ようやく見えたBランクの影
金吾とメディアリアが徒党を組んで、もう一年が経った。
金吾は地道な狩猟と鍛錬の積み重ねで、ついにレベル39。目標の40までは、あとほんの一歩だった。
メディアリアの方もすでにCランクへ昇格し、レベルも金吾に並んでいた。
やはりと言うべきか、メディアリアはギフテッドだった。
水を操るギフト《アクア・レギュラ》。
存在する水であれば、どれほど微量でも、どれほど複雑な流れでも、彼女の意のままに操れる。
たとえ相手が魔法で生み出した水であっても、である。
ただし、その真価を引き出すには莫大な魔力と、繊細すぎるほどの魔力制御が必要だった。
才能は確かだが、まだ発展途上――そんな印象が強かった。
そして、もう一つ。
偶然の産物のように発見された“隠しギフト”があった。
通常のギフトは、生来のものか、レベルアップの際に冒険者証へと記録される。
もちろん、他人に見せるときは項目を隠す機能もある。
だが、この二つ目のギフトはそのどれにも当てはまらなかった
発動した瞬間にだけ冒険者証へ現れ、発動していなければ存在すら確認できない。
気づかれなければ一生知られないまま終わる――そんな、神の気まぐれとも呼べるギフトだった。
名を《アリア・ペル・フォンス》。“アリアのために湧く泉”。
金吾がそう名付けた。
メディアリアが鼻歌を歌っているときだけ、その水は生まれる。
その水には、微弱ながら治癒促進、疲労回復、体調安定、魔力循環の改善、毒や病への抵抗力上昇――まるで万能薬のような効果が宿っていた。
だが、本質はそこではなかった。
その水を錬金術の媒介に用いたとき――効果は桁違いに跳ね上がる。
治癒ポーションは、まるで高位治癒魔法のような効能を示し、マジカ・ポーションは、MPの回復速度を常識外れの領域へ押し上げた。
最初にポーションの効果が異常に高かったとき、金吾は違和感を覚えた。
調べ、検証し、そして突き止めた。
自分の器量を残酷なほど理解していたからこそ、冷静に原因へ辿り着けた。
原因は、メディアリアが無意識に生み出していた“祝福の水”だった。
ただし、その効能は一定ではない。
メディアリアの精神状態――その揺らぎが、効果に如実に反映される。
金吾「名付けて、力水だな」
その一言で、メディアリアの精神状態が一気に下方へ向かったのは言うまでもない。
紆余曲折を経て名付けられたのが、アリア・ペル・フォンスだった。
彼女の歌と心が生む、小さな泉の名だった。
アリアのための泉――つまり、メディアリア自身のための水。
どこまでも自分のために使ってほしい。金吾は、そんな願いを込めて名を付けた。
この水を媒介として作られるポーションのおかげて、中級モンスターの討伐は格段に楽になった。
金吾の魔力切れを補い、魔獣よけのポーションは夜の野営を安全に変える。
金吾は錬金術講義を以前にも増して受講するようになった。
自分のために――そして、彼女のために。
――しかし。
それらを、Sランク冒険者が妨害する。
まず、金吾に唯一武器を売っていた鍛冶屋が、その取引を終了したいと告げてきた。
理由は明白だった。
最後に納品された鎧は、鍛冶屋なりの“せめてもの恩情”だったといえるだろう。
次に、その迫害の手はメディアリアへも伸びた。
塩などの生活必需品の調達を彼女に任せていた金吾は、街の中からその入手先を完全に失った。
金吾「すまない……」
金吾の悲しげなその言葉に、Sランク冒険者たちの陰湿な行動に対して、メディアリアは静かに、しかし確かな怒りを燃やした。
そして彼女は、その足でロザリアの元へ向かった。
メディアリア「わたしたちをどう扱おうが構わない。それが金吾さんとの繋がりを強くするのだから。だけど――あなた達がしたことは許さない。絶対に許さない!!」
ロザリアはうろたえた。
嫌がらせは金吾にしか向けていなかった。
その余波がメディアリアに及んだこと、そしてその恨みを真正面から向けられたことに、初めて気づいたのだ。
弁解の言葉を探す暇もなく、メディアリアは踵を返した。
ロザリアはただ、その背中を見送ることしかできなかった。
完全に社会から孤立したまま、二人はただ狩りを続けていた。
街に戻れば冷たい視線。
ギルドに行けば陰口。
商人たちは取引を拒み、鍛冶屋も最後の恩情を残して扉を閉ざした。
――そして、運命の日が訪れる。
メディアリア「レベルが、上がりました!!」
振り返った少女の顔は、夕陽を浴びたように輝いていた。
その光は、金吾の胸に複雑な感情を呼び起こす。
悔しさ。
誇らしさ。
置いていかれる不安。
それでも、祝福したいという純粋な気持ち。
それらが一度に押し寄せ、胸の奥で渦を巻いた。
金吾「……おめでとう」
絞り出すように出されたその一言が、メディアリアの表情がわずかに曇った。
自分だけ浮かれていたことに気づいたのだろう。
――二人の間に、ほんの短い沈黙が落ちる。
金吾は、癖のように冒険者証へと手を伸ばした。
ただ確認するだけのつもりだった。
だが、視線が数字の上で止まる。
金吾「……上がっている」
メディアリア「えっ!!」
金吾「俺も40になっている、なっているぞ!」
思わず声が上ずった。
冒険者証をメディアリアに差し出すと、そこには確かに“40”の数字が刻まれていた。
メディアリアは目を丸くし、次の瞬間、胸に手を当てて小さく笑った。
金吾は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
孤独に沈んでいた日々では決して得られなかった温度だった。
金吾「……っ!」
金吾の目頭に、熱いものが込み上げてくる。
慌てて手で覆い隠すが、どうしようもなかった。
長い間、誰にも触れられなかった場所が、ようやく溶け始めたような感覚だった。
こぼれ落ちるそれは、もう誰にも止められなかった。
例え、それを止めることの魔法を持つ者でも、止められないのだ。
メディアリア「おめでとう、おめでとうございます!!」
それは混じり気のない心からの祝福だった。
――しかし。
彼女の胸のうちに一抹の不安が落ちる。
メディアリアの胸に落ちた不安は、ほんの小さな影にすぎなかった。
だが、その影は、彼女の心の奥で静かに広がっていった。
――金吾が40になった。
それは、彼がずっと目指してきた“自由”への第一歩。
この街を離れ、別の都市でやり直すための、唯一の現実的な道。
――彼は、行ってしまう。
その事実が、メディアリアの胸をきゅっと締めつけた。
祝福の言葉を口にしながら、彼女の指先はわずかに震えていた。
金吾は涙を拭うのに必死で、その震えに気づかない。
草原を渡る風が、二人の間をそっと撫でていく。
その風は、どこか遠くへと続く道の匂いを運んでいたような気がした。
メディアリアは、ぎゅっと胸元を押さえた。
(……行かないで、なんて言えない)
彼がどれほどの孤独を抱えてきたか。どれほどの年月を、ただ一人で耐えてきたか。
そのすべてを理解していたからこそ、彼の夢を縛るような言葉は言えなかった。
けれど――。
金吾は冒険者証を見つめたまま、まだ涙を拭っていた。
その横顔は、どこか少年のように脆く、そして痛いほど愛おしかった。
日が傾き、冷たい風が靡きはじめる。
メディアリア「……金吾さん」
呼びかけは、風に溶けるほど小さな声だった。
それでも金吾は、はっとしたように顔を上げる。
涙の跡が残るその目に、メディアリアはまっすぐ視線を向けた。
メディアリア「……っ、もうそろそろ行かないと、門がしまってしまいます」
ほんの少しだけ微笑んだ。
それは何かを隠すための笑顔だった。
泣きそうな、でも泣かないと決めた人間の微笑みだった。
金吾「ああ……行かないとな、行かないと……」
二人は歩き始める。その先が、同じ道であり続ける時までは。




