39 少年の過去の過去の話し。
物心ついた時からずっとここに居た。
光が取り込まれることの無い三方を岩のように硬い土壁、一方を天井と地面を貫通させて設置されている格子に囲まれている寒々しい場所。
この部屋は僕一人のみが “保管” されている。労働の時間になると、袋を被せられて外に出る。出会ったことはないが、他にも僕と同年代の少年少女が居ることは確かだ。なんだって、叫び声が絶えず聞こえるのだから。
「おい、起きろ」
頭から冷水が掛けられる。
朦朧としていた意識が若干浮上すると、首から垂れた鎖を乱暴に引っ張られた。その衝撃で僕は噎せるが、鎖を持つ手は容赦が無い。
一週間に一度ここへ食料と飲料を運んでくる男が気だるそうにこちらを見下ろしていた。
「買い手がついた」
「かいて……?」
「さっさと出ろ」
錆びた音を立てて鉄格子の扉が開く。
「よし、動くなよ」
いつものごとく袋を被せられれば、完全に光がシャットアウトされる。後ろ手に固められた手に枷が嵌められる。
何の整備もされていない地面を裸足で歩けば、当然ながら石を踏み何かの破片を踏み、足の裏が切れる。しかし痛みは感じない。次第に道が舗装されたものへ変化したのを足裏で感じる。
そこからまた、体感数分。
ガチャリと扉が開く音がした後、またひとつ足裏に感じる質感が変化する。
大理石か?
「抵抗しなかったか?」
「はい、ビクともしませんでしたよ。ほんとにこいつ、買い手がついたんです?」
人の気配が一気に増えた。
「あぁ、物好きもいるもんだよ。なんせ、黒目をご所望する宝石商だ。眼球で宝飾品でも作るんじゃねーか?」
顔を覆っていた袋も取り払われ視界に一気に光が戻る。
開け放たれ通された先はどこかの建物の中のようだ。
「『こちら一級品の黒曜石で――』……こんな感じですか? あははははははっ!」
「だはははははははっ! おいおい、もしそうならこれ程傑作なのはないだろ! くっ……くくくく」
誰かを真似て馬鹿にするように笑い合うのは、僕を連れ出した下卑た男ともう一人、メガネの男――誰だろう。声には覚えがない。
「よし。君たち、商品の見てくれを整えてくれ。時間がないから最低限でいい」
「かしこまりました。旦那様」
◇◇◆◇◇
「お望みの齢九つの黒目の男児だ」
「あぁ、ドンピシャだ! 奴隷と言えば、やはり君の商会だな? あぁほら約束分だ」
今度は袋ではなく目隠しだ。安定に視界は遮られており何も分からない。
チャキ、重みのあるものが耳に届く。想像でしかないが、多分、金だろう。
「過不足なく確かに。――任せてくれよ、今回の黒目から他国の血まで子供の奴隷なら選り取りみどりさ」
僕の身柄が買い手に引き渡される。
「それにしても、いつも何処から仕入れて来るんだよ」
「ファントムメナスだよ」
「ファントムって……そりゃホントか!? どうやって取引を――」
「これ以上は企業秘密だ」
「まぁいいさ。また世話になるだろうから、どうかバレないでくれよ」
「今後とも是非ご贔屓に」
腕をまた縛り直され猿轡を噛ませられる。
抵抗する気力なんぞ残っていないのに、この徹底ぶり。
身動きが取れないほど狭い箱に体を押し込まれた。どこかに移動するようだ。
馬の嘶きが聞こえ、振動が直に伝わって来る。
僕の身体はきっと打ち身だらけなことだろう。
まぁ元々綺麗な体でもないことは自覚済みだが。
ーーーーーーー
「おい、グズグズするな!」
背中を手杖の先で突かれる。
バランスを崩した僕は鈍い音と共にその場に倒れ込んだ。
咄嗟に手を着いたが、手枷が邪魔をして腕があらぬ方向に曲がった気がする。
「全く、これだから無能者は困る。気晴らしには持ってこいだが、他の事ではとんと役に立たない」
人身売買にて僕が売られてからゆうに五年と七ヶ月が経過した。
僕は今、その五年と七ヶ月前に僕を買った宝石商の付き人兼玩具役を担っていた。意味合い的には後者の玩具としての役目の方が大きい。要は憂さ晴らし要員だ。
人権がないため死なない程度にしか取らせて貰えない食事のせいで、十四歳にはとてもじゃないが見えない。
力任せに立たされ、荷物を渡されるも先程捻った腕は痛みに耐えきれず物を落としてしまう。箱の中身は溢れんばかりの宝石だった。どおりで重いわけだ。
「おい! 馬鹿め! 商品だぞ!? 何落としてやがる!!!!!」
まずい。
そう思った時には、また杖先が僕に向かってきていた。
今度は顔に。
避けきれず顳かみにヒットする。
僕は買われてから面布の着用が義務付けられていた。
しかし、今の衝撃で外れてしまい黒目が晒される。
子供を痛め付ける様子に通報しようとざわついていた空気が一変する。
世は無情だった。
「あぁ?? なんだ? ご主人様に文句があるってか? 反抗的な目ぇしやがって」
理不尽にも怒り狂う主人の声が遠く、噴水の流れる音がやけに大きく耳に届き、意識が暗転する前兆なのだと経験が信号を送る。
「よしよしわかった。そんなに欲しいなら、この場で躾してやらァ!」
いつもの火あぶりの時間がやって来る。
静かにその時を待つように目を瞑った僕の意識は暗転し――。
――なかった。
「そこの者、何をしておる」
女神が降臨したからだ。
「はい?」
まだ幼い、しかし凛とした女の子の声が耳に届いた。
「何をしていると、訊いているのです」
「……貴族のご令嬢とお見受けしますが、何故あなた様に答える必要が?」
宝石商の背後には、声の主と思われる小さな少女が立っていた。
淡い赤色の髪がふわふわと靡き、金の目が真っ直ぐとこちらを見ていた。
「答えなさい」
「はぁ……なんですかもう。――教育ですよ、きょ・う・い・く! こいつは私の従僕なんでね? 答えたんだから、もういいでしょう? これは見世物じゃないんでね」
「教育? 教育ですって??」
大男に凄まれても怯む様子のない少女に胸が苦しくなる。
僕なんか放っておいて、逃げて欲しかった。何故、薄汚い奴隷身分の僕に情けをかけようとするのか。
「 “教育” とは、言葉で、行動で、正しい道へ教えみちびくことを指します」
僕の思いとは裏腹に、人の黒い部分を持ち合わせない純新無垢な少女は宝石商に怯む様子を見せなかった。
その後、両者一歩も引かぬ言葉の応戦が続き、周囲の宝石商を見る目に変化が訪れ始めた。
なんというか、憐れみを含んでいるような視線だ。だが、宝石商は少女とのヒートアップした討論(?)に夢中でそれに一向に気が付かない。
「――なっ!」
そして、とうとう宝石商が手を出した。
この男は炎の祝福持ちだった。しかも割と強力な加護なのが厄介だ。
「だ、ダメ……」
火柱が少女に向かって勢いよく向かっていく。
僕は動けなかった。
仕方ないと言えばそうだが、悔しかった。
しかしその火が少女に届くことは無かった。
「おい、俺の主に何しやがる」
拳ひとつで火柱を受け止めたのは歳若い男だった。
『俺の主』ということはこの女の子の護衛なのだろうか。
青年は頭に青筋を立てていた。
「ひ、ひいぃぃいい」
風圧で吹っ飛ばされたゲス野郎は地面に転げると、少女の護衛に恐れ成したのかなんとそのまま失禁していた。
無様な事だ。
「レティシア様――」
目先で話し込む少女とその護衛の会話が聞こえ難いことに、血が頭から絶え間なく現在進行形で流れ出ていることを今更ながら思い出す。
「ねぇ、貴方」
ゲス野郎と少女の間に護衛がさり気なく壁を作っていることに感心しながら声を掛けてくれた少女に目を向ける。
「おいで」
柔らかい微笑みが僕を包み込んだ。
「私と共に来なさい」
僕はこのときを一生忘れないだろう。
この世にこんなにも心を奪われる存在がいることに、心臓が止まりかけたから。
もう死んでもいいなんて思っていると、今度こそ本当に意識が遠のいた。




