死に損なった者の明日
金吾は、教会の救護院へと運び込まれた。
冒険者が主な患者ではあるが、ここは同時に、行き場のない市民たちが身を寄せる 医療所でもある。
弱者救済を掲げて建てられた施設――その理想は確かに掲げられている。
だが現実は、いつだって冷たい。
市民権を持つ者が優先され、持たぬ者は後回しにされる。
金吾は、その“後回し”に分類される側の人間だった。
それでも、彼は生き延びた。
Sランク冒険者たちの“願い”を、教会が無視できるはずもなかったからだ。
彼らの顔を立てるために、救護院は金吾を受け入れた。それだけの話だった。
――しかし……
決闘の場で流れた血は尋常ではなかった。バルドルが無理やり口に押し込んだ秘薬と、メディアリアの献身的すぎる看護が、かろうじて細い命綱を繋ぎ止めた。
それがなければ、金吾の命はとうに尽きていただろう。
それからの一週間、金吾は一度も目を開けなかった。
高熱にうなされ、呼吸は浅く、意識は深い闇の底を漂い続けた。
生と死の境目を、ただ彷徨い続けるだけの日々だった。
そのたびに、メディアリアは涙した。
両親を失った日から信じることを疑い続けてきたリュコスの神に、震える声で祈りを捧げた。
どうか、この人だけは――と。
その祈りは、誰に届くとも知れない、かすかな願いだった。
そんな静寂を破るように、微かな声が落ちた。
金吾「……メディアリア」
メディアリア「――っ!!」
椅子を倒しそうな勢いで身を乗り出す。
涙で滲んだ視界の向こう、金吾の唇がかすかに動いた。
金吾「……喉が乾いた、水が、欲しい」
メディアリア「はいっ……はい……!!」
その言葉は、弱々しくて、でもどこか懐かしい響きだった。
そう、最初に助けられた時の、あのセリフだった。
震える手で水差しを掴み、こぼさないように必死に金吾の口元へ運ぶ。
その指先は、安堵と恐怖と喜びで、どうしようもなく震えていた。
金吾「……どうやら、死に損なったようだ」
その呟きは、乾いた冗談のようでいて、どこか悲しい、虚ろな響きを帯びていた。生き延びたことを喜ぶでもなく、嘆くでもなく、ただ事実だけを口にしたような声。
それでも――確かに“生きている人間”の声だった。
金吾の右手を握っていたメディアリアの頬から、ぽたりと涙が落ちた。
その温もりが、金吾の皮膚にじんわりと染み込む。
金吾「……あったかいな」
メディアリアは、はっとして顔を上げる。
涙で濡れた瞳が、金吾のかすかな笑みに吸い寄せられる。
金吾「なんていうか、生きてるって、良いな。死ぬよりずっと、良いもんだ」
金吾の視線が、メディアリアの手に落ちる。
ふやけて、あかぎれだらけで、爪の隙間まで赤くなっている。
何度も水を替え、何度も額を拭き、何度も手を握ってくれた――そんな手だった。
その手を、金吾はそっと握り返した。
弱い力だったが、確かな意志があった。
金吾「ごめんな、それと、ありがとう」
その言葉は、かすれていて、でも真っ直ぐだった。
メディアリアの肩が、小さく震えた。
メディアリア「……馬鹿、馬鹿です……あなたは、大馬鹿者です……」
堪えきれず、金吾の胸に飛び込んだ。
その小さな身体が震えているのが、金吾にも伝わる。
メディアリア「絶対許しません。もう二度と、しないで……」
金吾「しないよ……もうしない。絶対にな」
僅かな仕切りがあるだけの、大広間の一区画で、二人は泣いていた。




