初の依頼!!スールベルン司教領へ行こう!!
金吾は目を覚ましてから数日の間、安静にと告げられ、救護院の白いベッドの上で静かに過ごしていた。
病人というものは暇を持て余す生き物で、よく他の患者に世間話をせがむ。
それは金吾も例外ではなかった。
「あんちゃんよお、あんな美人の嬢ちゃん泣かせて、なにしたんだい?」
金吾「ははは、決闘ですよ決闘」
「うおお、そりゃ穏やかじゃないな」
金吾「だから、内緒にしてくださいよ?」
「で、相手は誰なんだ!?」
金吾「Sランク冒険者鳳条ライガ!」
「うおおおおおおおおお!!! あのクズか!!」
金吾「クズだが、馬鹿のほうが大きいな。馬鹿だからクズ?」
「ははっ、言えてるわ!」
周囲の患者たちがくすくす笑い、どこか救護院の空気が少しだけ明るくなる。
死の淵から戻ってきた男の軽口は、妙に重みがあって、妙に可笑しかった。
金吾「だからまあ、内容は察してくださいよ?」
「それで、どうやった?」
金吾「なんとか剣は折ることは出来たんですけどねえ……」
「ありゃ残念」
そんな他愛もない会話の最中だった。
メディアリア「……」
鬼のような形相のメディアリアが、そこに立っていた。
その瞬間、さっきまで笑っていた患者たちは、一目散に霧散した。
まるで風に吹かれた落ち葉のように、音もなく散っていく。
金吾も、思わず下を向いた。
メディアリア「いいですね、今の話。わたしも聞きたいです」
金吾は何も言えない。
喉がひゅっと鳴っただけだった。
メディアリア「どうして決闘なんてしたんでしたっけ?」
金吾「……ゴメンナサイ」
メディアリア「聞こえないです」
もう何も言えない。
金吾は視線を泳がせるしかなかった。
喉が乾いたので、彼女が持ってきた水を飲もうと手を伸ばす。
しかし……
――スカッ。
指先はコップに触れることも出来ず、空を切る。
右目は見えない。
まだ片目だけの世界に慣れていなかった。距離感が、まるで掴めなかった。
その事実が、遅れて胸に落ちてくる。
金吾「なれないなあ。まだ……」
メディアリアの表情が曇る。
金吾「利き目が右だったのかな。まったく、不便だぜ!」
それは強がりが半分だった。
もう半分は、どうしようもない現実への諦めだった。
メディアリア「治らないんでしょうか……」
金吾「光はわかるんだぜ? 多分、角膜がやられたんだな」
金吾の右目は、濁った膜の向こうで、ぼんやりと世界を捉えていた。
形も輪郭も曖昧で、ただ光と闇、黒と白だけが揺れている。
けれど――金吾は、そこに大きな違いを感じなかった。
この世界はもともと、はっきりと見えるほど優しくはないのだから。
ただ一つ。彼女の美しい藍色の瞳を、片目が映さなくなったことだけが、胸の奥に小さな棘のように残った。
ヴィルヘルミナ「なあ、いいかい? お熱いお二人さん!」
湿っぽい空気を換気するかのような、そんな気持ちの良い声が割って入った。
シスター・ヴィルヘルミナ。金吾の担当をしてくれる治癒師だった。
治癒の魔法は教会が独占している。
適性がある者は皆、幼い頃に教会へ引き取られ、治癒師として育てられる。
それは名誉とされ、同時に重い義務でもあった。
そしてこのシスター・ヴィルヘルミナ――何を隠そう、オドレイ・ルブランの実の妹だったのだ。
金吾
そう思った。
違いといえば髪の色くらいだ。
オドレイが美しい金色の髪を後ろに束ねていたのに対し、ヴィルヘルミナは濃い赤色の髪を揺らしている。
だが性格は瓜二つだった。
シスターの肩書きが似合うかどうかはさておき、彼女らしさではあった。
金吾「なんすか?」
ヴィルヘルミナ「三途の川の船賃を、回収しにね」
三途の川は仏教じゃないのか、そう思ったが、この国の初代国王が転移者なら、まああり得るかと勝手に納得した。
金吾「渡ってないけど……」
ヴィルヘルミナ「だから、請求してるんでしょ? 渡られちゃあっちの勘定よ?」
金吾「確かに……」
メディアリア「おいくら、なんですか?」
ヴィルヘルミナ「まけて金貨2枚!」
金吾は変な顔をした。眉を寄せて、口を大きく開いて、声を出さずに、それでも嫌がっていることだけは理解できる、そういう顔をしていた。
金貨1枚は大銀貨100枚と同価値である。大銀貨一枚は炭鉱夫が一日で稼ぐ最低金額と同額だった。
メディアリア「グラファザンの討伐は、大銀貨25枚……」
ヴィルヘルミナ「そうそう。だから……たぶん四匹ぶんね! まあなんてお安い!!」
金吾「確かに……」
メディアリア「しっかりしてください!! 大金ですよ!? あと八匹ですよ!?」
金吾にも貯金はある。無論払えない金額ではないが、半分以上消えてなくなるのだった。
金吾(……八匹って言われると余計つらいな)
あれを八匹、しかも本領の森の中で八匹は、Cランク冒険者の金吾に取って簡単ではない。
金吾(なんとかライガに払わせることはできんものか……)
そう思った瞬間、胸の奥に、ひやりとした重みが沈んだ。
ライガの顔だけじゃない。
あの決闘の光景が、断片的に浮かんでくる。
燃え上がる油の匂い。
ルナの光が、決闘の場を汚した瞬間。
片目を失った痛み。
そして――バルドルが「公平だ」と言いながら、最後の最後で自分の刃を止めたあの手。
金吾(あんなやつの、あんな奴らの施し……?」
その全てが一気に押し寄せて、不満が一気に湧き上がった。
金吾「施しは受けねえ!!!」
突然の大声に、二人はぽかんと固まった。
ヴィルヘルミナ「まあ、そういうのなら、この話はしなくていいかしら」
金吾「えっ!?」
ヴィルヘルミナ「だって、施しは受けないんでしょう?」
金吾「いやあ? とりあえずなにかいい話があるのなら、聞いてみることもやぶさかではないというか」
ヴィルヘルミナは、にやりと笑った。
その笑みは、姉のオドレイと同じ“人の弱点を見逃さない商売人の顔”だった。
ヴィルヘルミナ「ほらね、そう言うと思ったわ。あんた、そういう顔してるもの」
金吾「ど、どういう顔だよ……」
もうニヤケ顔が全く隠れていない、この顔のことなのだろうと、メディアリアは思った。
ヴィルヘルミナ「最近塩の価格が異常に上がっていてね。その視察に司教様が来ているんだけど、帰りの護衛が足りなくて」
確かに、そんな噂は聞いた。
ただ金吾たちは、例のSランク冒険者たちの嫌がらせで塩を買うどころではなかった。
だが、金吾は一つ疑問に思った。
金吾「視察って、塩の専売はスールベルンじゃないか、原因があるのなら自分の膝下を探るのが王道じゃないのか?」
グレゴリウス「これは、手厳しいですね」
その声は、まるで空気の密度を変えるように病室へ流れ込んだ。
荘厳な衣装をまとった初老の男が、静かに姿を現す。
ヴィルヘルミナが深々と頭を下げた瞬間、金吾は悟った。――この人物こそ、スールベルン司教猊下、グレゴリウス・マグダートであると。
グレゴリウス「突然の訪問、驚かせてしまいましたかな」
低く、渋く、よく通る声だった。
病室の空気が、まるで温度を変えたように静まり返る。
金吾は慌てて上体を起こそうとしたが、傷が悲鳴を上げた。
金吾「っ……」
グレゴリウス「無理をなさらずともよろしいですよ。あなたが命を拾ったと聞き、少し様子を見に来ただけです」
その言葉は穏やかだったが、瞳の奥には鋭い光が宿っていた。“人を見抜く側”の目だ。そう思った。
金吾は、思わず息を呑む。
ヴィルヘルミナ「猊下、こちらが金吾さんです」
グレゴリウス「ええ、聞いておりますよ。 ――命を賭して、己の潔白を証明したとか」
金吾は返す言葉を失った。
褒められているのか、皮肉なのか、判断がつかない。
金吾「いやあ、リュコスの教会でそれを言われると、ちょっと……」
司教はふっと笑った。
その笑みは柔らかいが、どこか底が見えない。
グレゴリウス「良いのですよ、誰も守ってなどいません。我々は等しく傷を負ったものを治す、これこそが、我らの存続している理由なのですから」
司教の視線が、そっと彼女へ向けられる。
グレゴリウス「ですが、幼い少女を残して天に召される、というのだけは、よろしくないと思いますよ?」
金吾「……痛いです」
グレゴリウス「そうですか、まだ痛みますか」
司教は一歩だけ近づき、金吾の右目の包帯へ視線を落とした。
グレゴリウス「……深い傷だ。だが、あなたはまだ“こちら側”に戻ってこようとしている。それは、実に良いことです」
金吾は眉をひそめた。
金吾「……こちら側?」
グレゴリウス「生きる側、ですよ。死にかけた者は、時に“どちらへ行くべきか”迷うものですから」
その言葉に、メディアリアの肩がびくりと震えた。
司教はその反応を見逃さない。
グレゴリウス「あなたも……よく看病しましたね、メディアリア」
メディアリアは息を呑み、深く頭を下げた。
言葉が続かない。
司教は優しく微笑んだが、その奥にあるものは読めなかった。
グレゴリウス「大切な人なのでしょう?」
メディアリアの頬が赤くなる。
金吾は思わず咳払いした。
金吾「痛いんですけど」
司教はそのやり取りを見て、少ほんのわずかに笑うと、目を細めた。
グレゴリウス「……さて。本題に入りましょうか」
その声色が、先ほどまでの柔らかさをわずかに失い、“司教猊下”としての威厳を帯びたように感じた。
グレゴリウス「先程ヴィルヘルミナも申しておりましたが、私は塩の流通異常を調査するためにアウレリアへ参りました。しかし、帰路の護衛が不足しておりましてね」
金吾は眉を上げた。
金吾「……いや、痛いんですけど、まだ」
グレゴリウス「傷が完治するまで、待ちましょう」
金吾「いや、ここ高いんですけど」
グレゴリウス「もちろんその分の治療費もこちらが負担いたしますよ」
金吾「よおし!!」
ガッツポーズを取るが、左側に激痛が走る。
メディアリア「それは……依頼ですか? 冒険者としての……」
グレゴリウス「ええ。あなた方が適任だと――」
司教は一拍置き、静かに続けた。
グレゴリウス「――ある方から、軽く推薦がありまして」
金吾は天井を仰いだ。
金吾は何かを察して不機嫌になり仏頂面をした。
司教はくすりと笑う。
グレゴリウス「彼はこう言っていましたよ。“あいつはしぶとい。死なせるには惜しい”と」
金吾「……」
メディアリアは、金吾の横顔を見つめながら、胸の奥に小さな不安が芽生えるのを感じていた。
グレゴリウス「どうか、引き受けていただけませんか。あなた方の旅路が、私の助けとなるでしょう」
その声音は穏やかだが、拒否を許さない重みがあった。
金吾は息を吐き、メディアリアを見る。
メディアリアは、迷いと覚悟の入り混じった瞳で頷いた。
メディアリアの頷きを確認すると、金吾はゆっくりと息を吐いた。
金吾「……引き受けますよ、スールベルンまで。塩も仕入れたかったしな」
初めての依頼、それも教会の護衛ともなれば、Bランクへの道も現実味を帯びる。……決闘をギルドが重く見ていなければの話だが。
その言葉に、司教は満足げに目を細めた。
グレゴリウス「感謝いたします。あなた方の選択は、きっと無駄にはなりません」
その声音は穏やかだったが、どこか“含み”があった。
まるで、すでに二人の行く先を知っているかのような――そんな響きがあった。
司教はゆっくりと身を翻し出口へと向かおうとする。
その背中は、ただの聖職者ではなく、“教会という巨大な構造を背負う者”の重さを纏っていように金吾の片目には映った。
金吾の病室を出る直前、司教はふと振り返った。
グレゴリウス「……メディアリア。貴女に神のご加護がありますように」
その一言に、メディアリアの呼吸が止まる。
司教はそれ以上何も言わず、静かに病室を後にした。
扉が閉まると同時に、張り詰めていた空気がふっと緩む。
金吾「……なんかすっごいな、威厳ってやつが。本当の実力者ってのはああなんだな」
メディアリアは胸元を押さえ、かすかに震える声で答えた。
メディアリア「……あの方は……“本物”の司教です。わたしの家のことも……全部、ご存じなんでしょう」
金吾は目を瞬かせた。
金吾「あぁ……そうか。じゃあ、なおさら行くしかないな」
メディアリアは驚いたように金吾を見つめた。
金吾「俺は過去を精算した。お前のお陰でな。もしかしたら、あっちに行ったら、お前にもそんなことも起こるかも、しれないからな」
その言葉に、メディアリアの瞳が揺れた。
涙ではなく、決意の光が宿る。
メディアリア「……はい。一緒に、一緒に行きましょう!!」
金吾は片目だけで笑った。
金吾「よし。じゃあまずは……寝るかな。メディアリア、水と本持ってきて」
メディアリアは呆れたように笑い、その笑みは、決闘以来初めて見る“心からの笑顔”だった。
カッコの中身がルピになってしまうううう




