06 ど阿呆王子。
時刻は昼下がり。
薔薇が咲きほこる園庭でグラスを叩く音が柔らかく響いた。
賑やかだった会場に静寂が訪れ、その場にいた貴族ら皆の視線がひとつに集まる。
「先立ちまして、本日は皆様の貴重な時間を我が娘レティシアの七歳の節目を祝う場に割いていただき、ありがとうございます。命よりも大事な娘が無事にこの日を迎えることが出来、とても感慨深く思います――さぁ、レティシア。こちらにおいで」
この時を本人よりも楽しみにしていたアルフレドが自身の派閥の貴族、中立を貫く貴族らを中心に片っ端から招待した事と、王の側近の孫娘であるレティシアが王族主催の公式の場でさえ一切現れることがなかった深窓の令嬢だった事が重なり、一人の少女のためのパーティーには王族主催パーティー顔負けの人数が押しかけていた。
可憐な容姿をした少女が会場に現れると、エスコート役の兄に劣らないその美しさから園庭に一種の波紋が広がる。
父に連れられ頻繁に王都へ訪れる兄アシェルの容姿端麗さはとてつもなく有名だが、今日が終われば社交界でレティシアについての話が駆け巡るのも時間の問題だろう。
「プリマヴェールこうしゃくがむすめ、レティシア・リマヴェーラにございます。このたびは、わたくしのたんじょう会におあつまりいただき、まことにありがとうございます」
まだまだ拙い言葉遣いだが、きっちり挨拶をこなし七歳にして完璧なカーテシーを披露した彼女にまだ子を持たない夫人たちが、まだ見ぬ自身の子があんな風に育てば……と、うっとりとする。
中身は二十歳の王太子妃候補なのだからカーテシーなど朝飯前と言いたいところだが、実際のドレスの中の足はプルプルプルプルしているのが正しい。
謎の悔しさがある。
「レティシアの祝福については、後日行われる月桂冠受領式にて正式にご報告致します故、この場での発表は控えさせて頂く所存です。――では最後に、この場に赴いていただいた皆様に幸多からんことを」
手にしていたグラスを高く上げた父がパーティーの始まりを告げる。
「どうぞ、パーティーをお楽しみ下さい」
◇◇◆◇◇
「レティシア様、本日は――」
何組目か分からない挨拶を両親と共に受け、長蛇の列を捌き七歳の表情筋がもうそろそろ死にそうになっている今この頃。三十組を超えたあたりから数を数えるなんていう馬鹿なことは辞めた。
「遅くなった」
突然聞こえたその声は園庭に緊張感をもたらし、誰もが即座に頭を垂れる。
声の主から私たちまでの道が開け、堂々たる闊歩で現れたのは、肩まで伸ばされた獅子を彷彿とさせる見事な金髪に燃えるような赤い瞳を持ち合わせた甘いマスクの美丈夫――この国の最も尊き人である。
「ヴァルディアの太陽にご挨拶申し上げます」
「皆、面をあげよ、ここは王城ではない。私への礼儀は最低限で良いぞ」
王の言葉で場の張り詰めた空気が幾許か解けると、先程の和やかさが戻ってきた。
「この度はお越しくださり、幸甚に存じます」
「堅苦しいのはよせ、アルフレド。国王としてではなく、今日は友人としてお前の娘を祝いに来たのだからな」
くくくと喉を鳴らした国王は屈んで私に目線を合わせると、小さな手の甲に唇を落とす。同時に、父のグラスにヒビが入る音がした。使用人たちが慌てる気配を感じるが、この目の前の人物の手前、振り返ることは出来ない。
「初めまして小さなレディ、七歳おめでとう」
「いわいのおことば、かんしゃもうしあげます」
七歳の少女を一人のレディとして扱う王に参加者の夫人らから黄色い声が上がる。
人好きのする笑みでこちらを見つめる王の瞳に吸い込まれる様な感覚を覚える。
よ、酔いそうだ。
そんなことを考えていて、ふと思い出す。
回帰前、冷戦中の一触即発な隣国の女王からこちらに有利な条件で和平条約を結ぶという外交力を発揮するエピソードをそれはもう何度も目の前の本人から聞いたが……なるほど。この顔で落としたのかもしれn――。
補足すると、このエピソードは私が十三歳の時の話しなので、今世ではまだ六年後の出来事。
そして、その話を永遠と聞かされるのも同時期。武勇伝はすぐ言いたくなるタイプなのだろう。多分。
私の中で、国王=ナルシストが確立してしまった。
「……やはり欲しいな」
ヒュッと喉が締まる。
“欲しい”という言葉が何を指しているのかなんて、私からすれば明々白々だった。
微笑む王の一瞬見せた鋭い目とその小さな呟きは思わず零れたものだったのだろう。聞こえたのは一番近くにいた私だけ。
程なくして私の背後から、私の手を取る王に対して棘のある視線がひしひしと伝わってくる。その視線を一身に受ける当のお人は、ニコニコとこちらを見ておりノーダメージのようだ。
そして、私はとうとう気付いてしまった。
「長い!!!」
我慢の限界が来た父が私から王を引き剥がし、そのまま抱き上げる。気安いやり取りをする父と王をよそに、私の目は一点に縫い付けられていた。王のマントから覗く人物に……。
――ヤツだ。
「そうだ、レティシア。君に私の息子を紹介しよう」
私が向ける視線に気がついた王が後ろに控えていた同じ色を持つ少年の背中を押す形で前へ出す。
待ち望んでいたと同時に、来て欲しくなかったこの瞬間。
「名をチャールズ・ディアヴァルム。小さなレディ、これから顔を合わせる機会も多くなるだろう。その時は愚息をよろしく頼む」
ここに来るまでにただを捏ねたのか、チャールズ少年は如何にも不服だという態度を隠そうともせず、私の頭のてっぺんからつま先迄視線を走らせる。
あ、鼻で笑った。
「おい、チビ! 今日からお前は俺の妃候補だ!」
チャールズの言葉に場の空気がこの地の果てにあるとされる氷山の如く凍った。
言ってやった! と清々しいほどに胸を張るチビには呆れるしかない。
初対面、しかも幾つも年下の少女にそんな事を言うか??
笑顔で固まる両親と顔色を無くた王、目を見開く兄にザワつく周囲、場は正しくカオス。
今回は予備知識有りなため、周りを見る余裕があった。
前回もこんな感じだったのだろうか。
目で見える範囲の場で、平静を保っているのは私くらいだった。まぁ、知っていた、分かっていたのだから当たり前だが。
未来の王の阿呆加減がこの時から片鱗を見せていたと思うと国の将来が心配だ。そう言えば、私が死んでからのチャールズ王の治世はどうなったのだろう? 国家没落の線もあるんじゃなかろうか。いやいや、まさか、ねぇ……?
「ありがたく思えよ!」
「おい、マキシミリアン……どういうつもりだ?」
「いやっこれはだな! そうなればいいなぁなんて思っていただけで……チャールズ、まだ確定した話では無いと言っただろう!」
「だって、父上!」
怒髪天を衝く相好の父とどうにか挽回を図る王に不満を垂れる王子――あの時とは少し違う状況ではあるが迎えてしまった前回と同じ展開を当事者でありながら傍観者のように静かに眺める。
一先ず言えるのは、回帰前と同じ轍を踏んではならない、という事。あの時の私は自暴自棄になっていて、ろくな返答をしなかった。あれはきっと、後の生死を決めるひとつの分岐点だったはずだ。
今世は間違っても妃候補になんかなってたまるか。
「いやです」
あ、間違えた。
どストレートに言い過ぎた。
その場にいた全員の刻が止まる。誰もまさか私が異を唱えるとは思っていなかったようだ。
断る以上、(取り繕うには遅いような気もするが)無礼にならないよう王子には回帰前に培った大人顔負けのカーテシーを魅せ、はっきりと自分の意志を伝える。
先程よりも周りからの視線を強く感じながら私はひとり、気を取り直して言葉を続けた。
「ありがたいお申し出ではありますが、つつしんで、じたいさせていただきます」
頬を赤らめていた王子が断りの言葉にハッとする。ここで突如、王子が持つ風の祝福が彼の感情に共鳴し強風を巻き起こした。今度は耳まで赤くなっている。
「お、おれだって、お前みたいなちんちくりん願いさげええぇぇぇぇええ?!?」
風はすぐさま止み、みなまで言い終える前に王子は控えていた近衛兵に脇に抱え込まれ強制退場となった。
危なかった。
我が家のシェフらがこのパーティの為に丹精込めて作ってくれたオードブルやデザートも、参加した女性陣のドレスも、あの風に巻き上げられては一溜りも無い。
「お、おい! ルイス! 離さないか! ちょ、硬っ……は、離せぇぇえええ」
王子の捕獲は見事なまでに流れるようで、彼のやらかしが初犯じゃない事が窺える。だが、仮にも一国の王子の運び方は、いいのかアレで。
呆然とする会場にパンっと乾いた音が響く。
「小さなレディ、君の誕生日に悪い事をした。愚息の言ったことは気にしなくても良いからな」
「はい、しかとうけ――」いや、受け取らないぞ」
王は家臣に謝ることも、ましてや頭を下げてることなんて……論外だ。してはならない。そのため明確な「すまない」という謝罪は避けたものの、王の遠回しのそれに対しての私の返答に注目が集まったが、真後ろに仁王立ちした父が声を被せる。
「絶っっっっっ対に、受け取らない!」
王が今できる精一杯の謝罪を一蹴りした父に、固唾を呑んで見守っていた招待客らは脳内でズッコケる羽目になった。
皆こう思っただろう。
あんたじゃねーよ!