07 嘘も方便。
場所を移して、ここは屋敷の応接室。
「パーティーは?」
「恙無く」
「そう、よかった」
収拾がつかない事態となった園庭では母と兄が対応に当たり無事お開きとなったらしい。二人とも流石である。
私はと言うと、父と王と共に屋敷へ既に移動していた為、この話を家令のクラインから聞くことになった。一聞くと十返ってくる若く優秀な家令曰く、後ほど二人もここへ向かって来るとの事。
「レティシア。息子の無礼、心から謝罪する。それと君の意志はしかと受け止めたから安心してくれ」
「絶対に許さん」
「お前に言っとらんわ! レティシアに言ってるんだ!」
「あんな礼儀の “れ” の字も備わっていない小僧の父親なんぞ、俺の娘と話す資格なんかないわ! それと、馴れ馴れしくレティシアと呼ぶな! 控えろ!」
「私は国王だぞ!?」
「そして、去ね!」
「おい!」
色々ギリギリな終わらないテンポの良い掛け合いを、一歩間違えれば首が飛ぶなぁなんて思いながら眺める。放っておくと永遠と続きそうな口論に終止符を打つため手を挙げる。
「こくおうへいか、おことば、おうけとりします」
「レティ!」
「お父さまはうるさいです」
「うッ!?!?!?!?」
「とうじしゃは、私です。私がうけとるといったら、うけとるのです」
父はあくまでも保護者、当事者は私自身なのだと、反論しようとする父をねじ伏せる。まさか娘に「うるさい」と言われると思ってもみなかったのか、父は思いの外ダメージを受けて静かになった。
第三者の目がない応接室で躊躇うことなく王が頭を下げる。
「チャールズの発言は私の責任だ。君を娘に欲しいと息子の前で漏らしてしまったんだ。真に受けたあの子はだからあんな事を……常々、君の父から自慢げに語られる子供たちの話に夢を見てしまった。すまなかった」
「マキシミリアン。直系はあの子しかいないんだ。傍系の者に玉座を任せたくなければしっかり教育し直すんだな」
「嗚呼、勿論そのつもりだ。あのままでは時期国王に指名なんて出来ないからな。母親を幼くして亡くすことになったあの子を甘やかしすぎたと今回ばかりは反省したよ」
最早不敬罪に足を突っ込んだ父に王は苦笑いを返した。
「アテナがこの場に居たらなんと言うだろうなぁ……」
国母・アテナ妃。
チャールズの母であるアテナ王妃は今から十年前、王都を中心に急速に拡大した流行病で命を落としている。
発生源は? 何が原因で? ほとんど解明させなかったこれも、また謎の多い出来事で――今は割愛させてもらう。
話を戻そう。
チャールズは当時まだ二歳だった。
妃を喪ったことも相まってか、彼女の忘れ形見である一人息子を王は溺愛した。
王子は十二になるこの歳まで否定を知らず育ったのは有名な話。
そして、あの性格が完成してしまう――最悪以外の何物でもない。
果たして、今から矯正は効くのかどうか見ものだ。
まだ十二、されど十二だ。
「ケツでも蹴り飛ばされるんじゃないか?」
父が王に返した言葉に耳を疑う。
聞き間違えだと、思う。思いたい。
「やっぱりそうか?」
じゃなかった。
王が落胆した声色で肩を落とす。
回帰前を合わせても、肖像画でしかお目見えが叶わなかった王妃が、暖かみのあるダークブロンドと翡翠の瞳がなんとも穏やかなそうなあの国母が、まさかその様なアグレッシブさを兼ね備えていたとは。
王を蹴り飛ばす王妃、とな。
……何か、違う扉を王が開きそうなイメージが湧――いや、これ以上は考えないでおこう。
今の私は幼女なんだぞ。
良くない。
「して、レティシア。やはり私の娘になる気は――」
「申しわけありません」
「よし!」
「そうだよなぁ」
「すきな人がいるので」
「「「「えっ」」」」
「え?」
ガッツポーズを決める父と残念そうに眉尻を落とす王、そしてタイミング良く入室した母と兄の声が冠る。ついでに、母と兄を出迎えたクラインは声は出さずとも凄い勢いでこちらを振り返る。
この反応、言わなくていいことを言ったのかも?
「まあまあまあ! レティシアに想い人!? お母様にお聞かせなさい。一体いつの間に!」
「うちのお姫様に、想い人……」
「お、おい! アルフレド、しっかりしろ!」
母は旧知の仲とはいえ王への挨拶もそこそこに目を輝かせて一目散に長椅子に座る私に駆け寄り横を陣取る。
父は勿論ダメージを受けている。
短期間に二度目の打撃だ。
今回のこれは、そんなつもりはなかったのだけど。
私の手を取り花を飛ばす母と膝に腕を立てて頭を抱え込む父の両極端さといったらもう――。
まさに天国と地獄。
「どこの誰!?」
ここで予想外の人物から声があがった。いつもはすました人形のような顔に絶望の文字を貼り付け、私の前に膝をついた兄だ。
私は突然の事に困惑する。
本日のパーティでエスコートを務めてもらった訳だが、その時まで回帰前の兄と大差なかったのだ。
打って変わって、今は……。
「誰だ……僕の可愛い妹を誑かした野郎は……捻り潰してやる」
私の膝に額をへたりと乗せた兄の言葉は残念ながら小さすぎて耳に届かないが、確実に物騒な言葉を吐いている。
多分そう。
絶対そう。
だって、回帰前の人生で、躊躇うことなく回し蹴りを敵にお見舞いした人だ。
私しか覚えていないことだけど。
「え、っと……」
思った以上に周りの反応が小さい子の戯言と流さずに真剣味を帯びているので、取り敢えず取り繕うことにする。
頭の中に柔らかい黒髪の彼を浮かべ自然と頬が緩む。
私はルキウスとの出会い日に思いを馳せた。
回帰前の人生では齢九つでの出来事。
つまり、このまま行けば二年後の出来事とも言える。
ーーーーーーー
それは、王宮にて開かれたチャールズと妃候補二人によるお茶会からの帰りの馬車の中、ボンヤリと外を眺めていた時の出来事だった。
この当時タウンハウスに移り住んでいた為、領地内屋敷と王宮の驚異的な速度での移動で見える景色と違い、ゆったりと進む景色で目に止まったものがあった。
『ハンスのおじさま。 馬車を止めてもらえる?』
自分が座る席から向かい側に移り、御者の後方に位置する連絡窓を開けた。
突然話しかけた私に驚くことも無く御者のハンスは静かに馬車を停車させる。
『レティシア様、どうしましっだハッ! 痛……ってぇ!?』
『お、お嬢様!? 何方へ!!!』
私が勢い良く開けた扉が、私の様子を窺うために馬車へ近づいたトーリの顔面を強打した。だが、私は痛みに悶える護衛騎士も今度こそ驚いて声を上げる御者も気にする間もなく馬車から飛び降り、目的地へ急いだ。
貴族令嬢らしからぬ行動だったが、形振り構ってなどいられなかった。
ガルテアが創った泉の跡地に出来た噴水がある広場はコインを投げる人々で賑わう名所。それに接する道なので人通りが普段多いのだが、今日はみながその場を避けていた。
『そこの者、何をしておる』
『はい?』
立派な噴水がある見晴らしの良い広場へ続く大通りで私の声が良く通る。
手に火の祝福を纏わせた商人であろう宝石を身体中にジャラジャラとつけた男が、顔だけをこちらに振り返る。
『何をしていると、訊いているのです』
『……貴族のご令嬢とお見受けしますが、何故あなた様に答える必要が?』
暗にさっさと去れと言っている男だが、はいそうですねと言える状況じゃなかった。男の足元ではお腹を抱え冷や汗を垂らす私より少し歳上に見える子どもがいたのだ。
しかし、親も、護衛も連れていない、ただ身なりの良い幼女が声を掛けたって怯む様子はない。
『答えなさい』
『はぁ……なんですかもう。――教育ですよ、きょ・う・い・く! こいつは私の従僕なんでね? 答えたんだから、もういいでしょう? これは見世物じゃないんでね』
王都周辺で最も人通りが多いと言えるこの場で、祝福を笠に着て体罰を与えていたのに見世物じゃないだ?
ふざけるのも大概にしろ。
蹲るその子どもは “無能者” だった。
それが判断できたのは、先程垣間見えた子どもの瞳が黒かったからだ。無能者の共通点だ。
『 “教育” とは、言葉で、行動で、正しい道へ教えみちびくことを指します』
明らかに故意に作られた場にプツリと来た。
この時、私は元々気がたっていたのだ。直前まで参加していた不本意なお茶会のせいで。
『初代王と王を支える四柱より、国民の人けんについて定められたことがあります』
『はぁ???』
『生きるけんり、学ぶけんり、が国民にはあります。初代王が国のはんえいを願い、もうけられた法律です。あなたのそれは、そのけんりをうばう、ただのぼう力です。わが国がかかげる人財の育成の、最初の文字にさえ、たどりついていませんわ』
『おいおい、お嬢ちゃんや。年端もいかねぇ小娘に “教育” の何がわかんだよ?』
取り繕うことをやめ小馬鹿にしたように鼻を鳴らす男だが、次の言葉で顔色が変わった。
『少なくとも、あなたより、分かっているわ。お粗末な教育モドキで胸をはるあなたよりは』
『な――ッ!?』
あえて逆上しそうな言葉を選び、意識を子どもから私へ移す。ただ誤算だったのは、男が私に向かって火を放ったことだった。見るからにいい所のお嬢様な出で立ちの自覚があるので大丈夫かと思ったが……見誤ったな。
『おい、俺の主に何しやがる』
私めがけて渦を巻く一直線に放たれた炎を、私と炎の間に割り込んだ誰かが拳で受け止めた。
間一髪だ。
炎は拳から発生した風圧に分散され、私に届くことは無かった。
『レティシア様。お願いだから、護衛を置いていかないでくださいね。心臓が持たないから』
その誰かは、やっと私に追いついたトーリだった。
トーリの眼力に腰を抜かしている男が視界の隅に入るが、もう私の関心は彼には向いていない。
『次から気をつけるわ』
『そうしてください……。で、これどうするんです』
『連れて帰るわ』
『デスよね。分かっていました。分かっていましたとも。――アルフレド様がなんと言うか……はぁ』
難しい顔をするトーリに背を向けて、呆然とこちらを見上げる子どもに声をかける。
ボロボロの服から覗く腕や足は、明らかに栄養が足りていないのが見て取れるほど細いし、伸びっぱなしの髪には艶がない。
帰ったら、まずは湯浴みと食事だ。
『おいで。私とともに来なさい』
後に私の従者となる彼の瞳は、私を捉えると光を取り込んだオキニスのような輝きを放った。
ーーーーーーー
幼子の可愛い夢話だと思ってくれることを祈りながら、言葉を選んで口に出す。
「ゆめの中です。黒いかみの男の子に会いました」
「黒髪……」
嘘をつく場合、ほんのひと握りの真実を混ぜれば気が付かれないと、回帰前にご令嬢たちの話を盗み聞いたことがある。
「夢か……良かった」
「素敵な夢ね~」
「……黒髪」
よくやった私。
明ら様にほっとする父、変わらず周りに花を飛ばす母、ボソリと呟く兄、三者三様の反応が返ってきた。
ことを見守っていた王は重い腰を上げて私の頭を撫でる。
「それでは、私は帰るかな」
「さっさと帰れ!」
「お父さま!!!!!」
途端元気を取り戻し、敵意をむき出しにした父を楽しそうに見る王のなんと寛大なことか。王を守る近衛兵たちが我が公爵家の者を信頼して扉の向こうに待機しているこの状況じゃなければ、即刻アウト案件だ。
「本当に申し訳なかった。幼いレディに心の傷を残してしまっていなければ良いが……」
チャールズ本人が謝った時にどうするかはまだしも、いま私に謝罪をしているのは王だ。
それを受け取らないなんて、私はそんな幼稚じゃない。
ことを起こしたのはチャールズであって、王では無いのだから。
「いいえ、へいか。へいかはあのときすかさず、ちゅうさいに入ってくださいました。かぜが止んだのは、へいかのお力でしょう?」
片方の眉を上げて興味深げにこちらを見る王。
彼の後ろに、獲物を定めた肉食獣の幻覚が見えるようだった。
「私の……何故、そう思った?」
あの時、チャールズの感情に共鳴した風は間違いなく大きな竜巻を起こしていた。だが、それによる被害は皆無。
強いて言うなら、食器がカタンと少し音を立てたレベルだ。
「おうぞくはだいだい、光を……もっと言うと、でんきというもののしゅくふくをさずかるとならいました」
自然界には物体に触れずにそれらに及ばされるひとつの力として電気力が存在する。
それを祝福として授けられた王族らは、その場に存在する磁場を思うままに操作することが出来るのだ。
つまり。
あの竜巻が起こった瞬間に出来た物体と物体の隙間に摩擦電気を起こして、それ以上の浮遊を防いだのだろう。
よくある磁気の引き寄せのひとつを応用すればできるかもという私の見解が合っていれば、王ならば容易い事と踏んだがどうか。
「――だと、かんがえたのですが、どうでしょう」
「……………………なんと……」
「レティシア、王族の祝福の話からそこまで紐解いたのかい?」
「聡い子だ」
どうやら、読みは間違ってなかった模様。
感銘を受けたと言わんばかりの王の隣で、父も驚いた様に私に聞く。
下手に口を開くより短い肯定が吉と見た。
「ただのすいそくですが」
「やっぱりうちの子にならぬか? もちろん、愚息の妃ではない。王女として」
「いえ、私はプリマヴェールこうしゃくけの、レティシアです」
「あっはは! 嗚呼、そうだな。愚息には必ずきちんと言い聞かせて、反省の色が見えたら改めて君に謝らせるよ。では――次は城で待っているぞ」
容姿がよく似た息子は “あんな” のだが、はにかむ目の前の美丈夫はなぜだか憎めないなと思った。