嵐の前の嵐
いつも通り、狩った魔獣の精算をギルドの窓口で行う――そんな、変わらない日常のはずだった。
だが、その日だけは違った。
Sランク魔道士、ロザリア・レンベルクが、まっすぐメディアリアへ歩み寄ってきたのだ。
ロザリア「メディア、貴女に謝罪したい……」
その言葉を、メディアリアは一瞬だけ疑った。だが、ロザリアの真剣な面持ちが、その疑念をすぐに霧散させた。
ロザリア「貴女にまで、累が及ぶことを考えていなかった。でも、だからこそ、もうあんな男と組むのはやめなさい!! それが貴女のためなの!!」
その瞬間、メディアリアの胸に、冷たいものが落ちた。
――少しでも信じた自分の愚かさを呪った。
そして、金吾にも見せたことのない、鋭い侮蔑の表情をロザリアへ向けた。
ロザリア「ま、待ちなさい!! 貴女は良いように利用されているの! 目を覚まして!!」
メディアリア「……あなたが、なぜそこまでわたしに目をかけるのか知りません、きっとなにか事情があるのでしょう。そう、まるで過去の自分と重ねてる、とか」
ロザリア「っ!!」
図星だったのだろう。
ロザリアの肩がびくりと震えた。
メディアリア「わたしはあなたとは、違います。わたしは金吾さんに利用されている、そうです。その通り」
ロザリア「ほ、ほら!! やっぱりそうじゃない!!」
メディアリア「でも、わたしも金吾さんを利用している。互いが互いを利用しあっている、わたしたちはそういう、そう、共生関係なんです。」
ロザリア「きょ、共生……?」
メディアリア「それに、わたしは彼に利用されたい。そう思っていますから」
ロザリア「それは……健全な判断じゃないわ!! そうよ!! それは洗脳、洗脳よ!! そうでなければ、あのような寄生虫に、貴女が気を寄せるなんてありえないわ!!」
メディアリア「き、寄生虫!? ふざけないで!! 言っていいことと悪いことがあります!!」
ギルドの喧騒が、二人の声に吸い寄せられるように静まっていく。
受付の冒険者たちがちらりと視線を向け、職員たちも手を止めた。
その中心で、メディアリアの声が震えた。
普段は滅多に怒りを露わにしない少女の剣幕に、ロザリアは一瞬たじろいだ。
しかし、すぐに表情を強張らせ、言い返そうと口を開く。
ロザリア「わ、わたしは貴女のために言っているのよ!? あの男は貴女を食い物にして――」
メディアリア「話をそらさないで!! まず、寄生虫などと、金吾さんの名誉を汚すような発言を謝ってください!!」
ギルドの空気がびりっと震えた。
メディアリア「わたしと金吾さんの関係を、あなたに指図される筋合いはないっ!!」
ロザリア「だ、だからそれが洗脳だと言っているの!!正常な判断じゃ――」
メディアリア「正常かどうかなんて、あなたに決められることじゃありません!!」
ロザリアの言葉を、メディアリアは鋭く断ち切った。
その瞳は、まっすぐで、揺らぎがなかった。
金吾のために怒るときだけ見せる、あの強さだった。
メディアリア「金吾さんを“寄生虫”なんて言う人に、わたしの気持ちが理解できるはずありません!! あの人は、あの人はっ!! 誰よりも優しくて、誰よりも真っ直ぐな人です!!」
ロザリア「……どうして……どうしてそこまで……」
ロザリアの声は、もはや怒りではなかった。
理解できないものに触れたときの、弱い、迷子のような声だった。
金吾「ど、どうしたどうした? なにがあったんだ!?」
よりにもよって、渦中の本人が自ら飛び込んできた。
ギルドの空気が、ぴしりと固まる。
ロザリア「……あんたよ、そうあんた!! あんたがメディアを洗脳しているのよ!!」
金吾「はあ!?」
金吾はまったく状況が理解出来なかった。
メディアリア「ふざけないで!! これ以上金吾さんを侮辱するというのなら――」
その瞬間、金吾は反射的に手を伸ばし、メディアリアの口を塞いだ。
金吾の手の下で、メディアリアは必死にもぐもぐと抗議していた。だが、その瞳だけはまるで獣のように鋭く、ロザリアを射抜き続けている。
怒りの矛先がどこに向いているのか、誰のために怒っているのか――金吾には痛いほど分かった。
金吾(やさしいこいつが、こんだけ怒るんだ……)
状況を完全に理解しているわけではない。
だが、メディアリアがここまで激昂する理由はひとつしかない。
金吾(俺のため、だよな)
そう考えると、さっきまでの会話の辻褄がすべて合う。
ロザリアが自分を目の敵にしていること。メディアリアがそれに対して異常なほど怒っていること。そして、ロザリアの言葉が、彼女の中で“許せない一線”を越えたこと。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。メディアリアは狂気の顔をしているのに、金吾は優しい顔をしていた。
だが同時に、嫌な予感もした。このままメディアリアに喋らせれば、ロザリアの怒りをさらに煽り、彼女自身がまたあらぬ被害にあう可能性が高い。
それだけは避けたかった。
金吾「……おい、落ち着けって……!」
小声で言いながら、メディアリアの口を押さえ続ける。
メディアリアは“離して!”と言いたげに金吾の手を掴むが、その目はまだロザリアを睨みつけていた。
ロザリア「な、なにをしているの!? 離しなさい!! これ以上彼女をおかしくしないでっ!!」
金吾「いやいやいや、おかしいのはお前だろ!!」
金吾は思わず呟いた。
だがロザリアには届かない。彼女は完全に“自分の正義”に飲まれていた。
ロザリア「メディア!! 目を覚ましなさい!! その男はあなたを利用して――」
その瞬間、金吾の手の下で、メディアリアの怒気がさらに跳ね上がったのが分かった。
金吾(やばい、これ以上は本当にまずい……! 誰か!! 助けて!!)
金吾はメディアリアを守るために、そしてロザリアをこれ以上刺激しないために、ただ必死に彼女の口を押さえ続けた。
――自分のために怒ってくれる少女を、これ以上傷つけさせないために。
ロザリア「メディア!! 聞きなさい!! 何度でも説明するわ!! その男は――」
金吾「だから落ち着けって言ってんだろ!!」
金吾は思わず声を荒げた。だがロザリアは止まらない。むしろ、金吾の反応が“図星”に見えてしまっているらしい。
ロザリア「見なさいよその態度!! ほら!! 自分の悪事を隠すために、彼女の口を塞いで、真実も隠して!!」
アルトリーズ「なんだ! この騒ぎは!!」
その人物がアルトリーズ・カストゥースだったことに、金吾は心底安心した。
ロザリア「アルトリーズ!! この寄生虫をっ! 私はいまから殺すわっ!! それがメディアのためなの!!」
金吾の顔が引きつる。
金吾「じょ、冗談じゃない!! なんで殺されにゃいかんのだ!!」
ロザリア「あんたがメディアを洗脳するからよ!!」
金吾「正気じゃない!! Sランクには人殺しの許可証でも与えているのか!?」
ロザリア「寄生虫は人じゃないわ」
アルトリーズ「……いや、ロザリア、貴女本当に正気じゃないわ。落ち着きなさい!!」
その声は、ギルド全体を一瞬で静めるほどの迫力があった。
しかしロザリアは怯まない。
むしろ、アルトリーズの登場で“味方が増えた”と勘違いしたらしい。
ロザリア「アルトリーズ!! 貴女も見ていたでしょう!? メディアがあの男に依存していく様を!! あれは、あれこそ正常じゃないわ!! だから私が――」
アルトリーズ「ロザリア」
その一言で、ロザリアの言葉が止まった。
アルトリーズは深く息を吸い、まるで暴走した魔獣を諭すように、静かに、しかし強く言った。
アルトリーズ「“寄生虫”だの“殺す”だの……貴女、いま自分がどれだけ危険なことを口にしているか分かっているの?」
ロザリア「わ、わたしは……メディアのために……!」
アルトリーズ「メディアのため? それは独善よ。よく知りも調べもせずに何を先走っているの。……メディアリアの顔をよく見なさい」
アルトリーズが顎で示すと、金吾の手で口を塞がれながらも、メディアリアはロザリアを睨みつけていた。
その目は、怒りと侮蔑で燃えている。
アルトリーズ「今の貴女の行動は間違っているわ」
ロザリア「……っ!!」
ロザリアの顔から血の気が引いた。
その表情は、まるで自分の世界が音を立てて崩れていくのを見ているようだった。
アルトリーズは膝から崩れ落ちたロザリアの肩にそっと手をおいた。
金吾(……助かった……マジで助かった……)
金吾は心の底からそう思った。
アルトリーズが来なければ、今日の自分は確実に死んでいた。
金吾「……もう、行っていいですか?」
アルトリーズ「……ああ、友がすまないことをした」
金吾「慣れていますから」
金吾が踵を返し、立ち去ろうとした――その時だった。
視界の真ん中に、ひとりの少女が立っていた。
金吾の足が止まる。
振り向いた先にいたのは、かつて共に苦楽を分かち合った徒党メンバーのひとり――エレイン・アーバレストだ。
彼女は、金吾の行く手を塞ぐように立っていた。
涙をいっぱいにため、震える肩を必死に押さえながら。
金吾「……なんだ、なんの用だ!! なぜ俺の前に居る!!」
怒鳴り声がギルドに響く。
周囲の冒険者たちが息を呑んだ。
エレインは、まるでその怒気を真正面から受け止めるように、ただそこに立っていた。
エレイン「ごめんなさい……ごめんなさい……」
金吾「なにを謝っているんだ」
金吾の声は荒れていた。
怒りというより、もっと深いところにある“痛み”が滲んでいた。
金吾「一体なんの謝罪だっ!!」
エレインは唇を噛みしめ、涙をこぼしながら言葉を絞り出す。
エレイン「こんなに、こんなことになるなんて……金吾さんが、こんな目に合っているなんて、知らなくて……」
金吾「っ!! 知ろうとしなかっただけだろ!! 今更、なんなんだ!!」
金吾の叫びは、ギルドの空気を震わせた。
その声には、怒りだけではない。
裏切られた痛み、見捨てられた孤独、二年間押し殺してきた悔しさ――誰にも言えなかった感情が、濁流のように混ざっていた。
エレインはその全てを浴びながら、ただ涙を流すしかなかった。
エレイン「ごめんなさい……ごめんなさい……」
金吾「っ!!!!! っざけんな!!!!!」
その怒号は、ギルドの外にまで響いた。
建物の壁が震えたようにすら感じられた。
その激昂ぶりに、メディアリアは逆に平静を取り戻していた。
ロザリアもアルトリーズも、ただ呆然と立ち尽くしている。
普段、どれだけ理不尽に晒されても怒らない金吾が――ここまで激昂するなど、誰も見たことがなかった。
メディアリアはふと、金吾が以前ぽつりと漏らした独白を思い出す。
裏帳簿を渡した徒党メンバーの話だ。
それが――目の前の少女、エレインだった。
金吾を裏切った、いや陥れた張本人。
しかしその姿は、どう見ても無垢な少女のそれで……自分よりも優しい、ただの少女にしか見えなかった。
だが――金吾にとっては違う。
金吾「俺は、俺はっ!!」
金吾の声が震える。怒りで震えているのではない。積もり積もった痛みが、ついに堰を切ったのだ。
金吾「この二年、ずっとだ……! こうやって、ずっと虐げられてきた……!」
ギルドの空気が、さらに重く沈む。
金吾「お前に渡した裏帳簿を、握りつぶされたその日からずっとな!!」
エレインの肩がびくりと跳ねた。
金吾「馬鹿のライガと、ずる賢いルナと……そして……そして!!」
金吾はエレインを指さし、声を張り上げた。
金吾「お前にだっ!!!」
その叫びは、怒りというより――“どうして”という、深い悲鳴に近かった。
エレインは崩れ落ちそうなほど震え、涙がぽたぽたと床に落ちていく。
誰も動けなかった。
誰も言葉を挟めなかった。
金吾の二年間の地獄が、ようやく言葉になって外へ溢れ出した瞬間だった。
金吾「ようやく、ようやくだ。Bランクになれるかも知れない、そんな淡い期待でいっぱいの時に、お前は、お前たちはっ!! そろいも揃ってなんで現れるんだ!!」
もう金吾は、周りを見ていなかった。
視界は滲み、胸の奥が焼けるように痛い。怒りと悲しみが混ざり合い、言葉が止まらない。
金吾「なんでそうやって、俺を苦しめるんだ!! なんの権利があって、俺を……俺をっ!!!」
ライガ「おい!! エレインを泣かせるなよっ!!」
怒鳴り声とともに、ライガが割り込んできた。
次の瞬間、金吾の頬に拳が叩き込まれる。
乾いた音がギルドに響いた。
ライガ「クズだとは思っていたが、どろぼーするだけじゃなくてエレインまで泣かせやがってこのクソ野郎!!」
金吾の身体がぐらりと揺れる。
だが、倒れはしなかった。
殴られたことで、金吾の頭は一瞬だけ冷えた。
怒りの熱が、殴打の痛みで強制的に引き戻される。
そして――金吾は、なにも言い返さなかった。
ただ、静かにライガを見た。
その目には怒りも憎しみもない。
ただ、深い疲労と、諦めと、言葉にできない虚しさだけがあった。
ライガはその目を見て、一瞬だけ怯んだ。
殴られたはずの金吾のほうが、なぜか痛々しく見えたからだ。
ギルドの空気が、さらに重く沈む。
メディアリアは、金吾の頬に残る赤い跡を見て、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
ロザリアもアルトリーズも、言葉を失っていた。
エレインは、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、震える声で金吾の名を呼ぼうとしたが――声にならなかった。
金吾は、ただ静かに息を吐いた。
その吐息は、二年間の重さを背負ったまま、どこにも届かずに消えていった。
バルドル「――おいおい、なんなんだこの騒ぎは!!」
その声が響いた瞬間、ギルドの空気が一気に揺れた。
誰もが振り向く。
そこに立っていたのは、アウレリア最強の男――SSランク冒険者、バルドル。
金吾がこの世界で最初に出会った異世界人の一人だった。
金吾「バルドル……さん」
バルドル「あん? おっさんどこかであった――」
バルドルは金吾の顔をじっと見つめ、
次の瞬間、ぱっと表情を明るくした。
バルドル「あっ! ニレの木で寝てたおっさんじゃねーか!!」




