08 早まった邂逅 その一。
「まぁ……まさか、そんなことが」
「私も驚いたよ。なぜあんなことが起きたのかは、女神のみぞ知ることと言ったところか」
時刻は昼下がりのティータイム。
私は定位置となりつつある母の膝枕で頭を撫でてもらいながら両親の会話に耳を攲てる。話の内容は二週間も前になる神殿でのあの出来事。
もう二週間も経ったのか。
回帰早々立て続けにやってきたイベントを片したあとの日常ですることといえば、一周目の人生の出来事のリストアップ化。まだまだ書き始めたばかりだけど。
「そんなことがあった手前なんだか気は進まないけれど、知らない訳にもいかないものねぇ……」
母の言葉に耳を傾けながら考えるのは、未来の従者ルキウスとの再会について。
回帰前の人生の道筋を辿って二年後に同じように出会う事も考えたが、あの痛々しいさまを見るのはあの時だけで十分だ。早い内に救い出す。
よって、現在の目標は今どこかにいる彼を見つけ出すこと。多分あの宝石じゃらじゃら商人の元にいるのだろうが、残念なことに私の記憶にあいつの情報がない。
こう――小さい子が描いた人物画のように形を成していない。
一つ幸いなのは、ルキウスの容姿がとても目立つということ。黒髪黒目なんてあまり居ない。
侯爵家の情報網なら、宝石ジャラジャラ商人(?)の元にいる黒髪黒目の少年を探して! と言えば一発だろう。
よって今は、この言葉を、父に、どのタイミングで、どう言うかを見極めている最中だ。
「祝福の結果はいつ分かりそう?」
「遣いをやったから、明後日には分かるはずだよ。なぁ、クライン?」
「はい。諸々の事を考慮するとそれくらいかと」
「レティは普段から賢いが――ここ数日のこの子の見違える聡明さを見るに、結果はわかったも同然だな」
明後日か。
それなら少しの猶予がある。弱気にならないと決意したとはいえ、思わずホッとしてしまう。
傍から見れば、 “無能者” と発覚するイベントが先延ばしにされただけだが、一日空くというワンクッションはまだ回帰してまだ数日の私には有難いことなのだ。父は侯爵家の能力の開花を確信しているようだが、裏切る結果になると分かっている手前とても胸が痛い。
「アルフレド様! 大変です!」
ドタドタと聞くからに慌てた足音と共にノックもなしに豪快に開けられた扉から滑り込んできたのは騎士団最年少のビスクだ。土塗れな少年の要領を得ない話に片眉を上げ父は早速何かを覚る。
「ビスク、何かあったか」
「今、団長と兄さん達が抑えてるんですが、ちょっとやばくて!」
「わかったから落ち着け。見た方が早いな?」
「は、はいっ! お願いします! ――あっ、お嬢さま! お嬢様も来てください!!!」
母の足の上で微睡みながら二人のやり取りを見ていた所、ビスクとバッチリ目が合いこれ幸いと指名された。
「えっ、わたしも?」
“抑えてる”とは、一体何をだろうか。
「じゃあ、行こうか。レティシア、おいで」
「あるきます」
「え……抱っこは……?」
「あるきます」
「ほら、少し距離があるし――」
「あるきます。ビスクいきましょう」
「は、はい!」
父は神殿での騒動から、何かと私に過保護が過ぎるようになってしまった。どこに行くにも、姫抱っこがデフォだ。
両手を広げて片膝をつき、準備満タンだった父の横を通り過ぎる。
「レティ……反抗期……?」
「もう、アルフレド! しっかりしてください」
母に喝を入れられる父に、可哀想なものを見るような視線が集まる。
適度な子離れをしてもらうための荒治療だ。
悪く思わないで欲しい。
「分かった。では、父様から離れるなよ?」
咳払いをして何とか持ち直した父と屋敷を抜けて外廊下をずんずん進んで行く。勿論、歩く速度は私が基準だ。
目的のその場所に近づくにつれ、喧騒が大きくなる。聞こえてくるのは、壁が崩れる音や聞き馴れた騎士たちの声。
誰かを宥めている? ような、とても慌てた感じ。
騎士たちの演習場にたどり着くと、出入口には見慣れた男たちが肉壁を作っていた。
その肉壁より少し手前に待機していたオーリが私たちに気が付き口を開く。
「アルフレド様お待ちしておりました――って、あ。ビスク! お前、なんでレティシア様まで連れてきてる!」
「えっ、だって! “アイツ”、ずっとお嬢さまの名前読んでたじゃないですか!」
「それで本人を連れてくるバカがいるか! バカ!」
バカって2回言った。バカって。
「……レティ、お前はここで待っていなさい。大丈夫そうなら、後で呼ぶから。オーリ、詳細を」
「はっ」
私からは身長と同じ高さの塀と、外廊下と演習場を繋ぐ出入口に立ちはだかる肉壁でそちらは見えず、剣呑な眼差しで演習場向こう側を見つめていた父の言葉に大人しく頷くしかない。
父はズザァッと左右に開いた肉壁を通り抜けて、カイオンとオーリを伴い演習場に足を踏み入れた。
こういう時に見せる表情が、父が王宮で恐れられる所以なのだろう。
「あの、お嬢さま。オレが呼んだのに……ご、ごめんなさい」
しゅんとする彼に首を振る。ビスクはまだ十三歳だ。彼なりに考えて私を連れてきてくれたのだろう。別に責めることもない。この位の子たちは皆こんな感じだろう。
ふと、齢十二の兄アシェルが頭をよぎるが、彼は……回帰前も今も年齢に添わぬ知性を持ち合わせている秀才なので、比べる相手としては向いていない。
しっしっと頭から余計な思考を追い出して、ビスクに笑顔を向ける。
「いいえ、だいじょうぶよ。あやまらないでビスク。それよりも、ね? あなたが言っていた“あいつ”について、おしえてくれるとうれしいわ」
「あ……えぇっと」
これ以上の失態を恐れたのか、眉尻を下げたビスクが助けを求めるように側に立つ騎士に目を向ける。やれやれ、とビスクの頭をひとなでした長い香色髪を一つに纏めた騎士、改めギリアムが表情を引き締めて話し始める。
「えー、そうですね――まず、誠に申し訳ございません。常に厳重体制を取っているはずの警備に隙があったようで、鼠の侵入を許していましました」
“鼠の侵入”。
無謀にも侯爵家へ足を踏み入れる他家が送り込んだ密偵や盗賊らやのことを指す。
「しんにゅうしゃが?」
「はっ。それも、こいつと変わらない位の少年なんですが――」
なんと、今回の侵入者は幼い子供らしい。
「その……」
「?」
ポスッとビスクの頭に手を置いてギリアムは言い淀む。
「ちょーーっと、お嬢様に引き合せるのは、時期尚早と言いますか……」
「じゃあ、ようしのとくちょうは? かみいろとか、ひとみのいろとか」
「髪色ですかっ!? そうですね……その、いや、んんーーーーー」
必要以上の動揺に右顧左眄が加わり中々続きを話さないので、分かったのは侵入者はビスクぐらいの少年という事だけ。大人しく、父が私を呼ぶのを待つしかないのか。
どうしたものか――首を傾げていると父が消えていった方向から何かを感じた。
きゅうぅっと胸が締め付けられるものを。
切なくなる泣きたくなる感じ。だが、とても優しくも感じて嫌じゃない。
なんだろう……。
『レティシア』
え……?
「レティシア様?」
聞こえた気がした。あの懐かしい声が。ここにいるはずのない、愛しい人の声。気のせいかもしれない。だけど――。
「今、なんと言った? 少年」
父の声に考えるよりも先に身体が動いた。
ビスク(13)
オレンジの短髪にそばかすが浮く肌
常に何処かに擦過傷がある素直で明るい少年