04 憂鬱な記憶。
「お嬢様、とっても素敵です!」
「ほんとに! 天使が舞い降りたかと思いました!!」
「いいえ、ミア! 天使が舞い降りたのよ!」
「そうね! そうよね、リア!」
姿見の前に立ち、幼さ故の可愛さを全面に押し出した装いを纏った自分を眺める。
結局あの後少し熱を出し、侯爵家お抱えの医師には知恵熱と診断された。が、翌日の今日を迎えた時にはもうピンピンとしていたので、今は父の反対を押し切り無事に支度を終えたところだ。
ハーフアップに結い上げられたウェーブした柔らかい海棠色の髪には自分の金の瞳に寄せた黄色の薔薇の花弁とシトリンが輝き、首から肩まで薔薇の刺繍レースで覆われた淡い黄色のシフォンドレスはこの日の為に父が用意したオートクチュール。
「かわいい」
父と母の美貌を受け継いだ私は我ながら本当に可愛いと思う。
父と同じ均等な二重にくりんとカールしたまつ毛、母に似た慎ましい鼻と口、そして幼さ特有の少し赤みがある頬が健康的な美しさを放っているのは勿論、父のセンスの良さと侍女らのヘアメイク技術がより一層私を惹き立てている。
これから迎える闘いに相応しいといえるだろう。
「リアのメイクも、ミアがしてくれたかみがたも、とってもすてき」
「「!!!!!!!!!」」
双子の姉リアと妹のミアは双子ならではの連携プレーでベテラン顔負けの無駄を極限まで省いた働きを見せ、齢十七と若いながら私の専属侍女の座を勝ち取った有能な子たちだ。
興奮が冷めきらない様子の専属侍女達に振り返りとびきりの笑顔を見せる。
「「もったいないお言葉ですっ!!」」
回帰前も彼女たちは私に献身的に仕えてくれていた。
そして、あの火事の犠牲者でもある。
手を握り合った状態で事切れた二人を見た時の事はまだ記憶に新しい。逃げられない様にする為か足の健を斬られた痕跡があったのも。
「お嬢様どうなされましたか?」
感傷に浸りたくなる気持ちを抑えて笑顔をつくる。
「いいえ、なんでもないわ」
彼女らの中では起こっていない出来事で、私の記憶の中だけに存在する話なのだ。
「レティ、時間だよ」
優しくノックされた扉が待機していた従僕によって開かれる。
入ってきた父は十割増しで光り輝いていた。
私同様にウェーブ掛かった深紅の髪は肩より少し下まであり黄色のリボンで纏められている。赤のジャガード織のコートに金の蔦刺繍と胸元に黄色の薔薇、エスコートする娘を立てる美しい装いだ。
「リアとミアが、がんばってくれたんです。どうですか?」
「とても似合っているよ。うちの姫は元から可愛いが、今日は一段と可愛いなぁ」
父はそう言いながら満面の笑みで私を持ち上げると、くるりと一回転する。
「体調が戻って何よりだ。パーティは延期できても、祝福の儀は遅らせることが出来ないからね」
「……しゅくふく」
出来れば目を背けていたかった重要な単語に思わず体を強ばらせてしまう。
“祝福”
それは、王太子妃候補に収まってしまった直接的な原因である。
ここヴァルディアでは七歳になると神殿で女神より祝福を授けてもらう儀式を行う。この国で信仰する女神ガルテアが初めて祝福を与えた人間が当時七歳だったという記録が遺されており、とても重要な節目の時とされているからだ。
神殿は全部で五つ存在し、王都に中央神殿、東西南北に位置する二つの侯爵領地と二つの辺境伯領地にそれぞれ四季神殿がある。
高位貴族は中央神殿、地方貴族や平民は基本的に自身が住まう領地に近い四季神殿を利用する。
貧富、身分は問わず、儀式を受ける事に例外はなく必ず全員がその場で何かしらの力を得る事になる。
平民に多いのは火や水、土、風etc……を操る、生活を少し豊かにするようなささやかな能力。
貴族には平民の能力の強化版に加え、動物と対話や人や物を浮遊させたり、身体強化や対象物への変身など変則的な能力も多く見受けられる。
そして、大抵は先祖の祝福に関連したものを授かる。
「さぁ、行こうか」
「「旦那様、お嬢様、行ってらっしゃいませ」」
プリマヴェール侯爵家については、代々 “先見の識” を授かって来た。
一度見たものを即座に記憶し決して忘れない。
そこから予測できる数千のパターンの未来を頭に映像化できるという祝福は、目に見えて現れる祝福では無く一見して地味に思えるが、頭脳系では最高を誇る祝福なため王の最側近として重宝された時代もあったとか。
人々は卓越したそれを《瞬間記憶》と呼んだ。
父も、祖父も、先祖はみなそうだった。
五年前、兄も例に漏れずこの能力を授かり、現在は王立アカデミーに籍を置いている。
それを前提として――回帰前の私は例から漏れてしまったワケだ。
ーーーーーーー
『レティシア様からは何も見えません』
儀式の手順通り、水晶に手を翳しガルテア像を前に膝を折り手を組んだ。
その時確かに身体を包み込む暖かさを感じたのに神官が私に告げたのはそんな無情な一言だった。
『……定を』
『はい?』
『再鑑定を希望すると言っている』
同行していた父は茫然とする私を抱きしめ、地を這う様な声で再鑑定を依頼した。
『祝福がないだと?? じゃあ目の色はどう説明する! 黒へ変化などしていないでは無いか!』
父が指す黒とは瞳の色こと。
祝福を授からない者は共通して、儀式の際に目の色が黒く変化するのだ。
私はその変化がなく、美しい金の目のままだった。
しかし、神官は鑑定の眼を授かっており、彼らが見るものは間違いがなく完璧だ。中央神殿のどの神官が確認しても結果は同じだった。
『無能者……』
それは祝福至上主義国家である我が国で、祝福を授からないもののことを指す。
誰かが言った。
私以外はその声に気がついていなかった。
今思うと幻聴だったのかもしれない。だが、その言葉がさらに私の精神を追い詰めたのは事実だ。
祝福を授からない者の総称の存在はもちろん知っていたが、私がその立場になるとは思いもしなかったからそうなるのは必然だった。
『残念ですが……』
自領にある西の神殿でも鑑定をしたが結果は変わらなかった。プリマヴェール侯爵家の能力も、貴族や平民が授かる能力も私は女神からとうとう受け取ることが無かった。
人生最高の日になるはずのその日、私は “無能者” の烙印を押された。
そうして失意の中迎えた誕生パーティーでさらなる悲劇が起こることになった。
◇◇◆◇◇
『おい、チビ! 今日からお前は俺の妃だ!』
一通り挨拶をこなし父の膝の上で目に涙を溜めながらケーキを頬張っていた私に金髪碧眼のキラキラした男の子から声がかかった。
『きさき?』
『ありがたく思えよ!』
『……マキシミリアン、どういうつもりだ?』
『いやっこれはだな! そうなればいいなぁなんて思っていただけで……チャールズ、まだ確定した話では無いと言っただろう!』
『だって、父上!』
一足遅れ慌てた様子で現れたのは、キラキラした男の子と同じ色を持つこの国の最高権力者の美丈夫。
王立アカデミー在学時代から付き合いのある父と国王は気が知れた仲だった。
彼はそんな友人の娘である私をとても気に入ってくれていた。そう、息子の相手にと望むほどに。
『……』
一つ間違えれば不敬罪な父が牙を剥く中、母が私の様子に気がついた。
『レティ?』
その時の私は、当時私のガヴァネスを請け負っていたルイーズの話を思い出していた。
《蝋燭のような火、乾き始めた水溜りのような水、貴族には稀に平民のように能がない者が現れますが、そんな彼らはドブと一緒。 “あの方” なんて無能者ですし…………まァ、侯爵家のお嬢様にそんなことは起こらないと思いますが》
小さな能力も貰えなかった私はドブ以下ということ。そんな私に王太子妃という話が舞い込んだのだ。
藁にも縋る思いだった。
自分はまだ求められている。
価値が無いわけじゃない、要らない子じゃないと。
証明するチャンスだと思った。
『お父さま、お母さま。私なります、きさき』
『えッ』
『まぁ』
『そうかそうか! なってくれるか!』
父は固まり、母は意外そうに瞬き、王は食い気味で反応しチャールズの背をバシバシ叩いている。
王と違いかなり線の細いチャールズは視界の隅でよろけていた。
後日、敵対視している侯爵家の娘が “無能者” だと聞きつけたアウトリアン侯爵家が数ヶ月前に同じく七歳になっていた愛娘バネッサを妃に推した事により、両者を王太子妃候補として扱うとして落ち着いたのはまた別の話だ。
パーティはその後和やかに過ぎてゆき、私の気持ちも時間が経つにつれて落ち着きを取り戻した。
そして、子供たちの輪の中央でくるくると舞う私を母だけが心配そうに見つめていた。
◇◇◆◇◇
『ねぇレティ。母様も、貴女とおそろいよ?』
従僕やメイドたちが庭の片付けに勤しむ間、母にガゼボへ手を引かれて歩く私は居心地の悪さに俯いていた。
母は私の空元気を見抜いていた。
『でもお母さまは、りんごくのごれいじょうだったのでしょう?』
母はこの国出身では無い。
数少ない交友国の交換留学生として王立アカデミーに通っていた母を時を同じくして通っていた父が見初めた結果、嫁いできたのだから。
元々女神ガルテアを信仰しない国からやってきた者が祝福を授からない前例はいくつもあった為、特段珍しいことではない。私は余計に自分が惨めに思えてきた。
母と私では状況が違う。
そう私は思った。
『えぇ、そうね。そして貴女もその血を継いでる。だから、そうでも不思議じゃないと思わない?』
他国から嫁いできた者とこの国の者を両親に持つ子も例外なく祝福を授かっていることは母も知っている筈なのに。
なんだか、無性に腹が立った。
『……ねぇ、レティシア。本当にお妃様になりたい?』
『…………』
優しい母の問いかけに喉が詰まった私は繋いでいた手を振り切りその場から走り逃げてしまった。
ぐるぐると頭に浮かぶのは、神殿での『無能者』という言葉と小馬鹿にしたようにこちらを見るガヴァネスの顔。
『私はむのうしゃじゃないっっっ!!!!! むのうじゃ……ないもん――』
ガヴァネスの言葉が、神殿で聞こえた言葉が、私を盲目にして私を愛してくれる人々の声を、気持ちを、飲み込んだ。
ーーーーーーー
改めて、馬鹿だなぁと思う。
私は、王太子妃になることで無能でないことを証明しようとした。
その後、遠くない未来でルキウスと出会い、ヤケクソで妃の話に飛びついた自分を大いに呪ったのが懐かしい。
何度巻き戻したいと思ったか。過去に飛んで自分の頭を思い切り叩いて目を覚まさせる、なんて夢を見たのも一度や二度じゃない。
まさに消し去りたい過去だ。
仮にも妃候補として教育を受けていた身では、彼に想いを伝えるなぞ到底出来なかった。候補から外れる事を待っていたら、予想外の出来事で死を迎えて終わり。
呆気なかった。
彼も憎からず私を想ってくれていたと思う。家族も友人も救えなかったズタズタな私の心を癒し引き上げてくれたのは、他でも無い彼だった。
折角戻ってきたのだから、後ろめたさも何もない状態で想い人に会いに行きたい。今度こそ、まっさらな白紙の状態から彼と関係を築けたらと希望を抱く。
そのためにも、誕生日パーティでは自分の行動に細心の注意を払わねばと回想を終える。
「レティ、昨日は少しとはいえお熱があったのだから、体に違和感があれば直ぐにお父様に伝えるのよ?」
「はい、お母さま」
神殿に向かうのは私と父、そして父の護衛騎士カイオンとその息子のオーリ、そして、私の護衛騎士のトーリとノーラン。
女主人の母は私の誕生日パーティーの準備のため、家に残る。
「アルフレド、私たちの可愛い娘を頼みますね」
「あぁ、任された」
私を馬車の上座にエスコートし、向かいに腰を下ろした父が私の手をそっと握る。
「レティシア。大丈夫、父様も儀式の間一緒にいるからね」
「はい。お父さま」
御者の風の祝福と助手の物質軽量化の特殊系の祝福により振動を極限まで抑えた馬車に静かに揺られながら、向き合うべき最初の運命に思いを馳せた。