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最終話 いつかの後悔の解消。

「レティシア様、応接間へお越しくださいますよう、アルフレド様より仰せつかっております」


 執事長ヘンドリックスが私の部屋を訪ねて来たのは、朝を過ぎ、昼を過ぎ、日が暮れ始めた夕方頃だった。

 父の言伝について詳細は省かれてしまったが容易に予想は着く。


「分かったわ。ルキウス、行きましょうか」

「はい、レティシア様」


 どう考えても考えなくとも、ルキウスの試験結果だろう。

 昨日の夜からこの時間帯ということは、大人たちで行われた採否決定会議はなかなかに難航したようだ。

 すんなり【合格】の判が押されると心のどこかで考えていたので、その事は少々意外に思う。


 まさか、落ちていたりしないだろうな。


 いやいや、まさか。


 うんうん唸りながら歩いていると、目的地にはすぐに到着した。

 私は深呼吸した後、ルキウスに目配せをする。

 彼に扉を開けてもらいいざ入室した。


「お待たせしてもうしわけございません」


 応接間で私を待っていたのは第二部の説明がなされた時と同じ顔ぶれだった。


「大丈夫よ、レティシア」


 マリネットがいることが余程嬉しいらしい母は、今日も今日とてぽわぽわと周囲にお花を飛ばしている。


「こちらこそ、急に呼び出してしまって申し訳ないわ。レティシア様」


 母が纏う雰囲気が暖かな春の陽気なら、マリネットは夏のような全てを照らす陽射しだろう。だからと言って、エスターティアのような暑苦しさがある訳では無い。

 柔らかく微笑んだ笑みが母と同じ雰囲気を漂わせているからだろうか?


「いえ、だいじょうぶです」


 「始めてくれ」という父の言葉に席を立ったのはマリネットだった。


昨日(さくじつ)行われました、プリマヴェーラ侯爵令嬢付き護衛従者昇格試験の合否について、僭越ながら(わたくし)特別審査官マリネット・カーターよりレティシア様へご報告させて頂きます」


 マリネットはレタートレイで運ばれてきた丸められた羊皮紙のリボンを丁寧に解した。


「厳正なる選考の結果、試験者ルキウスは――」


 一度言葉を切り、息を吸う。

 その動作がやけにゆっくりと見えた。


「及第と認める」


 私の肩から力が抜けた。


「王妃宮に務めていた私から見ても、少年は十分その基準を満たしていると判断できるものでした。食事の席や日中の活動時間中、細かな気配りも礼儀作法は王宮でも通用するレベルでしょう」


 王妃宮で侍女長を務めあげたマリネットからお墨付きを貰えるとは、これほど心強いことはない。


「しかし、それは私だけの見解ではありません。最終的な決断はやはりこの家の方々が担うべきですからね。私は第三者目線で客観的な意見を述べさせていただいただけです」


 そう続けたマリネットは父アルフレドに目配せをする。

 父は短く息を吐いた。


「我が一族に付く側仕えとしていちばん重要なのは、いかに主人を理解しているかだ。ルキウスはそれをしっかり分かっていた」


 あの『当てられなかったら――(以下略)』にも多少は意味があったらしい。


「落とす理由を見つけられなかったっ!!!!」


 悔しげにダンっとテーブルを叩いた父を見て、私は察する。十中八九、この人がごねたのだろうと。


「ルキウス」


 父は鋭い視線をルキウスに向けた。

 しかしそこには以前のようなまるで天敵を見る棘はなかった。

 ルキウスが表情を引き締める。


「君がレティシアの従者として籍を置くこと、ここに宣言する」

「私も異論ありません。ルキウス、今まで良く頑張りましたね」


 両親が示す言葉の意味は――。


「お父さま、お母さま――」

「ただし、俺はいつでも見てるからな」


 父がルキウスに脅しをかける。

 冗談ではないのだろう。

 父がルキウスのことに関して発する言葉はいつも本気(ガチ)だ。回帰してから嫌という程痛感した。


「誠心誠意、仕えさせて頂きます」


 ルキウスがする礼はやはり見惚れるほど美しい。回帰前のルキウスも従者として素晴らしい能力を発揮していたが、回帰してより磨きがかかったようだった。

 

 そして、宝石みたく美しい瞳が私を捕らえる。

 他のことなどどうでも良いと言うように、一心に。


「ぐぬぅうっ」


 私の前へ跪いたルキウスに父が必死に何かを堪えるような声を出す。

 今回は「離れろ」とは言わなかった。


「お父さま」


 きっと、初めから落第させるつもりなど無かったのだろう。

 私にはわかる。


「お母さま」


 私は深々と頭を下げた。

 父や母、そしてみなの温かさに。


 感謝を込めて。


「ありがとうございます」



ーーーーーーー



「あっ、おかえりなさいませ!」


 朝食を済ませ部屋に戻ると、扉の前ではリア、ミア、トーリ、ノーランが勢揃いしていた。

 ソワソワとする四人を部屋の中に招き、ルキウスにティーセットを用意してもらう。


「あの、で、どうでした!?」


 まてないっ! と、前のめりで聞いてきたノーランがトーリに頭を(はた)かれる。

 早速、結果を教えてやらねばならない。


「ルキウス」


 ちょうど準備を終えた当事者を呼びつけ、彼の口から報告してもらうことにする。まぁティータイムの用意をしている時点でご察しの通りなところではあるが。

 良い報告しか受け付けないとでも言うような同僚たちに気圧(けお)されながらも、ルキウスは彼らに力強く頷いてみせた。


「無事に権利を勝ち取りました」


 私の横で姿勢を正したルキウスは澱みなく答える。

 その言葉に彼らは自分の事のように目を輝かせていた。


「「ルーくん、おめでとう~!」」

「ルキウスおめでとう」

「ルーク! やったな!」

「……どうも」


 祝福の言葉に反応が今一つ薄いルキウスだが、彼の耳が赤く染っていることが全てを物語っていた。


「あっ、じゃあもう早速今日からなのよね!?」

「レティシア様、まさか私たちって用済み――だったりしないですよね……?」


 完璧人間ルキウスが採用されたことで自分たちの所属が移動になるかもと不安に思ったのだろう侍女二人が顔を青ざめさせる。

 そんなリアとミアに私は緩く首を横に振った。

 彼女たちにはこれからも末永く私の傍にいてもらわなければならない。


「これからもよろしくね」

「「はい~!」」


 ――コンコン。


「失礼致します。レティシア様、リアとミアを少々お借りしてもよろしいでしょうか」


 我がプリマヴェーラ侯爵家の使用人は規模の割には少々少なめだ。厳選しているとどうしても新たな使用人を雇うことが出来ないでいた。そのため、専属侍女といえど、このように急な出動要請が出たりする。


「あら、ロージー。そうねぇ……。今はルキウスがいるし、いいわよ。――リア、ミア、行ってきなさい」

「「はい、レティシア様」」


 突発的な呼び出しに関して、これまでならリアとミアどちらかが私の傍に残っていたのだが、ルキウスが正式な従者となった今はこんな事も可能なのかと一人感心する。


「レティシア様……ちなみに俺たちって――」


 えらく沈んだ声を出したのはトーリだった。その横ではノーランもなにかに気がついた様子で青ざめている。


「どうしたの」

「その……」


 二人のその表情はルキウスの採用を知った時とは天と地の差があった。


「解雇です?」

「ルークの雇用形態って従者兼護衛……」


 そういえば、彼らは武闘会でルキウスに負かされていた。

 通常ローザ騎士団で行われる下剋上でいけば、負けると即降格な超実力主義的パワーバランスを保っていた為、トーリとノーランのこの反応も無理はない。

 そして、こればかりは私の采配ではどうにもならない。


「んんと」


 回帰前を思い出してみる。

 ルキウスが私の従者になる頃(つまり、今から二年後)、トーリはアシェルに付いていたし、ノーランに関しては体術を得意とするルキウスとは分野が被っていなかったため私の護衛続投とされた。

 今回はどうなるだろうか。


「アーロンにきいてみるのがいちばん早いかもね」


 多分、父からトーリとノーランが所属するローザ騎士団の団長アーロンへ話が行っているだろう。

 私は丸投げすることにした。


「ちょっと訊いてきます!」

「あ、おれも行ってきます!」


 侍女に続き護衛までもが出て行ってしまい、図らずしてルキウスと二人きりになった。

 蒸らし終えた紅茶がカップへ注がれるのを無言で眺める。

 そこへミルクを投入すれば、回帰前から変わらぬ味が保証されたルキウスのミルクティーの完成だ。


「美味しい」

「それは良かった」


 ミルクティーによって温められたからか、途端に睡魔がやってくる。幼い体に齢二十の脳みそは少々負荷がかかりすぎるのだ。そんな中、昨日今日とずっと気を張っていたのだから仕方ない。

 ウトウトと船を漕ぐ私に影がかかる。

 次の瞬間、意識が覚醒した。


「!?」


 私の前へ正座したルキウスが、なんの脈絡もなく腰へ抱きついたのだ。


「どうしたの」


 ルキウスの奇怪なその行動に私は思い当たる節があった。

 思い出すのは回帰前の最後に別れた日のこと。

 本来なら何事もなくパーティーから帰宅してルキウスの頭を撫でてやるはずだった。

 私の回帰前の後悔のひとつでもあった。


「頭……撫でて欲しい」


 予想通りの返答にそれ以上は何も訊かず、私の太腿の上で広がった柔らかな黒髪を丁寧に丁寧に梳き解す。

 そうだ、そうだった。

 手から伝わるその感触に心がじんわりと温かくなった。


「辛かった」

「ん?」


 ルキウスが私の腿から顔を上げずにそのまま話し始めた。くぐもったその声に耳を傾ける。


「君がいなくなって、見つけたと思ったら遠くて、苦しかった」


 髪を撫でる手は止めない。

 ルキウスの訥々と落とす言葉に静かに聞き入る。


「やっと、やっと戻ってきた」

「ルカ……」


 不意に上げたルキウスは涙を溜めていた。


「――レティ」


 不安と安堵が入り交じったような表情をしていた表情で私を呼ぶ。


「レティシア様!」


 ノックもなしに突然開かれた扉に思わずルキウスを吹っ飛ばした。

 なんせこの行為、回帰前でも二人きりの時にしかしていなかったから。


「いっ」


 ローテーブルで頭をぶつけたルキウスがテーブルと私の間の隙間で蹲り悶絶している。

 ほんとごめん。


「晩餐会が開かれるみたいです――て、あれ?」

「ルーくん、どうしました?」


 挙動不審な私とその足元で悶えるルキウスに、リアとミアが怪訝な表情をする。


「っいいえ、なんでも! というか、ばんさん会って……」

「ルーくんがプリマヴェーラ侯爵家の使用人に加わるのは、私たちお仕えする者一同の悲願でしたから! 思いを汲み取ってくださったエストレラ様がご提案なさってくれたんです!」

「なんでも、少し前行われた小規模晩餐会とは違い、今回は私たち使用人や騎士たちも参加して良いと、無礼講だとエストレラ様からのお達しがありまして! 準備が出来次第始めるみたいです!」

「場所は中庭です!」

「もうするの?」

「もうちょっとです!」

「みんな続々と集まってます!」

「どっちよ」


 飛び跳ねながら来た道を戻るリアとミアに思わず笑みがこぼれる。

 なるほど、中庭で行う立食パーティか。

 使用人も参加可能なカジュアルな食事会とは両親も考えたものだ。


「えっと……ルカ、大丈夫?」


 また誰もいなくなった部屋で蹲った状態で微動打にしなくなっていたルキウスを恐る恐る(つつ)く。


「大丈夫じゃない」

「そうよねぇ」

「……晩餐会が終わったあと、もう一回時間取ってくれたら治るかも」


 頬を膨らませて中断された時間の延長を強請る彼に思わず頬が緩む。


「時間はなるべく捻出するわ」

「ぜったい」


 二年も早まったルキウスとの出会い。一時はどうなる事かと思ったが全ては収まるところに収まった。

 そして、まだ誰一人欠けることなく今を生きている。

 タイムリミットまで残り十三年。

 まだ十三年、されど十三年だ。


「分かった、絶対ね。――それじゃあ、ルカ。行きましょうか」


 ルキウスが差し出した手を取りソファから腰をあげる。


「仰せのままに、レティ」


 私たちは二人きりの時間を惜しむようにゆっくり会場へと向かった。

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