翌朝
まだ微かに日が登ったばかりの夜明け、金吾は重たいまぶたをゆっくりと開いた。
酒の残り香が喉に張りつき、頭の奥が酷くまた鈍く痛む。
視線を横に向けると、膝をついた姿勢のまま、ベッドの端に頭を預けて眠るメディアリアの姿があった。
寝心地は悪いはずなのに、彼女の表情はどこか安らかで、昨日の涙の跡さえ柔らかく見えた。
金吾はそっと彼女の体を抱き上げ、自分が寝ていたベッドに横たえる。
金吾「はぁ……」
窓辺に移り、窓を開ける。
早朝の澄んだ空気が肺を満たし、街のどこかで始まった生活の音が微かに響いてくる。
パンを焼く匂い、荷馬車の軋む音、遠くで子どもが走る気配――そんな小さな音が、金吾の胸に静かに染み込んだ。
朝起きて窓辺に座り、魔法制御の訓練をするのは、もう何年も続けてきた習慣だった。
――体が勝手に動く。
昨日の混乱も、怒りも、悲しみも、恥も、憎悪も、この瞬間だけは遠ざかる。
ふと下を見下ろすと、昨日斬り伏せたごろつきの死体はもうなかった。
ギルドが処理したのか、あるいは別の誰かか――それは金吾には預かり知らぬことたっだ。ただ、この街がそういう場所だというだけだ。
金吾は指をピアノの鍵盤のように動かし始めた。
人差し指に炎、中指に雷、薬指に水、小指に風――そして再び人差し指に戻り、氷を灯す。
瞬時に属性を切り替え、指先に小さく発生させる。
それは魔法の出力を極限まで抑え、制御するための訓練だった。
最初は手のひらで大きな炎を出すことすら難しかった。
だが今では、四本の指それぞれに異なる属性を点火させ、それを瞬時に点滅させることができる。
この繊細なコントロールは、錬金魔法にも応用される。
最終的には、指先ではなく、もっと前方――敵の目前、あるいは空中の一点で自在に属性を切り替えられるようになることが金吾の目標だった。
その訓練の音が、静かな部屋に淡く響く。
ベッドの上で眠る少女の呼吸と、金吾の指先で灯る小さな魔法の光だけが、この朝の世界の全てであるかのようだった。
メディアリア「ん……」
微かにまぶたを開いたメディアリアは、窓辺で行われている金吾の訓練をぼんやりと見つめた。
最初はまだ意識がはっきりしておらず、ただ光の点滅を追うだけだった。
だが次第に目が覚めていくにつれ、その動きの精密さに気づき、驚愕とともに息を呑む。
指先に灯る炎、雷、水、風、そして氷。
それらが瞬時に切り替わり、まるで楽器の鍵盤を叩くように規則正しく点滅していく。
魔法の出力を極限まで抑え、制御するための繊細な訓練――昨日、講義でロザリアが語っていた「初心者には到底できない領域」を、金吾は淡々とやってのけていた。
しばらく見惚れていると、寝返りを打った拍子にベッドが軋んだ。
その音は静寂に沈んでいた部屋にはあまりにも大きく響き、金吾の指先で瞬いていた小さな魔法の光がふっと消える。
金吾「起きたのか」
その声は昨夜の激昂が嘘のように落ち着いていたが、どこかぎこちない。
どう接していいのか分からない――そんな戸惑いが滲んでいた。
メディアリアは、まだ夢の続きのようにぼんやりしていたが、窓辺で行われていた魔法制御の訓練の凄さだけは理解できた。それこそ彼女の才能なのかも知れない。
メディアリアはゆっくりと身を起こし、まだ眠気の残る瞳で金吾を見つめる。
そして、ぽつりと呟いた。
メディアリア「……すごいです。あんな魔法の制御、初めて見ました。」
思わず漏れたその声は、驚きと尊敬が混じっていた。
金吾は眉をひそめ、そっぽを向く。
金吾「別に大したもんじゃない」
淡々とした言い方だったが、耳の先がわずかに赤い。
褒められ慣れていない男の、分かりやすい照れ隠しだった。
メディアリアはベッドの端に手をつきながら、少しだけ申し訳なさそうに言う。
メディアリア「……昨日、わたし……寝ちゃって……すみません……」
金吾は短く息を吐いた。
金吾「酔いつぶれた俺をベッドまで横たわらせて貰ったんだ。文句なんて言えるかよ」
そう言いながらも、彼の視線は一瞬だけメディアリアの寝顔を思い出していた。
――あの安らいだ表情が、なぜか胸の奥に残っていた。
窓から差し込む淡い朝の光が、二人の間に静かな温度を落とす。
痛みも、怒りも、まだ完全には消えていない。消えるはずがない。それこそ金吾の生きる原動力なのだから。
けれど――確かに何かが変わり始めていた。いや、変わりたかったのかも知れない。
メディアリアは小さく微笑む。
メディアリア「……おはようございます、金吾さん」
金吾は少しだけ目をそらしながら、短く返した。
金吾「……ああ。おはよう」
その声は、ほんのわずかに柔らかかった。




