05 祝福の儀。
馬車に揺られること休憩を挟みながら三時間、中央神殿に辿り着く。
本来なら三日はかかってしまう道のりも、風の祝福を持つ御者がいればなんのその。
まさに百人力いや千人力だ。
父のエスコートで神殿に降り立てば、近くで見上げると首が痛くなるほどに高く広い入口が見える。そこには純白のローブに身を包んだ神官らが並んで待ち構えており、みなが此方に頭を垂れていた。
「ようこそ、おいでなさりました。アルフレド・リマヴェーラ様、レティシア様」
そう言ったのは仰々しい杖を持ち彼らの真ん中で一際存在感を放つお爺さん。
父が珍しいものでも見たかのように片眉を上げている。
「お嬢様の良き日になりますよう、お力添え出来ればと」
「大神官直々の出迎えとは……珍しいこともあるものだな?」
父が口にしたのは、前回の儀式ではもちろん、前回の人生で一度も私が会うことのなかった人物の呼び名。
唯一確定で会える、とある式典も私は放棄したため、幻級に会うのが困難だった。
「いやはや、お嬢様が体調を崩されたと小耳に挟みましてな。神官たちだけでは私めが心配なもので……念の為です」
「…………まぁいい」
回帰前と早速展開が違っているのは、私が体調を崩したかららしい。父は大神官のその返答に納得が言っていないようだが。
しかし、情報はどこから漏れたのか。
長く伸ばされた口ひげを撫でる糸目の尻に皺を寄せた穏やかなそうな大神官と呼ばれた彼は、一見どこにでも居そうで、だが同時に、どこか浮世離れしている。
初めてお目にかかった第一印象は、目が合うと思わず背筋が伸びる感覚を抱く人、だ。
「カイオン、トーリ、一緒に来い。オーリ、ノーラン、二人は御者と待機だ」
「「「「はっ」」」」
「其方の騎士様、神殿に入られる際はソードは――」
「言われなくとも」
神殿では帯剣が禁じられており、トーリに声を掛けた神官はソードを預かろうと両手を差し出した。しかし彼はその言葉を遮り兄のオーリにそれを預ける。
騎士と神官は昔から油に水の関係で、互いに騎士と神官といびりあっている話は有名も有名だ。
まさかこんな所で仲の悪さを目撃することになるとは。
オーリとトーリの父であるカイオンは “無” だが、年子の兄弟は顔には出さずともピリピリしてるし、二人より少し年若いノーランなんて分かりやすく猫のように威嚇している。
私が思っている以上にシビアな世界なんだろうな。
多分。
「お前たち控えろ、レティシアの前だ」
「「「はっ」」」
裏を返せば私の前でなければ問題ないということだが、私は突っ込まない。空気が読める子なので。
そんなこんなで準備が整った私たちはとうとう大神官の案内で儀式を行う《祈りの間》へ向かう。
彼がいなかった回帰前とは違う展開に妙な胸騒ぎを覚えるが、どうか杞憂であって欲しい。
壁も床も、等間隔に設置された天使の像も全てが白一色な目がチカチカする長い廊下を進み、目的の場所へ続く重厚な両開きの扉が控えていた神官により開放される。扉の先は緩い下りの階段となっていて奥は暗く何も見えない。
「ここからはレティシア様のみ入室です」
「なんだと? なぜ今になってそんな事を」
「訊かれませんでしたのでなぁ」
父が当然のように一緒に《祈りの間》へ向かおうとした所、神官たちが立ちはだかり大神官はそんなことを言う。
父は私を一瞥し、感情が消えた顔で大神官を見据える。
「通常、儀式は親同伴のはずだが」
「えぇ、私めも神の遣いを務めて長いですがこんなこと初めてでございます」
「その言い方だと……大神官殿の決定では無いように聞こえるが」
「無論。私めは、ただの御使い。我が女神ガルテアの御意思にございます」
「今回、娘の儀式に大神官殿が同席するのも、これが真の理由か」
「お嬢様の体調ももちろん心配でありますよ」
そう言われてしまえば、父もどうすることも出来ない。
ガルテアの意思……。
つまり、神託があったから大神官自らが対応する運びになったということか。私の体調がどうのこうのは表向き、と。
「閣下、ここは神殿です。何もそんなに心配なさることはない」
前回なかったガルテア直々の呼び掛けは頭に引っかかるが、最初から結果は分かっているのだから怯える必要も無い。
うん。大丈夫。
回帰前の古い記憶が蘇り、トラウマに翻弄されてしまう感情に喝を入れる。
握っていた手を離し父に向かい美しいカーテシーを披露する。
「お父さま、行ってまいります」
「……気を付けて行っておいで」
「はい!」
心配だと表情で語りながら、最後は微笑みで背を押してくれる父に勇気を貰い、先を進む大神官を追う。
「では、侯爵様。控えの間にご案内いたします」
背後ではその神官の言葉の後すぐに扉が閉まる音がした。
長い階段の壁には蝋燭が並んでおり、それを頼りに下へ下へと降っていく。
「緊張してますかな?」
「そう見えるならそうなのだと思います」
前を歩く大神官とぽつりぽつりと言葉を交わしていると、突如気温が下がり進む方向から吹く風がヒヤリと肌を撫でる。
《祈りの間》が近い。
人生二度目――今世では初めての祝福の儀式が始まろうとしている。
「だいしんかんさま。なぜ、ガルテアは “私だけ” と、していしたのでしょうか」
「お答えして差し上げたいところなのですが、私めにも分かりかねますのでなぁ……さて、着きましたぞ。あの水晶の前で膝をついて、手を翳してみなされ」
マイナスイオンに満ちる拓けた《祈りの間》には、高さ二メートルほどの両手を広げたガルテア像が佇み、手前に透き通った湧き水、その中央の位置する壇上に例の水晶がある。
靴を脱いでそっと湧き水に足を沈めれば、色とりどりなタイルで埋め尽くされた床の美しさに目を奪われる。キラキラと輝くタイルが見えるほど透き通ったそれの水深は膝上ほどで、ドレスも浸かる深さだが特に動き辛さは感じない。
ゆっくり歩を進め登壇する。
水面から上がり視界の端に見えるドレスは濡れた形跡が一切無い。これを体験するのも二度目だが、なんとも不思議な現象だ。
逸れた意識を戻して面前にした大きな水晶は濁りのない美しい輝きを放っていた。深呼吸をして膝立ちになり手を翳すと、背後で大神官が女神に呼びかける。
《大地の女神・ガルテア。此度節目を迎えた新たなる貴女の娘へ、祝福を承りたく存ずる》
前回同様身体が暖かい光で包まれるが、その後何かが起こる訳でもなくただそれだけだった。
心の準備はバッチリだったようで、その事に落胆する自分はいなかった。
「――儀式は終了です。こちらにお戻りください」
大神官の声に面前のガルテア像を一瞥し、重い腰をあげる。そうして再び水面に足を浸けようとした時、何故か全身に電気が走る感覚が駆け巡り視界が暗転した。この時、特に手首に激しい痛みを感じたが、直ぐに忘れるほど一瞬のことだった。
◇◇◆◇◇
ガタンッ
パリンッ
少しの浮遊感と何かが倒れる音に続き何かが割れる音が耳に届いた直後、私の世界に光が戻ってきた。
「レティシアッ!?」
驚きにこれでもかという位に目を見開いた父が私の視界を独占する。
「……え、お父さま?」
《祈りの間》にいたはずの私は、何故か父の腕の中にいた。父は呼び掛けに応えた私をひしりと抱き締めると、父の声で慌ててなだれ込んで来た神官たちを威嚇する。
「寄るな! 一歩でもこちらに近づいてみろ、原型も分からぬ程にひねり潰してやるぞ」
あまりにも物騒な言葉を放つ父の腕から何とか首を出し状況を確認する。
神界を模したステンドグラスに大理石の床、白金の天鵝絨のカーテン――。
予想が正しければ、ここは王侯貴族が通される応接室だろうか。
《祈りの間》へ続く扉が閉まる間際ちらりと聞こえた『控えの間』だと予想はつくが、その場所になぜ私がいるのか。
考えられるは……。
「しゅんかんいどう?」
「そう、それだそれ! 一体何がどうなってる?? 突然何も無い空間からレティが現れたものだから、父様は本っっっっっ当に驚いたんだぞ!?」
私の独り言にピクリと反応した父が勢いよく両肩を掴み、心臓に悪い! と、騒ぎ始める。
倒れた椅子と無惨に割れたティーカップ、そして私を抱き抱えて床に座っている髪を乱した父を見るに正に突然の出来事だったようだ。父が間に合っていなければ、私は臀部を強打していたことだろう。
「お父さま、ありがとうございます。おかげで私のおしりは守られましたわ」
「どういたしまして……て、違う! 可愛いけど、そこじゃないし、レディが人前でおしりとか言わないでな!?」
違う、そうじゃない。聞きたいのは何があったのかなのに……と頭を抱える父は私からすればいつもと変わらない甘く優しい父なのだが、社交界では《厳格な文官》として知られているので、今その父の面子が着々と失われて行っている模様。
ああほら、その証拠に神官たちは目を丸くしている。
これが社交界に漏れでなければいいが、果たして。
回帰前とは違うことが起こりすぎて、予期せぬことで二次被害が出そうだ。
ごめん、父。強く生きて、父。
「アルフレド様、落ち着いて下さいよ……」
私達を護るようにして神官たちとの間に出ていたトーリが呆れたような声を出す。
「こっ……ここに、居られたか、レティシア様」
「だいしんかんさま」
ゼェゼェと息を切らせた大神官が私の安否を確認し安堵の表情を浮かべる。
「大神官殿、説明してもらおうか。一つ間違えれば家の娘は大怪我を負っていたのだぞ。もしそうなったらどうしてくれるか」
未だ息が整わないご老体に鞭を打つように捲し立てる容赦のない父にそんな大袈裟なと思ったが、父がこれ以上ヒステリックになるのも困るので口は挟まないでおく。そして、父の疑問はすぐ解消され――。
「お答えしたいところなのだが、私めにもさっぱりで」
「なに?」
――ることは無かった。
「私が居たにも関わらず……誠に申し訳ない」
「…………もう良い。今日の所はこのまま帰らせて頂くが、今回の件は到底見逃せるものでは無いことを努努忘れるな」
「勿論でございます、侯爵様」
「一刻も早い神殿の申し開きを待っている。こちらが納得出来るような言い訳があればだがな」
深深とお辞儀をする大神官と右に習う神官らに見向きもせず、私を抱き上げた父は神殿を足早に抜け騎士が待機する馬車へ向かった。
「お早いご帰還で」
「あぁ、すぐ出発しよう」
「御意に」
「あの~、ところで、お嬢の “祝福” ってなんだったんすか?」
忠犬の如く、無駄口を叩かず帰程の準備を始めるカイオン、オーリとトーリとは別に、ソワソワしていたノーランが躊躇なく結果を尋ねる。
「「あっ」」
私とトーリの声が被った。
先程の出来事が衝撃的すぎて、すっかり忘れていた。
馬車に乗り込もうとしていたところだった父がピタリと動きを止める。
「えぇと。トーリさん聞いちゃダメでした?」
父の只事ではなさそうな雰囲気に、ノーランは隣にいるトーリに耳打ちする。
眉間に皺を寄せ苦い顔をしたトーリが自分からは話せないからノーコメントで、と首を振る。
「……帰るぞ」
「「「「はっ!」」」」
フリーズしていた父が唸るようにして告げ、それに反応した四人と御者が慌ただしく準備を再開させ、馬車を出す。
「疲れただろう。家までは距離があるから、寝ていなさい」
私よりも疲れた顔で微笑む父の懐中時計を覗き見ると、時刻はまだ昼も達していない。神殿滞在時間は、三時間を満たないほどだった。
今日一番の山場はまだこれからだと言うのに大丈夫だろうか……。そんな不安も疲れに正直な幼い私の体は父の少し硬めの膝枕で横になった途端ずしりと重くなっていった。