り三つの影の形も徐々に定まっていき、二つの人影と、一匹の犬の姿を取ったのだ。
『そ、そんなっ……!?』
その彼女達を目にし、俺は慄くように後ずさった。
現れたのは死戦を共にした仲間達。トモミンとノルフィナ、そしてシロだった。




