第五話
金吾が野営地へ戻ろうとすると、背後に小さな足音が続いていた。振り返れば、銀髪の少女――メディアリアがついてきている。
自分の野営地を知られたくなかった金吾は、振り返って文句を言う。
金吾「ついてくるなよ!!」
怒鳴ると、少女はびくっと体を震わせた。怯えた目をしているが何も反論せず、ただじっと金吾を見ていた。
金吾は苦い顔をしていた。
金吾「あのなあ! ついてこられると困るわけ!! さっさと狩り場にでも戻れよ」
メディアリア「なんで困るんですか?」
金吾「そりゃお前、あれだよ……とにかく困るんだよ!」
隠れ家を知られるのが困る、というのは余りにもあれだったので、何も言い返せなかった。
全く引こうともしない少女に業を煮やした金吾は、なんと強化魔法「迅雷」を使った。無論最低の出力で脚力を強化し、一気に距離を取る。もう少女の姿は木々に遮られて、わからない。
金吾「はあ……はあ……もう、流石に追ってこれないだろう。ううっ、疲れた。体も重い、痛い、早くポーションを飲んで……っと」
この程度の使用でもこの強化魔法の反動は重く、酷い筋肉痛のような痛みが全身を襲う。数時間休めば回復するだろうと見立てていたが、結局は半日を要することになってしまった。
なんとか鬼うさぎを捌いて鍋に入れ、食事を整えるが、何をするにも痛みが邪魔をした。
ようやく体力が戻り始めた頃、街の方から大きな鐘の音が響いた。城門が閉じられたことを告げている合図である。夕闇が森を闇へと誘い、生命の活動の抑制された、夜の森の静けさが心細さを一層引き立てる。
金吾「全く、余計な手間をかけさせられたよ。はあ、野営は危険だから、嫌なんだよなあ」
焚き火の炎を見つめながら、ふと少女のことが頭に浮かぶ。
――まだ森の中をさまよっているのだろうか。
金吾「……だったとしても、それは自己責任だ、俺のせいじゃない……」
そう自分に言い聞かせるように呟いたが、心の奥底では小さな棘のようなものが残っていた。
夜の帷が完全に森を覆い尽くすと、昼間とはまるで別の生命活動の音が響き始めた。
暗闇を制した生物たちが微かに立てる音は、軌跡をたどることすら難しい。だからこそ、目に見えない恐怖が野営する者を襲うのだ。
ウルフベアの遠吠えは日常茶飯事だった。だが今夜は少し様子が違う。
大木が倒れるような轟音と共に、吠え声が森を震わせる。熊の顔と狼の体を持つ強力な魔獣――その相手はおそらく冒険者なのだろう。
その瞬間、金吾の脳裏に浮かんだのは、やはりメディアリアの姿だった。
金吾の体は反射的に動こうとしていた。だが、足はピタリと止める。
冒険者とは残酷なまでに実力の世界だ。危険を予測できなければ、それもまた実力のうち。
金吾はそう理屈を並べ立て、自分を納得させようとした。
だが、その根底にあるものは――誰からも助けてもらえなかった自分の境遇を肯定する心。単なる醜い嫉妬だと理解しながらも、理屈を積み上げて足を止めていた。
金吾「……」
自分を見捨てた冒険者という存在そのものへの憎悪。それを処理できない自分自身の幼さ、それらが絡み合い、暗闇の中で道を見いだせずにいる。
金吾の足は止まったままだった。
焚き火の淡い赤い光が揺れ動き、彼の影を岩屋戸の壁に映し出す。
その影は、動こうとしながらも動けない男の心を象徴しているようだった。
金吾「――俺は」
その言葉が終わる前に、ものすごい水の斬撃が空気を裂く轟音と共に、金吾の鼻先をかすめた。冷たい飛沫が頬を打つと、その魔法がメディアリアのものであると直感した。
斬撃が飛んできた方向へ視線を向けると、そこにはやはりメディアリアの姿があった。必死に魔法を放ちながらも、制御できずに暴発している。
――無論、その背後にはウルフベアの群れが列をなしていた。赤い瞳が闇の中でぎらつき、牙を剥き、森を震わせる咆哮が迫る。
メディアリア「うわあああああんん!!!!」
少女の悲鳴が夜を切り裂いた。
金吾「はああああああああああ??????」
金吾の絶叫が重なる。
焚き火の赤と水の斬撃の青が交錯し、夜の森は混沌の渦へと変わっていった。




